じゃあ仕方ないな
現在、海斗は難しい決断を迫られていた。
これから彼はこれまで以上に多くの法律を破ることになるだろう。
実行すれば本格的にセンチネルと敵対することになる。だがやらなければヒカリの命が危ない。
選択肢はないのだ。
確か家にはアイリもいたはずだが、画像に写っていたのはヒカリだけだった。
あの後すぐに出かけたのだろうか、それともすでに殺されているのか。恐らく前者の可能性の方が高い、と海斗は推察した。
いくらライザーでもアイリと戦闘しながらヒカリを捕まえるなど、そう簡単なことではないはずだ。下手をすれば逃げられてしまう恐れがある。
自分ならアイリが外出したところを狙う。
それにしても何故こんなことになったのか。
自分がヒカリを巻き込んだせいなのか。いや、海斗の知り合いというだけで狙われる可能性はあったはずだ。
もっとこうなることを想定して、ヒカリに警戒を促しておくべきだった。
何にせよ、今はヒカリを助けることだけを考えよう。
多少強引な手を使えば偽ミシェルを連れ出すことは不可能ではない。だが周りの隊員に危害を加えずに実行するのは至難の業だ。何の関係もない彼らを傷つけるのは極力避けたい。
ヒカリのルートキットはまだ発見されていないようだ。ルートキットはトロイの木馬と同じ性質も持っているので、そうそう検出されない仕組みになっている。
これを利用して再び電源を落として偽ミシェルを脱出させるか。
疑われないよう、まずは一旦外に出て帰宅したように見せかけてから停電させた方が良いだろう。
そして密かに戻ってきて内部に侵入するのだ。
そんなふうに作戦を立てて正面入口のセキュリティゲートを通り抜けようとした時――
「浅宮君」
背後からバイト先の常連客であるマリーが歩み寄って来た。
「今回は本当にごめんなさい。私のせいでこんなことになっちゃって」
「いや、元はと言えば俺が中に入りたいって言ったのが原因なんで全然気にしてないですよ」
「そう、じゃあ気をつけてね」
マリーと別れて建物を出ると、人気のない路地に光学迷彩を起動した。
だがあの厳重な警備をすり抜けるには、光学迷彩だけでは心許ない。完全に透明になれる訳ではない上に、偽ミシェルを脱出させる際は彼女だけが周囲の人間に見えてしまうからだ。
そこで海斗は、服の立体映像を利用してセンチネルの隊員に変装することを思いついた。
変装するなら海斗が知っている人物の方が良い。
知らない人間に変装すると、本人とはかけ離れた行動をとって怪しまれる危険があるからだ。
そうなると変装する相手は一人しかいない。
「あれ、プリヤさん。こんなところでどうしたんですか?」
再びセンチネル本部に潜入した海斗は、偶然出くわしたマリーに呼び止められた。
「いや、ちょっと偽ミシェルの様子を見に」
「でもさっき一休みするって言ってませんでした?」
「き、気が変わったんだよ。何か文句あるか?」
「別にないですけど……そんな突っかからなくても良いのに……」
まずい。怪しまれてしまっただろうか。
毎日顔を合わせているプリヤなら、普段の言動や性格を知り尽くしているので怪しまれる心配はない――と思うのだが、果たして本当に上手くいくのか不安になってきた。とりあえずマリーは誤魔化せたようだ。
本人と鉢合わせしてしまう前にさっさと用事を済ませることにしよう。
どうにか無事に取調室の前まで辿り着くことが出来た。周囲の様子を念入りに確認して扉を開ける。
部屋に入ると、偶然にも先ほど海斗を犯人呼ばわりしていた強面の男性職員が偽ミシェルを尋問していた。
「あー、ちょっと二人だけで話がしたいから少し外してくれるかな?」
「またですか? これで二度目ですよ。これって職権乱用じゃないんですかね」
男性職員は不満の声を漏らした。
「文句なら後で聞く、とにかくそいつと話をさせろ」
「あいにく支部長から誰も容疑者には近づけるなって言われているんですよ」
「何でだ?」
「さあ、手柄を横取りされたくないんじゃないですかね」
そういえば最初に海斗を捕まえるよう指示したのは彼女だった。しかし結局、真犯人を突きとめたのはプリヤとマリーの二人。完全に面目丸潰れである。
彼女としては何とか自分の手柄にして名誉挽回したいところだろう。
だがこれこそ完全に職権乱用である。
「どうしても駄目か?」
「命令ですので」
「そうか……じゃあ仕方ないな」
言いながら、海斗は諦めるふりをして、相手の鼻面に素早く拳を打ち込んだ。
