金の切れ目が縁の切れ目ってね
上月は現在サーバルームに足を運んでいた。
当然、例の護衛もついて来た。彼は片時も傍を離れず、上月が妙な真似をしないか絶えず監視しているようだった。
さすがに用を足す時は外で待っていたが、数分以内に戻って来ないと踏み込んで来そうな勢いだった。
コイツを何とかしないと法水のオフィスには行けない。
手荒な真似はしたくなかったが、この際手段を選んでいる余裕はない。
上月は何とかこの護衛を引き離すべく、業務で使用している端末の調子がおかしい、という口実を設けてサーバルームに向かった。
サーバのコンソールを操作するふりをしながら、護衛の様子を窺う。相変わらずこちらをジッと凝視して一瞬たりとも目を離そうとしない。
バイオロイドなので人間のように隙を見せることもないのだ。コイツから逃げ出すのは至難の業だが、策はある。
上月はタイミングを見計らって、入口の傍にわざと所持していたリップクリームのケースを落とした。
「おっと、すまないがちょっと拾ってくれないか?」
「申し訳ありませんが私は護衛以外の業務は承っておりません」
予想通りの答えだ。
バイオロイドは命令されたこと以外のことはしない。
「やれやれ、仕方ないな」
上月は渋々といった様子を装って自分で拾いに行った。そして入口のドアが開いた瞬間を狙って外に転がり出た。
護衛は即座に追いかけて来るが、その前にドアを閉めた。
予め入口の電子ロックを改竄していたので、中からは開錠出来ない。これでしばらくは出て来られまい。
中からドアを破壊しようとする音が聞こえるが、対サイボーグ用の強化扉なので海斗並の怪力の持ち主でないと破ることは出来ない。
これでしばらくは安泰だ。
安全を確保した上月は、法水のオフィスに向かうことにした。
「残念ながらライザーとグリッドランナーは両方共取り逃がしたようです」
現場からの報告を聞いたローザは、落胆を隠しきれない様子だった。
「制御システムを乗っ取られて捜査能力が落ちているとはいえ、これは大失態ね……」
ローザは執務机に肘をついて頭を抱えた。
考えられる中で最悪の状況である。
最重要の容疑者だけでなく、偽ミシェルの脱走まで許してしまった。
それに報告によると隊員達が現場に到着した時、ライザーとグリッドランナーは戦闘中だったという。
もはや訳がわからない。二人は仲間ではなかったのか。何らかの食い違いがあって決裂したのか、それとも偽ミシェルを脱走させたのは他に目的があったのか。
奇妙なことはもう一つある。つい先ほど受けた報告によると、この建物内から偽ミシェルが仕掛けたと思わしき爆弾が複数発見された。しかもどういう訳か起爆装置は電磁パルスにより無効化されていたとのこと。
さらに調査を進める内に、電磁パルスはグリッドランナーによるものである可能性が高いことがわかった。
これが事実なら彼は爆弾犯の犯行を阻止しておきながら、わざわざその人物を脱走させたことになる。行動に一貫性がなさ過ぎて目的が全く見えない。
おかしなことが起こり過ぎて段々と頭が混乱してきた。
「一体どういうことなの? グリッドランナーはライザーと手を組んでいたんじゃなかったの?」
「お言葉ですが支部長、物事を少し複雑に考え過ぎではないですか?」
色々と思考を巡らしていると、隣に立っていた秘書のブラッドリーが口を挟んだ。
「というと?」
「恐らくグリッドランナーは自分の力で事件を解決したくて我々の捜査を妨害したのでしょう。マンスローターの件で英雄視されることに味を占めた彼は、今回も自分がライザーを捕まようと考えた。その為、我々に先を超されないよう妨害工作を行った、そう考えると辻褄が合うように思いますが」
「なるほど確かに一理あるわね」
しかし理由が判明したところで状況が好転する訳ではない。
出世欲が人一倍強いローザにとって、この栄転は願ってもないチャンスだった。これを足がかりにすれば、会社の重役に上り詰めることも夢ではない。
絶対に失敗は許されないのだ。
