無能な味方は敵より厄介だと思わないかね?
「立てますか?」
「ああ……何とか……」
上月はアイリの手を借りて立ち上がった。身体の節々が痛みを訴えていたが、辛うじて立ち上がることは出来た。
そのままアイリに肩を貸して貰いながら、彼女が乗って来たスピナーの助手席に座らされる。
「どうしてここに?」
「ちょっと上月先生に訊きたいことがあったのでサイバーマトリックスの本社に行ったんです。そしたら立てこもり事件のあった建物に行ったと言われたんで後を追いかけたんですけど、あの男は一体何者ですか?」
アイリはすでに動かなくなったバイオロイドの男に目を向けて言った。
「何と言えば良いかな……話せば長くなる」
「急がなくて良いですよ。とりあえず救急車を呼びましょう」
「待ってくれ、救急車は駄目だ」
上月は電話をかけようとするアイリの腕を慌てて掴んだ。
「でも怪我してるじゃないですか」
「大丈夫だ、これくらいどうということはない」
「何か訳があるんじゃないですか?」
「それは……」
「ちゃんと説明してくれないと協力出来ませんよ」
上月はアイリにどこまで話すべきか悩んだ。適当に説明しても彼女は納得しないだろう。かと言って下手な嘘が通用する相手ではない。
ここは都合の悪い部分は省略して要点だけを簡単に説明することにした上月は、「実は……」と前置きした上で話し始めた。
「恐らくサイバーマトリックスの社員の中にライザーに協力している人物がいる。こいつはその人物が送り込んできた刺客だと思う」
「確かですか?」
目を見開いて驚きの表情を見せるアイリに、上月は無言で頷いた。
「さっき私が手に入れたフラッシュメモリには、そいつが見られたら困る何かが入っている。だから襲って来たんだ」
「何かって……中身はまだ確認してないんですか?」
「ああ、パスワードが必要なんで、自宅にある解読ソフトを使わないと中のデータを調べられないようになっている」
「事情はわかりましたが、どうして救急車を呼んではいけないんです?」
アイリはまだ腑に落ちない様子で首を傾げる。確かに今の説明では、救急車を呼ばない理由にはなっていない。
「敵は常に私のことを監視している。病院に行けばまた奴らが襲ってくるかもしれない」
「なるほど。ですがそれなら自宅に行っても同じことでは?」
「確かにそうかもしれないな……」
指摘されて初めて気がついた。アイリが見張りを倒したことは敵にも伝わっているはず。だとすると新たな刺客が自宅で待ち伏せしている可能性は大いにある。
しかしそうなるとどこにも安全な場所は存在しないことになってしまう。
どうすれば良いか上月が考え込んでいると、アイリが提案をした。
「そういうことなら本部にある私の端末を使いますか?」
「え、良いのか?」
「ライザーに関することならセンチネルが捜査すべきことですし。まあ厳密には私は停職中なんですけどね。それに本部に行けば応急処置くらいは出来ると思いますし」
上月は少々判断に迷った。
出来ればデータの中身はアイリには見られたくない。もし見たられたらさらなる追求を受けそうで怖いからだ。
それにもしNot Foundの手先がセンチネル内部にもいたら、本部もそれほど安全ではない気がする。
かと言ってここで申し出を断れば逆に怪しまれてしまうだろうし。
結局どちらに転んでも好ましい展開にはなりそうにない。
「それで、どうします先生?」
それなら少しでもマシな方を選んだ方が良いだろう。
「そうだな……そうしてくれると助かる」
「じゃあ行きましょうか」
そう言うとアイリはスピナーを上昇させる準備に入る。
「行く前にこの現場のことを本部に報告させて貰いますよ。このまま放置しておく訳にもいかないんで」
アイリが再び連絡する素振りを見せるが、今度は上月も止めなかった。
「こちら諸星アイリ隊員、認識番号は4393771。ラムダ地区の三番街で発砲事件発生。至急応援を寄こしてください」
センチネル本部に向かう途中、上月はふと思い出したように口を開いた。
「そういえば私に訊きたいことっていうのは何なんだ?」
「ああ、実は以前先生に見せて貰った息子さんの写真のことで質問が……」
『いやぁ一時はどうなることかと思ったよ』
炎上するスピナーを眺めながら、海斗が呟いた。
正直、成功するかどうかはわからないだったが、近くのビルに飛び移った海斗達は無事、屋上に到達した。初めてにしては上出来だったと思う。
