無能な上司のせいで死ぬことになるなんて
アイリはスピナーのハンドルを操作して、ネオンの光が照らし出すビル街の上空を走り抜けていた。
助手席にはマリー、後部座席にはハイタワーが腰掛けている。二人共かなり怯えているようだ。
アイリは時折マリーの肩を軽く叩いて励ましの言葉を囁いた。
後続車両にはプリヤ、菊理、華怜の三人が乗っている。
『諸星隊員、声紋照合を行った結果、男の身元が判明しました』
本部で情報収集を行っている男性職員が無線で報告してきた。
「それで?」
『本名はハインリヒ・ライザー。一月前までサイバーマトリックス社の技術開発部門で働いていましたが自主退職した後、行方不明になっています』
「ライザーだと?」
名前を聞いた途端、ハイタワーがハッとしたように顔を上げた。
「知っているの?」
「……ああ。なるほど、奴なら俺を殺そうとしてもおかしくはない」
男性職員から転送されてきた写真には、端正な顔立ちをした二十代後半くらいのヨーロッパ系男性が写っている。
この男がハインリヒ・ライザーという人物らしい。
「一体その男と何があったの?」
「ことの始まりは数ヶ月前だ。以前センチネルが装備する新型の強化外骨格の選定があったのを覚えているか?」
「ええ」
現在、支給されている外骨格はかなり旧式化しており、以前から更新の必要性を指摘されていた。そこでセンチネルは親会社のサイバーマトリックス社に新しい強化外骨格の開発を依頼したのだ。
「あれの選定を任されたのが私なんだが、最終選定に残った二つの内、一つがライザーの開発したものだったんだ。だが私はもう片方を採用した。奴は相当な自惚れ屋でな、自分が開発したものが何故採用されなかったのかと、何度も何度も直接私のところに来て抗議していた。段々と鬱陶しくなった私は激しく罵って追い返した」
なるほど、それが因縁の始まりという訳か。
「アナタのことだから相当酷い言葉で罵倒したんでしょうね」
「……まあな。『いくら御託を並べようとお前がどうしようもない負け犬だという事実は覆らないんだよ』と言った」
「なるほど」
それは確かに恨まれても無理はない。そこまで言われたら多少忍耐力のある者でも堪忍袋の緒が切れるだろう。
「でもどうしてマリーまで……」
「選定にはオブライエンも関わっていたんだ。なあそうだろ?」
いきなり話を向けられ、マリーが肩をビクッと震わせる。
「それで何か奴の気に障ることでも言ったの?」
「そんなっ! 私はその人とは話をしたこともないんですよ!」
ブンブンと激しく首を横に振って強く否定するマリー。するとハイタワーがこう付け加えた。
「あの男にとっては選考に関わっていた時点で私と同罪なんだろ。さっきも言ったように相当プライドの高い奴だったからな」
「そんなことで……」
これまでのキャリアを全て投げ打ってまで復讐に走ったというのか。確かに狂気じみたプライドの高さだ。
ライザーが自分の自尊心を傷つけた全ての人間に復讐するつもりだとしたら、他にも狙われそうな人物が何人かいそうだ。
「ところで正式採用された外骨格の設計者は誰なの?」
「ああ……確か上月とかいう研究員だったかな?」
「――ッ!」
アイリの頭の中で、全てのパズルのピースが揃ったような気がした。
開発センターを襲撃したのは上月が目的だっだのだ。奴は今回の一連の犯行で、全ての標的を一度に消すつもりか。
「それじゃあつまり私は支部長の巻き添えで殺されるってことですか?」
マリーが非難の眼差しをハイタワーに向けた。ハイタワーは何も言い返さなかった。
「冗談じゃないですよ、私の人生どうしてくれるんですか!」
「マリー、落ち着いて」
急にヒステリックに叫び出すマリーを、必死に宥めようとするアイリ。
「これが落ち着いていられますか! 私まだ十九歳なんですよ! なのに無能な上司のせいで死ぬことになるなんて……ううぅ、せめて恋の一つや二つでもしておくんだった……」
「まだ死ぬと決まった訳じゃないでしょ」
アイリは仕方なくスピナーを自動運転に切り替えて、マリーの肩や背中を優しく撫で擦って落ち着かせた。
だがマリーが取り乱すのも無理からぬことだ。何の訓練も受けたことがない新兵がいきなり最前線の激戦地に赴くようなものなのだから。
数分かけてようやく落ち着かせることに成功すると、話をライザーの件に戻した。
「ところでライザーの外骨格は何がそんなに駄目だったの?」
「いや、性能自体は正式採用されたものを上回っていたんだが、コストが高すぎるのと外見が奇抜過ぎたのが良くなかった」
「外見?」
「ああ、まるで中世ヨーロッパの騎士の甲冑みたいでな、実際に何人かの隊員に試着させてみたが、見た目がダサいだの恥ずかしいだの、すこぶる不評だった」
