61.太湖の都市の宿敵(後編-6)
――迫る魔物たち。戦線が崩されかけている。もはや、”魔弾”を温存している余裕はないとラーラは判断した。
「――”魔弾”、放出」
後衛の軍にいるラーラは、亀の魔物へ向けて”魔弾”を放った。光線が、亀の魔物に突き刺さる。何体かを潰したが、亀の魔物の群れは止まらない。
前方で、レンとカリアが亀の魔物を食い止めている。しかし、レンの攻撃が通じず、ジリジリと押されている。ラーラの隣にいるハナは、怯えながら震えている。前衛の軍の一部が救援に向かってきているが、まだ距離がある。
状況は、悪くなっていく一方だった。ラーラは、大きく息を吸い、そして吐き、動揺を鎮めようとした。ここまで来たら、自分にできる最善を尽くすだけだ。
不穏な魔力の流れを感じ、ラーラは視線を上げた。黒き魔術師。遠くにいる。指先をこちらに向け、空中で静止していた。なぜ、黒炎の射程外で、無防備に空中で静止しているのか。
トーマン近衛騎馬隊の強弩から放たれる矢が、黒き魔術師を捉える。数本の矢が、黒き魔術師に突き立った。それに構わず、黒き魔術師は空中で静止している。――いや、あれは詠唱だ。黒き魔術師は、魔法を使う準備をしている。
黒き魔術師の指先から、ボウっと巨大な火球が生じた。そして、火球が無理やり押し込まれるように小さくなっていく。火球は、煌々と白く輝くこぶしほどの大きさとなり、さらに収縮し、黒く凝縮された点へと変わっていった。
そして、黒き魔術師は魔法を放った。
「――黒穿、放出」
黒き魔術師から放たれた、黒く細い光線が、空に定規で真っすぐに線を引いたように、高速でレンへ向かっていく。
気付いたカリアが、レンを庇うように動く。レンが、異常な反応速度で、黒穿を剣で弾こうとする。
――しかし黒穿は、カリアの右肩を貫き、レンの剣に穴を空け、そのままレンの右胸を貫いた。
レンの右胸から、血が噴き出す。そして、レンが気を失い、倒れていく。ラーラは、その時間がとてもゆっくりと流れているように感じた。
レンが、ドサリと、血を噴き出しながら倒れる。ハナの悲鳴が、戦場に響いた。
戦場が、シンと静まった。勇者が、倒れた。その衝撃が、兵士の間に広がっていた。亀の魔物が、倒れたレンに殺到していく。
「うおおおおお!!!」
カリアが叫びながら、殺到する亀の魔物を斬りつける。その声で、ラーラは我にかえった。
上空を見る。黒き魔術師。レンに止めを刺そうと、また黒穿を放つ準備をしている。――防がねばならない。
ラーラは、杖を黒き魔術師へ向け、”魔弾”を撃とうとした。通常、”魔弾”を撃つためには、魔力の集中と詠唱が必要で、数十秒かかる。しかし、そんな余裕はない。
暴れようとする魔力を無理やり制御しながら、ラーラは”魔弾”を撃った。ラーラの手元で、暴走した魔力の爆発が起きる。黒き魔術師が黒煙を出し”魔弾”をかわす。とりあえず、黒穿の詠唱は止められた。
無理やり”魔弾”を放出した代償で、ラーラの右腕は爆ぜ血が滴っていた。杖も折れてしまった。杖は魔力を増幅させ魔法を制御する機構であり、もう”魔弾”は撃てない。
隣のハナを見る。レンが倒れるのを見て、怯え切っていた。もう治癒には期待できない。ラーラは痛みに顔を歪ませながら、右腕を縛り止血した。
ラーラは、残った魔力で自身に身体強化魔法をかけ、左手で短刀を握った。そして、ハナを守るために亀の魔物の群れに飛び込んでいく。
――自身にできる最善を、ただ尽くそうとしていた。たとえ、それが結末の変わらない、無意味な行為だとしても。