にも拘らず初日からこの調子では、上層部からは決して良い印象を持たれないだろう。
その為には何としても挽回しなければ。仮にどんな手段を講じても。
「どうでしょう支部長。万が一の場合には一部の職員に全ての責任を押しつけるというのは?」
「一部の職員?」
「こう言っては何ですがフォックストロットの隊員達は素直に支部長の命令に従うとは思えません。それなら今の内に不穏分子として排除した方が都合が良いのではないかと思うのですが」
「でも今この状況で彼女達をクビにしたら大幅な戦力低下になるわ」
「ですからこの事件が終った後で実行に移せば良いのです」
ブラッドリーは十年以上前から自分を支えてくれている腹心の部下だ。目的の為なら卑劣な手段も辞さない冷酷な性格ではあるが、ローザに絶対的な忠誠を誓っていて、常に彼女の為になる助言をくれる。
上司が保身の為に部下に責任を押しつけるのは良くある話だが、他の部下からの印象が悪化するのは避けられない。
初日から部下との関係が険悪になるのは好ましくないことだ。
だが今後の状況次第ではそれも考慮に入れなければならないかもしれない。
「……そうね、考えておくわ。とにかく今はグリッドランナーとライザーの件に集中しましょう」
「わかりました。ちなみに実行の際はミスオブライエンも一緒に責任を追求することをお勧めします」
とりあえず今のところは保留だ。
無事に事件が解決すれば自分の責任が問われることはなく、全てが丸く収まる。
だがもし上手くいかなかった場合は、申し訳ないが彼女達に犠牲になって貰うしかない。
そんな会話が交わされているとは知らず、当のマリーはサーバルームのコンソールを操作して、乗っ取られたシステムの復旧を試みていた。
ここのシステムを設計したのはマリーだ。他の者には任せられない。
問題を調査していく内に、いくつか不可解な点に気づいた。
まず仕掛けられていたマルウェアが何故か二つあった。
恐らくこの二つを作ったのはそれぞれ別の人間だろう。
一つは防犯カメラの映像を切り替えるだけの単純なもので、初心者であっても簡単に作成出来るものだ。
だがもう一つの方は、これまでに見たことがないほど高度で複雑な構造をしていた。
この二つ目はルートキットと呼ばれるもので、普段使用されていない通信プロトコルのポート番号にひっそりと紛れ込んでいた。
しかもこれには非常に高度なポリモーフィズム技術が使用されている。ポリモーフィズムというのは特殊な方法でコードを自在に変化させる技術で、この技術を応用して作成されたマルウェアは、ファイアウォールやIPSなどの従来の侵入検知システムを容易に回避することが出来る。
マリーが作ったシステムには、このようなポリモーフィックマルウェアへの対策がしっかりと講じられていたのだが、それでも検出することが出来ないほど、このルートキットは高性能だった。
マリーの知る限り、これほどの代物を作れる人物は一人しかいない。
かつてミストレスと呼ばれた伝説的ハッカーだ。
大企業や政府機関のネットワークにいとも簡単に侵入し、次々と不正を暴く義賊のような活動を行っていて、サイバーセキュリティに携わる者であれば、一度は耳にしたことがある名前である。
以前マリーは、ミストレスの作ったマルウェアを解析したことがあるが、このルートキットはそれと非常に酷似していた。
もちろん模倣犯という可能性もある。
ミストレスは有名なハッカーなので、真似をする者は後を絶たないが、どれも本物のクオリティには程遠い。
プログラミングコードにはその人特有の癖のようなものが存在し、腕のあるエンジニアであれば誰が書いたのか特定するのはそれほど難しくない。
マリーが見る限りでは、これは間違いなく本人が作ったものだと断言出来る。
ちょうど一年ほど前から活動が途絶えていたが、まさかこんなところでお目に掛かるとは。
しかも状況から推察するに、このルートキットを仕掛けたのはグリッドランナーである可能性が高い。
