君達ちょっとドM過ぎない?
地鳴りのような轟音を響かせて、藤島が猛烈なタックルを仕掛けてきた。ドスドスと地面を踏み鳴らしながら、戦車のような迫力で巨体が接近する。
その途端、動体センサによる自動回避機能が作動し、海斗は衝突する寸前のところで飛び上がった。それは並の人間の跳躍力ではなかった。体感では恐らく高さ五、六メートルほど。予想以上の高度に、驚愕の念を禁じ得ない海斗。
藤島は勢い余ってそのまま建物の壁に激突した。コンクリートの壁が発泡スチロールのように粉々に砕かれる。
海斗は空中で綺麗な宙返りを決めて地面に着地した。
「フー……いい加減にしろよ、人をゴリラ呼ばわりしやがって……」
『そだね、あんまり言うとゴリラに失礼だ』
「テメェ!」
そう言うと藤島はさらに激昂して、二本の剛腕を振り回しながらこちらに肉薄する。
海斗はそれを自動回避機能によって難なくやり過ごす。誰かに操られているようで落ち着かなかったが、実際の喧嘩ではやはり役に立つ。
男の腕がすぐ傍を空振りしただけで凄まじい風圧を感じる。駅で特急電車が通過した時の感覚を彷彿させる。標的を殴り損ねた拳が周囲の物を粉砕する。生身の人間なら、まともに食らえば骨折では済まなそうだ。
つい先日、トラックに轢かれた時の記憶が蘇り、海斗はわずかに恐怖を感じた。
「オラァ、頭かち割ってやっからそこ動くんじゃねえ!」
『そんな頼み方で本当に人が言うこと聞くと思ってるワケ? ずいぶんとお利口さんだね君』
皮肉交じりに軽口を叩く。
その一瞬の気の緩みが命取りとなった。藤島の右拳を再びジャンプで回避しようと試みた瞬間、いきなりもう片方の手が伸びてきて海斗の脚を鷲掴みにした。
『――ッ!?』
「馬鹿が、二度も同じ手が通用するかぁ!」
気づいた時にはすでに金属の拳が目前にまで迫っていた。避けられない。咄嗟に苦肉の策として両腕で防御態勢をとる。
電撃のような激しい衝撃が全身を揺さ振る。海斗の身体が軽く吹き飛び、背後の建物の壁を破壊して屋内に飛ばされた。頭上に無数の瓦礫が降り注ぐ。
トラックに轢かれた時よりもさらに強い衝撃だった。正直、死んだと思った。
『ううぅ、痛……くない?』
身体を隈なく調べてみて驚いた。なんと傷一つない。それどころかまるで生まれたてのように綺麗な身体だ。
『ですから申し上げたでしょう、海斗様の身体はその程度で傷つくことはありませんと』
脳内でプリスの声が響いた。
『凄い、本当だったんだ……』
『信じていらっしゃらなかったのですか?』
『いやあの、そういう訳じゃないんだけど……』
心なしか苛立っているように聞こえる。いや彼女に限ってそれはないか。
何せ昨日までは生身の身体だったのだ。頭では大丈夫とわかってはいても、まだその時の感覚が抜け切っていない。
とはいえこれで彼女の正しさが証明された訳だ。敵の攻撃が通用しないことがわかり、海斗の心にも自信が生まれた。
「チッ、頭に血が上ってつい本気で殴っちまったぜ!!」
向こう側で藤島が何か言っているのが聞こえる。
「もっと痛めつけて殺す予定だったんだがなあ、死んじまったら仕方ねえよなあ!」
『んじゃ第二ラウンド始める?』
瞬間、瓦礫の中から颯爽と飛び上がった海斗が、軽やかに藤島の頭部に着地した。
「お、お前……どうやって……?」
『あゴメン、やられたふりした方が良かった? も一回やり直す?』
「ふざけんな!」
逆上した藤島が再び脚を鷲掴みにようとするが、海斗は難なく空中に逃れる。
「上等だ。全身バラバラにしてやらあ!」
『へえ頑張って』
藤島は拳を振り上げた。しかし彼の攻撃が海斗を捕捉することはなかった。絶え間なく振り下ろされる拳を軽くいなし、目まぐるしく動き回る海斗。
『どーしたの、全然当たらないけど』
「くそう……このクソガキが、ちょこまかと動きやがって」
『え、何? 人間の言葉で喋ってくれないとわかんないよ』
「黙れえええええええ!」
怒りに冷静さを欠いたのか、動きが段々と大雑把になり始めた。その隙を見逃さず、海斗は藤島との距離を一気に詰めた。
『ねえ、キックとパンチどっちが好き?』
「知るかあっ!」
『んじゃ今回は特別に両方プレゼントしちゃおっと!』
振り下ろされる拳を軽やかに躱し、海斗は藤島の腹部に重い右ストレートを叩き込んだ。「ぐふっ!」という呻き声と同時に、藤島の身体が前傾姿勢になる。そこを狙って後頭部に思い切り旋風脚を繰り出した。
藤島は白目を剥いて昏倒した。金属製の巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。
――ふぅ……。
海斗は胸の内で安堵の溜息をついた。
表面上は余裕があるように振る舞ってはいたが、内心は本当に勝てるかどうか不安だった。
――良かった……ちゃんと勝てた。
「そ、そんな馬鹿な……藤島さんがやられるなんて……」
チンピラ達は半ば放心状態で呆然と立ち竦んでいた。皆、目の前の光景が信じられないとでも言うような表情をしている。
海斗はそんな彼らに向き直って口を開いた。
『はーい、ここで皆さんにクイズでーす。今すぐお家に帰ってピザのデリバリーでも頼むか、それとも俺にボコられるか、どちらが君達にとって最善の選択でしょう?』
