か、カップルです……
「じゃあまたサイバーマトリックスの人達が海斗君の命を狙ってるってこと?」
「かもね。証拠はないからまだわかんないけど」
駅前の空中回廊の上を、二人肩を並べてを歩いていると、ヒカリが驚いた表情で訊ねる。
片隅では派手なネオンカラーの衣服を身に纏ったバンドが路上ライブを披露している。
学校が終わった後、海斗はルナの家には直行せずに、事前にヒカリと待ち合わせしていた場所へと赴いた。
何やらまたオススメのコーヒーショップを見つけたと言うので、一緒に行く約束をしていたのだ。
マンスローターの事件以来、ヒカリから様々な店を紹介されるのが日常と化していた。
憧れのインフルエンサーと共に、どこかへ行くのは夢のような体験だが、さすがにこう頻繁に方々を連れ回されると、多少ありがたみが薄れてくるのは否めない。断じて楽しくない訳ではないのだが。
「物騒だねえ、前々から思ってたけど、あの会社って何か一つでも良いことやってるのかな?」
「さあ、炊飯器は安くて使いやすいけど」
大学を飛び級で卒業したせいか、ヒカリは世間とは少々かけ離れた思考回路を持っている。
これも天才の成せる業か。そのおかげであの素晴らしい音楽を作り出せるのだとしたら何も言えないが。
「ところで、電話で言ってたお勧めのコーヒーショップってどこ?」
「えっとね、この先を曲がったとこだよ。ほら、あそこ」
ヒカリが指差す先には、煌びやかなネオンで装飾された立体看板が目を引く店があった。
電子ドアベルを鳴らして中に入ると、店内は細長の間取りになっていて、レトロなペンダントランプが全体を照らしている。
片側のカウンター席にはクローム製のバースツールが並び、壁には先進的なグラフィティアートやホログラムの絵画が展示されている。
少しするとウエイトレスが応対に出てきた。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
アンドロイドではなく人間の女性である。歳は海斗達より少し上くらいだろうか。
ロボットが普及した現代でも、稼ぎたい人間がいる限り、こういった職が完全になくなることはない。
「二名です」
そうヒカリが答えると、店員が突然、とんでもない質問をしてきた。
「失礼ですがお二人はカップルでいらっしゃいますか?」
「は?」
入店して早々そんな不躾なことを訊くとは、この店の接客態度はどうなっているのだ。
「実はただ今当店では期間限定の特別キャンペーンをやっておりまして。カップルで入店された方は全ての商品を半額にさせて頂いております」
――何だその全国のお一人様に思い切り喧嘩を売ったキャンペーンは?
海斗は心の中で突っ込みを入れた。
半額というのは中々魅力的な話だが、自分達には関係のないことなので、直ちに否定しようとする。
「いや、俺達は……」
「カップルです!」
「はいィ?」
ところがその直前、何を思ったのかいきなりヒカリが腕を回してきてそんなことを言い出した。
海斗は小声で彼女の意図を問い質す。
「……ちょ、どういうつもり?」
「だって半額だよ? ここは噓でもカップルのふりするしかないでしょ」
「そんなことしなくたって君、動画配信で十分稼いでいるでしょ!」
妙なところで金銭感覚がズレている。というよりケチくさいと言った方が正しいか。
「どうしました?」
「あ、いえ……」
二人でヒソヒソ話をしていたら、ウエイトレスに怪訝な眼差しを向けられた。
その視線に耐えられなくなった海斗は――
「それで、どっちなんですか?」
「か、カップルです……」
結局、噓をついてしまった。何だか本日は朝から嘘をつきっぱなしである。
そのまま窓際の席に案内され、とりあえず手始めにモカラテとホイップクリームをたっぷり使ったブラウニーを頼む。
「にしてもあの人気インフルエンサーのHIKARIちゃんとこうしてコーヒー飲んでるなんて、未だに信じられないなあ。他のフォロワーが知ったら大炎上間違いなしだね」
「それを言うなら私だって、百万人の命を救ったヒーローと一緒にいるんだよ。私だけがその人の正体を知ってるってのも何か特別な感じがするね」
「そうかな?」
正確には英雄視されているのは、グリッドランナーの姿になった海斗であって、本来の彼は学校では相変わらず肩身の狭い思いを強いられている底辺でしかない。
だからヒカリにそう指摘されても今一つピンと来ないのが本音だ。
「ところでさっきの話だけど、家が爆破されたって本当なの?」
ヒカリがスプーンでチョコレートパフェをすくいながら訊ねる。
「本当だよ、おかげで昨日からカプセルホテルで暮らしてる」
