絶対に俺が救い出してみせる!
二車線の道路を慎重に進みながら、アイリはある違和感を覚えていた。さっきからどうもおかしい。対向車線を走る車が一台も見当たらない。まだ人通りが減少する時間帯でもないにも拘らず、である。
マリーが送ってくれたセンチネルの巡回ルートではこの道は安全のはずだが、どうも嫌な予感がする。
目的地まであと一ブロックというところで、思わぬ不確定要素が現れた。
罠かもしれない。ここからはより慎重に慎重を重ねた方が良さそうだ。
「もう少しですよ上月先生。ちょうどあそこの角を曲がったところに――」
そう言いかけた時、前方に不穏な気配を感じた。
見るとセンチネルのスピナーが数台、道路を塞ぐようにして横に停車している。その傍らには武装した隊員とバイオロイドが数名。どうやら悪い予感が的中してしまったようだ。
アイリは咄嗟にサイドブレーキを引いて後方に急旋回した。甲高いスキール音をたてて、アスファルトに黒いタイヤ跡が残る。
そのまま引き返そうと改めてアクセルペダルを踏み込むが、いつの間にか後ろにも車両のバリケードが形成されていた。
やられた。完全に待ち伏せされた。
これほど接近するまで気づかなかったとは。アイリは不注意な自分を殴りたい衝動に駆られる。
恐らくすでにマリーはローザに拘束されたに違いない。彼女がマリーに成りすまして偽の巡回ルートを送って待ち伏せたのだ。もっと早くその可能性を考慮すべきだった。
「どうする?」
上月が不安げな声を漏らす。
「掴まってください!」
アイリはアクセルペダルを思い切り踏み締めて、バリケードに突っ込んだ。なるべく隙間が広い箇所に狙いを定め、鮮やかなハンドル捌きで強引に突破を試みる。車体の両側から激しい火花が飛散すると同時に、激しい衝撃が二人を揺さぶった。
突破の際、何発か銃撃を受けたが、幸運にも二人が被弾することはなかった。しかしその代わりに、右後方のタイヤを弾丸が撃ち抜いた。
アイリがタイヤのパンクを悟ったのは、どうにか突破に成功して安堵した直後、後ろで大きな破裂音がした時だった。
この状態でセンチネルの追跡を振り切るのは困難を極める。案の定、すぐに追いつかれてしまった。数台の車両がサイレンを響かせながらピッタリと背中に肉薄する。
上空にはサーチライトでこちらを照らす、ドローンとVTOLの姿がある。
アイリはどうにか狭い路地に入り込んで追手を撒こうとした。入り組んだ場所なら追う側より逃げる側の方が有利なはず。その作戦が成功したのか、一台、また一台と追走する車両が減っていく。
その時だった。
ふいに車のボンネットの上に、颯爽と黒い人影が舞い降りたかと思うと、両手に持った双刃剣を薙ぎ払った。
「――ッ!?」
アイリは反射的に上月の肩を掴んで身を伏せる。
横薙ぎに払われた双刃剣は、いとも簡単に車のルーフを切断した。一秒でも反応が遅れていたら、首ごと飛んでいただろう。
やむを得ずアイリは吹きさらしになった車内から上月を抱えて飛び出した。運転手を失った車はそのまま前方のコンビニエンスストアに正面から突っ込んだ。
無人の歩道に何とか着地を決めると、襲撃者の姿を確認する。
「菊理!」
「こんばんはぁ、アイリさん!」
フォックストロット部隊の同僚は、およそ正義の味方とはかけ離れた猟奇的な眼差しでアイリに微笑みかけた。
「それにしてもびっくりしましたわ。いきなりアイリさんが指名手配されたと聞いて。いつかやりそうな気はしてたんですけど、もし行動を起こすなら私も誘って欲しかったですわ」
「聞いて、ローザに何言われたか知らないけど全部デタラメよ。彼女は犯人に操られている」
「そんなの関係ありませんわ。私はただ戦いを楽しみたいだけですの」
「ああそう……平常運転で安心したわ……」
ダメ元で説得を試みたが、予想通りの結果に終わった。
恐らくどこかで華怜もライフルのスコープ越しにこちらを狙っているに違いない。
何とか上月だけでも逃がせたら良いのだが。彼女が証拠を確認してそれを公表すれば全てが解決する。ホテルまであと少しだというのに、最後の最後で最大の障壁が待ち受けていた。
この状況で二人を相手にしながら上月を守り抜く自信は、アイリにはない。
何か素晴らしい妙案があれば良いのだが、皆が手放しで称賛するような作戦は今のところ思いつかない
だが必ず何か策があるはずだ。
アイリは無理にでもそう思い込もうとした。
「嬉しいですわぁ、一度で良いからアイリさんとは本気で殺し合ってみたかったんですの」
「……笑えない冗談ね。アンタが私に勝てるとでも思ってんの?」
「さあ、それはやってみてからのお楽しみですわ」
