あの方を侮辱するのは……やめてください!
『お前は……そうか、サイバーマトリックスのバイオロイドか』
ライザーはプリスに面識があるような口振りだった。サイバーマトリックス社で働いていたのなら、どこかで顔を合わせてもおかしくはない。
「……どうしてここに?」
それまで呆然と立ち尽くしていたヒカリがようやく口を開いた。
「海斗様のご命令で、あの方がここに到着するまでの間、アナタを護衛するよう言われました。早くお逃げください」
『なるほど、ご主人の言いつけでわざわざにスクラップにされに来たか。大した忠犬だな。ロボットの分際で私の邪魔をするとは』
プリスはそれには答えず、無言で手にした大剣を軽々と持ち上げて臨戦態勢に入る。
『良いだろう。そんなに廃棄処分になりたいならお望み通りにしてやる!』
そう叫ぶとライザーは、右手のロングソードをプラズマ化した。刃の先端がにわかに超高熱の光を帯び始める。
戦闘が始まるのを悟ったヒカリは、一目散に駆けだした。
瞬間、稲妻のような突進を繰り出してライザーが一気に間合いを詰めた。
すかさずプリスも大剣を斬撃の進行方向に構えて防御の姿勢を取る。
『無駄だ!』
ライザーは構わず横薙ぎに剣を一閃する。
彼の高周波プラズマブレードは金属の物体も容易に切断する。大きさなど関係ない。
払われた剣は、プリスの大剣の刀身を難なく焼き斬って彼女の胴体ごと切断する――はずだった。
激しい金属音が鳴り響き、火花が弾け飛ぶ。が、プリスの大剣はしかしライザーのロングソードをそこで押し止めた。
『――ッ!?』
予想外の展開に、ライザーは虚を突かれた。その隙に乗じて、プリスが反撃を開始する。
右斜め下方から、ライザー目がけて大剣を思い切り振り上げた。
咄嗟に後方に飛び退って距離を取るライザー。改めてその大剣を良く観察してみると、何とライザーのロングソードと同様に高熱の光を纏っている。
一体どういうことなのか。高周波プラズマブレードは彼が多くの苦節を経て開発したこの世に二つとない代物。
それがなぜこんなバイオロイド如きに?
そこまで考えて彼はある一つの結論に至った。
『……そうか、私がサイバーマトリックスにいた時に造った試作品を持って来たな。またずいぶんと懐かしい物を』
完成品が出来上がるまでには、当然いくつもの失敗作が存在する。
威力は数段劣るが、刀身は高熱や超振動にもある程度耐えられる構造になっている。
サイバーマトリックスの本社にはそうした試作品がいくつも保管されていて、プリスは高周波プラズマブレード対策に、その中の一つを密かに持ち出したのだ。
『だが所詮は未完成品。私の相手ではない。まあ過去の自分の作品を練習台にして完成品の性能を確かめるのも悪くないかもしれないな』
そう豪語するやライザーは、再び突撃を開始してロングソードを一閃する。
プリスもすぐさま応戦し、両者の間で激しいつば競り合いが繰り広げられた。
二本の刀が交差し、プラズマ化した刀身が激突する度に眩いスパークが生じる。
プリスは大剣を軽々と操り、敏捷なステップでライザーの斬撃を回避した。そして隙が生じたと判断するや間髪入れず的確な反撃を繰り出す。
その身体能力は戦闘用バイオロイドのRX300を遥かに上回っていた。
しかし時間が経つに連れて徐々に形勢はライザーの側に傾き始めた。
それは彼が装備した強化外骨格がそれほど高性能である証左でもあるが、それ以上にお互いの武器の性能差が明暗を分けていた。
さすがにプリスの大剣も、ロングソードの連撃を受けて損傷が目立ち始めた。
『哀れだな、もし君に人間と同程度の思考力があればあの少年の為にそこまで身体を張る価値がないことを容易に理解出来たろうに』
ライザーはわざと挑発的な発言をした。
『どのみち彼には何も守れやしない。自分のことをヒーローだと勘違いしているただのちっぽけな子供なのだからな』
「……あの方を侮辱するのは……やめてください!」
プリスが語気を強めて斬りかかる。その声音には微かに“怒り”の感情のような響きがあった。
しかしそれで形勢が逆転するまでには至らず、とうとう大剣の耐久が限界を超えてへし折れてしまった。
剣が折れた拍子に後方に吹き飛ばされるプリス。
「くぅ……!」
『終わりだ!』
勝ち誇ったように宣言してライザーがロングソードを大きく振り被った。
そうやって無慈悲に振り下ろされた光の刃は、しかしプリスの身体を捉えることはなかった。
突然、どこからともなく現れた影が、不可視の速度で風のようにプリスを連れ去ったからだ。
