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グリッドランナー  作者: 末比呂津
ローブリッター編
54/63

いつものことですから

 本部に到着したアイリは、オフィスに行く前に医務室で上月に手当てを受けさせた。

 幸い怪我は打撲傷と捻挫だけだったので、簡単な処置で済んだ。

 オフィスに着くと、真っ先にローザの姿を探した。もし見つかったら何と言い訳しようか考えていたが、どうやら自分の執務室に引きこもっているようなので安心した。

 そのまま出て来ないことを願う。

 周囲で慌ただしく歩き回る職員を見ると、手伝ってやりたい気持ちに駆られるが、今は他にやるべきことがある。

 自分のデスクに腰を下ろし、上月から貰ったフラッシュメモリを端末に挿入する。


「あれ、アイリさん。どうかしたんですか?」


 と、そこへたまたま近くを通りがかったマリーがアイリの存在に気づいた。


「ちょっとね、一昨日の立てこもり事件の被害者を事情聴取しようと思って、何か思い出したことがあるって言うから」

「わざわざ本部まで来て? 支部長はこのと知ってるんですか?」

「いいえ、だからもしローザが来たらこっそり教えてね」

「……はあ」

 

 聴取なら現地でもやろうと思えば出来る。何故わざわざローザに咎められる危険を冒してまで本部で行うのか。

 アイリの説明に疑念を抱いたマリーは、それとなく二人を監視することにした。




「支部長、サイバーマトリックスのカスパロフ氏から電話が入っております」


 執務室で秘書のブラッドリーと今後の方針について話し合っていると、男性職員からそのような報告を受けた。

 サイバーマトリックスと聞いて、ローザはやや気後れした。

 捜査が行き詰まっていることに苛立ちを募らせた親会社が、進捗を訊きにきたのだろう。応対に出るのが怖かったが、出ないという選択肢を取ることは出来ない。


「はい?」

『私はサイバーマトリックス私設警備部門のカスパロフという者だが、そちらに上月朋子という女性が来ていないか?』

「は、何故そのようなことを?」

『質問は後だ。まずは確認してくれ』


 ローザは怪訝に思いながらもデスクの端末を操作して入館記録を調べてみた。


「確かにちょうど五分前にそのような人物が訪れた記録がありますが……」

『そうか、では直ちに彼女を拘束しろ』

「え、どういうことですか?」

『彼女は我が社の重大な規定に違反したんだ。我々で尋問したいから、こちらが送り込んだ職員が到着するまでそちらで身柄を抑えて欲しいんだよ』


 唐突過ぎる要望に、ローザは疑問を感じずにはいられなかった。

 ただでさえ人手不足で収集がつかなくなりつつあるのに、それは本当に今必要なことなのだろうか。


「待ってください、説明をお願いします。本当に貴重な人員を割いてまでやるべきことなんですか?」

『悪いがこれは非常に込み入った事情があってね、理由は次の機会にでも話すから君はただ言われた通りにすれば良い』


 全く納得出来る説明ではなかった。

 何の根拠も示さずに一般人を拘束するのは明らかに法律から逸脱している。センチネルはあくまで日本政府からメガトーキョーの治安維持を委託されている警察の代行組織であって、独裁国家ではない。