菊理は嬉々として双刃剣を構える。
何としてでもこの苦境を切り抜けなければならない。切り抜けて必ずヒカリの下に帰るのだ。
海斗はどうしようもないくらい激しく打ちのめされていた。
あれから何度も試したが、瓦礫はピクリとも動かなかった。持ち上げようとすると強力な電流が流れて全身から力が奪われる。
目の前で大切な人に死が迫っているというのに、何も出来ない自分が悔しくて仕方がなかった。
どこかに慢心があったのかもしれない。
サイボーグになる前の自分は、何の取り柄もないただの学生で、学校の女子達によるアンケートで、不良に襲われた時に護ってくれそうな男子ランキングで不動の最下位という不名誉極まりない称号を貰ったこともある。
そんな人間が、ちょっとメガトーキョーを救った英雄ともて囃されただけで、自分は何でも出来ると勝手に思い上がっていた。負け犬はどこまで行っても負け犬なのだ。
「もうやめて! これ以上やるとアナタまで死んでしまう!」
ルナが悲痛な叫びをあげる。
『まだ希望を捨てちゃ駄目だ! 絶対に俺が救ってみせるから!』
「もういいの……元はと言えば私が一人で危ない場所に行ったのが悪いんだから……」
『違う、悪いのは全部あの男だ!』
皮肉なことに海斗は自分以上に悲観的になっているルナの姿を見て、逆に再び気力が湧いてきた。
そうだ、まだ諦めてはいけない。
「ねえお願い……私が死んだら親しい人達に私の言葉を伝えて欲しいの」
まるで死期を悟った病人が、家族に別れの言葉を告げるように、か細い声で、ルナが訥々と語り始めた。
「まずお母さんに、『親より先に死んでごめんなさい。こんな娘だけど今まで育ててくれてありがとう』って。それと……家で一緒に暮らしてる男の子がいるんだけど、もし彼に会ったら『最後の最後まで迷惑かけて本当にごめんなさい』って伝えて欲しいの。私……子供の頃から彼に助けられてばかりで何もしてあげられなかった……そんな情けない自分を変えたくて必死に努力してきたけど、一度も恩返しすることが出来ずに終わっちゃった……もし出来ることなら今日、最後に別れた時に戻って彼に一生分のお礼を言いたい……!」
『それは違う!』
海斗は我慢出来ずに叫んでいた。
『何もしてあげられなかったなんてことはない。君が傍いてくれるだけで俺はどんなに辛いことでも乗り越えられたんだ! 父さんが死んで落ち込んでいた時、君がどうにかして慰めようとしてくれたのを俺は知ってる。その気持ちだけでも俺は十分救われていたんだ!』
「何を言って……」
最初、ルナは理解出来ない様子だったが、次第に何かを察したように目を見開く素振りを見せた。
今、初めて自覚した。ルナが自分にとってどれほど大きな存在になっていたかを。知らず知らずの内に自分が彼女を心の拠り所にしていたことを。
気がつくと海斗は、服の立体映像を解除して自分から本当の姿を晒け出していた。
『君を泣き顔のまま死なせたりはしない。君の笑顔をもう一度この目で見る為に、絶対に俺が救い出してみせる!』
「……海斗、君?」
言葉と同時に全身の力を両腕に集中する。途端に頭が破裂しそうなほど凄まじい衝撃が脳天を貫く。体内の血液が沸騰し、意識が焼けるように熱かった。
海斗のサイバーウェアには、痛覚を抑制する機能が備わっているが、それでも全身がバラバラに張り裂けるような熱と衝撃が絶えず襲ってくる。
それでも海斗は、一瞬たりとも力を緩めることはなかった。
自分はこんなところで這いつくばっている訳にはいかないのだ。
『ぐうううううううううううううううううぅぅぅぅ……!』
上に覆い被さっている瓦礫が僅かに持ち上がるが、爆弾のタイマーは容赦なく時を刻み続ける。
このままでは確実に間に合わない。
――いや、諦めては駄目だ。ここで力を抜いたら何もかもが終わりになる。
耐え難い苦痛が身体中を駆け巡る。外側と内側から硫酸を流し込まれたような感覚だ。もはや痛みを感じない箇所を探すのが難しい。
自分でも何故、気絶しないのか不思議だったが、意識を失いそうになる度に、頭の中の声が叫び声をあげていた。
絶対にルナを死なせるな、と。
楽な状況下で勝利することは誰にだって出来る。本当に重要なのはどんなに困難な状況でも諦めずに自分の力で乗り越えることだ。それが真の強者の証なのだ。
大切な人を救えない奴が、英雄を名乗る資格はない。自分にルナを救う力があることを、この手で証明するのだ。
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!』
