悪いけど拘束させて貰うわよ
上月は悪い夢でも見ているような感覚に囚われた。
あれから法水の話が気になって、一昨日の立てこもり事件をもう一度調べてみた。最初は法水の妄想であることを証明する為だったのだが、調べれば調べるほど、話の信憑性が増す一方だった。
例の立てこもり事件はニュースでも大きく報じられ、世間の強い関心を集めた。
ところが驚いたことに、どのニュースでも釜谷に関する記述が不自然なほど少かった。
被害者の名前を伏せることは珍しくないが、事件直後は普通に実名で報道していたにも拘らず、ある時期を境にどの報道各社も一斉に名前を報じなくなったのは不可解だ。
それだけではない。
それまで釜谷は自分の巻き添えで殺されたのだと思っていた。
自分のせいで無関係な人間が犠牲になったことに罪の意識を覚えた上月は、釜谷の遺族に直接謝罪に行こうと思い、彼の家族関係を調べようと会社のデータベースにアクセスしてみた。すると信じられないことに、釜谷がサイバーマトリックス社に在籍していた形跡そのものが、影も形も見当たらなかった。
社員名簿、人事データ、さらには戸籍まで、ありとあらゆる場所から釜谷の情報が消えていた。
まるで最初から釜谷という人間など存在しなかったように。
何者かが意図的に情報を改竄したとしか考えられない。
そう考えると、ライザーは最初から自分だけではなく、釜谷も殺害対象に入れていた可能性がにわかに浮上して来た。
ライザーの計画を後押しする支援者がいる可能性は、以前からセンチネル内でもまことしやかに囁かれていた。
いくら彼でも都市のチンピラを雇う金や、連中の装備を用意するのは困難を極める。が、共犯者がいれば話は別だ。
ポスト・ヒューマン計画を公表されるのを恐れた誰かが、ライザーに釜谷の殺害を指示した。
そして上月と釜谷、二人の標的が一堂に会するタイミングを狙って事件を起こした。そう考えるのが妥当としか思えない。
戸籍まで消してしまえるということは、相当巨大な権力を持った存在に違いない。
そして上月はそういった存在について一つだけ心当たりがある。
法水が電話で言及していた謎の勢力。
Not Found。
サイバーマトリックス社を裏で牛耳る黒幕。
ここまで現実を突きつけられると、もはやただの陰謀論と切って捨てることは出来なくなった。
この話が真実かどうか確かめる手段は一つだけ。法水のオフィスを直接調べること。
法水は自分のオフィスの端末に全ての情報が入っていると言う。
ならば自分の足でその場に赴いて、この目で確かめるしかない。
「上月博士」
「――ッ!?」
突然、声をかけられ、飛び上がりそうになるほど驚いた。
咄嗟に振り返ると、全身を黒いスーツに身を包んだ大柄の男が佇んでいた。
雰囲気でわかる、この男はバイオロイドだ。
「誰だ?」
「上層部からアナタの護衛をするよう命令を受けて参りました」
そうだ、良く見るとこのバイオロイドは本社ビルの警備全般を担っているのと同型ではないか。
ただ少し違うのは、この男はVIPの護衛専用の強化版であることだが。
「変だな、確か護衛にはセンチネルが隊員を派遣して来ると聞いたが……」
「それはお断りさせて頂きました。自社の従業員は自社で護る、というのがサイバーマトリックスの方針ですので」
「……誰の命令でそんなことを?」
「それはお答え出来ません」
何とも白々しい話である。
要するにこれは護衛ではなく監視。
上月が不穏な行動を取らぬよう見張る為に、何者かが寄越したのだ。PH計画を調べられると困る何者かが。
このバイオロイドは戦闘においてもかなりの性能を発揮する。上月が余計なことをしたと判断すれば、実力行使に及ぶ可能性もあるということだ。
Not Foundというのが本当に実在するかは不明だが、上月は自分が相手にしている存在が予想以上に巨大であることを思い知り、思わず身震いした。
「支部長、ちょっとよろしいでしょうか」
ローザの執務室の扉を開けると、マリーは開口一番にそう切り出した。
「何かしら。諸星隊員の件ならこれ以上議論しても時間の無駄よ」
あれからアイリの処分について直談判したが、何を言っても聞く耳持たずといった調子で、全く話が通じなかった。