その影はプリスを横抱きにして駐輪場の屋根に着地した。確かめるまでもなく、ライザーは影の正体が誰であるのか気づいていた。
『やあ、お待たせ』
「お待ちしておりました海斗様」
海斗はゆっくりとプリスを降ろしながら言った。
『怪我はない?』
「助けられてこんなことを言うのはなんですが、私を助けるより敵を倒すことを優先した方が良かったのでは?」
『水臭いなぁ。君にもしものことがあったら誰が俺の身体を直すのさ? 俺、君以外の人に裸を見られるのは嫌だよ』
「つまり私に裸を見られたいから助けたということですか?」
『あーいや……そういうことじゃないんだけど、まあ良いやそれで』
半ば投げやりに言った途端、それまで会話を傍観していたライザーが二人の足場を斬り裂いた。
『お喋りはその辺にしてくれるかな? こちらも暇じゃないんでね』
付近の歩道に降り立った海斗は、その言葉を無視してプリスにこう言った。
『君はヒカリちゃんを安全な場所に連れて行って。まだ奴の仲間が近くにいるかもしれないから』
「承知しました。お気をつけください」
海斗はプリスがいなくなるのを見送ると、『……さてと』と前置きして目の前の敵と向かい合った。
『私の仲間《偽ミシェル》の姿が見当たらないようだが?』
『離れたところにいる。彼女はアンタに殺されるって怯えていたよ』
『なるほど察しが良いな。では君を痛めつけて力づくで居場所を吐かせるとしよう』
ライザーは無言で剣を構えた。
『俺の友達を殺そうとしたな? お前だけは絶対に許さないぞ』
『ほう、どう許さないか是非教えて貰いたいね』
ただ倒すだけでは駄目だ。幸運にも無傷で済んだが、ヒカリに危害を加えようとしたことは絶対に許すことは出来ない。この代償は高くつくということをわからせなければならない。
もう二度と同じことが出来ないよう、再起不能になるまで痛めつけてセンチネルに引き渡す。
だが冷静さを失うと手痛い反撃を食らう。決して平常心を忘れずに、相手の動きを見極めて的確に攻撃を当てることが大切だ。
ともかくまずは目の前の男を倒すことだけを考える。後の処遇はそれから決めれば良い。
先に動いたのはライザーだった。
一瞬の内に海斗に急迫すると、目にも止まらぬ速度でロングソードを振り抜いた。海斗は難なくそれを躱す。が、それは囮だった。躱した直後にロングソードとは反対方向から蹴りが迫る。
海斗はしかしそれも読んでいた。
素早い反射神経で攻撃を見極め、右手で蹴りを受け止める。そのまま脚を掴むとジャイアントスイングの要領で思い切り放り投げた。
ライザーは上手く空中で体勢を立て直し、綺麗な着地を決めた。
ライザーの斬撃はより苛烈さを増して、上下左右から続けざまに襲いかかる。海斗はいささかも動じることなく全てを躱してその都度反撃を繰り返す。
二日前に海斗がつけた胸部の損傷はどこにも見当たらなかった。あの短期間で完全に修理したとすれば驚異的な技術力だが、あるいは外観だけ整えて修復は不十分な可能性もある。
試してみるか。そう思った海斗は、胸部を集中的に狙ってみることにした。
『何で関係ない人まで巻き込もうとする? 俺を恨んでいるなら直接狙えば良いだろ!』
『君の苦しむ姿を見られるなら私はどんなことでもする』
『ならネットの掲示板に好きなだけ俺の悪口書き込んどけば? あそこには君と良く似た人達が仕事もせずに他人の粗探しばっかやってるからさ。きっと君と仲良くなれると思うよ』
『減らず口を……』
ライザーは一段と力を込めて剣を薙ぎ払った。
怒りで冷静さを欠いたのか、やや振りの動作が大きく、それが一瞬の隙を生むことになる。
海斗はその隙を見逃さなかった。迅速に相手の懐に飛び込むと、胸部を狙って回し蹴りを叩きつける。
吹き飛ばされたライザーはマンションの壁に激突し、コンクリートを砕いて屋内に侵入した。
中から女性の悲鳴が聞こえてくる。
『まずい!』
失敗したと海斗は内心思った。
それまでは人気のない場所での戦闘が多かったがここは住宅街。もっと周囲に被害が及ばないよう注意すべきだった。
『邪魔だ!』
ライザーが鬱陶しそうに住人に斬り掛かろうとする。
海斗は咄嗟に加速装置を起動してライザーに飛び掛かった。剣を持つ手首を掴んで押さえつける。
『無関係な人を巻き込むな!』
『君が招いたことだ』
ライザーは倒れたままの体制で海斗の胸元目がけて強力な蹴りを見舞った。身体が大きく宙に浮き上がり、勢いそのままに天井を突き破って二階の部屋まで到達する。