無人となったスピナーはセルフガソリンスタンドに突っ込んだ。幸運にも犠牲者は出なかったが、辺り一帯が火の海と化した。
「助かったよ。君は命の恩人だ」
『どういたしまして。もっと早くその言葉を聞きたかったけど』
それまで文句ばかり言っていた法水が初めて感謝の言葉を述べた。
『にしても連中、段々と手段を選ばなくなってきたな』
それだけ奴らが必死ということだろうか。
小さな悪事を隠蔽する為に、さらに大きな悪事に手を染める。どうも負の連鎖に陥っている気がしないでもない。
「確かに。だが逆にそれは好都合でもある」
『は?』
法水が妙なことを口走り始めた。
「スピナーから脱出する時、ちょうどビルの陰に隠れてドローンからは我々が脱出するところは見えなかったはずだ。連中は私が爆発に巻き込まれて死んだと思っているだろう。このまま死んだことにすればこれ以上連中に命を狙われずに済む」
『なるほど、でもそんなに上手くいくかな?』
理論上は不可能ではないと思うが、果たしてそんな小細工が通用する相手だろうか。彼の話では、非常に強大な権力を持っている敵らしいが。
「大丈夫だ。センチネルにいる知り合いに頼んで私の死亡報告書を偽装させる。それがニュースでも報道されれば奴らも信じるに違いない」
『ふーん、まあそこまで言うなら反対はしないけど』
彼の自信満々な口調は、作戦が成功するという相当な確信を抱いていることを物語っている。
ここは一つ、この男の言葉を信じてみるか。
海斗としては、彼のお守から解放されるのは願ってもないことだ。これで予定より早くルナのところへ行けるのだから。
万が一、失敗して男が殺されるようなことがあった場合は、残念ながら自己責任として割り切って貰うしかない。
「君には本当に助けられた。お礼に私の連絡先を教えておこう。もし困ったことがあればいつでも助けになるよ」
そう言って法水が握手を求めてきたので、海斗もそれに応じることにした。
『そう、じゃあお気をつけて』
湿った空気が立ち込める暗闇の中、遠くに見える都市の灯りだけが、人気のない建物の外壁を照らしていた。
ここは普段使用されていない貸し倉庫で、都心から離れて交通の便が悪いことからほとんど利用者もおらず、半ば廃墟同然と化していた。
後ろ暗いことを行う人間にとっては絶好の場所と言える。
床は一部陥没していて、そこかしこに電子機器の破片やアンドロイドの部品が散乱しているが、作業に支障が出ることはない。
『良いかライザー、これはお願いではなく命令だ』
電話越しにカスパロフが苛立たしげな声で喋っている。
『無関係な人間を巻き込むのはやめろ。ただでさえお前は派手に動き過ぎたんだ。これ以上ことを大きくすると我々の存在まで明るみに出てしまう』
最初に協力を持ちかけてきた時は、これほど世間の関心を集めるとは想定していなかったのだろう。ライザーがインターネットに犯行予告を大々的に公開したことにより、メディアやネットユーザーがこぞって注目し始めた。
その時からそれまで良好だったライザーとカスパロフとの間に、緊張感が漂い始めた。
自分達の存在は表に出さないというのが協力の条件だったので、彼の懸念も理解は出来る。が、それでも譲れないものはある。
「何度も言うようだが答えは“ノー”だ。今更計画の変更は出来ない」
『状況を理解していないようだな。私の支援がなければ貴様の計画などとっくの昔に水の泡になっているんだぞ!』
「それはどうかな? すでに新しい後ろ盾は確保してある。アナタはもう用済みなんだよ」
『何だと、デタラメを言うな!』
カスパロフが意表を突かれたような声を出す。
「デタラメなんかじゃないさ。アナタも名前は知っているだろう。ネクサス=ネオダインという企業が私の能力を大変高く評価してくれてね」
『なっ!?』
ネクサス社という略称でも呼ばれるその企業は、欧州に本社を置く多国籍企業で、主にハードウェアやソフトウェアなどの様々なデジタルコンテンツを制作している。
サイバーマトリックス社の競合企業でもあり、北米のモノリスシステムズ社と並んで三大ハイテク企業と呼ばれる。
ネクサス社はサイバーマトリックス社以上に人権軽視で悪名高く、テロ組織に兵器を売却して国連から制裁を受けたこともある。
「つい先ほど代理人から連絡があってね、私の造った強化外骨格に感銘を受けたので、互いの利益になる取引がしたいそうだ」