ローザの中ではアイリを解雇することは最初から既定路線で、もはや説得は不可能だと諦めていた。
今回やって来たのは、それとはまた別件だった。
「いえ、そのことじゃなくて、ライザーから送られてきた暗号の解読を亜夢に任せたって聞いたんですけど本当ですか?」
「ええ、それがどうかした?」
「彼女は暗号分野に関してはあまり詳しくないんです。もっと他の誰かに任せた方が良いと思うんですけど」
「そんなことを言うためにわざわざここへ来たの? 誰に仕事を任せるかを決めるのはこの私よ。あなたにとやかく言われる筋合いはない」
「でも他に適任者がいるのに変じゃないですか? 正直、私には亜夢がアイリさんのことを密告したからその見返りに重要な仕事を与えたようにしか見えないんですけど」
マリーはやんわりと進言したつもりだったが、ローザは語気を強くしてこう反論した。
「……いい加減その口を閉じなさいオブライエン。はっきりさせておくわ。アナタをここからつまみ出さないのは容疑者に命を狙われているからに過ぎないのよ。そうでなきゃとっくの昔にクビにしている」
「私はただあんまりモタモタしてたらまた次の犠牲者が出てしまう、ってことを言いたかっただけで……」
「彼女が適任だと判断しただけよ。それ以上でもそれ以下でもない。わかったら大人しく自分の持ち場に戻りなさい。ついでに今からでも転職サイトを見ておくことね」
「…………」
マリーは口を噤んだ。これ以上機嫌を損ねると本当に追い出されそうな勢いだ。
このまま粘っても考えを改めさせることは難しそうなので、マリーは一旦戦略を練り直すべく退出しようとした。
その時、扉をノックする音がして一人の女性職員が入って来た。
「失礼します。支部長、お取込み中でしたか?」
「いいえ、構わないわ。ちょうど今帰ってもらうところだから。それで要件は?」
「ライザーの標的になりそうな人物のリストをお持ちしました」
「遅過ぎるわね。何をしていたの?」
「支部長に頼まれていた資料の整理をしていました」
「私は三十分以内にリストを作れと言ったのにもう五十分も経っているじゃない」
「でも支部長が先にそっちを片付けろって――」
「言い訳は聞きたくない。アナタはもうクビよ」
「そ、そんな……待ってください。いくら何でもそれは横暴過ぎます!」
女性職員はすぐさま異議を唱えるが、ローザは冷然とした態度で一蹴する。
「二度は言わないわ。今すぐここを出ていきなさい。さもないと人を呼ぶわよ」
言われた女性は呆気にとられた様子で逃げ出すように部屋を出て行った。
マリーはただ黙ってそれを見つめていた。
「……何? 言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「……いえ」
ローザの理不尽なやり方についていけず、職員の中には仕事に支障をきたす者まで現れ始めた。
彼女はアイリのような不穏分子をなくす為に組織改革をすると言っているが、却って機能不全に陥っているだけである。
これを放置すればライザーの捜査にまで影響が出てしまう。いや既に出ているか。
何とかして早急に手を打たなければ。
そう決心して部屋を出ようとドアノブに手をかけた時、先ほどまでここにいたミシェルの姿がないことに気づいた。
「……そういえば前支部長の娘さんはどこに?」
「父が働いていた職場を見たいと言っていたから建物を見学させているわ」
「え、部外者にそんなことして良いんですか?」
規則では機密保持の為に、部外者を屋内に入れる時は最低でも一人は職員が付き添うのが決まりとなっている。
学校の職場見学じゃあるまいし、今回のローザの決定は規則違反に該当する可能性がある。
「アナタは父親を亡くしたばかりの娘にそんな冷たいことを言うの? まったく血も涙もないのね」
アンタに言われたくない。マリーは喉元まで出かかった言葉を必死に押し止めた。
「別にただ規則ではそうなってるってだけです」
「あっそう、もう用がないならさっさと出て行きなさい」
腹の虫が収まらないまま入口を横切ると、セキュリティゲートで何やら口論している声が聞こえてきた。
