カツ丼でも食うか?
「一体何を考えているんですか支部長!」
狭い廊下に、怒りに満ちたマリーの怒鳴り声がこだまする。
彼女の怒りの矛先は、つい先ほど新しく就任してきた新米の支部長に向けられていた。
「彼はずっと私と一緒にいたんですよ、ハッキングなんて出来る訳がないじゃないですか」
「アナタの証言だけでは信用出来ないわね。彼を庇いたくて嘘を言っているかもしれないし」
「そんなっ……!」
マリーは一瞬声を詰まらせたが、すぐに反撃に出る。
「それを言うなら前支部長の娘さんの方が怪しいんじゃないですか? 見張りもつけずに好き勝手歩き回らせて」
「口を慎みなさい。どう言い訳したところであの少年が一番疑わしいことに変わりはないのよ。当然アナタも責任を問われるでしょうね。アイリの部下なだけあって規則を破るのがお上手だこと」
「…………」
マリーは何も言い返せなかった。
ローザの主張に正当性があったからではない。
だが確かに海斗がこんな目に遭っている原因は自分にもある。彼ともっと話がしたくて、出しゃばって事情聴取を受けてしまった。
マリーは強い自責の念に囚われた。
「オイどうした、何を揉めている?」
と、そこへ怪我から復帰したプリヤが間に割って入って来た。
「プリヤさん、それが実は……」
取調室に連行された海斗は、強面の男性から執拗な尋問を受けていた。
あまりに突然のことで、未だに状況が呑み込めていない。何故こんなことになったのか理解が追いつかなかった。
一瞬ルートキットを仕掛けたことがバレたのかと思ったが、セキュリティシステムがどうのと言っているので、どうもそうではないらしい。自分はそんなものはいじっていない。
「いい加減白状しろ! お前がやったんだろう!」
まるで刑事ドラマのワンシーンのように、机をバンと叩きながら怒鳴りつけてくる男性職員。
ドラマは好きだが、まさか自分が犯人側の立場になるとは思いも寄らなかった。
「だからさっきから何度も言っているでしょ、何のことかわからないって」
「とぼけるな、お前がやったことはわかっているんだ! 正直に言わないと後悔することになるぞ!」
――はあ……ホント最高。
まるで話が通じない。
もうかれこれ十分以上も同じやり取りを繰り返している。最初から自分を犯人だと決めつけて、他の可能性を排除しているようだ。
これは明らかに不当逮捕である。自分は逮捕されるようなことをした覚えは……いや、思い返してみると何度か法律を破った記憶はある。しかも一度だけだが、隊員を殴ったことさえある。
まあそれはともかく、この件に限って言えば絶対に無実だと断言出来る、多分。
今ごろメインサーバに仕込んだルートキットがライザーに関するデータを盗み出して、ヒカリに送信しているはず。トラフィックは偽装され、複数の踏み台PCやプロキシサーバを経由しているので、センチネルに気づかれる心配もない。
後はヒカリがデータの中から手掛かりになりそうな情報を見つけ出すのを待つだけだ。なので慌てて脱出する必要はないのだが、こうしている間にもライザーはターゲットに迫っているかもしれない。
出来るだけ早めに抜け出す方法を考えなければ。
強行突破という手段も考えたが、自分の正体がバレてしまう恐れがあるし、より状況が悪化する可能性もある。
そのような危険は冒せない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、取調室の扉が開いて誰かが入って来た。
「すまんが、ちょっと外してくれ」
海斗の担任教師のプリヤは男性職員に退出を促した。
「しかしまだ取り調べ中――」
「すぐ済むから」