二階ではちょうどダイニングで食事中の若い夫婦らしき男女と遭遇した。
『あ、どうもお構いなく。すぐに出て行きますんで』
怯える夫婦に海斗は礼儀正しく声をかけた。
直後、足元の床が割れて光の剣尖が突き出した。次いでその割れ目からライザーが姿を現して迅速に斬り込んできた。
これ以上他人に迷惑をかける訳にはいかないので、海斗は窓際に退避する。
『すいませーん! 修理代はそこの変な人が払いますんで!』
窓から外へと飛び出した海斗は、下に降りるのではなく上へ逃れた。
道路で戦闘すれば周囲の通行人にまで危害が及ぶ可能性が高い。それならば、人気のない屋上で戦った方が気兼ねなく本気を出せると判断したからだ。
間を置かずして急追して来たライザーが、サプレッサーを装着した拳銃をこちらに向けて数発撃った。
海斗は垂直の壁をバック転で移動しながら銃撃を回避する。屋上に辿り着くと直ちにライザーが来た時に備えて攻撃の体勢を整えた。
しかしいつまで経っても姿を現さなかった。
妙だ……と思ったその瞬間、背後から気配がして、いつの間にか回り込んでいたライザーがロングソードを袈裟斬りに振り下ろした。
海斗は辛うじてその攻撃を回避した。
『他人の命に気を遣いながら戦うか、正義のヒーローも楽ではないな』
『そう言うアンタは良いよね。友達いないから気を遣う相手もいなくて』
クルーガーを恩師と呼ぶくらいだ。彼の人間関係が破綻していることは想像に難くない。
今度は海斗から仕掛けた。
相手の斬撃を巧妙に回避し、死角に潜り込んで拳を打ち込む。一歩間違えれば手痛い反撃を食らうので、攻撃には細心の注意を払う。
だがいずれも決定打にはなり得なかった。
やはりライザーを倒すにはプラズマ砲の威力が必要だ。
『どうした、私を倒すんじゃなかったのかね? それとも先にお友達を始末して欲しいのかな』
『やめろ、彼女に手を出すな!』
『それを決めるのは君ではない』
屋上の片隅で戦闘を展開していると、ふいにライザーが建物の一角を斬り落として海斗の足場を崩した。
『うわ!』
意表を突かれた海斗は、重力に抗えずに自由落下を始めた。
『次に会う時は友達の死体を見せてあげよう』
嘲笑うかのように言い放った直後、ライザーは背を向けてヒカリの後を追いかけようとした。
マンションの高さはおよそ二百メートル。仮に加速装置を使用しても海斗がここに戻って来るまでに十秒以上はかかる。
その間に付近の路地に身を隠しながらヒカリを探し出し、バイオロイドもろとも始末する。
そう考えてライザーが背を向けたその直後――
唐突に黒い人影が背後から現れ、ライザーの後頭部を蹴りつけた。
『何ィっ!?』
『どーもお久し振り!』
飄々とした語調で、海斗はライザーの前に着地する。
『「何で戻って来れたんだ?」って言いたいんでしょ? アンタが右手を壊してくれたおかげさ。この新しい右手には面白いオモチャがついていてね……』
海斗の新たな右手には通称グラップルシューターと呼ばれる装置が内蔵されている。特殊なワイヤーに繋がれたアームを遠方に射出し、物体を掴み取ったり高所への素早い移動を可能にする。
それだけでなく、使い方次第では空中ブランコのように、より立体的な移動も実現出来る。
ワイヤーはこの世で最も高い強度を持つと言われるミノムシの糸を参考にしたマルチフィラメントワイヤーで作成されていて、百トン以上の重量にも耐えられる。
事前にプリスから説明は受けていたが、実際に使用したことはなく、使いこなせるどうかかはぶっつけ本番だった。だが結果的に上手くいったので一安心だ。
『……なるほど、どうやら両方の手足を斬り落とさないと負けを認めないらしい』
『やれるもんならやってみれば?』
目論見を崩されたライザーはロングソードを構えて戦闘を再開した。
海斗はグラップリング技術を駆使したトリッキーな動きでライザーを翻弄する。
偶々近くにあった消火器をアンカーで掴み、モーニングスターのように振り回してライザーに叩きつける。ロングソードの範囲外から攻撃出来るので、より戦闘が有利になった。
残念ながらロングソードですぐに切断されてしまったが、その隙に加速装置で無防備な背後に回り込み、痛烈な一撃を加える。
『……ぐっ』
さらにライザーがよろめいたところに追い打ちを仕掛けようとする。が、それを読んでいたライザーがロングソードの光刃を閃かせたので、後退を余儀なくされた。
やはり一筋縄ではいかない。
