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グリッドランナー  作者: 末比呂津
ローブリッター編
52/63

確かこんな声の人だったような……

 オレクサンドル・カスパロフはサイバーマトリックス社の私設警備部門、危機管理担当課長という役職に就いていた。

 彼の主な業務は同社が所有する施設や従業員の警備監督。そしてもう一つは会社の発展の為に障害となるものを、時には非合法な手段を用いて排除すること。

 非合法と言っても、暗殺を命じられることはごく稀で、大抵は相手の弱味を握って脅迫することが多い。

 暗殺は証拠が残りやすくなる。それよりは生かしておいて、意のままに操れるようにした方が何かと都合が良いからだ。

 彼は元々、東欧の独裁国家で政権に批判的な人物や団体を摘発する役職に就いていて、その時のノウハウが現在でも役に立っている。

 祖国の為に働くのは大変名誉なことだったが、サイバーマトリックス社からより好条件のオファーが提示された時は迷わず首を縦に振った。何事も金がなければ始まらない。

 そんな彼は今、大きな難題に直面していた。

 今回の暗殺対象は法水弦一郎。

 自社の重大な機密を漏洩しようとしているので、速やかに口を封じるように、という指令のメールを受け取ったのはつい数日前のこと。

 いつも通り、差出人の名前――彼は便宜的に調教師ハンドラーと呼んでいる――も暗殺理由も明記されていなかったが、詮索はしないのがこの業界の暗黙のルールだ。触らぬ神に祟りなし、深入りすればこちらの身が危うくなる。

 ただ普段と異なるのは標的が相当な大物であることだ。有名人を殺す際は自分達の痕跡が残らないよう慎重に慎重を期す必要がある。

 最も安全なやり方は事故や病気に見せかけて殺す手法だ。あるいは強盗や通り魔に見せかけて殺させることもある。

 そこで都合の良い人物を探して見つけたのがライザーだった。

 彼を使うことはハンドラーの提案でもあった。

 カスパロフは秘密裏にライザーと接触して、彼の復讐に手を貸す代わりに、こちらが指定した人物を殺害するという取引を持ちかけた。

 ライザーも法水には相当な恨みを抱いていたので、お互いの利害は一致していた。もし彼が捕まっても、こちらの関与は一切口外しないという契約を交わした。

 予想外だったのは法水がこちらの動きをいち早く察知して行方をくらましてしまったことだ。

 おまけに上月という科学者が事件を嗅ぎ回っている。彼女の動向を監視する為、見張りのバイオロイドを送り込んだが、逃げられてしまった。

 ハンドラーからは任務の妨げになる者は、全て抹殺するよう命令を受けている。だから法水の補佐役も殺さざるを得なかった。このまま上月が真相に近づけば、暗殺対象がもう一人増えるかもしれない。

 そしてもう一つ懸案事項がある。

 やっとのことで法水の居場所を突きとめたは良いものの、殺す直前で思わぬ邪魔が入ったことだ。

 グリッドランナー。

 何故あの場所を知り得たのかは不明だが、カスパロフが送り込んだ暗殺者を全て倒して法水を連れ去ってしまった。

 彼のことは社内の情報筋からある程度のことは耳にしていた。

 サイバーマトリックス社の技術が生み出した世界最強のサイボーグで、正体はメガトーキョーの学校に通う高校生であることも。

 これでただでさえ難しい任務がより困難になった。最強の護衛に守られていては、法水を暗殺するのは至難の業だ。

 今までどんな任務でも忠実にこなしてきた彼だが、今回ばかりは自分が不利な立場に立たされていることを自覚せざるを得なかった。

 しかしだからといって音をあげる訳にはいかない。

 もし失敗すれば今度は自分が暗殺対象になる番だからだ。

 大丈夫、やりようはある。何も真正面から戦う必要はないのだ。彼の弱みにつけ込めば大きな労力をかけずに目的を達成出来る。




 暗殺者の追跡から逃れた海斗達は、ひとまずタクシー・スピナーを呼んでホテルを後にすることにした。

 本当はルナの傍を一時も離れたくなかったが、法水を安全な場所に送り届けるまでは我慢するしかない。


『で、これからどうする?』


 海斗は向かい側の座席に腰かける法水に訊ねた。


「とりあえず私の別の隠れ家に向おう。少し遠くなるが、あそこならまだ誰にも知られていないはずだし、地下にはシェルターがある。ミサイルでも撃たれない限り破壊されることはない」