男性職員は抵抗する暇もなく「へびゃっ!?」という呻き声を発して倒れた。
出来れば無関係の人間を傷つけたくはなかったが仕方ない。そう、決して散々犯人呼ばわりされた腹いせで殴ったのではない、多分。
「ちょ、何なの!?」
突然の出来事に訳がわからず狼狽える偽ミシェル。
「いいから立て!」
海斗はお構いなしに彼女を無理矢理立たせてこう耳打ちした。
「良く聞け。ここを出たけりゃ黙って俺の言う通りにしろ」
「痛い! ちょっと乱暴しないでよ!」
どうやら後ろ手に手錠で拘束されているようだ。抵抗されると面倒なので外すのはここを出てからにしよう。
『プリスさん、聞こえる? また建物の灯りを消して欲しいんだけど』
『残念ながら無理なようです。センチネルは先ほどの停電を受けて配電システムを別回路に移しました。辛うじてセキュリティシステムはまだこちらの制御下にありますが、それも向こう側に奪取されるのは時間の問題だと思われます』
『そうか……なら急ぐしかないな』
停電という手段が使えないのは痛いが、セキュリティシステムが作動しないだけでも不幸中の幸いだ。
もし他の隊員に発見されたら、容疑者を留置場に連行する途中だと言えば良い。プリヤの姿なら何とか信用されるだろう。
たださすがに出入口を通過する際は、その理屈は通用しない。
そこで海斗は比較的警備が手薄そうな、屋上のスピナー発着場に向かうことを選択した。
取調室を出て慎重に通路を進む。なるべく人気のない場所を通った。
システムがセンチネル側に戻る前に脱出しなければ全てが終る。
「どこへ連れて行くつもり?」
偽ミシェルが警戒感を露わにして訊ねる。
「そう警戒するな。アンタを逃がそうとしているんだ」
「アンタ何者?」
「その内わかるさ」
そんなやり取りをしているとふいに男性職員に呼び止められた。
「中嶋隊員、どこへ行かれるんですか?」
「あー支部長の命令でコイツを留置場に連れて行くところだ」
「そんな命令は聞いてませんが……」
その時、廊下の向こう側から本物のプリヤがやって来るのが見えた。同僚の隊員と会話していて、まだこちらには気づいていないが、どんどん近づいて来る。
急いでこの場から離れないと鉢合わせしてしまう。
「ちょっと待ってください。今、支部長に確認しますから」
「何だ、この私が嘘ついているとでも言うのか?」
「いえ、そんなつもりは……失礼しました!」
少し凄味を利かせた声で詰め寄ると、職員は逃げるように立ち去って行った。
海斗は本物のプリヤに見つからないよう、急いで廊下の角を曲がった。
もう大丈夫と安心したその時、一瞬プリヤの顔がこちらを見た気がした。気のせいであれば良いのだが。
やはりプリヤはこの組織の中では相当高い地位にいるようだ。
担任教師の地位を利用して悪事を働くのは多少心が痛むが、良心の呵責に苦しんでいる場合ではない。ヒカリの命がかかっているのだ。
幸いそれ以降は職員に呼び止められることもなく、何とか発着場まで辿り着くことが出来た。
二十メートル四方のスペースに十数台のスピナーが駐車している。海斗は手頃なスピナーを選び、ハッキングアプリで電子錠を開錠して、偽ミシェルを助手席に乗せた。
後はここから飛び立つだけ。
そう思って自分も乗り込もうとした瞬間――
「そこで止まれ」
背後から聞き覚えのある声が響いた。
そこには今一番会いたくない人物が立っていた。
「女の仲間か? 私に成り済ますとは良い度胸だな」
プリヤはセンチネル標準装備の自動拳銃、Auto 99を真っ直ぐこちらに構えて睨みつけている。やはりあの時見られていたか。
「痛い目に遭いたくなかったら大人しく手を上げろ。妙な真似をしたら撃つぞ」
そう言って慎重にこちらに歩み寄るプリヤ。
偽ミシェルは同じ人物が二人いることに困惑を隠せないでいた。
ここで捕まる訳にはいかない。事情を話しても理解してくれる相手ではないし、そもそも話せない。
ここは強行突破するしかない。
海斗はゆっくりと手を上げる素振りを見せて、密かに左の掌に内蔵されたプラズマ砲を露出させた。
一刹那の後、砲口から射出された光弾が、プリヤの手前にあるスピナーに直撃した。
激しい爆音が轟いて炎が周囲を包む。
「なっ、このプラズマ砲はまさかっ!?」
炎の向こうでプリヤが怯む声が聞こえた。
全身サイボーグの彼女がこの程度の爆発で負傷することはない。海斗もそれを計算に入れてプラズマ砲を撃った。
ただ一瞬足止めさせる程度の効果はある。
その隙に海斗は素早くスピナーに乗り込むと、アクセルペダルを思い切り踏み抜いた。
