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グリッドランナー  作者: 末比呂津
マンスローター編
15/63

飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな

 海斗は音声変換ソフトを使用して警備員に成り済ますことにした。


『あーこっちは異常ない。大丈夫だ』

『どうしてすぐに返事しなかった?』

『すまない、ちょっと考えごとをしていた』

『お前いい加減にしろよ。これ以上サボるんなら俺も庇いきれんぞ』

『悪かった、仕事に戻る……ああその前に一つ訊きたいんだが、実験室へはどう行けば良いんだ?』

『はあ? 何でお前がそんなこと訊くんだ?』

『単なる確認だ。気にしないでくれ』


 さすがに怪しまれるかと思ったが、ヘッドセットの奥の声は『ハア……』と溜息を吐いた後、面倒臭そうに言った。


『実験室は東側の通路の突き当りを右に真っ直ぐだ。案内が必要か?』

『いや……ご親切にどうも』


 海斗は通信を切ると、自分の声に戻ってそう呟いた。




 目を覚ますと知らない部屋にいた。意識を失う前に最後に覚えているのは、自分を連れ去ったバイオロイドに睡眠薬のようなものを嗅がされたこと。

 真っ白な部屋は楕円形のドーム型。学校の体育館ほどの広さで、自分が座っている椅子以外には、傍らに筐体の医療機器のような物体が設置されているのみ。

 ふと視界を廻らそうとすると、全身を拘束具のようなもので椅子に固定されていることに気づいた。

 どうやら囚われの身らしい。


「目が覚めたかね」


 目の前に彫りの深い顔立ちをした三十代後半くらいのヨーロッパ系の男性が現れた。どことなく不気味で、見る者に自然と警戒心を抱かせるような雰囲気を醸している。

 その傍らには、ヒカリを連れ去ったと思わしきバイオロイドもいる。


「直接顔を合わせるのは初めてだね。私はサイモン・クルーガー。君に大切な物を盗まれた哀れな被害者だよ」


 その名前を聞いた途端、にわかにヒカリの表情が強張った。この男が今日起こった事件の全ての元凶――


「ああ君の自己紹介はいい。すでに良く知っているからね」


 クルーガーは芝居がかった仕草で手を挙げると、薄笑いを浮かべて語り始めた


「それにしても驚いたよ。まさか君があの有名なハッカー――“ミストレス”だったとはね」

「――ッ!?」


 ヒカリは驚いた様子で目を見張る。


「おや、何故バレたんだ、って顔だね。こっちも君のことは色々と調べさせて貰ったよ。僅か十五歳で大学を卒業したことや、センチネルにお姉さんが勤務していること、そして君のもう一つの顔があの伝説的ハッカー、ミストレスであることも」


 ミストレス。

 その名前で呼ばれたのはいつ以来だろうか。今のヒカリにとってはあまり思い出したくない過去だ。


「当時、難攻不落と言われたセンチネル本社への侵入、軍の秘匿通信の脆弱性の発見――中々素晴らしい経歴をお持ちじゃないか。是非我が社にスカウトしたいくらいだ。こんなことがなければの話だがね」


 クルーガーは少し間を置くと、神妙な面持ちで言葉を続けた。


「さて、前置きはこのくらいにしておこうか。フラッシュメモリはどこにある?」

「…………」


 ヒカリは何も答えなかった。何も喋らず、ただクルーガーの方をジッと見つめていた。サイバーデッキの録画機能をONにして、出来るだけ相手に喋らせるようにした。クルーガーの犯罪を裏づける言葉や、海斗の無実に繋がる証拠を引き出せるように。


「どうした言わないつもりか? ならばこちらも実力行使に移らせて貰うぞ」


 そう言った瞬間、傍らに立つバイオロイドが医療機器に繋がれた白いコードのようなものを掴んだ。その先端に、歯科診療所で使用されるようなドリルが取りつけられているのが目に入る。


「さあ早く言わないとドリルが君の鼓膜を突き破るぞ」


 直後に甲高い耳障りなタービン音が鳴り響き、ドリルが回転し始めた。バイオロイドはそのドリルをゆっくりと耳元に近づけて行く。耳に接近する毎にその音が脳を引き裂くほどの轟音にまで増幅する。

