お客さん、レジ通してない商品ありますよね?
「うん、こっちは大丈夫だから安心して。じゃあねママ、愛してる……」
本国にいる母との通話を終えたマリーは「はあ……」と溜息をつきながら薄暗い夜道を一人で歩く。
色とりどりの電子光に彩られた都市は、人々の喧騒で溢れ、店舗からは刺激的なテクノ音楽が流れてくる。
「なーんか仕事やってく自信なくなっちゃったなあ……」
電話では母を心配させないようにわざと強がって見せたが、一月前のマンスローターによる未曾有のテロ事件は、彼女に大きな精神的負担をもたらした。
マリー・オブライエンは弱冠十九歳にして、センチネルの情報分析課の課長という重責を担っている。
学生時代にコンピュータ・エンジニアリングの才能を見出され、センチネルにスカウトされた。
IPSecアーキテクチャの構築や演算システム、サブネットの設定、イントラネット、サイバーセキュリティ――現在の本部のシステムは、ほとんど彼女が作り上げたと言っても過言ではない。
ただ組織の中では最年少なのと、ともすると中学生に間違われかねない幼い容姿のせいで、部下からも舐められることがしばしば。
他にも上司からの無茶振り――主にアイリ――に対応したり、男性からのセクハラに耐えたりと、悩みごとが絶えない日々を送っている。
そんな彼女の数少ない癒しは、自宅の近所にあるホームセンターに立ち寄ることだ。
一直線に自宅に帰る気にはなれなかった。マリーは一人暮らしで、家に帰っても味気ない部屋が待っているだけ。もう少し夜をゆっくりと過ごしたい。
カラオケ店のホログラフィック看板を横切ると、いつもの見慣れた建物が目に入る。
別に毎回商品を買っている訳ではない。ただここで働いている従業員に用があった。
入店してしばらく商品棚を見ていると、今日もその人物がいたので声をかけてみた。
「あ、あのー」
「はい、何をお探しでしょうか?」
「えっと、護身用の防犯グッズを……」
「わかりました。こちらへご案内します」
男性従業員はニコリと微笑して、もはや常連客となったマリーを案内する。この笑顔を見ると何故かいつも癒される。
基本的にマリーは男性全般に警戒心を抱いているのだが、彼だけは特別だった。
もちろん出会った当初は他の男性と同じように警戒していた。
だが、全身から漂う無害なオーラが、不思議と緊張を解かせた。
彼が年下だからというのもあるだろう。職場の男性は全員年上だし、ことある毎にマリーのことを子供扱いする。
しかしこの従業員は一人の大人として敬意を払ってくれる。客だから当然と言えば当然なのだが、それがマリーには新鮮に感じた。
身長は百八十センチ前後と高め。穏やかな物腰でチワワのような愛嬌がある顔立ちをしている。
そして胸の名札にはASAMIYAという文字。
なのでマリーは彼のことを密かに“アサミヤきゅん”と呼んでいた。
「具体的に欲しい物はありますか?」
「催涙スプレーとか、一人暮らしは何かと物騒なので」
「ああ、わかります。自分も一人暮らしですから」
一人暮らし……なるほど、思いがけず彼のプライベートな情報を入手した。
本当はセンチネルから支給された拳銃を常時携行しているので防犯グッズなど必要ない。これは彼に会う為の単なる口実である。
恋愛感情……かどうかは自分でもはっきりしない。そもそもマリーはそのような感情を抱いたことがなかった。だが彼のことをもっと知りたいと思っているのは確かだ。
二人で軽い雑談をしながら防犯グッズのコーナーに差し掛かった時、レジの方からこんな会話が聞こえてきた。
「すいませーん、ここって現金払いは出来ますか?」
「あ、はい。対応しております」
「……そうかい、ならレジにある金を全部寄越しな」
直後、大きな破裂音が店内に響き渡った。
銃声だった。
見るとフルフェイスのヘルメットを被った三、四人の男が店の出入口で銃を構えているのが視界に入った。
「全員、床に伏せろ!」
雷鳴のような胴間声が店内に響く。
それが強盗であることは、誰が見ても一目瞭然であった。
客と従業員は悲鳴をあげながら床に腹這いになった。男性客の一人が状況が吞み込めずにあたふたしていると、強盗の男が銃把で殴りつけて床に伏せさせる。
「お前らヒーローになろうなんて馬鹿な考えは起こすなよ。死体が一つ増えるだけだからな!」
マリーは他の客同様、床に伏せながら犯人の男達を観察した。彼らの装備は普通のギャングのそれよりも、遥かにしっかりしている。
もしや最近メガトーキョー全域で頻繁に活動している強盗集団ではないか。だとしたら非常に危険な連中だ。被害に遭った店の中には死者が出たところもある。下手に刺激するとまずい。
とはいえセンチネルの隊員として、このまま黙って見過ごす訳にはいかない。
男達に気づかれないよう、マリーは本部に緊急信号を発した。十分もすれば応援が駆けつけてくるはず。
ところがそのすぐ後で、レジの方で何やら騒動が発生した。
「おら、早くバッグに金を詰め込めつってんだよ! 聞こえねえのか!」
「だ、誰がお前らなんかっ!」
男が中々言う通りにしないレジ係を怒鳴りつけている。
どうやらレジ係の一人がが無謀にも反抗的態度をとっているようだ。これは非常に危険な状況だ。
「どうした、何をやっている?」
騒ぎを聞きつけた仲間の一人が近づいて来る。