半ば強引に男性職員を追い出した後、プリヤは海斗の向かい側の椅子に腰を下ろした。
「浅宮……」
プリヤは憐れむような眼差しでこちらを見つめる。
「お前どうしてこんなことを……先生はお前をそんな子に育てた覚えはないぞ!」
「そりゃ育てられた覚えもないですからね」
面倒なことになった。
いずれ彼女の耳にも入るとは思っていたが、出来れば知られたくなかった。
「俺はただ自宅が爆破された件で来ただけなんです。ハッキングとか何のことか本当にわかんないんですよ」
「本当にお前はやってないんだな? 私の目を見て無実だとハッキリ言えるか?」
「もちろん。俺は無実です」
プリヤは海斗の目を真っ直ぐ凝視した。しばらくそうやってお互いに見つめ合った後、ふいにプリヤが顔を上げて結論を出す。
「……うーん、やっぱただ見るだけじゃ何もわかんねえや」
「何じゃそりゃ……」
一気に力が抜けた。
だったら何でこんなことをしたんだと突っ込みたくなるが、踏み止まる。
「まあそんなことはどうでも良い。こんな小細工なんてしなくても私はお前の無実を信じているからな」
「なら最初からそう言えば良いじゃん……」
「何か言ったか?」
「いえ、っていうか何で無実だってわかるんですか?」
「勘だ」
「ああそう……頼もしいお言葉ですこと」
昔からそうだ。この教師は勘にばかり頼って論理的に考えるということを放棄している。
多くの生徒からは、その真っ直ぐな性格が人気を博しているようだが、海斗に言わせるとただの脳筋である。
「馬鹿にしてるようだが私は大真面目だぞ。いつ何時も生徒を庇うのが教師の務めだからな。安心しろ、お前が不当な扱いを受けないよう、私が全力で守ってやる」
「……どうも」
色々と不満はあるが、彼女は彼女なりに生徒達の助けになろうとしているのは確かだろう。と、海斗は思った。
やり方がズレている感は否めないが。
「ま、話はこれくらいにして少し休憩しよう。カツ丼でも食うか?」
「まだお腹空いてないんですよね」
マリーから着信が入ったのは、リビングでくつろぎながらスコーンでも食べようかと思っている時だった。
『アイリさん。早く何とかしてくださいよ!』
耳元でいきなり大声で怒鳴られたので、反射的にビクッとなった。
こんなに怒っているマリーの声は聞いたことがない。
「どうしたの?」
『新しい支部長がもう滅茶苦茶なんです! 気に入らない部下がいたらすぐクビにするし、前の支部長の娘さんがあちこちうろつき回っても何のお咎めなしだし、そのくせ私がちょっと知り合いの男の子を中に入れてあげたらいきなりスパイ容疑で逮捕するんですよ! あ、別に彼氏とかじゃないですよ? そりゃちょっと気にはなってますけど……』
「……あー話がとっちらかってて良くわかんないんだけど、要するにローザが無実の人間を拘束してるから何とかして欲しいってことでオーケー?」
『そ、そうですそうです!』
マリーは力強く肯定した。
「って言ってもねえ、知っての通り今の私には何の権限もないのよ」
『アイリさん……もしここで何もしてくれなかったら今後アイリさんからの頼みごとは一切断りますからそのつもりで』
「……わかったわかった、知り合いにサイバーマトリックスの偉い人がいるから、その人に電話して何とかして貰うよう頼んでみる、それで良い?」
「お願いします」
念を押すと一方的に通話を切った。
電話越しだったが凄まじい気迫を感じた。アイリ自身も職場では部下から鬼上司だ何だと恐れられているが、今のマリーの方がよっぽど恐ろしいではないか、と思わないでもなかった。
まあ仕方ない。本来なら彼女の力を借りたくはないのだが、事情が事情だ。
今すぐ上月に電話して――上月?
