楽勝ですよ
「一体どうなっているの!?」
その朝のアイリは非常に荒れていた。
昨日の報道で、マスコミに情報が漏れたことがわかった。
誰かがリークしたとしか考えられない。それが出来るのは、あの日に作戦会議に出席していた人間だけ。他の者には情報漏洩を恐れて、作戦を伝えなかったからだ。
アイリが会議に出席していた人物を集め、激しい剣幕で犯人捜しのようなことが行われていた。
当然ながら疑われる身としては不本意極まりない話である。
しかし情報が漏れたのは当人としても由々しき事態な為、そのままにしておくことも出来ない。
「おい落ち着けよアイリ」
「これが落ち着いていられる? 奴を捕まえるチャンスを見す見すふいにしたのよ。こうしている間にも次の犠牲者が出るかもしれないっていうのに!」
「気持ちはわかるけど、ここで怒鳴り散らしてもしょうがねえだろ」
プリヤは激昂するアイリを宥めようと
「誰がマスコミにリークしたの?」
「私よ」
そんな言葉と共に、何者かが入り口から姿を現した。
アイリは不穏な表情で振り返った。立っていたのは、ダークグレーのスーツをきっちりと着こなした黒髪のヨーロッパ系女性。
「……ローザ」
ローザ・アッシャー。
彼女こそがハイタワーに代わって新しくメガトーキョー支部長に就任する予定の人物だった。
「久し振りねアイリ。ロンドンでの任務以来かしら?」
ローザは非友好的な態度を隠そうともせずに、つかつかとアイリの真正面に歩み寄る。
「どうしてここに? 到着は夕方のはず……」
「訳あって予定を早めたのよ。誰かさんが暴走してとんでもない作戦をやらかそうとしている、って報告を受けてね」
「そんな報告誰から?」
「アナタに教える必要はないでしょう」
突き放すように言い捨てる。
彼女が自力で作戦のことを知り得たはずがない。誰かが告げ口したのだ。
一体誰が……そう思ってその場にいた全員を見回すと、一人だけ目を逸らした人物がいた。
「亜夢……アナタ……」
「すんませんアイリさん。でもウチはマリーと違ってアイリさんの片棒は担ぎたくないんですよね」
亜夢は申し訳なさそうに片手を顔の前に持っていって、頭を下げた。
そういえば彼女は元々そういう性格だった。長い物には巻かれるのがモットーで、決して上司には逆らわない。
そして誰かが問題行動を起こした場合には、すぐに告げ口をする。
マリーが職務遂行が不能な状態なので、仕方なく彼女を選んだが、失敗だったようだ。
「ローザ、良く聞いて――」
「アッシャー支部長でしょう? 私はアナタの上司なのよ」
ローザは高圧的な口調で自分がボスであることを誇示した。
アイリはしかし負けじと話を続ける。
「良いから聞きなさい、これは犯人を捕まえる絶好のチャンスだったのよ。なのにアナタが台無しにした。そのことを理解しているの?」
「そもそもこの作戦を実行に移したのが間違いだったのよ。死者に対する敬意というものがないの? 遺族にちゃんと許可は取った?」
「いえ……確かに倫理的に問題があったのは否定しないけど、次の殺人を防ぐにはこれが最善の策だった」
「それは本心で言っているのかしら? 生前のリーランドとアナタはずいぶんと仲が悪かったそうね。本当は彼を晒し者にしたくてこんな作戦を考えたんじゃないの?」
「それ本気? 私が個人的な恨みでこんなことしたとでも言いたいの?」
「アナタ達の間に確執があったことは大勢の職員が証言している。彼が死んだのを良いことに復讐心が芽生えてもおかしくないでしょう」
「ハイタワーを殺した犯人を捕まえる為よ。それ以外の理由なんてない」
「詭弁ね」
ローザはバッサリ切り捨てた。
「それを言うならアナタはどうなのよ? 私の記憶ではヨーロッパにいた頃はハイタワーとかなり親密だったと思うけど。昔の愛人が死んだ腹いせに責任を誰かに押しつけたいだけじゃないの?」
「黙りなさい!」
ハイタワーとの過去を持ち出した途端、冷静だったローザが急に激昂してデスクを拳で叩いた。
「もう良いわ。アナタには今回の責任をとって捜査から外れて貰うから」
「……本気で言っているの?」
「前任者はアナタに対してずいぶん寛容だったみたいだけど、私が来たからにはそうはいかない。これまでアナタがやってきた命令違反や違法行為の数々は全て追求させて貰う。まあ恐らくクビどころじゃ済まないでしょうね。下手すると刑務所行きかも。今の内に身辺整理でもした方が良いんじゃないかしら?」
ローザが嘲笑うかのように言った。
アイリは何も言い返さず、憮然とした表情でローザを睨みつけて部屋を後にした。
プリヤ達は二人が口論している間、ただ呆然と見守ることしか出来なかった。
アイリが時には命令や法律に背くことも厭わなかったのは事実だ。
それは確かに擁護出来ないことだが、本人が必要と判断したからであって、実際に事件解決に繋がったことも否定出来ない。
それにライザーが次の犯行を企てている状況で、アイリを外すのは賢明ではない。
アイリが去ってから十秒ほど経った頃、出し抜けに華怜が一歩前に進み出て抗議の意思を示した。
「アッシャー支部長。アイリが問題のある行動をとってきたのは事実ですが、今この場で彼女を外せばライザーに対抗する重要な戦力を失うことになります」
