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グリッドランナー  作者: 末比呂津
ローブリッター編
43/63

子供の頃に会ったような気が……

 アイリの声を聞いたヒカリは、慌てて現在の作業を中断してリビングに向かった。

 リビングではアイリがマグカップに入れたオレンジジュースを飲んでいた。


「お、お姉ちゃん!? 今日はずいぶんと早いんだね?」

「……まあ色々あってねえ」


 そう答えるアイリの顔には明らかに疲労の色が滲んでいた。


「仕事でちょっとドジっちゃってさ、処分が決まるまで自宅待機だって」

「ひょっとしてニュースでやってた事件と何か関係があるの?」

「そ、護るべき対象を目の前で死なせちゃったんだもの、責任を問われるのは当然のことよ」


 アイリはやや自嘲気味に言いながら、マグカップ縁に口をつけた。


「でもお姉ちゃんは精一杯やったんでしょう?」

「他の人はそう思ってくれないみたいだけどね。実際ネットではマンスローター以来の大失態って叩かれてるし、私のせいでセンチネルの評判が傷ついたのは否定出来ないわね。ひょっとすると仕事クビになるかも……」

「え、嘘……お姉ちゃんどうなっちゃうの?」


 唐突に不穏な言葉が飛び出してきて、ヒカリは何とも言えない不安に駆られた。


「まあ詳しいことは後で説明するわ。とりあえず今はシャワーでも浴びたい気分だから」

「そう……え」


 バスルームに向おうとするアイリを見て、ヒカリはあることを思い出した。

 確かバスルームの扉とトイレの扉は隣接していたはず。このままでは海斗と鉢合わせすることに……。


「あ、あのお姉ちゃん」

「ん?」


 これは非常にまずい気がする。

 数ヶ月前にヒカリが誘拐事件に巻き込まれて以降、アイリは妹に対して異様に過保護になっている。

 自宅に男子を招き入れたと知ったら、どんな反応をするかわかったものではない。

 何とかアイリを引き留めようと呼び止めたは良いものの、咄嗟のことで次の言葉が出て来ない。


「あのね……えっと……」

「後にしましょう。私、一昨日から一度もお風呂に入ってなくて疲れてるのよ」


 そう言うとアイリはバスルームの方へ向かおうとした。

 厄介なことになった。どうしようどうしよう、と慌てふためいていると、ふいにアイリが立ち止まって振り向きざまにこんな言葉を残していった。


「ねえヒカリ。もし私がいなくなっても、ちゃんと一人でやっていけるわよね?」

「え、それってどういう……」


 しかしアイリはその問いには答えずに廊下の奥へと消えていった。

 海斗がいるバスルームの方向に。




 トイレで用を足した後、バスルームの洗面所で手を洗っていると、誰かがこちらに近づいてくる足音を聞き取った。

 ヒカリにしては歩幅が広い。

 一瞬、何者かが侵入したのかと思い警戒したが、足音が近づくに連れて鼻聴がこえて来た。

 海斗の記憶が正しければ、それはヒカリの姉のアイリの声だった。

 何故かはわからないが、アイリが帰って来たようだ。そして真っ直ぐこちらに向かって来ている。


 ――ヤバッ……。


 海斗はどこか身を隠せる場所はないか探した。しかしこの狭い空間にそんな都合の良いスペースがあるはずもなく、文字通り袋のネズミ状態だ。

 これまでかと諦めかけた時、咄嗟に天井に活路を見出した。海斗の掌と足裏は、蜘蛛やヤモリと同じ構造になっていて、壁や天井に張り付くことが出来る。

 アイリが今にも扉を開けて中に入ってくるというタイミングで、海斗は意を決して頭上に飛び上がった。何とか間一髪のところで間に合ったようだ。

 念の為に光学迷彩を起動して姿を見えなくし、息を殺してやり過ごそうとする。

 光学迷彩は至近距離からじっくり観察すれば、うっすらと輪郭が見えてしまうので、アイリが天井を見上げないよう祈るしかない。

 そんなことを考えていると、アイリがいきなり服を脱ぎ始めた。


 ――げっ!?


