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グリッドランナー  作者: 末比呂津
マンスローター編
10/63

それはご立派ですね

『……今何て言った?』

「海斗君なんでしょ?」


 ヒカリはあっけらかんとした口調で言う。


『な、何のことかわからないな……』

「だってあまりにもタイミングが良すぎるし、私が『まだ友達がいる』って言っただけで何でその人が『彼』だってわかるの?」

『……うっ』


 彼女は探偵か何かなのか?


『で、でもそれだけで俺がその人だって証拠にはならないよね』

「そうだね、でも知り合いの中で私のことを“さん付け”で呼ぶのは海斗君だけなんだよね」

『あ』


 迂闊だった。そういえばヒカリのフォロワーは全員、彼女のことをHIKARI“ちゃん”と呼んでいるのだ。こんなことなら自分も最初から“ちゃん付け”で呼んでおけば良かった。

 観念して変装を解くか。しかしそうなるとサイバーマトリックス社との契約が無効になる。とはいえもはや誤魔化しようがない。

 海斗は悩みに悩んだ末こう言った。


『……ねえ、お願いだからこのことは誰にも言わないでくれない?』

「何で?」

『訳は後で話すから、この通り』

「……まあいいけど」


 ヒカリはまだ納得がいかない様子だったが、海斗が頭を下げたことで渋々同意してくれた。

 その時、倒れていた男の右手がふいにピクッと動いた。まるでその腕自体に独立した意志があるかのように海斗達のいる方向に向き、掌から何かを射出する。

 射出された物体は、音もなく一直線に海斗達目掛けて飛んでいき、ヒカリの胸元に命中した。


「きゃっ!?」


 男が完全に気絶していると思い込んでいた海斗は、その物体がヒカリに接触するまで気づかなかった。

 円盤状のそれはまるで玩具のような外見をしており、返しのついた無数のアームでヒカリの服にしがみついている。


『何だこれは?』

『気をつけてください』


 耳元でプリスが警告する。


粘着爆弾スティッキーボムの一種です。無理に引き剝がすと爆発する恐れがあります』

『何だって!?』


 良く見ると確かに中央部にタイマーのような数字がカウント表示されている。あと三十秒もない。そうこうしている内に、ヒカリが「何これ外れなーい」と言って無造作に引き剝がそうとした。ヒカリにはプリスとの通話は聞こえていないのだ。


『触っちゃ駄目だ!』


 海斗は大声でそれを制止した。


「ど、どうしたの?」

『下手に外そうとすると爆発する!』

「えぇ!?」


 ヒカリは銃を突きつけられたように両手を上げた。

 海斗はプリスに指示を仰ぐ。


『どうすれば良い?』

『EMPを使用してください。左手から電磁パルス(EMP)を発生させて起爆装置を無力化するのです。ニューラル・インターフェースのUIから選択出来ます』

『本当に大丈夫なの?』

『問題ありません。人体には影響はないので』

『やってみるしかないか』


 考えている暇はない。こうしている間にも時間は差し迫っている。

 海斗はニューラル・インターフェースのUIから、EMPと表示されたコマンドを選択し、ヒカリの胸元に左手を添えた。

 途端にカメラのフラッシュのような閃光が瞬いたかと思うと、タイマーがカウントを停止した。

 周囲に張り詰めた沈黙が漂う。


『……やったのか?』

『確認しました。爆弾は完全に停止しています。もう外しても大丈夫です』


 恐る恐る爆弾を掴むと簡単に外れた。


『はあ、寿命が縮まった……』

「ねえ、ちょっと……いつまで触ってるの?」

『え……あっ!』


 今更ながら爆弾越しとはいえ、ヒカリの胸に触れていることに気づき、慌てて弾かれたように手を放す。


『い、いや別にこれはやましい気持ちじゃなくて、あくまでも君を助けようとして……』

「取り乱してると逆に怪しいんでけど」

『いやそのぉ……』

「くすっ……いいよ、特別に許してあげるっ」

「……はあ」


 本当はこのようなふざけたやり取りをしている場合ではないのだが、緊張の糸が一気にほぐれてしまった。


「まあいいや、とりあえずここから離れよう」

『あ、その前にちょっと向こう向いてて』

「?」


 ヒカリが言われた通りに背を向けると、何やら後ろでゴソゴソと音がして、数秒後には変装を解いた海斗が現れた。


「何で一々隠す必要あるの?」

「それはその……何となく?」


 二人は人通りの多い場所を目指して歩き始めた。

 万が一のことを考えて、念の為センチネルに通報しておいた。まだ男の仲間がどこかにいないとも限らない。


「それにしても何で連中は君を誘拐しようとしたんだろう。別に心当たりがある訳でもないんだよね?」

「うーん……」


 当然、ヒカリは首を縦に振ると思っていた。ところが案に相違して少し考え込むような仕草でこう言った。


「それが……実は完全にそうとは言い切れないんだよねえ」

「どういうこと?」

「ホラ、さっき私がホワイトハッカーの仕事もしてるって言ったよね。二ヶ月くらい前のことなんだけど、ある企業のセキュリティチェックの仕事を請け負ったら、そこでちょっと気になるものを見つけちゃったんだよね」