『最初からそこに行けば良かったんじゃ……?』

「都市の中心から二十㎞も離れているんだ、途中で捕まってしまう。ひとまずホテルに身を隠して、ほとぼりが冷めたら行くつもりだったんだ」

『なるほど』


 納得した海斗は、あと一つ気になっていることについて訊いてみた。


『もう一つ質問がある。Not Foundっていうのは?』

「ああ、サイバーマトリックスの裏の顔だよ」


 法水はNot Foundに関する情報を、かいつまんで海斗に説明した。


『要するに会社を裏で牛耳る黒幕みたいな感じ?』

「まあ、おおよそ間違いではないだろう」


 何とも非現実的な話だ。

 にわかには信じ難いが、クルーガーやライザーのような人間が働いていた会社だ。何があっても不思議ではない気がする。


 ――でも変だな、上月さんはNot Foundのこと何も言わなかったけど……。


 彼女も知らなかったのか、それとも知ってて教えなかったのか、だとしたら何の為か。

 どちらにせよ、後で直接本人に訊いてみる必要がありそうだ。

 そんなことを考えていると突然、非通知番号から電話が掛かって来た。しかも何故か相手は無声通話を求めてきた。

 少し躊躇したが、海斗は電話に応じることにした。


『君が浅宮海斗君か?』

『……どちら様?』

『さっき君がノックアウトした連中を送り込んだ者だよ』

『…………!』


 一瞬言葉に詰まった。

 まさか本当なのか? イタズラ電話にしてはあまりにも手が込み過ぎているが……。


『先に言っておくがこの通話は君の目の前にいる男には聞かれないよう声を出さずに会話出来るようになっている。内緒話には持って来いの状況だだろう?』

『……ご用件は?』


 海斗は慎重に言葉を選びながら質問した。


『話が早くて助かる。お互いが得をする良い取引があるのだが興味はあるかね?』

『取引?』

『そう、私の要求は一つ、そこにいる男をこちらに渡すこと。そうすればライザーが君の友達に危害を加えないよう私が働きかけてやろう。私はライザーに対して影響力を行使出来る立場にある』

『じゃあアンタはライザーの共犯者なのか?』


 協力者がいる可能性は考えていたが、まさか向こうから名乗り出るとは思わなかった。


『誤解しないで頂きたいが、ライザーが君の友達を誘拐したのは私のあずかり知らぬ場所で起きたことだ。無関係な人間を巻き込むのは私の本意ではない』

『ならどうしてもっと早く止めなかったんだ?』

『今更それを議論しても仕方ないだろう。問題はこれからどうするかだ』

『…………』


 何故、相手が無声通話で連絡してきたのかわかった。海斗に法水を売り渡せと言っているのだ。ルナやヒカリの安全と引き換えに。

 そんなやり取りが交わされているとも知らずに、法水はのんびりと外の景色を眺めている。

 もし彼がこの会話を聞いていたら暴れ狂っていたに違いない。


『……アンタが本当にライザーを止められるって保証は?』

『残念ながらない。だが私の命令なら彼も従うはずだ。私の支援なしでは彼の復讐は達成出来ないからな』


 本当にそうだろうか。

 仮にルナやヒカリの身の安全が本当に保障されるのなら、本気で考えなくもない。海斗にとって、法水の命より彼女達の方が大事だから。

 だが正直この男にはクルーガーやライザーと同類の性質を感じる。自分の中の直感が根本的に信用出来ないと告げている。

 それにライザーが男の命令に素直に従うとも思えない。

 様々な要素を考慮した結果、この取引には応じられないという結論に達した。


『悪いけど口約束だけじゃ信用することは出来ないな』

『知らないかもしれないが目の前いる男はこれまでに散々汚いことをしてきた悪党だ。君が命を賭けてまで助けるほどの価値はないぞ』

『それを決めるのは俺であっておたくじゃないんじゃないの?』


 海斗が少し挑発的に言ってみると、しばしの沈黙があった後、怒りを押し殺したような低い声が返ってきた。


『チッ……オイ良く聞け。これは最大限の譲歩だ。私はいつでも君達を殺せる立場にあるということを肝に銘じておいた方が良い。ただ穏便に済ませたいからこうやって平和的に話し合っているだけだ。それを理解したらさっさと男を引き渡せ、さもないとこの数日間の出来事が南の島のバカンスに思えるほどの地獄を味わうことになるぞ!』

『へえ、それは怖いね。あれ、でも変だな。ついさっきオジサンを殺そうとして見事に失敗した人がいた気がするんだけど、誰だっけ? あーそうそう、確かこんな声の人だったような……』