 バスルームに来た時点で予想はしていたが、やはりこういう展開になった。

 海斗は目の前の光景を見ないよう、瞼を強く閉じて必死に終わるのを待った。何だか妙に背徳的な気分になる。

 傍から見れば覗き魔にしか見えない。

 だがこうでもしないと見つかってしまうので仕方がない。

 今更だが、隠れる必要はあったのだろうか。事情を説明すればちゃんと理解してくれるのではないか。

 いや下手にセンチネルの関係者と接点を持つと、正体がバレるリスクが高くなる。不要なリスクは冒さないに越したことはない。

 やがてバスルームからシャワーの音が聞こえ始めたので、海斗は両目を開けた。そこにアイリの姿はなかった。

 チャンスは今しかない。

 海斗は音を立てないようゆっくり床に着地すると、光学迷彩を解除して洗面所から脱出しようとした。

 一時はどうなることかと思ったが、何とやり過ごせたようだ。

  と、安心しかけた次の瞬間――


「あ、いっけない。ボディソープ取り換えるの忘れて……た……」


 背後からガラッとバスルームの扉が開く音がした。

 恐る恐る振り返ると、バスタオルで前を隠したアイリがこちらを凝視していた。


「……ひっ……ひっ」


 アイリの顔が見る見る険しくなる。


 ――あ、終わった。


 海斗は悟りを開いたような心境になった。


「ひゃああああああああ! 誰よアナタ!? ヒカリー通報よ! 通報してえ!」




「いやーまさかヒカリのお友達だとは思わなかったわ」


 テーブルを挟んで向かい側のソファに座るアイリは「アハハ」と取り繕うように笑い声をあげた。

 アイリに散々引っ叩かれた後、ヒカリの仲裁でようやく事態は沈静化した。 

 海斗のことは数ヶ月前に知り合った男友達という設定で紹介した。部分的には多少事実と異なるが、間違ってはいない。

 話を聞いたアイリはすぐさま海斗に謝罪した。


「もーお姉ちゃんてば、せっかち過ぎなんだよ」

「まあ、ちゃんと挨拶しなかった自分にも非はあるので……」


 隣で膨れ面を作るヒカリに対し、海斗がフォローを入れる。


「さっきは叩いてごめんなさいね。怪我はなかった?」

「はい、おかげさまでこの通り」


 そう言って海斗は抑えていた手をどけて傷一つない額を見せる。


「そう良かった」


 ――変ね、割と強めに叩いたはずなのに……?