「気になるもの?」

「会社の税務調査報告書らしいんだけどね。会社の利益をわざと低く見積もってるっていうか、改竄? してるような感じがしたんだ。一応通報した方が良いかと思って記録を持ってきちゃったんだけど……」


 そう言ってヒカリはポケットから小型のフラッシュメモリを取り出した。


「ホワイトハッカーってそんな仕事までするの?」

「いやー本当はこういうことしちゃ駄目なんだけど、ちょっとした好奇心でね」

「……要するに盗んだってこと?」

「証拠品は持ってた方が良いでしょ」


 ヒカリは開き直ったように爽やかな声を発する。

 世間知らずなところがあるとは思っていたが、かなり破天荒な思考の持ち主のようだ。


「じゃあつまりこういうこと? 君がセキュリティチェックをした企業が不正をしていて。その証拠を取り返す為に君を誘拐しようとしたと?」

「断言は出来ないけど、可能性があるとしたらそれしかないかなーって」

「その企業の名前は?」

「えっとね、ロズウェル・カンパニーって会社。医薬品か何かを取り扱ってるって聞いたけど、詳しいことは私も良くわかんないんだ」


 海斗は試しにインターネットでその企業を検索してみた。ホームページを見たところ、何の変哲もない普通の企業だ。トップページには平凡な企業広告が繰り返し流れていて、事業内容を延々と説明している。

 役員名簿にも特に不審な点は見当たらない。

 と、その役員の中に、見覚えのある名前を発見した。

 |マネージング・ディレクター《MD》、サイモン・クルーガー。

 何故、彼の名前が? サイバーマトリックス社の社員が一体どのような接点があるのだろう。

 さらに詳細に調べてみると、この会社がサイバーマトリックス社の子会社であることが判明した。

 親会社の社員が子会社の役員を兼務するのは良くある話だ。それ自体は何も不自然なことではないが、何か引っ掛かるものを感じた。果たしてこれは偶然なのか。

 しかし現時点でこの会社と誘拐犯を結びつける証拠は何一つない。

 粉飾決算の証拠を取り戻すにしても、ここまで躍起になるものだろうか。

 悪事を隠す為に、より大きな悪事に手を染めるなんてやり方があまりにも乱暴過ぎる。

 他の方法だっていくらでもあるだろうに。


『海斗様』


 その時、耳の奥からプリスの声が聞こえた。


『お取込み中申し訳ありませんが、サイモン・クルーガー氏から連絡が入っております。お繋ぎしますか?』

「――ッ!?」


 まさか、このタイミングで? こんな偶然があるのか。

 確かめるには直接本人に聞いてみるしかない。しかし馬鹿正直に質問したところで、素直に話すとも思えない。はぐらかされる恐れがある。それとなく探りを入れてみるか。


『やあ、どうやらちょっとした行き違いがあったようだね』 


 クルーガーはどこか掴みどころのない、飄々とした態度でそう切り出した。


「何の話ですか?」

『なあに君ならわかっているはずだ。私の求めているものを渡したまえ。それだけだ』


 その言葉で疑惑が確信に変わった。もはや隠そうともしていない。

 どうやって海斗がヒカリを助けたことを知り得たのかはわからないが、男達を送り込んだのはクルーガーだ。


『何やら誤解があるようだからはっきりさせておこう。私は盗まれたものを返して欲しいだけなんだよ。本当は話し合いで穏便に解決したかったのだが、どこかの誰かさんが勘違いして暴れたらしくてね』

「勘違い? 銃や全身サイボーグの男がたった一人の女の子を寄ってたかって追いかけ回すのが?」

『……君は何もわかっていない』


 にわかにクルーガーの表情が強張った。その声音は威圧的かつ高圧的で、相手の反論を絶対に許さないという迫力があった。


『その小娘に何を吹き込まれたか知らないが全てデタラメだ。私は君の命を助けてやった、その恩を忘れた訳ではないだろう』

「そもそもお宅のトラックに轢かれてなきゃ、助けて貰う必要もなかったんですけど……という話は置いといて、じゃあ女の子が連れ去られるのを黙って見てろって言うんですか」

『その通りだ。世の中には正しくないことのように見えて実際には正しいことなんて腐るほどある。君の幼稚な正義感だけで判断するのはやめたまえ。これ以上私の邪魔をするな』