「ですから一般人の立ち入りは禁止されているんですよ」
「でも本当に緊急事態なんです。少しだけで良いですから話を聞いてくれませんか」
「そうは言ってもねえ。規則は規則ですから」
などと渋っている警備員と口論している声は、どこかで聞いたことのある声だった。
「あ」
気になってそちらに視線を移してみると、そこにはいつもマリーが通っているホームセンターのアルバイトの姿があった。
「アナタは……!?」
ライザーから指示されたことは二つ。
まずは本部の複数の場所に爆弾を仕掛けること。建物が確実に崩壊するように、あらかじめどの位置に仕掛けるかは指定されていた。
身体検査は必要最低限しか行われなかった為、爆弾を持ち込むのは容易だった。爆弾はプラスチック爆弾を使用する。仕掛ける際は不審に思われないよう、チューインガムの包装紙に偽装してゴミ箱やトイレなどに捨てる。
次にメインサーバにマルウェアを仕込んでセキュリティシステムをダウンさせる。そうすることによって不審な動きを検知されずに堂々とことを進められるというわけだ。
ハイタワーの娘に扮装したのは正解だったようだ。おかげで見張りなしで自由に動き回れる。
どうやら新しい支部長はハイタワーとはかなり親密な関係だったらしい。父親を亡くした娘に対し、かなり特別待遇を用意してくれている。
馬鹿な奴だ。自分の個人的な感情が原因で大勢の同僚を死なせてしまうとも知らずに。まあ本人はそれを自覚することなく命を落とすことになるだろうが。
「びっくりしたぁ。まさかアナタがこんなところに来るなんて」
「いやー、世間は狭いというか何と言うか……」
あの場所で立ち話する訳にもいかなかったので、マリーは馴染みのホームセンターの顔見知りをロビーの待合室に連れて行って、話を聞いた。
「でもどうしてここに?」
「実はこの前、爆弾事件の被害に遭って、その件で話しておきたいことがあるんです」
「ああ、そういえば一人暮らしの学生の家で爆発物が爆発するって事件があったけど……あれ、アナタだったの?」
「え、ええまあ」
マリーも直接事件を聞いたわけではないが、まさかその学生が彼だったとは。何とも不思議な巡り合わせである。
「そ、そうなんだ……でもこの通り、本部はここ最近、事件続きでバタバタしててね、それどころじゃないの」
「え、じゃあ中には入れて貰えないってことですか?」
「……うーん」
マリーが悩んでいる間、海斗は思わぬ人物との遭遇に内心動揺していた。
彼女がセンチネルの人間であることは知っていたが、まさかこんなところで出くわすとは。
しかし逆にこれはチャンスでもある。彼女を説得して中に入れて貰えるかもしれない。
「まいったな。何とか中に入れませんか。どうしても聞いて欲しい話があるんですけど」
海斗は申し訳なさそうに言った。その困り顔を見たマリーは、妙に母性本能を擽られた。そして何とか彼の力になりたいという思いに駆られた。
ここで彼の助けになれば好感度も上がるはずだし、大きな貸しを作ることにもなる。何故そんな考えに至ったかは自分でも謎だが。
そこでマリーはあることを閃いた。
「それなら私が話を聞きましょうか?」
「え、良いんですか?」
「ええ、事情聴取は専門外だけど、一応私もセンチネルだし」
マリーがそう言うと、海斗はパッと表情を明るくした。この笑顔にはいつも癒される。
「ありがとうございます。でもどうしてそこまでしてくれるんですか?」
「え、えっと……顔見知りのよしみってヤツ? まあ別に深く考えなくて良いと思うよ」
こうして海斗はセンチネル本部への潜入に成功した。
とはいえ見張られている間は何も出来ないので、どうにかして一人になれる状況を作り出さなければならない。
怪しまれずに一人になれる場所と言えばあそこしかない。
マリーに案内されて応接室でしばらく他愛のない話をした後、ごく自然な口調を装ってこう言った。
「すいません。ちょっとトイレに行っても良いですか?」
「良いけど、出来るだけ早く戻ってきてね」
マリーは快く承諾してくれ、トイレまで案内してくれた。
トイレに入ると早速、昆虫型ドローンを起動して通期ダクトに放り込み、そのままサーバールームへと急行した。