 本気ではなかったとは言え、全身サイボーグのアイリに叩かれて無傷というのは少々気になった。

 しかしその時のアイリはあまり深くは考えなかった。


「あら? そういえばアナタ、昨日サイバーマトリックス社で会わなかった?」

「ええ、その節はどうも」


 ほんの一瞬すれ違っただけだが、確かに覚えている。この赤いパーカー姿の少年を。

 ヒカリの紹介ではただの学生らしいが、そんな彼が世界的大企業の本社ビルで一体何をしていたのか気になる。

 しかしそれ以上に気になるのは彼と妹との関係である。アイリはじっくりと品定めするような視線を海斗に送る。

 見たところ、これと言って特徴らしい特徴のない、至って普通の学生だ。何か突出した魅力があるようには見えない。ヒカリは彼のどこが気に入ったのだろう。


「えーと、それで……浅宮君だっけ? アナタはヒカリとどういう関係なの?」

「え」

「だからさっきも言ったでしょう、ただの友達だって。私の言うことが信用出来ないの?」


 少々不機嫌そうな口調で、ヒカリが訊ねる。


「いや、ヒカリに友達がいるのは何となく気づいてたけど、まさか家に招くほどの仲だとは思わなかったから」

「いやそれは……海斗君がどうしてもトイレに行きたいって言うから貸してあげただけで、別に深い意味はないから……ね、海斗君?」

「え……あ、うん」


 海人は適当に相槌を打つ。どうせならもう少しマシな言い訳を考えて欲しかった。


「でも下の名前で呼んでるのね」

「と、友達なんだから別におかしくはないでしょ!」

「まあそれはそうなんだけど……」


 アイリは少し思案する素振りを見せた後、考え過ぎかと思い直して首を降った。


「そうね、ごめんなさい。妹と二人暮らしだからちょっと心配になっちゃって」

「気持ちはわかりますよ」

「まあ、ゆっくりしていってね。コーヒーか紅茶でもいかが?」

「あ、じゃあコーヒー頂きます」


 アイリがいなくなったのを見計らって、ヒカリは安堵の溜息を吐いて胸を撫で下ろした。


「ふう……何とか誤魔化せた……」

「にしても良いお姉さんだね」


 海斗は小声で耳打ちした。


「本気? 散々殴られたのに?」

「……いやまあ」


 それどころかマンスローターの事件の時には殺されかけたのだが、ヒカリには話さないことにした。


「実は俺の父親もセンチネルの隊員だったんだ。任務中の事故で死んじゃったけどね」

「そうなんだ。どんな人だったの?」


 海斗はかつての記憶を遡りながら、養父の顔を思い浮かべた。


「名前は浅宮武蔵(むさし)って言って、とにかく正義感の塊みたいな人だった。当時孤児だった俺を引き取ってくれたのも、困っている人を見過ごせないからだって言ってた。俺が捨てられた子犬みたいな顔してたんだって」

「プッ……ちょっと想像出来るかも」

「…………」

「あ、ゴメン」


 海斗が仏頂面で見つめてきたので、ヒカリは慌てて訂正する。


「父さんはいつも俺に『正しい側の味方であれ』って口を酸っぱくして言ってた。きっと古き良き正義の味方に憧れていたんだろうね。正直、俺は鬱陶しい人だなーって思ってたんだけど、それでも尊敬はしてた」


 残念ながら今の海斗は、お世辞にも品行方正とは言い難い人間に育ってしまったが、それでも養父の言葉は彼の中に生きている。


「危険な任務も進んで引き受ける性格でね。でもそのせいであんのことに……」

「……海斗君」


 俯く海斗の手に、ヒカリはそっと手を伸ばして握ろうとした。そこで――


「お待たせー。二人で何の話してるの?」

「「い、いや別にっ!」」


 二人は弾かれたように距離を取った。

 海斗はコーヒーを一気に飲み干すと、ガバッと立ち上がっていとまを告げた。


「すいません。用事を思い出したんでこれで失礼します」

「あらそう。ずいぶん急ね」


 アイリには一度命を狙われたことがあるので、何となく苦手意識を持っていた。

 逃げるようにそそくさと退散する海斗を見送ると、アイリは何やら考え込む素振りを見せた。


「うーん……」

「お姉ちゃんどうしたの?」

「あの子、なーんか前にどこかで会った気がするのよねえ……」

「だから昨日会ったんでしょ?」

「いや、そうじゃなくて……」


 アイリは少し言い淀んだ後、やや自信がなさそうな口調でこう言った。


「もっと昔、子供の頃に会ったような気が……」




 海斗がヒカリの自宅を後にする様子を、通りの向かい側から密かに眺める者がいた。

 その者は路端の一角に停車しているワゴン車に乗っていた。ウィンドウ越しに息を潜め、海斗がいなくなるのをじっくりと待っている。


「……ボス、男が家を出ました」

「よし、予定通りだな。良いか、ヒカリは生け捕りにしろ。アイリの方は殺して構わない。下手に捕まえようとすれば返り討ちに遭うかもしれないからな」


 手下にそう指示を出したライザーは、荷室に積んである強化外骨格を起動した。

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