おおきくなったらけっこんするんだもんっ!
「なあアイリ、それは本気で言ってるのか?」
あまりにも突拍子のないアイリの提案に、プリヤだけでなくその場にいた全員が耳を疑った。
昨夜の戦闘で手痛い敗北を喫してしまってから翌朝、センチネル本部ではライザーにどう対処するかの作戦会議が開かれていた。
「ええ、本気よ。マスコミには『ハイタワーは生きている』と公表する」
「そんなことして何になるってんだ。隠蔽でもしようってのか?」
今回の一件は、センチネルにとってマンスローターのテロ以来の失態であることは間違いない。
護衛対象を目の前で死なせてしまったのだ。フォックストロットの威信に大きな傷がついてしまった。
しかしそれを覆い隠すのはとても得策とは思えない。
実際のハイタワーは現在、死体安置所に横たわっている。それを生きていることにするなど、一体何を考えているのか。
皆が一様に首を傾げていると、アイリは――
「ハイタワーを仕留め損ねたと知ればライザーは必ずまた狙いに来るはずよ。そこを待ち伏せて捕らえるの」
「さすがにそれはすぐに嘘だとバレるんじゃないかしら? ハイタワーは胸を刺されたのよ。誰がどう見たって即死だってわかる」
華怜が当然の疑問を口にする。
「最新の医療技術で一命を取り留めたことにすれば良い。以前聞いたことがあるけど、サイバーマトリックスには仮に死亡しても数時間以内なら蘇生することが出来る技術があるらしいわ。ライザーも社員だったなら当然それを知っているはず。あの会社には知り合いがいるから協力を頼んでみるわ」
「でもすぐに罠だと見抜かれるんじゃねえのか?」
プリヤが現実的な指摘をする。
「そうかもしれないけど、プライドの高い奴の性格を考慮すれば、もし万が一にも生きている可能性があるとしたら放っておくはずがないわ」
「いずれにしても大きな賭けになるな……」
確かにこちらの戦力は万全とは言い難い。
昨夜の戦闘でフォックストロットのメンバーは全員負傷、特にプリヤはサイバーアームを破壊されて戦闘は不可能になった。
しかし相手もグリッドランナーとの戦闘で痛手を被ったはずだ。
昨夜は新しい武器への対応に苦慮して不覚を取ったが、今度は十分に相手の実力を知り尽くしている。
もう同じ轍は踏まない。
「でも支部ちょ……あいや、元支部長の死を偽装するなんて後で問題になるんじゃないっスかー?」
横からゴスロリメイクをした若い女性職員が口を挟んだ。情報分析課の御沓亜夢である。
マリーが命を狙われている間、彼女が職務を代行する。
「心配ないわ。ちゃんと私が上に説明するから」
「それで上手くいけば良いんスけどね……あそうだ。実はついさっきアイリさん達が留守の間に本社から連絡が入ったんスけどね、なんでも支部長の後任が決まって、明日にでも着任するんですって」
「後任? 誰なの?」
「えーと、それがその……アイリさんにはあまり面白くない名前かもしれませんけど、ローザ・アッシャーという人だそうです」
「…………」
その名前を聞いてアイリはげんなりした表情になった。
ようやくハイタワーの呪縛から逃れることが出来たと思ったのに、またもアイリとは浅からぬ因縁がある人物がやって来るのか。
「その人って確か昔、アイリさんとひと悶着あった人ですよね。大丈夫なんスか? また揉めごとを起こすんじゃないですか?」
「大丈夫よ、心配しなくて良いわ」
それは嘘だった。
実際のところは犬猿の仲と言っても差し支えないほど険悪な関係である。
最初に顔を合わせたのは欧州での極秘任務の時。自分が提案した作戦にことあるごとに反対し、何かにつけて目の敵にされた。
元々性格的にウマが合わないというのもあったが、彼女がハイタワーの部下だということが一番の要因だった。
本当かどうか確認した訳ではないが、二人は不倫関係にあったという噂さえある。
この後任人事にも恐らくハイタワーの意向が働いていたのだろう。自分が退任した後も影響力を残しておく為に。
彼女が着任したら当然のごとく、この作戦に反対してくるに違いない。
その前に今回の作戦を速やかに実行に移す必要がある。
これはセンチネルの名誉挽回の為だけではない。
ただの直感だが、これ以上ライザーを野放しにしていたら大変なことになる気がするのだ。取り返しのつかないような大変なことに。
そうなる前に何としても捕らえなければ。
とりあえずこれからサイバーマトリックス社を訪れて、上月に協力を仰ぐするつもりだ。
ライザーに命を狙われている彼女なら、きっと喜んで協力してくれるだろう。
