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68.教祖ヘオイヤの旅路(前編)

「……ふう、だんだん暖かくなってきたな」


 夕暮れの薄暗い陽のなか、街道のそばの草原で、冒険者の町のギルド長は小川で顔を洗っていた。二日ぶりの水場で、体も洗いたいと思ったが、小川にそこまでの水量はなかった。


 ギルド長は、ヘオイヤが作った謎の難民集団に同行していた。”勇者と聖女教”という宗教団体を自称するその集団は、勇者と合流すべく南下を続けていた。当初二千名ほどだった集団は、途中で難民を吸収し続けながら、今や三千人に達しそうな規模になっている。


 今は、夕食前の演説が始まっているところだろう、とギルド長は思った。風に乗って、ヘオイヤの演説が聞こえてくる。


「……ゆえに、勇者と聖女は、唯一無二にして、現世に降り立った神話の存在です! あの献身性や、慈悲深さは、人類が真似できるものではありません!」


 ヘオイヤは、難民集団へ向け、毎晩、勇者と聖女の話をしていた。当初、難民集団はそれがヘオイヤの妄言だと思い聞く耳を持たなかったが、いまや半数ほどが身を乗り出してヘオイヤの話を聞いている。


「……だからこそ、我々はこの魂と血肉で勇者へ貢献しなければなりません! みなさん、その覚悟を持ちましょう!」


 ヘオイヤの演説が終わると、難民集団から拍手が上がった。ヘオイヤの、じっとりした熱が込められた演説には、謎の説得力があった。聞いているといつか魅了されそうな危うさがあったので、ギルド長は、ヘオイヤの演説時には近づかないようにしていた。


 ギルド長は、小川で布を湿らして体を拭いた。これでも、少しはさっぱりする。


「……もう、食料が少ないな。太湖の都市で、貰えるといいが」


 ギルド長が呟く。ヘオイヤの独断で、ギルド長は”勇者と聖女教”の重役に命じられていた。重役といえば聞こえがよいが、単なる調整係だ。食料の管理と消費計画の策定、水を採取する算段、ヘオイヤが無理な布教をして起こしたトラブルの処理など、面倒なことがなんでも振ってきた。


 日課の演説を終えたヘオイヤが、ギルド長のもとへやってきた。


「いやぁ、だんだん信徒たちの信仰心が高まってきましたね。この調子だと、数日中には太湖の都市に到着できるでしょう」


「ヘオイヤさん、そろそろ食料が尽きるぞ。太湖の都市で補給できるあてはあるのか?」


「ギルド長、無用な心配ですよ。……勇者と聖女を信じることで、全てが解決します」


 ――ヘオイヤの眼は、怪しく輝き続けている。



 ◇◇◇



 太湖の都市の郊外。黒き魔術師(ラフロイナ)との激戦の跡がまだ残るこの地に、トーマンをはじめとした、トーマン軍の兵士たちが整列していた。それと向かい合うように、レン、ハナ、カリア、タチアナが立っている。


「……悪いな、大げさな送り出しになってしまった。四人を見送りたいという兵が、思った以上に多くてな」


「いえ、トーマン将軍。むしろ、このような送別を頂けて恐縮です」


 トーマンに対して、ラーラが言う。四人は、王都へ向けて出発しようとしていた。


「ラーラ、本当に陸路で王都へ行くのか? 船ならいくらでも用意できるが」


 太湖の都市と王都は、中央大河で繋がっていて、船で川を下るのがいちばん早い移動手段だ。しかし、ラーラは陸路で王都へ向かおうとしていた。


「船に乗ると、三人が船で暴れて途中で沈没する恐れがあるので……」


 ラーラが苦笑いしながら言う。実際、商人の都市から太湖の都市までの、たった半日の船旅で、レンとハナとカリアは船を半壊させていた。


「――それと、道中にある”図書館”へも寄ってみようと思います」


「……”図書館”、か。勇者と聖女の情報について調べるのか」


 トーマンは、微妙な反応をした。”図書館”は、その異常とも思える極端な思想から、国王から遠ざけられている組織だった。


「はい、王都は良い顔をしないと思いますが、この際、手段は問いません。人類が魔王の意図や目的を理解できていないのと同じくらい、我々は勇者と聖女のことを理解できていません。今後、勇者や聖女と共に戦うにあたり、その一助となる情報を得られればと思い」