「貴重なご意見どうも風吹隊員。アナタが諸星隊員と一緒にクビになりたいのなら喜んでお望み通りにしてあげる。もしそうでないならさっさと持ち場に戻って自分の仕事に集中しなさい」
だがローザは有無を言わさぬ口調で全く取り合おうとしない。
それどころかまるで専制君主にでもなったかのように、高らかにこう宣言した。
「他の人達も良く聞いて。今後、私に対して敬意を払わない者がいれば容赦なく辞めて貰うからそのつもりで」
これまで散々反目し合っていたハイタワーですら、アイリの実力を認めてある程度は見逃してきたが、ローザはどんな些細なことでも許すつもりはないようだ。
かつての愛人が精鋭部隊の護衛つきでありながら殺害されてしまったのだ。その責任者であるアイリを何が何でも断罪しないと気が済まないらしい。
今回ばかりはアイリも万事休すかもしれない。
その時、会議室の扉をノックする音がして一人の女性職員が入ってきた。
「失礼します支部長。ハイタワー氏の娘さんが到着しました」
「わかった。私が対応するわ」
「あれ、アイリさんどこに行くんですか?」
数人の護衛を引き連れ、マリーが廊下を移動していると、反対方向から来るアイリと遭遇した。
「帰るのよ。新しい支部長様に自宅謹慎を言い渡されてね」
アイリは肩をすくめながら呟く。
「え、どうしてですか?」
「ハイタワーを死なせた責任を取らせたいんでしょう」
「そんな……あれはアイリさんにもどうしようもなかったじゃないですか」
「ローザはそう思ってないんでしょ。いや、あるいは思いたくないだけかも……」
「噓でしょ……アイリさんがいなくなったら私はどうなるんですか? こんな時にもし敵に襲われたら……」
「アナタにはちゃんと護衛がついているでしょう」
「こんな人達、頼りになる訳ないじゃないですか。確かに見た目は強そうですけど、はっきり言ってアイリさんに比べたら幼稚園児以下ですよ……」
本人《護衛》がいる前で、マリーは堂々と思ったことを口にする。
言われた護衛――屈強な男達――は気まずい様子で佇んでいる。
「大丈夫よ、私がいなくても優秀な隊員が揃ってるから。きっとアナタを護ってくれるわ」
「本気でそう思ってます?」
「……いえ、ごめんなさい。気休めにもならないわね」
ただでさえフォックストロットは手負いなのだ。リーダーであるアイリがいなくなれば大幅な戦力低下は避けられない。
「アイリさん、私はアイリさんの無茶な要求にも何度も応えてきましたよね。一度くらい私のお願いを聞いてくれても良いんじゃないですか?」
「そう言われると辛いけんだど、アナタと会うのさえこれで最後になるかもしれないの。まあ出来るだけ抵抗はしてみるけど、望みは薄いかも……」
アイリと別れたマリーは、足早にローザの執務室に向かった。
アイリに対する不当な仕打ちに一言物申す為だ。
この状況で彼女を外すことがいかに非合理的であるか、理解するまで直談判する。当然、聞く耳持たないだろうが、向こうが音を上げるまで粘り続ける。
執務室の前まで来たが、すでに先客がいるのか中から話し声が聞こえてきた。
「ミシェル。こんなことになって本当に残念だわ……」
扉越しにローザの声が聞こえる。会話の相手はハイタワーの娘のミシェルのようだ。
現在は母親と一緒に本国で暮らしていて、大学に通っているという。
ハイタワーの訃報を聞いて、遺品を引き取りに来たのだ。
「ごめんなさい、まだ父が死んだなんて信じられなくて……一体どうしてこんなことになったの……?」
耳に入ってくるミシェルの声は、悲しいというよりも突然の訃報にまだ実感が湧かず、戸惑っているようだった。
「約束するわ、必ず犯人を捕まえてみせるから、私を信用してちょうだい」
ローザは優しく慰めの言葉を贈る。
「職場での父はどんな人だったの?」
「アナタのお父さんはとても誠実な人だった。部下思いで責任感が強く、不正を絶対に許さなかった。謂れのない罪で逮捕されたこともあったけど、結局、無実が証明されたわ」
思わず「ハア?」と口にしたくなるような台詞。
良くここまで完璧な噓が吐けるものだ。逆に感心する。
会話を聞くと、ローザとミシェルは以前からの知り合いらしい。不倫相手と娘が顔見知りというのも奇妙な話ではあるが。
話を聞いて、ミシェルは感極まったのか、次第に嗚咽の声を漏らし始めた。
職場では毀誉褒貶の激しい人物であったが、実の娘には慕われていたようだ。
「ごめんなさい……少しだけ一人にしてくれるかしら?」
「わかった。隣の部屋にいるから、何かあったらいつでも呼んでちょうだい」
そう言うと、ローザが席を立ってこちらに近づいてくる音が聞こえた。
盗み聞きしているのが見つかると面倒なので、マリーは一旦近くの部屋に身を隠すことにした。
そしてローザが出てきたところを、あたかも偶然通りがかったように見せかけて声をかけた。
「アッシャー支部長!」
ローザとマリーが口論を繰り広げている最中、執務室に一人残されたミシェルはおもむろに顔を上げて誰かに連絡をとり始めた。
その顔には先ほどまでの涙は影も形も見られなかった。
「……はい、潜入に成功しました。これから予定通り本部に爆弾を仕掛けます。数時間後にはこの建物は跡形もなく消し飛んでいるでしょう。ええ、問題はありません。連中は私のことを本物のハイタワーの娘だと信じて疑っていません。楽勝ですよ。それではまた後ほど、Mr.ライザー……」