西洋の騎士……確かに自分もあまり着てみたいとは思わない。
そういうコスプレなら喜ぶ者もいるかもしれないが、そうでないならむしろ興醒めしてしまうだろう。
「なあ、オブライエンもそう思っただろう」
「どうでも良いですよ。どうせ私は支部長のせいで殺されることになるんですから」
マリーが恨みがましく呟く。
ハイタワーのとばっちりを受けたことを知って、相当ヤケクソになっているようだ。
「ああ、悪かったよ。もしこの後、死んでなかったらいくらでも愚痴を聞いてやる」
「あら、珍しく素直じゃない」
アイリは揶揄するように言った。
ハイタワーが自分の非を認めるのは珍しい。いつもなら何かと屁理屈を並べて責任逃れに躍起になるのに。
「何だよ俺だってちゃんと自分の非を認める時はある」
「どうかしらね」
アイリの知る限り、そのような記憶はなかった。
「それにしても勤務最終日にこんなことになるとはな……せっかく悠々自適な暮らしが待っていると思っていたのに……」
そうだ、明日になれば彼は退社するのだ。何とも不運な話である。同情はしないが。
「クソッ、こんなことならもっと娘と話しておくんだった!」
「娘さんは今どこに?」
「本国で母親と一緒に暮らしてるよ。五年前に離婚して以来ほとんど会ってない。親権は向こうにあるんだ」
「ちゃんと養育費は払っているの?」
「失礼な奴だな。俺だってそれくらいはやってるさ。そもそもクルーガーに手を貸したのだって、最初は娘に良い暮らしをさせてやりたかったからなんだ」
「自分の行為を正当化するつもり?」
「そういう訳じゃないが……」
こんなに弱気なハイタワーは初めて見た。どんなに追い詰められていても、態度だけはデカくて踏ん反り返っている男が。
「なあ、もし俺が死んだら本部にある俺の私物は全部娘に渡してくれないか」
「よしなさいよ、そんな縁起でもないこと考えるの」
「馬鹿が、殺されたらいつ考えるって言うんだ」
「護衛の私達が信用出来ないって言うの?」
「そうじゃないが……何となく私は生きて帰れないような気がするんだ」
「そう、予想が外れると良いわね」
アイリはバックミラー越しにハイタワーを見て言った。
「大丈夫よハイタワー。不本意だけど、ちゃんとアナタも守ってあげるから」
「そいつはお優しいな」
別にこの男を気遣っている訳ではない。彼がネガティブな言葉を口にすれば隣にいるマリーにまで伝染しかねないから静かにして欲しいのだ。
「……それにしても、おかしいと思わない?」
これ以上余計なことを喋らせない為に、アイリは話題を逸らした。
「何がだ?」
「ライザーが指定した場所は開発センターとは真逆の方向よ。これが本当に偶然だと思う? まるで私達を遠ざけようとしているみたいだわ」
「さあな。悪いがそんなことを考える余裕はないんでな」
無理もないか。
だがアイリの中ではその疑問がますます大きくなっていた。
もしこれが陽動だとすれば上月の命が危うくなる。しかしマリーを見殺しにする訳にもいかない。八方塞がりだ。
ハイタワーではないが、アイリは非常に嫌な予感を覚えた。
開発センタービルの上空にはセンチネルの垂直離着陸機がローター音を轟かせながら建物をサーチライトで照らし出し、地上では装甲車や堅牢な装備を身に纏った隊員達が周辺を取り囲んでいた。
非常線テープの外には騒ぎを聞きつけた報道陣や野次馬が集まっている。
海斗は向かいのビルの屋上から様子を窺っていた。
どうやら状況は膠着状態にあるようだ。立てこもり犯は防犯カメラをハッキングして建物内の様子を監視している。カメラは入口付近にも設置されており、少しでも突入する素振りを見せれば犯人に気づかれる危険がある。
もし気づかれたら人質の命はない。
「どうだろう、センチネルだけで人質を助けられるかな?」
『厳しいと思われます。しかし海斗様の光学迷彩をもってすれば、犯人に気づかれずにビル内に侵入し、上月氏や他の人質達を救出することも可能でしょう』
「センチネルは光学迷彩を持ってないの?」
『残念ながら、国によっては支給されているところもありますが、日本は比較的治安が良い国だと言われていますので』
「最近はそうでもないみたいだけど」
つまり予算をケチった訳か。それで人命を危険に晒しているだから笑い話にもならない。
「じゃあ結局俺がやるしかないのか……」
海斗は救命士や消防士のように他人の命を助ける人達のことを心の底から尊敬しているが、同じ立場になりたいと思ったことは一度もない。
そんな責任は背負いたくないからだ。
だがもし自分にしか上月や他の大勢の人々を助けることが出来ないのなら――