よし、後は会話をしながらでもドローンは操作出来る。海斗は何事もなかったかのように手を洗い、トイレから出ようとした。
海斗を待つ間、マリーは化粧直しをしようと女性用トイレの方に入った。普段は身だしなみに気を遣うことはそれほどないのだが、海斗の前では何故か気になった。
トイレに入るとそこには先客がいた。
「……何をしているの?」
目に入ったのは洗面台の下で前屈みになって何かゴソゴソしているミシェルだった。
「い、いえ……ちょっとコンタクトを落としちゃって……」
「…………」
ミシェルは慌てて立ち上がる。
マリーは特に気にせずに、手早く化粧直しを済ませてトイレを後にする。ミシェルはまだ洗面台で何かをしていた。
どうもこの娘は先ほどからどことなく挙動がおかしい気がした。
具体的にどこがとは言えないが、父親を亡くしたばかりの娘とは思えないような言動が目につく。
自分の考え過ぎだろうか。
「ずいぶんと楽しそうね、オブライエン」
と、トイレから出たところで、そんな棘のある言葉を投げつけられた。
気がつくとそこにはローザが立っていた。
「私に規則を守れと説教たれた割には自分は年下の男の子とデート? 自分に甘いのね」
「私は規則を破っていません。このエリアは一般人の立ち入りも認められているってこと、知らないんですか?」
「そう、なら今度からそれも禁止にしないとね」
「私に文句を言う前にまずご自分がルールを守った方が良いんじゃないですか」
「フンッ」
ローザは鼻を鳴らした。
と、そこへ神妙な面持ちをした亜夢が速足でこちらに駆けて来た。その表情から、ただごとではないことが起きたと推察される。
「支部長、実はついさっきセキュリティシステムをチェックしていると不審な点を見つけまして……」
「不審な点?」
「巧妙に偽装されていたんで一瞬気づかなかったんスが、どうも何者かが侵入した形跡があるんです」
「何ですって?」
にわかに緊迫した空気が立ち込める。
「システム権限を何者かに乗っ取られているんです。特に防犯カメラや生体認証装置が正常に動作していません」
「侵入経路は特定出来たの?」
「それが、トラフィックを解析して発信元を調べたところ、どうやらこの建物の端末から侵入したようです。しかもほんの二十分前に」
「つまり犯人は今もここにいるということ?」
「その可能性が高いっスね」
これは非常に由々しき事態だ。
侵入者が何の為にセキュリティシステムを乗っ取ったのかは不明だが、良からぬことを企んでいるのは間違いない。
それだけでなく、もし職員が関与していたとしたら問題はさらに深刻化する。
ただでさえ市民のセンチネルに対する信用は地に落ちているのに、これ以上不祥事が続けば取り返しのつかないことになる。
いや職員を疑う必要はないかもしれない。それよりも今この場には他に怪しい人物がいるではないか。
このタイミングで不自然にも突然現れた部外者。
しかもその人物は現在、ローザの独断によって自由に動き回れるようになっている。
ミシェル・ハイタワー。
ここの職員が犯人なら、わざわざ生体認証装置も乗っ取らなくても自由に出入り出来るのだ。
海斗が来たのはほんの数分前だし、ずっと自分が一緒にいたので不可能だ。すると残るは消去法でミシェルしかいない。
「わかったわ、すぐに対処しましょう。犯人については心当たりがあるから」
ローザが決然とした様子で言った。
彼女も同じ結論に至ったのだろうか。それから数人の警備員を集めてこう言った。
「良く聞いて。詳しい説明は後でするから、今から私が言う人物を直ちに拘束して」
そう言うと警備員を引き連れて女性用トイレに歩き出した。
そのまま中に突入してミシェルを拘束するのかと思われたその直後、どういう訳か入口を素通りして隣の男性用トイレに近づいた。
そして男性用トイレからある人物が出て来るのを見てこう言い放った
「あの男よ」
「なっ!?」
ローザが指差すと、警備員が二人がかりで海斗の両腕をがっちりと掴む。
「え、ちょ……何するんですか?」
あまりに突然のことに、海斗は抵抗する暇もなかった。
「悪いけど拘束させて貰うわよ」
「はい?」