だがこの調子でいけばロングソードにさえ注意を払えば、勝利することは時間の問題。
ここでケリをつける。
ところがその時、ふいに垂直離着陸機《VTOL》のローター音が聞こえたかと思うと、サーチライトの光が二人を照らし出した。
「そこの二人、大人しく投降しなさい!」
上空からVTOLに搭乗したセンチネルの女性隊員が、大型ライフルの銃口をこちらに向けながら叫んでいた。
良く見るとフォックストロットで狙撃を担当している隊員だった。
『チイッ、邪魔が入ったか……』
ライザーは舌打ちをして逃走を図ろうとする。
『待て!』
直ちに追撃しようとした途端、上空のVTOLからライフル弾が発射された。
すぐに動体センサが反応して回避するが、着弾の衝撃で粉塵が舞い上がり、視界が遮られる。そのせいでライザーを見失ってしまった。
嘆いている間もなく次の弾丸が発射される。
『ちょっ……! 俺よりあの男を捕まえる方が先じゃないの!?』
などと抗議の声をあげるが、先ほどセンチネル本部で自分がやらかしたことを考えると無理もないかもしれない、と思い直した。
ここで奴を取り逃がすのは痛手だが、センチネルに追われながら倒すのは至難の業だ。
やむを得ず、ここは一旦退却することにした。
願わくばセンチネルが奴を捕まえてくれることを祈ろう。
海斗は加速装置を起動して高速パルクールでビル群を駆け抜けた。
何とか追手を振り切った海斗は、そのまま女を捕まえている場所に戻った。女は近くの立体駐車場に拘束してある。
逃げ出さないよう、手錠をスピナーのハンドルに繋いでいる。
「何があったの?」
『センチネルが来た。何でこの場所がわかったのかはわかんないけど』
「馬鹿ね。センチネルが使っている手錠には発信器がついているのよ素人さん。だから何度も外せって言ったのに」
『そう、なら君との縁もこれで終わりだね。せいぜい刑務所で幸せに暮らすんだよ』
そんな励ましとも皮肉とも受け取れる言葉を残して立ち去ろうとした海斗に、突然女がこんなことを言い出した。
「待って、私と取引しない?」
『取引?』
「そう、私を逃がしてくれたら知っている情報を全部教えてあげる。ライザーの目的や、あの男が次に狙う標的の居所もね」
「へえ、そんな本当かどうかもわからない情報の為にセンチネルの本部を爆破しようとした犯人を逃がせって言うの? 中々良いアイデアだねえ。でも却下」
皮肉を言いつつも、海斗は女の意外な申し出に少々驚いていた。
殺されかけたとはいえ、少し前まで仲間だった男の情報をあっさり売り渡すとは、一体何を考えているのか。
「嘘じゃないわよ。アンタ達が探しているのは法水弦一郎って男でしょう? 私なら彼の居場所を教えられる」
『…………』
嘘発見器では真実という判定が出ている。しかし極限状態に陥った人間ほど心にもないことを平気で言うものだ。助けれくれたら全財産をやるだの、会社の幹部に昇進させてやるだの。今は本当のことを言っていても、後で掌を返すかもしれない。
『ならセンチネルに捕まった時に話せば良いじゃない。捜査に協力すれば少しは罪も軽くなるかもよ』
「話したところでどうせ一生刑務所暮らしよ。それにセンチネルにライザーを止めることは出来ない。アンタだってわかってるでしょう。標的を助けたかったらアンタが直接助けるしかない」
認めたくはないが、女の言うことはそれなりに正鵠を射ているような気がした。
フォックストロットは全員負傷。しかも海斗が本部のシステムを一時的に乗っ取ったせいで捜査機能が大幅に低下しているはずだ。
こうなった原因は自分にもあるので他人事のように傍観している訳にもいかない。ライザーを捕まえる責任は自分にもある。
とはいえセンチネルの捜査資料を入手したものの、それだけではピンポイントで法水の居場所を探り当てるのは非常に困難である。
ライザーの目論見を阻止するにはもっと正確な情報が欲しい。
だがこの女が真実を言う保証はどこにもない。罠だという可能性もある。
それにセンチネル本部を爆破しようとした悪人を逃がすことにも抵抗がある。
一生刑務所暮らしということは過去にも相当な悪事をやらかしてきたのだろう。
そんな女を逃がすのはライザーを野放しにするのと同じくらい危険なのではないか。
こうして考えている間にもセンチネルスピナーのサイレン音が接近して来る。
「さあ早くどうするか決めてよ! モタモタしてるとセンチネルが来ちゃうじゃない!」
悩みに悩んだ末、海斗が下した決断は――