マンスローターの事件で、海斗はすでにそれをやってのけた。数十万の一般人を神経ガスのテロから救い出した。
また同じことが出来るかはわからないが。
『もし行かれるのであれば急いだ方が良いと思います。たった今、センチネルの通信を傍受しましたが、彼らはあと十分以内に突入を慣行するつもりのようです』
「え、人質の安全を確保出来てないのに何で?」
『どうやら犯人の要求の制限時間が迫っているようです。それで現場の指揮官が焦っているのではないかと』
「……冗談でしょ」
多少の犠牲はやむを得ないから一人でも多くの人質を救うという方針に変えたのか。
相変わらずセンチネルはやることが大雑把というか……。
もはや迷っている暇はない。せめて人質の安全確保だけでも自分がやるしかない。
海斗はグリッドランナーの姿に変身すると、光学迷彩を起動してビルの窓から侵入した。
『人質は全員、三階の応接室に集められているようです。上月氏もそこにいます』
『りょーかい』
プリスはセンチネルの通信を傍受して得た情報を提供してくれた。親会社であるサイバーマトリックス社のバイオロイドである彼女には、彼らと同じ通信技術が備わっている。
海斗は絶えず周辺に注意を配りながら敵の監視を巧妙に回避した。薄暗い通路をゆっくりと慎重に進む。カメラの死角に回り込み、時には壁や天井に張りつきながらやり過ごす。
三階へと続く階段室の扉の前に、銃を持った二人の男が立っているのが見えた。近くには防犯カメラもある。
ここを通るにはあの二人を倒すしかないが、そうすると倒れた敵がカメラに映ってしまう。
『プリスさん、建物の防犯カメラをハッキングして奴らに仲間がやられたことを気づかれないようにすることは出来る?』
『申し訳ありません。私の技術ではそこまでのことは出来ません』
『……えぇ』
あともう少しで人質のところに辿り着く、というところで海斗は難題に直面した。
『ちょっと、ここまで来てそれはないんじゃない?』
『大変申し訳ありません、別の道に迂回してはいかがでしょう?』
『でもそうすると時間が……』
海斗が深く落胆していると、耳元でプリスとは別の声が聞こえた。
『そういうことなら私に任せて! 得意技だから!』
『……え?』
突然発せられたその声は、つい先ほどまで一緒にコーヒーを飲んでいた人物と同一のものだった。
『ヒカリちゃん?』
『そ、ニュースで話題になってたからもしかして、と思って様子を見にきたらやっぱり海斗君も来てたんだね』
『もしかして俺を監視してたの?』
海斗がそう訊ねると、ヒカリは慌てて否定した。
『いやまあ……そういう訳じゃないんだけどね。海斗君は今どうしてるのかなーって思って』
ヒカリはプリスと同じチャットアプリを使用しているようだ。
『そう、見ての通り潜入中。人質の中に上月さんがいるみたいでね』
『え、本当に?』
どうやらそれは知らなかったようで、ヒカリは驚きの声を発する。
『ああ、だから一刻も早く助けないと』
『なら私も協力する』
『ありがとう。さっき言ってたけど、カメラをハッキング出来るって本当?』
『うん、映像を差し替えて、気絶した男の人達がまだそこに立っているように見せかければ良いんだよね? でも気をつけて、あまり長くやってると気づかれるかもしれないから』
『わかった』
ヒカリはハッカーの技術を競う大会、CTFでの優勝経験者だ。カメラのハッキングもお手の物だろう。
海斗はヒカリの合図と共に、迅速に二人を気絶させて先へと進んだ。
『……あー、これちょっと良くないかも』
『どうしたの?』
順調に進んでいるヒカリが不穏な言葉を口走った。
『今、他のカメラの映像を確認してたんだけど、センチネルの人達が突入しようとしている場所に爆発物みたいなものが仕掛けられてるみたい』
『何だって?』
センチネルの動きが見えているというのか。一体どうやって?
そう考えて海斗は一つの仮説に思い当たった。
プリスはサイバーマトリックス社の技術を使ってセンチネルの通信を傍受している。立てこもり犯も似たようなものを持っているとしたら?
彼らが例の強盗集団と同一犯である可能性が高いのは、プリスから聞いていた。ならサイバーマトリックス社の元社員であるボスが通信を傍受する装置を手に入れていてもおかしくはない。
突入前にセンチネルが爆弾に気づいてくれれば良いが、気づかなければ悲惨な結末が待っている。
『プリスさん、センチネルに警告することは出来ないの?』
『出来なくはありませんがその場合、異変を察知した犯人が人質を殺害する恐れがあります』
『つまりセンチネルが突入する前に人質を助けなきゃいけない訳か……クソッ』
海斗は声を押し殺して悪態を吐いた。