「野郎、調子に乗りやがって!」
我に返ったチンピラ達は大挙して襲い掛かってきた。
しかし藤島を倒した今となっては、恐れるものなど何もない。
『残念、不正解』
それから後は昨日、暴走族を相手にした時と同じ展開になった。互いの拳の応酬、ただし相手の拳は掠めることさえ出来ず、当たるのは海斗の拳のみ。余りにも一方的な喧嘩だった。
『あーもう、慌てなくても全員殴ってあげるから、ちゃんと一列に並んで!』
結果、十数人いたチンピラの数は次第に減っていき、反対に地面に倒れる者の数は増えていった。
『君達ちょっとドM過ぎない? 言っとくけど俺は別にそういう趣味はないんだからねっ!』
一方的に殴られているにも拘らず、性懲りもなく向かってくるチンピラ達を、海斗は軽くあしらい続けた。
気がつくと残りは一人になっていた。
『あれえ、もう終わり? みんな意外と根性ないんだね。俺はまだ左手しか使ってないんだけど?』
その言葉通り、海斗はチンピラ達を殴るのに左手しか使用していなかった。別に手加減したつもりはない。ただ純粋に相手が弱過ぎて使用する必要がなかったのだ。
「あ、ああ……な、何者なんだお前は……?」
残された一人は恐怖に慄きながら、ワナワナと震えていた。
『お友達は皆、気持ち良さそうにお昼寝してるよ。仲間外れは可哀想だから君も寝かせてあげようか』
そう言うと海斗は、目にもとまらぬ速さで男に接近し、横面を殴りつけて気絶させた。
『良い夢見てね』
辺り一帯が静寂に包まれる。
プリスから話を聞いた時は半信半疑だったが、まさかこれほどとは。
結果的に自分一人で暴力団を倒したのだ。予想以上に上手くいった。
勝利の余韻に浸りたいのは山々だったが、このまま突っ立っているわけにもいかないので、とりあえず学生達に声をかける。
『あーゴホンッ……怪我はないかね君達?』
――って何だよこの言い方。もうちょっと自然な言い方があるだろうに……。
正体がバレないよう思い切って口調を変えてみたのだが、逆に不自然な形になってしまった。こういう時、漫画や特撮などのヒーローは正体を隠す為にどのような工夫をしていただろうか。
「あ、あの……ありがとうございます」
女子の一人が真っ直ぐな眼差しでこちらを見つめてくる。
どうやら自分の正体は気づかれていないらしい。
「あなた誰なんですか?」
『教えてあげても良いけど、それより早くお友達を病院に連れて行ってあげた方が良くない?』
話を逸らすようにして、海斗は散々殴られたせいで顔の形が変わっている赤城の方を指差す。
「そ、そうですね」
しかし赤城に対する学生達の反応はあまり暖かいものではなかった。むしろ「こいつのせいでこんな目に……」とでも言いたげな目で睨みつける者までいる。
何があったのかはわからないが、彼の普段の素行を考慮すると大体想像はつく。
ともかく自分は怪しまれる前に退散した方が良いと思い、早々に別れを告げる。
『じゃあ俺はこの辺で……』
「あの、せめて何かお礼を……」
『SNSに俺のこと書き込んでくれたら“いいね!”押してあげるよ。それじゃあ気をつけて帰ってね!』
海斗はそう言い残して足早にその場を立ち去った。
狭い路地裏を走り抜け、来た道を戻る。どの辺りで変装を解けば良いのかわからなかった。この辺りはあまり土地勘がない為、迷いやすい。すでに何度か行き止まりに突き当っている。
『あら、また行き止まりだよ。この辺はまるで迷路みたいに入り組んでるなあ』
『そういうことでしたら建物の屋根伝いに移動すればいかがでしょう?』
『本気で? 建物の上をピョンピョン飛び回れっての?』
『その通りです』
『そっか……よーし!』
海斗は恐る恐る屋根の上を見上げた。確かに先ほどの出来事の後ではそれも可能だと信じられる。どれほど身体能力が強化されているのか試してみたい気持ちもあった。
海斗は周囲に誰も見ていないことを確認して、手近な居酒屋のネオン看板に跳躍した。そのままパルクールの要領で屋根に飛び乗って移動を開始する。
さらに十メートルもの距離があるビルからビルへと軽やかに飛び移って行く。生身の身体では到底不可能な芸当だ。
そろそろ自宅に到着しそうなところでビルの上から飛び降り、数十メートル下のアスファルトに着地。と同時に電脳義脚に内蔵された衝撃吸収装置が作動し、着地の衝撃を吸収する。
『これ本当に凄いね、まるで月面着陸したみたいに身体が軽い。月に行ったことないけど』
『ご満足頂けましたら幸いです』
昨日までただの落ちこぼれ学生だった海斗だが、今や生活は一変した。
勝手に機械の身体にされた時は非常に不愉快に思ったが、今となってはサイバーマトリックス社に感謝していた。あの時、トラックに轢かれて良かったとさえ思った。もし事故に遭っていなかったら、今後も虚しい人生を送っていただろう。
ただこの時の海斗はあまり深く考えていなかった。なぜサイバーマトリックス社がこれほど強力な力を与えてくれたのか。単に死なせてしまったことへのお詫びだけなのか。それとも他に何か思惑があるのか。
浮かれ過ぎて、そんな疑問には思い至らなかった。