白泉ルナは幼い頃から海斗に対して淡い思慕の念を胸に秘めていた。それどころか、生まれてから現在に至るまで、彼以外の男性を恋愛対象として見たことがなかった。
それほど海斗に対する想いは強かった。
いつもくっつき過ぎだとレイナから注意された時、彼女はこう言って反論した。
『いいのっ、だってわたしたち、おおきくなったらけっこんするんだもんっ!』
実際に二人が結婚した光景を妄想したことも、一度や二度ではない。本人の前では口が裂けても言えないが、子供の名前まで考えたことも。
しかし海斗の養父が亡くなった頃から、徐々に二人の距離が離れ始めた。
海斗が悲しんでいる時に、自分は何もしてやれなかった。いつも慰められる側だったのはルナの方だから、どうすれば彼が元気を出してくれるかわからなかった。
今でもその時のことを思い出すと、無力感で押し潰されそうになる。
何も出来ない弱い自分に憤りを覚えた。もっと強くならなければならないと思った。
それ以来、ルナは自分を変えようと必死に自己鍛錬に励んだ。
おかげで学校の成績はトップクラス、スポーツもサイバネ化している生徒と肩を並べるほどとなり、多くの生徒から頼りにされるようになった。
だが一番頼って欲しい相手には、未だに振り向いて貰えない。
最近の海斗は何か大きな悩みを抱えている気がする。しかしそれを自分に打ち明けるつもりはないらしい。彼の中では、自分は昔のか弱い少女のままなのだろう。何ともやり切れない気持ちになる。
今度こそ海斗の力になりたい。
かつて自分がしてくれた恩を返す為に。
目を開けるといつもとは違う天井が視界に入り、昨日からルナの家で寝泊まりすることになったことを思い出す。
壁を隔てた先にルナやレイナがいると考えると、昨夜は中々寝つけなかった。
ベッドから起き上がり、身支度を整えてドアノブに手をかけたところで、ピタッと立ち止まる。
何だか部屋の外が騒がしい。
耳を澄ませると、ルナが何事かヒステリックに叫んでいるのが聞こえる。相手はレイナのようだ。
どうしたのかと思い部屋を出ようとした途端、物凄い勢いで足音がこちらに近づいてきた。扉が僅かに開いて、隙間からルナが顔を出す。
「ごめんなさい、ちょっとだけ部屋から出ないで貰える?」
「へ?」
それだけ言うとこちらが返事をする前に再び扉を閉めて戻って行った。
あまりに突然の出来事に、状況が呑み込めずにいる海斗。
すると扉越しにこんな声が聞こえてきた。
「もー何やってるのよお母さん! これからは海斗君もいるんだから、いつもみたいに下着姿であちこち歩き回らないで!」
――ピクッ。
今、何やら聞き捨てならない言葉が聞こえたような……。
そういえば子供の頃も、レイナがところ構わずセクシーな下着を着て歩き回っていて、目のやり場に困った記憶がある。
海斗はつい好奇心に負けて、扉を少し開けて覗き見ようとした。
ところがその矢先にまたスタスタという足音が近づいてきて、慌てて扉から顔を離す。
「や、やあ。何も聞いてないし何も見てないよ!」
「はあ?」
ルナが顔を出すと同時に、潔白を主張する為にそんなことを言った。が、それが逆に不自然になってしまった。
ただ幸いなことに、それ以上追及されることはなかった。
ダイニングではちゃんと服を着たレイナが、朝食のシリアルを食べようとしているところだった。
「ほほほ、ごめんなさいね、朝からドタバタして」
取り繕うように笑顔を振り撒いている。
朝食の間、ルナはブツブツと愚痴を零していた。
「まったく私が先に気づいたから良かったものを、彼が先に目を覚ましていたら鉢合わせするところだったじゃないの」
「ハハハ……くそっ、もっと早く起きれば良かった……」
「何か言った?」
「い、いえ別に……」
思わず本音が口に出てしまった。
「ところでさ、学校へは別々に登校した方が良いんじゃない?」
「どうして?」
マンションを出た直後、海斗は思い切ってルナにそう提案してみた。
「だってホラ、色々と噂されるかもしれないし……」
「別に気にする必要ないでしょう。早くしないと遅刻するわよ」
ルナはお構いなしにスタスタと歩く。
二人で登校しているところを他の生徒に見られたら、ルナに迷惑がかかるのではないかと考えていたが、本人が気にしないならそれで良いのだろうか。
結局そのまま二人で学校に到着した。
「白泉さんおはよー」
「ええ、おはよう」
ルナが登校すると、忽ち周囲の女子生徒が集まって来て、海斗は引き離されてしまう。
「ねえ見て見て。白泉さんだよ」