「そうなんだ。ねえ、もし泊まるとこがないならその……私の……」
「ああ、それなら大丈夫。今日から友達の家に泊めて貰うことになったから」
海斗はヒカリが全て言い終わる前に話を遮った。
「そうなの?」
「うん。気前の良い友達がいてね、新しい家が見つかるまでいて良いってさ」
「友達ってどんな子?」
「んーそうだね、学校でも一、二を争うほどの優等生で皆の人気者って感じ。異性からもモテまくりで、何で未だに彼氏がいないのか不思議なくらいだよ」
それを聞いたヒカリは、何かを察したような表情になって言った。
「……その友達って、もしかして女の子?」
「そう、子供の頃からの知り合いでね、昔は良く彼女の家に寝泊まりしてたんだけど、まさかこの歳になってまた行くことになるとは思わなかったな。いくら幼馴染でも年頃の男を家に泊めるって結構抵抗あると思うんだけど。多分、相手は俺のこと、異性として認識してないんじゃないかな」
「あるいはもっと他に理由があったりして……」
「ん、どういう意味?」
「さあ、どういう意味でしょうねえ」
「?」
ヒカリは思わせぶりに首を傾げた。
何故そこで言葉を濁すのか、物凄く気になる。
他の理由と言われてもさっぱり思いつかない。女子同士にしかわからない特殊なものなのか。
どういう訳かその会話以降、ヒカリの態度が微妙に余所々々しくなったような気がした。
本社での仕事を終えた上月は、スピナーに搭乗してメガトーキョーの上空を移動していた。
「それで、ゾーラ。この後の予定はどうなっている?」
外の景色を眺めながら、上月は専属のバイオロイド秘書に今夜の予定を訊く。
「本日は今から二十分後に技術開発センターにて釜谷氏との会談が控えています」
「そうだったな」
釜谷と言えばサイバーマトリックス社の最高技術責任者《CTO》である法水弦一郎の補佐役を務めている男だ。
三日前に彼から連絡があって、対面での会談を打診されていた。
「どういった用件なのでしょう?」
「なあに、彼の上司の法水CTOは主流派の代表格だからな。恐らく私を自分達の陣営に引き入れたいんだろう」
上月が正式にサイバネティクス部門の主任研究員に就任して以来、このような勧誘が主流派と改革派の両方から来るようになった。
立場が上がったことによって、彼女が両陣営にとって無視出来ない存在になったということだ。
クルーガーを退職に追いやった張本人なので、当然ながら強硬派から来たことはない。
「どうなさるおつもりですか?」
「別に、今まで通りやるさ。誰かとつるむ気はないんでね」
正直、政治的な駆け引きを好まない上月は、どの陣営にも入るつもりはなかった。
しかしもし相手が有力な情報を持っていれば、協力関係を結ぶこともやぶさかでない。
十分もすると開発センターのビルに到着した。
屋上のスピナー発着場から中に入り、ガイド役のバイオロイドに案内されて応接室へと向かう。扉を開けるとメタルフレームの眼鏡をかけた、いかにもビジネスマンといった出で立ちの男性が出迎えた。
彼が釜谷だ。
「やあどうも。わざわざご足労頂いて感謝します」
「こちらこそ」
互いに通り一遍の挨拶を交わし、合成皮革のソファに向かい合って腰掛ける。
「こうして会談に応じてくれたということは良い兆候と受け取っても良いんでしょうね? 我々はお互いに良好な関係を築けると思いますよ」
「それは条件によりますね」
上月は素っ気ない生返事をする。
「アナタのことは色々と聞き及んでいますよ。前任のクルーガー氏とはひと悶着あったそうですね」
「その件についてお話することは特にありません」
「そうですか。では本題に入りましょう。法水氏はアナタの志に深く共感していらっしゃいます。もし共に仕事が出来れば素晴らしい結果を生み出せると思うのですが」
「光栄なお話ですが私は一人でいる方が気楽な性分なんでね。仲間を作る気はありません」
「中立というのはあまり良いお考えとは思えませんな。下手をすると両陣営から白い目で見られる可能性もある」
「私は別に気にしません」
「なるほど、やはり一筋縄ではいかないお方のようだ」
そう言って掴みどころのない愛想笑いを浮かべて紅茶を飲む釜谷。
ビジネスマンにはお馴染みの手法だ。そうやってこちらの意図を探り出して交渉を有利に進めようとする魂胆だろう。
上月は相手のペースに乗せられないよう、取り澄ました顔で話に耳を傾けていた。
しかし次の言葉にはさすがの上月も面喰ってしまった。
「ではアナタは浅宮海斗という少年をご存知かな?」
「…………」
紅茶を飲もうとした手が止まる。
何故ここでその名前を?