「へー、それはご立派ですね」


 クルーガーが段々と人を見下した態度になるに連れ、海斗は反感を強めていった。エリート階級特有の優生思想というものだろうか。自分より劣っている者は無価値な人間だと見做しているような態度だ。

 自分が落ちこぼれという理由もあってか、海斗はこのような類の人種に強い嫌悪感を抱いていた。


「でも知ってますか? あなたが改造してくれたこの身体には実は噓発見器ポリグラフ機能もついているんですよ。つまりあなたがさっきから噓ついてることはもうバレバレってワケ。意味わかります?」


 今、海斗の視界には相手の顔を見て、呼吸、脈拍、目元、表情筋の動きで相手が嘘をついているか判別するウィンドウが表示されていた。

 ポリグラフはクルーガーの「穏便に済ませた」や「全てデタラメ」や「実は正しいこと」という主張を悉く虚偽と認定していた。

 この様子だと一月前の暴走族の一件も、クルーガーの差し金だったのではないか、とさえ勘ぐってしまう。そもそもあんな不良にSNSの画像だけで居場所を特定する技術があるのが不可解だったのだ。

 暴走族にヒカリを襲わせ、それを脅迫材料に税務記録を渡すよう促そうとした、という推理は、それほど荒唐無稽ではない話のように思う。

 そうなると上月の言っていたことも真実味を帯びてくる。


 ――あの男を信用しない方が良い。


 気づけばクルーガーは不快感を隠そうともしなくなってきた。眉間に深い皴を刻み、怒りと憎悪を滲ませた目で睨みつけてくる。


『……言ったはずだ。我が社の不利益になるようなことをすれば重大な結果を伴う、と。この私を敵に回すのなら高い代償を払うことになる。覚悟しておいた方が良い』


 そう言うとクルーガーは一方的に通話を切った。


「どうかしたの?」


 ヒカリが心配そうに訊ねる。海斗はクルーガーとの通話を簡潔に説明した。


「やっぱりロズウェル社が関わってたみたいだね。今の電話の相手はそこの役員なんだけど、君を渡さなかったら酷い目に遭うぞって脅してきた」

「どうしよう、また襲ってくるかな?」

「うん、可能性は高いと思う」

「私が後先考えずに行動しちゃったせいでこんなことに……」

「何言ってんの。悪いのは向こうなんだから気にする必要なんかないって。それに何があっても俺が守るから大丈夫。さっきの俺の強さ見たでしょ?」

「うん……っていうかやっぱりあれは海斗君だったんだね」

「あ」


 つい口が滑ってしまった。

 結局ヒカリには正体を見破られてしまったが、すでにクルーガーを敵に回した以上、あの契約にどこまで拘束力があるのかは疑問だ。あるいはそんなに気にする必要はないのかもしれない。

 それよりも問題はこれからどうするかだ。

 ヒカリには大丈夫だと言ったが、実際はどうなるかわからない。

 相手は自分の身体を造った張本人。海斗の知らない弱点を利用して襲撃してくる可能性も考えられる。

 そうなるとセンチネルに保護して貰うのが一番の安全策ではないか。ちょうど良いところに、そろそろ通報したセンチネル隊員が到着する頃だ。

 カニ料理店の動く立体看板の下でしばらく待っていると、センチネルのスピナーがサイレンを鳴らしながら目の前に降下した。

 青紫色の回転灯が明滅し、車体の側面にはSentinelというデジタルフォントが点灯している。

 スピナーが着陸し、二人のセンチネル隊員が降りて来る。


「通報を受けて来たのだが」

「あ、はい。通報したのは自分で……」


 その時、隊員がふいに力強く海斗の腕を掴んだ。

 それは被害者を保護するというよりは、むしろ犯人を制圧する時の動作に近かった。


「な、何するんですか!?」

「未成年の男女が通行人を暴行しているとの通報が入った。一緒に署まで来て貰おうか」

「なっ……」


 その途端、海斗はある可能性を考えた。

 センチネルはサイバーマトリックス社の子会社である。もしクルーガーが裏で彼らに海斗達を逮捕するよう命令したとしたら――

 迂闊だった。最初から気づくべきだったのだ。一人の少女を捕まえる為に武装した男達を送り込んでくる奴だ。手段を選ぶはずがない。

 そうこうしている内に、もう一人の隊員がヒカリの腕を掴んで押さえつけようとする。


「痛っ!」

「大人しくするんだな」

「やめろ!」


 どうする。自分ならこの二人を倒してヒカリを助けるのはそう難しいことではない。

 だがそれはこの都市の治安維持機関に歯向かうことを意味する。相手はギャングや暴走族とは訳が違う。しかし痛みに苦悶の表情を浮かべるヒカリを見た途端、そんな葛藤も吹き飛んでいた。

 海斗は意を決してセンチネル隊員の顔面を殴りつけた。

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