『……良いだろう。そんなに男と心中したいなら好きにしろ。その代わり今後、君の大切な人にどのような不幸が降りかかろうと、それは全て君の責任だということを忘れるな』


 吐き捨てるようにそう言って男が一方的に通話を打ち切った。直後、突然ガタンという音がして、スピナーが大きく右に傾斜した。


「な、何だ!?」


 法水が不安気な声を漏らす。海斗はカーナビの画面を確認してみた。


『変だな、進路が大きくズレている』


 つい先ほどまで目的地の方角に向かっていたはずが、いつの間にか真逆の方向に進んでいた。

 改めて目的地を指定しようとカーナビのタッチパネルに手を触れるが、どういう訳か操作を受けつけない。

 故障だろうか。いや違う。この動きは何者かが外部から遠隔操作しているのだ。


『ハッキングされてる!』


 海斗はカーナビの機能をオフにして手動操作に切り替えた。ネットワークから切り離せば主導権をこちらに取り戻せるはず。


「おい、あれは何だ?」


 その時、法水がふいにリアウィンドウの向こう側を指差した。

 バックミラー越しに後方を窺うと、一機のドローンがこちらを追尾してくるのが見えた。

 明らかに軍用のものだった。機体下部の兵器倉ウェポンベイには誘導ミサイルが搭載されている。

 直後、その兵器倉からミサイルが射出された。


『危ない!』


 咄嗟に回避行動をとろうとするが間に合わない。

 耳をつんざく爆発音が轟然と響き渡り、車内が大きく揺れる。辛うじて直撃は避けられたようで、爆炎が中に入ってくることはなかった。

 海斗は必死に姿勢を制御しようとするが、機体の急降下を止められない。眼下の街並みが目前まで迫ってくるのが見える。


「墜落するぞ!」

『何かに掴まれ!』


 こうなったら一か八かに賭けるしかない。

 墜落が避けられないと悟った彼は、法水を抱えてスピナーから脱出し、空中で上手いことバランスを取りながら、グラップルシューターを射出して近くのビルに飛び移った。




 暗闇の中を、グレーのクーペがテールランプの尾を引きながら走り抜けて行く。

 法水のオフィスで無事目当ての物を入手した上月は、法定速度ギリギリのスピードで旧国道沿いの道路を移動していた。

 残念ながら入手したデータを開くにはパスワードが必要で、その場で見ることは叶わなかった。

 ただ幸いにもオープンソースのパスワードクラッキングツールを使用すれば解読出来そうだった。後は自宅のPCにツールをインストールして解読するだけ。さすがにニューラル・インターフェースでは処理能力不足なので、自宅に戻るしかない。

 問題は何事もなく自宅に辿り着けるかだ。

 すでに見張りを閉じ込めたことは敵にも知られているはず。この帰り道に何らかの妨害工作を仕掛けてくるかもしれない。

 相手は人の命を平気で奪う連中だ。何をしでかしてもおかしくはない。

 だが上月はそんなことで怖気づく訳にはいかなかった。真相をこの目で確かめるまでは、やめる訳にはいかないのだ。

 そう決意を新たにしながら交差点に差しかかったその途端、横から猛スピードで突進してくるSUVが、上月の意識を現実へと引き戻した。

 慌ててハンドルを切った時にはもう遅く、途轍もない衝撃で全身が激しく揺さぶられた。

 彼女の乗ったクーペは何度もバウンドした後、逆さまの状態でガードレールに激突した。

 朦朧とする意識の中で、上月は必死に状況を把握しようとした。

 何が起こったのかわからない。今のはただの事故なのか、それとも追手が現れたのか。どうか前者であって欲しいと願う。

 シートベルトを外し、何とか外に出ようと身を捩らせた途端、全身に激痛が走った。

 身体の至るところが痛い。衝突の際に強く打ちつけたようだ。骨も折れているかもしれない。

 ふと視線を逸らすと、衝突してきたSUVが目に入った。驚くべきことに、その車の運転席から降りてきたのは、サーバールームに閉じ込めたはずのバイオロイドだった。


「私のボスから伝言です。『もし生まれ変わるようなことがあれば余計な好奇心は捨てて慎ましく生きることをお勧めする』だそうです」


 男は無慈悲にそう言うと、懐から取り出した拳銃をこちらに向けた。

 周囲には自分と男の二人しかいない。誰かが颯爽と助けに来るといった展開は期待出来そうにない。

 これまでか。

 上月は死を覚悟した。

 男の指先が引き金に触れるのを見た瞬間、そっと目を閉じた。

 直後に鳴り響く乾いた銃声。

 ところが数秒経ってもまだ死ぬ気配はない。

 恐る恐る目を開けると、男の手に握られていた拳銃がどこかに消えていた。

 状況が呑み込めず混乱していると、どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえた。


「動かないで!」


 暗がりで良く見えなかったが、少し離れた場所で正体不明の人影が男に拳銃を向けているのがわかった。それを見て先ほどの銃声は、人影が撃った弾丸が男の拳銃を弾き飛ばした時のものだと理解した。

 男が警告を無視して落ちた拳銃を拾おうとすると、人影が地面に向けて発砲する。


「最後の警告よ、今すぐ両手を頭の後ろで組んで跪きなさい!」


 しかしバイオロイドは基本的に主人の命令にしか従わない。尚も動こうとする男の額を、人影の拳銃から射出された弾丸が撃ち抜いた。

 周囲が静寂に包まれると、人影がこちらに走り寄ってきた。

 上月は大きくズレた眼鏡の位置を直して、その人影をジッと見た。


「大丈夫ですか上月先生!」


 その姿はかつて自分が教師だった頃の教え子で、現在はセンチネルの精鋭部隊に所属する人物と同一のものだった。

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