「そう、二ヶ月ほど前に我が社のトラックと衝突して瀕死の重傷を負い、最高峰のサイバネティクス手術によって蘇生された少年だ。最近ではグリッドランナーと呼ばれて、マンスローターによるテロを食い止めたことでも知られている。アナタはその少年と個人的な交流があるようですね」
全て知っている。
サイバーマトリックス社の社員なら、ある程度のことは噂で耳にしていてもおかしくないが、ここまで詳細に知り尽くしているのは、極少数の人間に限られているはず。
何よりも、ここでその話題を持ち出す意図が読めない。
「……何が言いたいんです?」
「そう身構えないでください。別に脅迫しようって訳じゃない。我々はアナタが探している情報を提供出来る」
「というと?」
釜谷は一呼吸置いてから話を続けた。
「我々は少年のサイバーウェアを造るきっかけになったポストヒューマンプロジェクトに関する計画書を持っています。その最後のページにはこのプロジェクトに関わっていた人間のリストが掲載されている。その中にはアナタも良く知っている人間の名前もあるはずだ」
「そのリストが本物だという証拠は?」
「本人に訊ねてみればわかる」
上月はどうするか悩んだ。
そのリストを見れば、海斗の命を狙う犯人がわかるかもしれない。
それにポストヒューマンプロジェクトは、ある理由から上月が以前から密かに調査していた計画だ。
あの計画には大きな謎が隠されている。いくら調べても関係者の名前どころか、いつ発案されたのかも全く定かではない。真相を知っていそうな人物の中には行方不明になっているか、謎の不審者を遂げている者も多く、異常事態としか言えない状態になっている。
主任研究員に昇格したことで、機密情報へのアクセス権限が拡大し、これまで以上に情報が得られるようになったが、今のところ収穫はなかった。
何故、釜谷が計画書を持っているかはこの際どうでも良い。これは上月にとってまたとない好機だ。
だがここで焦る素振りを見せたら相手に足元を見られる。
ここは至って冷静に――
「……中々興味深い話ですが、その言葉だけでは対応を決めかねますね。せめて計画書の一部でも見せて頂けたら判断出来るんですが」
「わかりました。それではこちらの本気度を示す為にお見せしましょう」
冗談で言ってみたら本当に実現した。
何とも気前が良いな。よほど自分を勧誘したいのか、それとも単に余裕ぶっているだけなのか。
「ずいぶん気前が良いんですね」
「お互いフェアな立場で交渉した方が気分が良いんでね。アナタもそう思うでしょう?」
釜谷はティーカップをソーサーの上に置くと、満足気な笑みを浮かべた。すでにこちらを懐柔したつもりでいるようだ。
残念ながらそうはいかない。
「くれぐれも注意してください。これは一種のパンドラの箱だ。もしこれを世間に公表すればマンスローターのテロの時とは比較にならない、サイバーマトリックスを根本から揺るがす大事件になるでしょう」
そう言って釜谷は手前のローテーブルに備えつけられたホロディスプレイを操作した。しばらくするとフォルダの一覧が表示され、目的のドキュメントファイルを選択する。
ファイルが開かれるまでのほんの僅かな時間、上月は焦燥感にられるのを必死に隠しながら待ちわびていた。
ところがその時、入口の扉が大きな音を立てて乱暴に開放された。
驚いて振り返ると、フルフェイスのヘルメットを被った男達が両手に銃を携えて乱入してきた。
先頭に立つリーダー格らしき男がこちらに銃口を向けながら声を張り上げて叫ぶ。
「全員そこを動くな!」