「この頭の悪いクズ野郎が聞き分け悪くてよぉ!」
「馬鹿が、そういう時はこうするんだよ」
そう言ってレジ係の額に銃口を突きつける。
まずい。マリーは思わず胸のホルスターからAuto 99を抜き出して構えた。
「銃を捨てなさい!」
銃を胸の前で傾斜させることによって、射撃時の反動を軽減させる、C.A.R.システムと呼ばれる射撃姿勢を取る。
銃は訓練でしか撃ったことはないが、やるしかなかった。
「センチネルの者です。今すぐ銃を捨てて投降しなさい!」
センチネルという単語を聞いて男達は一瞬動揺するが、マリーの容姿を見ると急に嘲笑的な態度に変わった。
「これはこれは、ずいぶん可愛らしい隊員さんだな」
「お嬢ちゃん、子供がそんなおもちゃ持ってたら危ないよ」
やはり舐められている。
相手が怖気づいてくれることを期待していたのだが、そうもいかないようだ。
この場で四人を相手にして全員を制圧出来る力は、マリーにはない。威勢良く飛び出したは良いが、窮地に立たされているのは自分の方だった。
応援は到着するまであと数分。それまで持ち堪えられるかどうか――
すると、いつの間にか後ろに回り込んでいた仲間の一人が背中に銃を突きつけてきた。
「はーいそこまで。ヒーローごっこは終わり。大人しく銃を下ろして貰おうか」
やむを得ず、マリーは言う通りにした。あまりの無力さに忸怩たる思いを禁じ得ない。
「こりゃ本物の銃だぜ。マジでセンチネルの人間みたいだな」
「ほう、この見た目で成人とは驚いたな。しかも結構可愛いじゃないか」
「けど早くズラかった方が良いぜ。もしかすると応援を呼ばれてるかもしんねえ」
「そうだな」
「この女はどうする、殺すか?」
「ほっとけ、センチネルは仲間意識が強いからな。一人殺せば総出で報復してくるぞ」
そう、センチネルは被害者が同僚だった場合、血眼になって犯人を捜索する。時と場合によっては、法執行機関に委ねることなく、その場で裁きを下すことも。もちろん誘拐した場合も同様だ。
センチネルの内情に詳しいということは、以前にも似たような犯罪で逮捕された経験があるのか。そういえば犯行が非常に手慣れているように見える。明らかに素人ではない。
話を終えた男達は、素早く全てのレジから金を抜き取り、客や従業員からも金目の物を奪い始めた。
「残念だが助けを期待しない方が身の為だぞ。センチネルが駆けつける頃には俺達はとっくにおさらばしてる。ましてやグリッドランナーとかいう奴が来ることなんて絶対にあり得ないんだからな!」
『……ヘーイ』
その叫びに答えるように、背後から間延びした声が響いた。
男達が振り返ると、先ほどまでいなかったはずの人物が商品棚の上に鎮座していた。見間違いでないとすれば、それは確かにグリッドランナーの姿だった。
「な、馬鹿な!?」
『ハア……オイオイ勘弁してよ。今時、現金を狙うなんて絶対流行んないよ』
溜息をつきながら面倒臭そうに首を横に振るグリッドランナー。
「このっ!」
男達はたじろぎながらも慌てて銃を撃とうとする。が、グリッドランナーは一瞬の内に敵の真正面に移動して銃を掴み取った。
『お客さん、レジ通してない商品ありますよね?』
不敵にそう言うと、手始めに一番前の男の顔面を殴りつけ、鮮やかな動作で二人目、三人目と次々に仕留めていく。
十秒にも満たない僅かな間に、立っているのはグリッドランナー一人だけになった。武装した男達が床に這いつくばって呻き声をあげている。
客や従業員は何が起こったのかさえわからなかった。
店内が静まり返り、床に伏せていた客や従業員が恐る恐る立ち上がり始める。
『お怪我はありませんかお嬢さん?』
「え、ええ……」
グリッドランナー――海斗は紳士的な仕草でマリーの手を取り、立ち上がらせる。
久々にこの姿になった。もう二度とならないかもしれないと思っていたのに。だが自分がバイトする店で死人を出す訳にはいかなかった。
「でもどうしてこんなに早く?」
『なあに、俺は走ろうと思えば光の速さで走れるんだよ』
「……え?」
彼女はこの店の常連で顔見知りだ。下手に言い繕ったりすると逆に怪しまれてしまう。だから適当なことを言って誤魔化した。
それにしてもセンチネル隊員だったとは驚きだ。てっきり自分と同年代と思っていたが。ひょっとしたらヒカリのように飛び級で学校を卒業して就職したのかもしれない。
などと海斗が思考に気を取られている内に、気絶していた男の一人が目を覚ました。
男はひっそりと店を抜け出すと、駐車場に停めてあった逃走用の赤いワゴン車に乗り込む。
海斗が気づいた時には、すでに車は走り去るところだった。
『……ま、いっか。後はセンチネルがやってくれるよね』
遠ざかるワゴン車を窓越しに眺めながら、海斗は呑気に呟いた。後を追いかけても良いが、センチネルに任せても問題はないだろう。
――ん、でも待てよ? 今逃げた男って確か……。
ところが海斗は逃走した男が先ほど何をしたか、遅ればせながら思い出した。
奴は海斗がまだグリッドランナーになる前に、学生証を奪った男だったのだ。
あれを紛失すると学校側からペナルティを課される。劣等生の海斗にとって、このような些細なことでも留年に繋がりかねない。
『……はあ、何でこうなるのっ!』
逃げた男を追いかけるべく、海斗は仕方なく外に飛び出した。