「……俺が口を出すことではないな。まぁ、ラーラの好きにしたらいい。ただ、あまり時間の余裕はないぞ」


「はい、トーマン将軍から見事な駿馬も頂きました。王都へは、十日以内に戻ります」


 言ったラーラの視線の先で、カリアが大きな白馬の首を撫でていた。トーマンがカリアへ与え、一緒に戦場を駆け抜けた馬だ。カリアの無茶に付き合い何度か死にかけたが、ハナの治癒で首の皮一枚で生き残っていた。白馬は、かなりカリアへ懐いているようだった。カリアは、兎のように跳ねて駆けるこの白毛の馬を、”白うさぎ”と名付けていた。


「……レン、ハナ、カリア。お前らがいたから、この都市を防衛できた。また、会おう」


 トーマンが言い、続けざまに全軍に号令をかける。


「太湖の都市を防衛した、英雄の出立である! 全軍、敬礼!」


 一糸乱れぬ動きで、兵士たちが四人へ向け一斉に敬礼した。


 ハナはぶんぶんと手を振りながら、レンはどこか気恥ずかしい様子で、カリアは堂々と白馬に騎乗しながら、太湖の都市を後にした。



 ーーー



「うわぁ、すっごい、でっかい水たまりだなぁ」


 四人は、太湖沿いの街道を進んでいた。太湖の大きさに、レンが感嘆の声をあげた。


「レン、違いますわ。これは水たまりではなく海ですわ」


 ハナがしたり顔で言う。


「へぇ、そうなんだ。ハナは物知りだね。海ってなに?」


「ええと……海はとってもでっかいんですわ。絵本で見たことがありますわ」


「そっか、こんなにでっかいなら、これは海だね」


 レンとハナの会話を聞きながら、ラーラがしかめっ面で頭を抑えた。二人の会話を聞いて頭痛がしているようだ。そんなラーラに、”白うさぎ”に乗ったカリアが声をかける。


「そういえば、この湖は遥か昔に一夜で生まれたという伝説があったな。魔法でこの規模の大地を穿つことは可能なのか?」


「……それは、無理ね。王国の魔術師総出で、生涯をかけてやろうとしても無理。うーん、ハナの治癒で魔力を無限に使えるのなら、数十年かかればあるいは、という感じかしら」


 ラーラが、生真面目に考えて言った。もともと魔術の研究家であるラーラは、こういった問答が嫌いではない。


「なるほどな、こんな大きな湖を生み出す大地の力は、人間を凌駕しているということか。魔王でも、無理か?」


 カリアの質問に、ラーラは口に手をあて、数秒考えた。


「……10年前、”最前線”での決戦で、魔王は爆発魔法を使っているわ。記録を見る限り、信じられないくらいの爆発規模だったらしいけど、それでも千発は撃たないと太湖を作れないわね」


「そうか、わかったラーラ、この太湖はそれほど広大なのだな」


「……太湖?」


 太湖という言葉を聞いたハナが、ピタッと動きを止めた。


「ハナ、どうしたの?」


「――何か、太湖について、大事なことを言われた気がしますわ……」


 ハナは、何かを思い出そうとしていた。はるか昔に、誰かに何かを言われた気がする。例えば、女神の神託――


 そう、女神は神託で告げていた。


 ――『ふたつめ。奇跡の杖、太湖の奥底。座標138.07-36.04』――


 ここは女神が神託で告げていた場所だった。「ほら、そこ! そこの水の中!」という女神らしき声も微かに聞こえる気がする。


 ハナは少し考えたあと、顔をあげキリリとした表情で言う。


「――さっぱり思い出せませんわ!」


「そっか。……じゃあ歩くのも飽きたし駆けっこでもしようか!」


 言ったレンが、走り出す。いや、走ると言うよりも、一歩一歩が大地を割りながら、稲妻のように高速で移動していく。


「レン、待て~ですわ!」


 ハナも凄まじい速さで駆けていく。カリアも素早く反応して、白馬を疾駆させる。


 ラーラが、ひとりポツンと取り残された。ため息をついたラーラが、舌打ちをしたあと、自身へ身体強化魔法をかけた。


「――ったく……! あいつらときたら……!」


 ラーラが三人を追い駆け出す。駆け出したラーラの顔からは、いつもの大人びた表情が消え、年相応の少女の面影が浮かんでいた。


 ――女神の泣き叫ぶような声が、あたりに響いた気がした。奇跡の杖を入手する機会は、ここで永久に失われた。

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