 違法な取り締まりが目に余れば、最悪政府から契約を解消されてしまう。実際、他の国ではそういった事例が何度かあった。

 そうなれば会社にとって大損失。最高責任者である自分が矢面に立たされることは目に見えている。

 かと言って上からの命令に逆らうのも抵抗がある。

 ローザが何よりも恐れるのは、出世への道が閉ざされてしまうことだ。

 出世欲が人一倍強いローザがセンチネルで働いて学んだことは、上司の命令には絶対に逆らってはならない、という鉄則だ。

 ならば選択肢は一つしかない。


「……わかりました」

『結構、もうすぐ職員が到着するので、彼らに身柄を引き渡してくれたまえ』




 あと少しでパスワード解析が完了するというところで、アイリと上月はオフィス内の異変を察知した。

 明らかにセンチネルの職員ではない全身黒装束の男が四人、誰かを探すようにキョロキョロと視線を彷徨わせながら、徐々にこちらに近づいて来る。

 いずれも先ほど上月を殺そうとしたバイオロイドと外見が良く似ている。

 さらにどういう訳か、傍にはローザも同行していた。


「先生…………」

「ああ、奴らだ…………」


 上月とアイリは互いに目配せした。


「何なんですあの人達?」


 何も知らないマリーがあからさまに怪しい男達に疑いの眼差しを向ける。


「私達を捕まえに来たのよ」

「え」


 アイリは戸惑うマリーの陰に隠れるように身を低くしながら男達の様子を観察した。

 まだ解析は終わっていない。このままだと作業が完了する前に、発見される可能性が高い。


「マリー、悪いけど出来るだけ長くアイツらを足止めしてくれる?」

「え、ちょ……どういうことですか? だってアイリさん達は事情聴取しに来ただけなんでしょう? なのに何で捕まえられるんですか?」

「さっきのは嘘、本当はサイバーマトリックスの社員にライザーの共犯者がいるかもしれないから、それを調べてたの」

「はあ!? ななな、何言ってるんですか急に? 一体どこからそんな話が出て来たんですか?」


 状況理解が追いつかないマリーに、アイリはこれまでの経緯をかいつまんで説明した。


「ここにいる上月先生がサイバーマトリックス内にライザーの仲間がいることに気づいて独自に調査をしていたのよ。そしたらついさっきあの黒服の男達と似たような格好をした奴に殺されかけてね。このフラッシュメモリにはその仲間の情報が入っているはずなの」

「そんな、何で支部長がそんな人達と一緒にいるんですか?」

「言ったでしょ、サイバーマトリックス内に共犯者がいるって。恐らくそいつがローザに私達を捕まえるよう命令したのよ。昔から彼女は上の命令には絶対服従な性格だったからね」

「じゃあ支部長は犯人の言いなりってことですか?」

「そうなるわね」


 マリーは絶望的な表情を見せた。センチネルの最高責任者が黒幕の操り人形になってしまっては、もはや誰も信用出来ない。

 アイリは呆然とするマリーの肩に手を置いて、こう言い聞かせた。


「マリー、戸惑うのも無理はないけど私を信じて。証拠を掴めばアナタを殺そうとしている連中を逮捕することが出来るかもしれない」

「……その人を捕まえたら、もう命を狙われずに済むってことですね?」

「ええ」


 マリーは少しの間、躊躇する素振りを見せていたが、やがて意を決したように顔を上げた。


「わかりました、そういうことなら協力します!」


 マリーはローザに歩み寄り、「セキュリティシステムについて説明したいことがある」と言って足止めしていた。ローザは「後にして」と鬱陶しそうにしていたが、マリーはしつこく食い下がった。

 アイリと上月は、マリーがローザに話しかけている間に解析を済ませ、こっそりオフィスを抜け出した。出来るだけ人気のない場所を進み裏口を目指す。

 エレベータは途中で停止される危険があるので、非常階段で一階まで下りた、そして出口の手前にあるセキュリティゲートをくぐろうとしたところで、鼻にガーゼを貼りつけた男性職員が前方に立ちはだかった。


