70.教祖ヘオイヤの旅路(後編-1)
王都の宮殿。歴史を感じさせる豪奢な建物。国王の執務室に、二人の男がいた。この国の最高権力者である国王と、軍の最高指揮官である元帥だった。
普段、元帥は王都の南にある”最前線”の砦に駐屯しているが、会議などがあると王都へやってくる。そして、元帥が王都へ戻ってくるたびに、国王と雑談するのが慣例だった。
「……動員が、始まったね。」
国王が言った。いつもの国王然とした態度ではなく、どこか柔らかな雰囲気だった。
「まずは北から、そして南へ徐々に動員範囲を広げていきます。いまごろ、トーマンとタチアナはその対応に追われているでしょう」
元帥が答える。元帥もまた、いつもの威厳をまとってはいなかった。二人きりのこの空間は、最高権力者として君臨する国王と元帥が、素の自分を出せる唯一の場所だった。
「かつてないほどの大規模動員だからね。苦労も多いだろう」
「課題もありますが、タチアナの計画は、やはり秀逸です。今の国力で、二万もの兵を動員する計画を立てられるとは思いませんでした」
「……『”特別認識個体”魔王討伐のための人類動員最終計画』、か。大仰な名前だと思ったが、中身を読んで合点がいったよ」
国王は、窓の外に目を移した。晴れ渡った空の下に、王都の街並みが見える。そこから見える風景は、平和そのものだった。そして、国王がポツリと言う。
「――この計画は、動員後の人類の未来を一切考慮していない」
元帥が、国王をじっと見つめた。国王が言葉を続ける。
「……動員後の地方は飢え、魔物が跋扈するだろう。魔王を討伐できなければ、人類は滅亡する。まさに、『最終計画』だ」
「国王、我々は、賭けねばならないのです。このまま魔王勢力の防衛を続けても、国力を損耗し続け、いつか人類が滅亡する未来は変わりません。我々に必要なのは、最善の敗北ではなく、魔王討伐という、目のくらむような一度の勝利なのです」
「……わかってるよ、元帥。いまさら躊躇する気はない」
国王は、元帥を見つめ返し、言った。
「そう、勝つために、賭けると決めたんだ。――人類に残された、ありったけのすべてを、あの、勇者と聖女に」
元帥が静かに、しかし力強く頷いた。
――王都から遠く離れた場所で、当の勇者と聖女はラーラに叱られて泣きべそをかいているのだが、もちろん二人がそれを知る由はなかった。
◇◇◇
太湖の都市にある、軍の営舎。
将軍室の窓からは、朝日が差し込んでいた。トーマンとタチアナ、そして参謀の兵たちは、夜を徹して動員計画の細部を詰める作業を行っていた。さすがのトーマンも色濃い疲労を感じていたが、タチアナは平気な様子で書類を処理していく。
「参謀の兵たちは、そろそろ限界のようだな。トーマン、お前も仮眠をとるか?」
すました顔で、タチアナが言う。こと後方業務においては、やはりこの女はバケモノだと、トーマンは内心で思った。
「いや、もう少し、区切りの良いところまで――ん?」
窓の外から群衆の気配を感じ、トーマンは立ち上がった。見ると、数千人の群衆が、営舎へ向かってきている。一見すると流浪の難民のような集団だが、謎の一体感のようなものをトーマンは感じた。
「……なんだ、あの集団は?」
群衆は、制止しようとする見張りの兵を押しのけながら、ゆっくりと営舎へ進んでいる。