「ホントだぁ、今日も綺麗だなー。私が男子だったら即好きになっちゃうかもー」
輪に入れなかった女子達も、遠巻きから眺めながら噂話をしている。
やはり人気者は違う。
彼女の美貌が造られたものであったなら、ここまでの人気はなかっただろう。しかしルナはナチュラリアンである。
ナチュラリアンとは、生まれてから一度も美容整形やインプラント手術を受けていない者のことを指す。その顔立ちもスラリと伸びた背丈も抜群のスタイルも、信じ難い話だが全て天然のもの。
天は二物を与えずとは言うが、ルナに限っては該当しないようだ。
一方で海斗と共に登校したことに対する反応は思いのほか薄かった。
まだ初日なので偶然、登校時間が重なっただけだと思われたのかもしれない。
これが数日続けば、また異なってくるのだろうが。
「ねえ見て、あの男子。白泉さんのことジロジロ見てるよ」
と、女子の一人が海斗の存在に気づいた。
「本当だ。やだ怖い……ああやって一方的に思いを寄せてくるの、ホントやめて欲しいよねえ」
「気持ち悪いよね」
――聞こえてるんですけど……。
散々な言われようである。
まあ他の生徒からの印象なんて所詮こんなものかもしれないが。
「アナタ達、他人のこと良く知りもしないクセに好き勝手言うのはやめなさい」
見かねたルナが強い口調で諫める。
「あれ、もしかして知り合いだった? だとしたらゴメン」
「そういえば、たまーに白泉さんの近くにいるような気がする……」
「ひょっとして彼氏だったりする?」
「いえ、彼氏ではないけど……」
「だよねー。あんなのと白泉さんとじゃ釣り合う訳ないもんねー」
「アハハッ! そんなはっきり言っちゃったらカワイソーでしょ。まあ実際その通りだけど」
一人がそう言うと、他の女子達が甲高い声を発して一斉に笑い合った。
学校の中で海斗とルナが幼馴染であることを知る者はほとんどいない。彼女達から見れば、自分なんてルナに一方的に好意を寄せる大勢の男子の内の一人くらいにしか思えないだろう。
とはいえさすがにあそこまで言われるのは心外だが。
ルナも口下手なので女子達の悪口を止める力はない。
「もう良い。アナタ達とは話さない」
不快感を露わにしたルナが、彼女達を置き去りにしてスタスタと歩き出した。
「あれぇ、白泉さんどうしたの?」
当人は何故ルナが怒っているのかすら、わかっていない様子だった。
まあ良い、他人の評判など一々気にしていても仕方がない。言いたい人間には勝手に言わせておけば良いのだ。
そう自分に言い聞かせながら、海斗はロッカールームにある自分のロッカーの手前まで来て、把手に手をかけた。
その次の瞬間――
バキッ、という大きな音がした。
それはロッカーの蓋が外れる音だった。見ると何か物凄い力が加わったかのように、蝶番の部分が捩じ切れている。
ただ軽く引いただけなのに。
周囲の生徒が驚愕の眼差しで見つめてくる。その中にはもちろんルナも含まれる。
まずい、不審に思われている。早く何とか誤魔化さなければ。
「……あ、あはは。蝶番が古くなってたみたい」
「新品みたいだったけど……」
観衆の一人が鋭い独り言を発する。
どうもあの甲冑男との戦闘以来、右手の調子がおかしい。力の加減が制御出来ないことがある。
プリスがちゃんとした修理をしなければ完全に機能が回復しないと言っていたが、早くも異常が表れ始めたようだ。
「びっくりしたぁ……まさか壊れるなんて……」
「もしかして私達の会話を聞いてブチギレちゃった感じ?」
「見かけによらず怒るとヤバい人なのかも……」
「謝った方が良くない?」
「えーどうしよう……」
取り巻きの女子達が口々に噂話をする。
とりあえず今日のところは、極力右手を使わないよう心がけて乗り切るしかない。迂闊に誰かに触れると、握り潰してしまうかもしれない。
それだけならまだ良いが、この状態であの甲冑男が何か仕掛けてきたら、対処する術がない。
フォックストロットも負傷で動けないだろし、絶体絶命である。
今の自分に出来ることと言えば、祈ることくらいしかない。
何事も起こらなければ良いが。
そんな心配事を抱えて教室まで赴くと、何やらクラスの生徒達がざわついていた。
皆、互いに非常に神妙な面持ちで語り合っている。まるでとんでもない大事件が起こったかのように。
気になった海斗は傍にいたクラスメイトの葵に話しかけた。
「夏川さん、ねえどうしたの?」
「あ、海斗。ホラ昨日の夜、立てこもり事件があったじゃない? あれの犯人がSNSに犯行予告的なものをアップしたらしくてさ、その内容がかなーり衝撃的なの」