「……あ、そっか」
その時、アイリの頭の奥深くに隠れていた記憶の断片が蘇ってきた。
先ほど海斗と会った時に妙な既視感を覚えたが、その正体がようやくわかった。
どこかで見たことがあると思っていたが、あれは今からおよそ六、七年ほど前のこと。
アイリがまだ学生だった当時、担任教師だった上月がいつも肌身離さず持っていたものがある。
彼女はそれは息子の写真だと言っていた。
その写真には三、四歳くらいの子供が写っていたのだが、その子供と海斗の容姿が瓜二つなのだ。
『支部長、サイバーマトリックスの上月氏からお電話が入っています』
「後にして。今はそれどころじゃないの」
『いえ出られた方がよろしいかと、現在拘束している少年の件で至急お話があるとのことで……』
それを聞いてローザは虚を突かれた。何故そのことを部外者が知っているのだ。誰かが告げ口したに違いない。オブライエンだろうか。しかし彼女にそんなコネがあるとは計算外だった。
断る訳にもいかないのでローザは渋々通話に応じた。
「はい」
『アッシャー支部長、私は主任研究員の上月という者だが。今そこで浅宮海斗という少年を拘束しているのというのは本当か?』
「ええ、そうですが」
『では今すぐ拘束を解いて貰いたい。彼の身分は私が保証する』
「お知り合いなんですか?」
『そうだ』
「なるほど。ですがそれは出来ません。彼は我々が現在追っている容疑者の共犯者である疑いがあります」
『そこにいる少年は私の大切な友人なんだ。もし確かな証拠があって彼を拘束しているなら何も言わないが、そうではなくて、彼が無実だった場合はその性急な行動の責任を誰かに取って貰うが、それでも良いかな?』
「それは……」
出世欲が人一倍強いローザにとって、昇進の機会が失われるのは何としても避けたいことだった。
現状はあの少年が犯人である可能性がかなり高いと思っている。しかし証拠らしい証拠は今のところ何一つない。
ここは一旦開放して泳がせるという選択肢もある。性急に結論を下して失敗を犯すよりは、そちらの方が得策かもしれない。
マリーが取調室の前まで来ると、プリヤが出て来るところだった。
「あ、プリヤさん。どうでした彼の様子は?」
「安心しろ。何故かわからんが解放されることになった。きっと私の必死の説得が功を奏したんだろうな」
絶対違うと思う。恐らくアイリが手を回してくれたのだ。
いつもは無茶ばかりして周囲の仲間を困らせているが、いざという時には頼りになる人だと改めて思った。
「しっかしお前が浅宮と知り合いだったとは思わなかったな。どこで知り合ったんだ?」
「いや、たまたま良く行くお店で働いているのが彼だっただけです」
マリーも海斗がプリヤの教え子だとは思わなかった。何とも世間は狭い。
だがこれは海斗のことを知るチャンスでもある。
担任教師のプリヤなら、普段の海斗がどのような人物か知っているはず。
「ところでその……学校での彼はどんな感じですか? 恋人とかいたりするんですか?」
「何でそんなこと訊く?」
「い、いえ特に深い意味はないんですけど……」
さすがにいきなり詮索し過ぎたか。
「あ、そうだプリヤさん。実は気になることがあって――」
咄嗟に話を変えようと思い、マリーはサイバー攻撃の容疑者について、自分が怪しいと思っている人物の話をした。
一時間ほどかけてようやく爆弾を仕掛け終えた。
予定より早くハッキングに気づかれた時はどうなるかと思ったが、運良く別の人物が疑われたのでこうして作業を続行することが出来た。
しかもその人物を拘束するよう命じたのは、他ならぬローザだという。
何とも滑稽な話だ。
本人も気づかない内に、自分の組織の壊滅に加担しているのだから。
タイマーは十分後に起爆するようセットした。これで後は脱出するだけだ。
目立たないよう裏口から出ることにする。
全ての目的を達成し、何食わぬ顔で脱出しようとしたその時――
「どこに行くんだミシェル?」
ふいに背後から誰かに呼び止められた。
振り返ると険しい表情をしたプリヤが仁王立ちしていた。背後にはマリーもいる。
「ちょ、ちょっと外の空気を吸いに……」
「そっちは裏口だぞ、関係者以外は立ち入り禁止だ」
「支部長から許可は貰ってますよ。嘘だと思うなら訊いてみればどうですか」
「そうか。なあ、実はちょっと訊きたいことがあるんだが、さっきお前の実家に連絡したら“本物のミシェル”は友達の家に泊まってるって言ってたよ。どういうことか説明してくれるか?」
全てバレている。これはまずい。
「――なあオイ、お前は一体何者なんだ?」
じりっとプリヤがにじり寄る。
このまま大人しく捕まる訳にはいかない。偽ミシェルは全速力で駆け出した。
「あ、待ちやがれコラ!」
プリヤもすかさず追跡する。
まるで肉食動物から逃走する獲物のように死に物狂いで走った。だがサイボーグのプリヤから逃げ切れる確率はゼロに等しい。
何とか状況を打開する方法はないかと周囲を見回す。するとちょうど取調室の前を通りかかった時、ローザの命令で解放された海斗が出て来た。
これを利用しない手はない。ミシェルは海斗に掴み掛かると、隠し持っていた小型拳銃をこめかみに突きつけた。
「わわっ! 何ですか?」
困惑する海斗を無視して、追い縋って来たプリヤに向かってこう叫んだ。
「そこで止まりなさい! 一歩でも近づいたらこいつの命はないわよ!」
「……え?」
爆弾が爆発するまであと八分。




