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6.人はそれを、勇者と呼ぶ(後編)

「……ん、ハナ。あそこ、クマちゃんとワンちゃんがたくさんいない?」


 レンが、辺境の町の方をじっと見ながら言った。


「あら、ワンちゃんやクマちゃんみたいな小動物は、退治した方がいいですわね」


「なんか、小動物よりも大きそうなやつがいるんだよね」


「小動物よりも大きい……なら、中動物かしら?」


「それだ、ハナは言葉が上手いなぁ。そうそう、中動物がいる」


 辺境の町はまだ距離があり、二人が言う中動物はその先の森に隠れていたが、レンにはなぜか感知できているようだ。


「クマちゃんみたいな小動物なら、兵士になれない単なる農民の私たちでも倒せますわ。でも、いくら魔物ではないといっても、中動物は危ないから、逃げた方がいいと思いますわ」


 ハナが、もっともなことを言う。しかしひとつだけ違うことがあり、レンが発見したのは、中動物ではなく、辺境の町を滅ぼそうとしている”特別認識個体(ネームド)”である。


「だからだよ、ハナ。あれを退治すれば町の人たちからご褒美のご飯をもらえるんじゃないかな?」


「そ、それですわ!!」


 レンとハナは昼食を抜いてお腹がペコペコだった。腹を満たすためだったら、なんだってする覚悟だ。


「レン、あの中動物をすぐにやっつけてくださいまし!」


「うん、わかった!」


 レンは、一歩を深く踏み込み、飛翔するように駆けて行った。みるみるうちに、辺境の町が近づいてくる。


 ーーー


 辺境の町に、ズシン、ズシンと足音が響く。


 皆が、そちらを見ていた。民兵も、町の住民も、そしてヘオイヤも。


 森の中から、体長10mはある巨体の熊が表れた。周囲には、多数の魔物を従えている。


 それは、ゆっくりと町に近づいてきた。


「”特別認識個体(ネームド)巨大熊(ビッグ・ベアー)が出現! 200匹ほどの魔物を従えて、町へ向かって移動してきます!」


 ”特別認識個体(ネームド)巨大熊(ビッグ・ベアー)。数年前、辺境の都市を壊滅させた凶悪な”特別認識個体(ネームド)”だ。それは、死神のように、町に向かって悠々と行進を続けている。


 ヘオイヤは、脳のすべてを使いながら、どうやれば奴らを追い出せられるか考えた。そして、その思考はすぐに終わった。無理である。”特別認識個体(ネームド)巨大熊(ビッグ・ベアー)だけでも対応できないのに、それに200匹の魔物がついている。


 押し殺していた、胸の中の黒々としたものが、ヘオイヤの中に込み上げていく。再び、絶望の蓋が開いた気分だ。


 巨大熊(ビッグ・ベアー)は、獰猛な魔物を従え、こちらへあと数分の距離に迫っている。


「ああ……あああ……! もうおしまいだ!! 俺たちはみんな死ぬんだ!!!」


 民兵の一人が、恐慌状態に陥った。それはすぐに伝播していき、民兵たちの心をたやすく挫いた。武器を捨て、ただ嘆いたり、ただ祈ったりする者が出始めた。町の住民も、魔物の群れを見て呆然としている。絶望が、町に広がっていた。


 ヘオイヤもまた、それに飲み込まれようとしていた。また、仲間が死ぬ。


 巨大熊(ビッグ・ベアー)は、咆哮をあげ、涎を垂らしながら、町まであと少しの距離に至った。町を守るはずの民兵の心は折れていて、矢のひとつも飛ばない。


 子供の泣き声がする。ヘオイヤは、そちらを見た。戦闘の前に家まで送った鍛冶屋の子供が、魔物と戦い重症を負った自身の父親を抱きしめながら、泣いていた。父親は、遠目に見てももう助からない容体をしていた。


 ああ、また私は、大切なものを守ることができなかった。


 町が、死の恐怖に染まっていく。巨大熊(ビッグ・ベアー)が、楽しむようにゆっくり町に近づいてくる。


 ヘオイヤは、自らの心が折れる音を聞いた。


 ヘオイヤは、はじめて膝を折った。そして、心から神に祈った。彼が最後にすがったのが、神だった。震えるほど力いっぱい手を合わせ、歯を食いしばり、強く強く祈る。


 どうか、皆が少しでも希望を持ちながら死ねますように。


 どうか、皆が少しでも恐怖を感じずに死ねますように。


 どうか、皆が死の間際くらいは、幸せな思い出を感じられますように。


 ――せめて、皆の死が安らかなものであるように。


 悲鳴。諦観。絶叫。呆然。町が、終わりを迎えようとしている。 巨大熊(ビッグ・ベアー)が一歩踏み出すごとに、町のすべてが揺れていく。希望が踏みつぶされ、粉々にされていく。


 地獄だ。祈りながらヘオイヤは思う。神よ、これが私の罪か。戦いから逃げ出し兵士を辞めた、私への仕打ちなのか。


 巨大熊(ビッグ・ベアー)が、柵を踏みつぶした。魔物が、街中へ殺到していく。皆が自らの運命を悟り、絶叫が止み、町がしんと静まり返った。


「――なんだ、あれは」


 誰かが言う声が聞こえた。ヘオイヤは、漫然と顔をあげた。晴れ渡った空を、移動している何かがあった。


 何かが飛翔し、町を飛び越え、巨大熊(ビッグ・ベアー)の方へ向かっていた。それは、少年のようにも見えた。死の恐怖で呆然としていた町の皆が、なんとなくそれを見つめている。


 少年は、鈍く銀の光を放つ剣を持っている。その表情に、覚悟や気負いはなく、ただ無邪気にそこに存在してる。


 ヘオイヤは、緩慢とした思考の中、かつて読んだおとぎ話を思い出していた。


(人々が恐怖し、絶望の底に追いやられたその時に――)


 少年が、町に突入しようとしている魔物の群れの中に降り立った。そして、踊るように剣を振るい、魔物をたやすく両断していった。町の皆は、何も理解ができず、その光景をただ見つめている。


(誰もが諦め、人生を投げ出そうとしたその時に――)


 周囲の魔物を斬り尽くした少年は、”特別認識個体(ネームド)巨大熊(ビッグ・ベアー)へ向かって跳躍した。矢のような、飛ぶような跳躍だった。 巨大熊(ビッグ・ベアー)が立ち上がり、少年を迎え撃とうとする。


(超常の力を持って、希望をもたらす人間がいる――)


 巨大熊(ビッグ・ベアー)が咆哮しながら、少年を叩き落とすように腕を出してきた。少年が、空中でくるりと回転しながら剣を振った。掌、上腕、肩、胸。スパリと、巨大熊(ビッグ・ベアー)が両断され、上半身が音を立てて地上に落ちた。


 町の皆が、息を止めながら、その光景を凝視していた。


(――人はそれを、勇者と呼ぶ)


 両断された巨大熊(ビッグ・ベアー)の下半身から血が噴き出し、それが日の光に照らされ、虹を作った。


 ヘオイヤは、自分が涙を流しているのに気付いた。



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