 神経が焼き切れるような感覚を味わった。全身から冷や汗が噴き出す。


「強情だな。こんなことで命を無駄にしたら君のお姉さんが悲しむぞ」


 クルーガーの憐れむような声が、常軌を逸した不協和音に紛れて聞こえる。だがヒカリは耐え続けた。


「それとも誰かが助けに来てくれるとでも思っているのかな? だとしたらそんな望みは捨てた方が良い」


 そんなことはない。

 大丈夫、きっと彼が助けに来てくれる。

 今まで自分が本当に苦しんでいる時に助けてくれる人はいなかった。両親や姉も、献身的に支えてくれることはあったが、役立たずの自分を疎ましく思っている節があった。

 でも彼なら――きっと自分が助けて欲しい時に応えてくれるはず……。何故ならすでに二度も窮地を救ってくれたのだから。


『まったく、どういう育て方したらこんな悪い大人が出来上がるんだろうねえ』


 瞬間、聞き覚えのある気だるげな声が響き渡った。

 目を向けるといつからそこいたのか医療機器に凭れかかりながら、こちらを見る海斗の姿があった。

 海斗はこともなげにコードを掴むと、根元から強引にに引き千切った。


「海斗君!」


 不快な音から解放されて歓喜の叫びをあげるヒカリ。


『遅くなってゴメンね。でももう大丈夫』


 穏やかに声をかけながら海斗は椅子に歩み寄り、拘束具を力任せに外してヒカリを解放した。

 クルーガーはその顔に静かな怒りを滲ませて海斗を睨みつけた。


「君は本当に私にとって目の上のコブだな。どこまで邪魔をすれば気が済むんだ?」

『あれ、お知り合いでしたっけ? 俺はアンタのこと全く存じ上げませんけど』

「……ふざけた奴だ。命を救ってやった恩を忘れたのか」

『良く言うよ。人の命なんて何とも思っていないクセに。アンタの人体実験のせいで何人死んだと思っているんだ』

「科学の発展の為には犠牲は不可欠だ」


 とんでもない理屈だ。マッドサイエンティストとは彼のことを言うのだろう。自分とは住む世界が違う。

 ただ一つわかっているのは、この男をこれ以上野放しにするのは危険だということ。すでにクルーガーの罪を暴くのに十分な証言を得られた。後はこの映像をネットに流せば万事解決だ。

 などと考えていたら、クルーガーが出口に向かって後退り始めた。逃げるつもりか。海斗は一瞬でクルーガーの目と鼻の先まで接近した。


『おっとぉ、逃げられると思ってるの?』


 そう言って彼の腕を掴もうとした。だが――


『……あれ?』


 そこに腕の感触はなく、まるで幽霊のように伸ばした手がスルリとすり抜ける。クルーガーは最初からそこには存在していなかった。


 ――立体映像か!


「ふん、飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな」


 クルーガーが勝ち誇った笑みを浮かべた途端、部屋の出入口に強固なシャッターが下りて逃げ道を塞がれた。

 と、同時にクルーガーの傍にいたRX300が海斗に襲いかかる。

 横に素早く飛び退ることでどうにかそれを回避する。が、その直後にさらに複数の人影が海斗の頭上から飛びかかってきた。

 海斗はすんでのところで攻撃から免れる。あと少し反応が遅れたら危なかった。

 その正体を見て、海斗は言葉を失った。

 RX300が四体。

 それぞれが片手に軍用ナイフを持っている。

 一体でも厄介な相手だったのに、四体同時に襲ってくるとなると相当な苦戦を強いられるのは必至。想像しただけで気が重くなるような話だ。


「無駄だ。君を造ったのは我々なんだぞ。最新式のAIを使って君の戦闘能力はすでに知り尽くしている」

『そのAI欠陥品なんじゃないの?』


 精一杯強がってみせたが、内心ではかなり弱気になっていた。

 次の瞬間、四体のRX300が前後左右から同時に苛烈な波状攻撃を浴びせかけてきた。


『ヒカリさん離れて!』


 海斗はヒカリが戦闘に巻き込まれないよう真逆の方向に移動した。その間にヒカリは部屋の片隅に退避する。

 四体のバイオロイドの猛攻を受けて、海斗は防戦一方の立場に置かれた。さらにRX300は対サイボーグ拳銃を取り出し、攻撃が一層激しさを増す。

 自動回避機能で何とか避けてはいるが、いつまで持ち堪えられるか。そんなことを考えていると、ふとある違和感を覚えた。

 上月の自宅で戦ったRX300と明らかに挙動が違う。まるでこちらの動きを予測して先回りしているかのようだ。この四体とは初めて戦っているはずなのに、何故か前回の続きをしているような錯覚に陥りそうになる。


『……くっ、どうなっているんだ、こいつらさっき戦った奴より強い!?』

『学習しているのです。先ほど海斗様が倒した同型機と戦闘データを共有して海斗様の動きを分析し、現実に反映しているのでしょう』

『なにそれ、そんなのアリ!?』


 つまりこのRX300は自分の戦い方を研究して、しっかりと対策を練っている訳だ。


『落ち着いてください。海斗様の力をもってすればたとえ相手が四体であっても脅威ではありません』

『そんなこと言われても……』


 そう嘆きながらも、海斗にはしかしまだ余裕があった。相手の攻撃は危なげなくいなし続けているし、回避した後に少し息を整える時間さえあった。本当に余裕がなくなっても、まだ加速装置という手段が残されている。