グリッドランナーとミストレスは協力関係にあるのだろうか。いつどこで接点を持ったのか。
不明な点が多過ぎる。
ローザに何と報告すれば良いだろうか。
マリーは思いがけない問題に直面し、頭を悩ませていた。
本当にこれで良かったのだろうか。海斗は頭の中で何度も自問自答を繰り返した。
ライザーを捕まえる為とはいえ、同じ犯罪者の逃亡に手を貸してしまった。これで完全にセンチネルを敵に回したのは間違いない。
一時は英雄と持て囃されたグリッドランナーも、今やお尋ね者の仲間入りである。
正直この判断が正しかったのかどうかは、まだ何とも言えない。これが最終的に良い結果に結びつけば良いが、下手をすれば逆の展開もあり得るので油断は出来ない。
センチネルから逃げ切った後、海斗はひとまず大きな貸し倉庫に身を隠して一息つくことにした。
「ねえセンチネルは撒いたのに、何で私はまだ拘束されているワケ?」
後ろで悩みの元凶である女が愚痴をこぼし始めた。逃げ出さないよう、傍にあった荷物を梱包するポリプロピレン製のロープで拘束しているからである。
『君の情報が嘘じゃないことが確認出来たら解放する。それまでは囚われの身のままだ』
「ならせめて別の場所にしない? 何かここ埃っぽいし、ネズミが湧きそう」
『ネズミはわからないけどゴキブリは湧くんじゃないかな』
「そっちの方が嫌だわ!」
『なら早く標的の居場所を言いなよ』
「その前に一つ訊かせて。何で見ず知らずの人間の為にそこまでするの?」
と、女が全く関係ない質問を始めた。
「サイバーマトリックスって言えば昔から黒い噂の絶えない企業じゃない。そんな会社の幹部なんて助ける価値あるのかしら? むしろ死んだ方が世の中の為になると思うけど」
『別に助けたい訳じゃない。これ以上あの男に好き勝手されるのが気に入らないだけだ』
「そう、英雄のクセにずいぶんちっぽけな理由ね」
女は揶揄するような表情で肩を竦める。
『そっちこそライザーの仲間だったはずなのに、やけにあっさり裏切るね』
「先に私を殺そうとした奴に義理立てする意味なんてないでしょ。報酬も支払われそうにないし、金の切れ目が縁の切れ目ってね」
まるで裏切りが当然の世界で生きてきたかのようにドライな思考の持ち主だ。あるいは実際にそういった世界で生きていたのかもしれない。
海斗にはあまり理解出来ない考え方だった。
『そう、どうでも良いけどお喋りはそのくらいにしてそろそろ標的がどこにいるか話してくれる?』
これ以上無駄話をしている暇はないので、海斗は本題に入るよう促した。
「ハイハイせっかちね。法水はイプシロン地区の十五番街にあるメトロポリタンヒルズホテルって建物の703号室に隠れてるわ」
『……メトロポリタンヒルズ?』
「そうよ、本当は昨日襲撃するつもりだったらしいけど、殺したはずのセンチネルの支部長が生きてるって聞いて今夜に延期したみたい。まあそれも結局はデマだったけどね……って聞いてるの?」
しかし女の話は、すでに海斗の耳には届いていなかった。
標的が潜伏している場所を聞いた途端、ある一つのことで頭が一杯になったからだ。
ルナが行くと言っていた科学のシンポジウム、その会場が確かメトロポリタンヒルズホテルという建物だったはず。
――まさか……。
いや、そんなはずはない。そう自分に言い聞かせながらも、猛烈な不安を拭い去ることは出来なかった。
時刻を確認すると、シンポジウムが終了するまであと一時間。つまりルナはまだそこにいる可能性が高いということだ。
女の話が本当だとすると、すでに襲撃が始まっていてもおかしくない。
そう考えるといても立ってもいられず、気がつくと海斗は無意識の内に出口に走り出していた。
「あ、ちょっとどこに行くのよ! これ解いてから行きなさいよ!」
背後で女が抗議の声をあげるが、止まることなく走り続ける。
「このクソガキ! 縄を解けっつってんでしょうが!」
口汚く罵る声を背に受けながら、海斗は倉庫を飛び出した。