ついに上に覆い被さっていた瓦礫が、大きな音を立てて持ち上がった。すかさず瓦礫を脇に放り投げ、ルナの方を振り向く。爆弾のタイマーはもうあと三秒を切っている。
海斗はすぐさま加速装置を起動してルナの方へ手を伸ばした。
次の瞬間、耳をつんざく轟音が響いて爆弾が起爆した。玄関ホールが跡形もなく吹き飛ぶほどの衝撃波が広範囲に広がる。
間一髪のところで脱出に成功した海斗は、ルナを抱きかかえたまま近くのホットドッグ屋台に着地した。
爆風が収まると海斗は恐る恐るルナの顔を窺った。生きている、状況が整理出来ず、表情が固まっているようだが、どこにも外傷はないようだった。
やりきった。自分は大切な人を守り抜いたのだ。
いつの間にか外では僅かに小雨が降っていた。ひんやりと湿気を含んだ風が頬を掠める。
安心感と疲労感で意識が朦朧とし、自然と力が抜けそうになった時、背後から響いた下卑た笑い声が、海斗を現実に引き戻した。
「へへへ……やっぱりな、ここにいると思ったぜ……」
振り返ると先ほどホテルで出会ったカランビットナイフの男が佇んでいた。
「さっきの借りを返しに来たぜ。まさかこんなガキがグリッドランナーだとは思わなかったが、どのみちテメーは公開惨殺刑決定だ」
男はそう言って懐から二本のカランビットナイフを取り出し、臨戦態勢に入る。
海斗はただ怒りを押し殺した声で、静かにこう言った。
「……どけよ」
「ああん、聞こえねーよ! 命乞いするなら腹から声出せ!」
両手に持ったナイフを器用に振り回しながら、男は猛然と海斗の方へ突っ込んできた。
「今度の俺は一味違うぜ。見ろ、ナイフ二本だ。さあどっちのナイフで切り刻まれるのがお望みかな?!」
海斗はしかし軽く腕を一振りして男を殴り飛ばした。
海斗には男のことなど眼中になかった。
今の彼の頭にあることはただ一つ。
こんなことをした男に相応の報いを受けさせる、ただそれだけだった。
海斗は気を失った男の首根っこを掴むと、ヒカリがインストールしてくれたハッキングアプリで男のニューラル・インターフェースに侵入する。
そして完全に支配下に置いたことを確認すると、ヒカリに連絡をとった。
『……ヒカリちゃん、頼みがあるんだ』
『どうしたの?』
怒りを必死に抑えて静かな声で言う。
『今からコイツのニューラル・インターフェースを乗っ取ってライザーにメッセージを送りたい。「女は瓦礫の下敷きになって死んだかどうか確認するには時間が掛かる」って。彼女が確実に死んだとわかるまで奴は国を出ないはずだ。その間に奴を見つけ出してこの手で倒す!』
これは一種の賭けだ。周囲の防犯カメラには映らない場所から脱出した為、ライザーには海斗達がどうなったかは気づかれていない。
男に成りすましてメッセージを送信すれば、多少は時間が稼げるはずだ。その間にライザーの居場所を突き止める。
『え……で、でもその……』
『早くやるんだ!』
『は、はいっ!』
つい怒りに我を忘れて怒鳴りつけてしまった。海斗はすぐに深い後悔に苛まれる。だが今は冷静な判断が出来る精神状態ではなかった。
少しでも刺激を加えられると、感情が爆発してしまいそうだ。ライザーをこの手で叩き潰すまで、この怒りは収まりそうもない。
後ろを振り返ると気遣わしげな眼差しでこちらを見つめるルナと目が合う。
復讐に怒り狂う自分の姿は、さぞかし醜く見えるに違いない。急に後ろめたさがこみ上げてきて、ふと我に返った。
「……ゴメン、今は訳を説明している時間はないんだ。全部終わったら全部話すから……それまで待ってて欲しい」
本当なら今すぐにでも事情を説明したい。そして完全に彼女の安全が確保出来るまで片時も傍を離れたくない。だがこうしている間にもライザーは国外に逃亡しようとしている。
もう二度と奴に好き勝手させない為にも、ここで後顧の憂いを断つ必要がある。
海斗は電話で呼び出したプリスが到着すると、ルナを託して振り返ることなくその場を後にした。
ビルからビルへとパルクール移動を繰り返しながら、服の立体映像を切り替えてグリッドランナーの姿に戻る。
それは正体を隠す為というよりも、自分を覆い隠すことによって少しでも怒りを鎮めるという意味合いの方が強かった。
ライザーを探すと言っても、何か手がかりがある訳ではなかった。闇雲に探しても、いたずらに時間を消費するだけ。
しかし当てがない訳ではなかった。
海斗はビルの上を駆け抜けながら、ある人物に連絡をとった。
『やあ、君か。何の用だね?』
しばらくすると耳の奥で、今夜助けた男の声が響いた。
『アンタ困ったことがあればいつでも助けになるって言ってたよな?』
『もちろんだ。私に出来ることであれば何でもしよう。何をすれば良い?』