たちまちスピナーが急上昇して、すでに日が落ち始めた暗い夜空へと舞い上がる。
「待て!」
プリヤが叫ぶのと同時に、屋内から大音響の警報が鳴り響いた。
偽ミシェルが脱走したことが他の者にも知れ渡ったようだ。
だがもう遅い。
『ボス、予定通りグリッドランナーが女を連れて本部を出ました』
向かいの建物から様子を窺っていた男は、海斗と偽ミシェルが乗ったスピナーが飛び経ったことをライザーに報告した。
「よし、引き続き監視を怠るな」
諸星家のリビングでのんびりと紅茶を啜りながら、ライザーは部下に指示を出した。
センチネル本部の爆破を海斗に阻止されたのは残念だったが、計画は概ね順調に進んでいる。
紅茶を飲み終えると、そろそろ自分の部屋で眠っている女の様子でも見に行こうと思い、立ち上がった。
ヒカリは強力な睡眠薬で眠らせている。個人差はあるが、少なくとも五時間は目を覚まさないはずだ。
それでも念には念を入れて、部屋には監視カメラを設置して、絶えず様子を観察し続けている。
仮に目を覚ましたとしても、逃げる暇はない。彼女に飲ませた薬には副作用があって、目覚めた直後には意識が朦朧として思うように動けなくなる効果がある。
海斗が到着すればヒカリは用済みになる。
元より彼女を生かして返すつもりなど最初からなかった。海斗がここに到着した時に、彼の目の前で始末する予定だった。
親しい人を殺されたらどんな反応を見せるのか、今から楽しみで仕方がなかった。
絶望に打ちひしがれるのか、それとも怒り狂うのか。どちらにしても愉快な展開には変わりない。
これは復讐だ。
これまで順風満帆だった自分のキャリアは、たった一人の学生によって台無しにされた。
サイバーマトリックス社に在籍していた時に推し進めていた強化外骨格の開発計画は、自分の研究の集大成になる予定だった。
しかし後援者であるクルーガーが失脚したことにより計画は中止。センチネルの新型外骨格の選定も、結果は不採用。
これはライザーにとって到底受け入れられるものではなかった。
彼は復讐を誓った。自分の人生を狂わせた全ての人間に。
特に海斗に対しては、ただ殺すだけでは飽き足らない。
自分が受けた屈辱の数倍の苦しみを与えて、精神的に追い詰めてから最後の最後に殺す。
それに史上最強のサイボーグと称されたグリッドランナーを倒せば、自分が開発した外骨格の性能を見込んで競合他社が受け入れてくれるかもしれない。
中にはサイバーマトリックス社以上に人権軽視の企業も少なくないのだ。
その為にも必ずグリッドランナーを倒す。
そう決意を新たにしながら、ライザーはヒカリの部屋の前まで来た。
扉を開けると先ほどと同様に、ベッドに横たわるヒカリの姿がある――はずだった。
「――ッ!?」
しかしいざ部屋に足を踏み入れると、そこには信じられない光景が広がっていた。
ベッドで昏睡していたはずのヒカリが、忽然と姿を消していたのだ。
「馬鹿な!」
良く見ると窓が開いていた。あそこから脱出したのか。しかし監視カメラでは、未だにベッドに横たわるヒカリが映し出されている。
ハッキングして映像を差し替えたのか。迂闊だった。ヒカリのハッキング技術を侮っていた。
それにしても睡眠薬で眠っているはずなのにどうやって?
姉が帰って来て助け出したのか。
完全に不覚だった。
これまで計画が上手くいっていたので油断していた。片時も目を離すべきではなかったのだ。
いや今更後悔しても遅い。
それよりも今やるべきことは一刻も早くヒカリを見つけ出すことだ。海斗に連絡される前に見つけ出さなければ全てが終る。
その時だった。ふいに海斗から着信が入った。偽ミシェル救出の報告が目的だろう。
拒否する訳にはいかないので、ライザーは着信に応じた。
『約束通り仲間を脱出させたぞ』
「ああ、こちらでも確認した。そのままここへ連れて来るんだ。場所はわかっているだろうな?」
『その前に彼女を電話に出せ。無事を確かめたい』
「後にしろ。声を聞きたかったら私の仲間を連れて来るんだ」
『駄目だ。彼女が生きていることを確かめるまではここから一歩も動くつもりはない』
「…………」
――クソッ!
ライザーは心中で舌打ちした。
恐れていたことが起こった。海斗がヒカリの安否を確認することは予想出来たが、対策する時間がなかった。
幸いなことにまだ海斗はヒカリが逃げ出したことを知らないようだ。だがそれも時間の問題だろう。
このままでは海斗は動きそうにない。
どうする?