『貴様、我が社を裏切るつもりか! 今まで面倒を見てやった恩を仇で返すと言うのか!』
「私を軽んじてきた会社になど一度たりとも恩を感じたことなどないよ。さようなら、ミスター・カスパロフ。アナタには色々と感謝しているよ」
『待て!』
ライザーはなおも話し続けようとするカスパロフを無視し、強引に通話を打ち切った。もはや彼に利用価値はない。
今となっては計画は一人でも実行出来る。
後は最後の仕上げに取り掛かるだけだ。
この計画の準備には、多大な時間と資金を費やした。その投資が結果に結びついているかどうかは、今のところ何とも言えない。
ハイタワーだけは首尾良く殺害することが出来たが、他の標的に関しては悉く阻止された。
少し浅宮海斗という少年を侮っていたのかもしれない。
たまたま不慮の事故で最強のサイボーグになったが、中身は所詮ただの学生だと思っていた。マンスローターのテロを食い止めたのも、単に運が良かっただけだと。
今はその認識を改めなければならない。
最重要目的はグリッドランナーの抹殺。彼さえ始末することが出来れば、他の標的を殺し損ねても十分おつりがくる。
その時、暗闇の中に佇むライザーを、ヘッドランプとフォグランプの灯りが照らし出した。そのワゴン車は倉庫の壁際まで来ると、ゆっくりとスピードを落として停車した。
「ボス、お待たせしました」
ワゴン車から降りてきた黒装束の男が言った。
「首尾はどうだ?」
「ええ、ご要望通り、お目当ての女を確保しましたよ」
男が得意気な表情で車のバックドアを開ける。
荷台の奥には、両手を拘束されて力なく横たわるルナの姿があった。強力な睡眠薬を嗅がされて意識を失っている。
「怪我を負わせたりしてないだろうな」
「もちろん、細心の注意を払いました」
「割れ物を扱うように慎重に扱えよ。彼女は私の計画の最後を締め括る特別ゲストなのだからな」
何人かいる友人の中でも、海斗はこの女に特別な感情を抱いている。
それが恋愛感情なのか友情なのかはわからないが、そんなことはどうでも良い。
一番大切な人物を、最も惨たらしいやり方で彼の目の前で殺す。それがライザーの考えた理想の復讐計画だった。
爆弾でバラバラにするのが良いだろう。
肉片になった彼女を見た絶望海斗がどのような反応をするか、その光景を想像しながら、ライザーはルナに近づいた。
その時だった。
ルナの肩がピクリと動いたかと思うと、ふいに身体を起こしてこちらを威嚇するように叫んだ。
「近づかないで!」
その両手にはどこで手に入れたのか、本物の拳銃が握られていた。銃口は真っ直ぐこちらの方を向いている。
「こ、コイツいつの間に俺の銃をっ!?」
男が自分の胸元をまさぐりながら驚愕の表情を浮かべる。
どうやら拉致する際に盗まれたようだ。
「車の鍵を渡しなさい、早く!」
そう叫ぶ彼女の手は、しかし小刻みに震えていた。必死に感情を押し殺して気丈に振る舞おうとしているものの、恐怖を隠しきれずにいるようだ。
「なるほど、中々抜け目のないお嬢さんのようだ」
ライザーは感心したように笑うと、一歩前へ踏み出した。
「それ以上近づかないで! 本気で撃つわよ!」
「残念だがその銃には弾は入っていない」
ルナはハッとして咄嗟に引き金を引いた。しかし何も起こらなかった。
「私は基本的に部下を信用しないことにしていてね、予め弾を抜いていたんだよ」
「え」
隣で部下の男が決まり悪そうな顔をしている。目の前で無能と宣告されたようなものだからだ。
「出来れば怪我はさせたくなかったんだが、そうやって反抗的な態度をとるのならこちらも対応を改めざるを得ないな」
ライザーは仕方ないといった様子で、懐から取り出した拳銃の銃口をルナに向けた。撃鉄が上がり、引き金に指がかかる。
絶体絶命となったルナは観念して目を閉じた。
その直後、無機質な銃声が無慈悲に轟いた。が、撃たれたのはルナではなかった。
恐る恐る目を開けると、部下の男が胸を押さえて蹲っているのが見えた。
「ぼ、ボス……どうして……?」
「無能な味方は敵より厄介だと思わないかね?」
額に弾丸を撃ち込んで男が絶命するのを見届けたライザーは、ルナに向き合ってこう言った。
「安心しろ。まだ殺さない。君にはまだやって貰うことがあるのでね」
そこで言葉を切ると、ライザーは頬を歪めて邪悪な薄笑いを浮かべた。