「申し訳ありませんが通す訳にはいきません」


 男性職員は数時間前にプリヤに変装した海斗に殴られた怪我の痛みに顔をしかめながら言った。


「どうして?」

「支部長が建物を封鎖したのでしばらくの間、誰も出入りすることは出来ません」


 どうやら先手を打たれたようだ。


「車に忘れ物したのよ。取りに行くだけでもさせてくれない?」

「残念ながら規則なので」

「だったらアナタが取ってきてくれる? キーを渡すから……」


 そう言ってポケットに入れた手が、次の瞬間には外に飛び出して男性職員の鼻面を殴りつけていた。殴られた男性職員は「へびゃ!?」という声を発して仰向けに倒れた。

 アイリは気絶した職員の脇をすり抜けて、困惑している上月に「行きましょう」と声をかけた。


「……良いのか、こんなことをして?」

「良いんですよ。いつものことですから」


 セキュリティゲートを抜けて外に出た二人は、一目散にスピナーに駆け寄った。

 そのすぐ後に、入口からぞろぞろと大勢の隊員が出て来た。アイリは速やかに発進準備を整えると、一気にスピナーを上昇させる。

 隊員達は「いたぞ!」「逃がすな!」と口々に叫びながら各々のスピナーに乗り込んで、遠ざかって行く逃亡者の追跡を開始した。

 やがて十秒も経たない内に、どちらのスピナーも見えなくなった。

 その様子を、建物の陰に隠れながら見送っていたアイリ達は、逆方向に歩き出した。

 どうやら陽動は成功したようだ。

 センチネルのスピナーにはGPS発信装置が着いているので、いくら逃げても居場所が筒抜けになってしまう。

 それならば、スピナーを自動運転に切り替えて、囮にした上で、徒歩で逃げた方が効率が良いのではないかとアイリは判断したのだ。


「行きましょう先生」

「ああ」


 これで少しは時間を稼げるだろう。アイリはひとまず安心したが、そう長くは持たないこともわかっていた。

 どうにか追手の届かない場所まで移動して、フラッシュメモリの中身をこの目で確かめる必要がある。

 ただ確認したとしても、その証拠をどこに提出するかという問題が残っているが。

 ローザが敵の言いなりになっているとしたら、センチネルに送っても揉み消されるのが関の山だろう。

 検察に届けるか、あるいはクルーガーの時のようにインターネットに公表するという手もある。

 それとアイリにはもう一つ気がかりなことがあった。

 例の写真の少年のことだ。

 他に優先すべきことが出来たので後回しになってしまったが、本来上月のもとを訪れた目的はそれだった。

 本部に向かう途中、本人に直接訊ねてみたが、「他人の空似だろう」と言われ、ならばもう一度写真を見せてくれるよう頼むと、「失くした」という答えが返ってきた。

 しかしアイリは上月が真実を語っているとは思えなかった。これはただの勘だが、上月と海斗には何らかの繋がりがある。

 あまり他人のプライバシーを詮索するのは倫理的に問題があるが、アイリはどうしても気になった。




 帰る途中、海斗はそろそろルナが自宅に着いてもおかしくない頃だと思い、商業ビルの屋上で一旦立ち止まった。


「プリスさん、そっちはどう? 彼女は無事家に着いた?」

『ちょうど今バスが自宅近くのバス停に到着したところです。ですが……』


 と、プリスが言葉を濁した。


「どうしたの?」

『ルナ様の姿が見当たりません』

「何だって?」


 海斗は耳を疑った。


「そんなずはない。ちゃんとバスに乗り込むのを見たんだから。まさか違うバスを追いかけたんじゃないだろうね?」

『それはあり得ません。時刻表を確認しましたが、今このバス停を通るのは、海斗様が見張るよう指定したバス以外ありません』

「……そうか、ごめん」


 それは確かにその通りだ。他のバスならもっと時間が前後しているはずだ。

 少し考えればわかることだ。

 冷静さを失うあまり、プリスに八つ当たりしてしまった。海斗は自分を戒めた。

 ではルナはどこに?

 途中で用事があって降りたのか。だとしたら非常にまずい。今こうしている間にもライザーの仲間達が迫っているかもしれない。

 無事を確かめるのに手っ取り早い方法は、直接連絡することだ。

 だがもし応答がなかった場合、考えたくはないが、最悪の事態を想定しなければならないのだろうか。

 数回コール音が響いた後、応答する音がしてほんの一瞬だけ安心した。

 しかし聞こえてきたのはルナの声ではなかった。


『やあ、気づくのがずいぶんと遅かったじゃないか』

「――ッ!?」


 まるで相手を嘲笑うかのような耳障りな声。

 それはこの数日間、海斗の日常を理不尽に脅かし続けている男の声だった。


『いつまでも連絡してこないから心配したよ。本当に彼女のことを大切に思っているのか疑問だね』


 ライザーはそう言うと、わざとこちらに良く聞こえるように、大きな声で哄笑を漏らした。


「……彼女に何をした?」

『安心したまえ、丁重に扱っているよ。もっとも、今後どうするかは君次第だがね』

『何?』


 恐らくライザーはルナのニューラル・インターフェースを乗っ取って通話しているのだと思われる。

 信じたくはないが、ルナがライザーに捕えられたことは、もはや疑いの余地がない。

 自分のせいだ。やはり一瞬たりとも目を離してはいけなかった。法水を置き去りにしてでも、自分が傍で守ってあげるべきだった。


『彼女を助けたかったら今から三十分以内に私の指定した場所まで一人で来ることだ。もし一秒でも遅れたら生きた彼女には二度とお目にかかれないと思え。まあ骨の一本くらいは残してやっても良いかな。そうすれば君もいつでも愛しい彼女のことを思い出せるだろう?』

「――貴様ぁ!」


 海斗は全身を引き裂かれるような激しい怒りを覚えた。

 同時にこれまで感じたことのない憎悪の念を、ライザーに対して抱き始めている自分に気づいた。


「彼女に傷一つでもつけてみろ。絶対にお前を許さないからな!」

『ククク……その意気だ。では楽しみに待っているよ』


 通話が途切れる直前、ライザーはある座標を示した地図を送付してきた。

 この場所に行けと言うことか。

 良いだろう。向こうがその気なら受けて立つ。

 海斗の頭にあるのはただ一つ。どんな手段を使ってもルナを助け出すこと。その為ならどのような手段も厭わない覚悟だった。


『海斗様、私はどうすれば良いでしょうか?』


 それまで黙っていたプリスがおずおずと訊ねた。

 どうやらこれまでの通話を聞いていたようだ。


「……とりあえずヒカリちゃんの傍にいてあげて。それと座標の場所にある防犯カメラの映像を見られるように頼んで欲しい」

『わかりました』


 本来なら自分が直接ヒカリに頼むのだが、今の精神状態で上手く状況を説明出来る自信がない。

 海斗はただ一心不乱に加速装置を起動して高速パルクール移動を開始した。

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