 上月の言葉が正しければ、自分には軍隊に匹敵するほどの力があるはず。

 落ち着け。冷静にやれば勝てない相手ではない。海斗は全神経を集中させて相手の動きを観察した。そしてここしかないというタイミングで攻撃の合間を潜り抜け、強烈な一撃を叩き込んだ。

 RX300の華奢な身体が遥か後方に跳ね飛ぶ。あれなら戻ってくるまでにかなりの時間を要するだろう。その好機を逃すまいと間髪入れずにもう一体のRX300に向かい合い、発射される銃弾を自動回避機能で躱しながら右拳を突き刺した。

 渾身の鉄槌は、文字通りRX300の胸部を貫通し、機能停止に追い込んだ。

 これで残るは三体。

 一体減るだけでかなり楽になった。三体のバイオロイドは著しく戦闘力が低下し、その内の一体は先刻負ったダメージのせいか、動きがかなり鈍重になっている。

 海斗は冷静に一体ずつ倒していった。


『四体じゃちょっと足りなかったみたいだね。次からは予算ケチらない方が良いと思うよ』


 海斗は床に倒れて動かなくなったRX300を見下ろした後、クルーガーの立体映像に目を向けた。


『ねえ俺を倒すって言ってなかったっけ? いつになったらやってくれるの? それとも今のがそうだったのかな? だったらゴメンね、お詫びにいくらでも負け惜しみを聞いてあげるけど』

「……チッ、口の減らないガキだ」


 忌々しそうにギリギリと歯軋りをしながら、クルーガーは怒りに震えていた。


「覚えているが良い。次はこうはいかないぞ」

『ふーん、次があれば良いけどね。悪いけど今のやり取りは全部録画させて貰ったよ。あとこの工場の地下にある見られて困りそうな物もね。これをSNSにアップすればトレンド入り間違いなしだと思わない?』

「……貴様ぁ、どこまで人をコケにすれば気が済むんだ!」


 クルーガーの額に幾筋もの血管が浮き出ているのがはっきり見て取れる。爆発寸前の怒りを必死に堪えているといった様子だ。


『悪いことは言わないから大人しく自首すれば?』

「ふざけるな、貴様らに捕まるくらいなら何もかも吹き飛ばした方がマシだ!」


 何やら物騒な言葉が飛び出してきたがどういう意味だろう。何かの暗喩なのか、ただの脅し文句なのか。

 考えあぐねているとプリスがやや緊迫した口調で話しかけてきた。


『すぐにそこから避難してください』

『どうしたの?』

『あと三分ほどでこの建物は爆発します』

『なっ!?』


 海斗は耳を疑った。


『そんなまさか……何かの間違いじゃないの?』

『たった今確認しました、この地下には建物全体を破壊出来るほどの大量のオクトーゲン爆薬が保管されています』


 オクトーゲン爆薬――正式名称はシクロテトラメチレンテトラニトラミン。爆薬の中でも最も高い威力を持っており、主に軍用に使われる。

 海斗はここへ来る途中に見たものを思い出した。この地下四階にあった複数の倉庫のような部屋。銃器と共に大量の爆薬が積み込まれた箱。

 あの部屋全てに爆薬が保管されているとしたら――


『ちょ、やめようよ! そんなことしたら敷金戻らなくなっちゃうよ!』


 海斗は懇願するように説得を試みた。


「知ったことか。せいぜい最期の時間を楽しむが良い」


 吐き捨てるようにそう言って、クルーガーの立体映像が消滅した。


『冗談でしょ……基地を爆破するなんてそんな昔の特撮ヒーローみたいなこと今時流行らないよ……』

「海斗君どうしたの?」


 プリスとの通話を知らないヒカリが首を傾げる。


『ヒカリさんとにかく走って!』

「え、ちょ――」


 海斗はヒカリを横抱きに抱えて走り出した。

 シャッターを豪快な蹴りで破壊した後、全力疾走でエレベーターを目指す。だがエレベーターで上がるには時間がかかり過ぎる。海斗は強引に扉をこじ開け、壁に張り付く力を利用してエレベーターシャフトの壁を駆け上った。

 ヒカリは終始「え……えっ?」と困惑の声を漏らしていたが、説明する暇が惜しい。

 もう時間がない。海斗は必死に走り続けた。

 ――次の瞬間。

 五感を圧倒する凄まじい大音響が世界を揺らし、光が視界を覆った。

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