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59.太湖の都市の宿敵(後編-4)

 突如、空を舞う黒き魔術師(ラフロイナ)が黒煙を撒き散らしながら反転し、乱戦状態になっている前衛の軍の方へ向かっていった。強弩でも届かない高度だ。トーマンはすぐに近衛騎馬隊を反転させ、黒き魔術師(ラフロイナ)の後を追った。黒煙があたりに充満し、戦場の視界はだいぶ悪くなっている。


 黒き魔術師(ラフロイナ)が仕掛けてきたと、トーマンは思った。この戦は、相手の読みを外し、相手を読み切った方が勝つとトーマンは思っていた。長年の間、腐るほど戦い続けてきた相手だ。お互いの手の内はわかっている。


 黒き魔術師(ラフロイナ)が、前衛の軍へ急降下する。攻撃する気だ。黒き魔術師(ラフロイナ)が、地上へ黒炎を振りまいた。魔物ごと、兵士が燃えていく。


「――強弩、発射!」


 黒き魔術師(ラフロイナ)が降下したことで、近衛騎馬隊の強弩の射程に入った。黒き魔術師(ラフロイナ)の肩に、腿に矢が刺さる。しかし黒き魔術師(ラフロイナ)は、前衛の軍への攻撃を止めない。


 キンという音が戦場に鳴り響き、後衛の軍から青白い光線が放たれる。ラーラの”魔弾”だ。黒き魔術師(ラフロイナ)へ向かっていく。しかし黒き魔術師(ラフロイナ)はそれを読み切っていたようで、十分な余裕を持って魔弾を躱した。


「……まずい」


 トーマンは呟いた。ラーラの”魔弾”は、黒き魔術師(ラフロイナ)の動きを制限する抑止力だった。ラーラが次の”魔弾”を打てるようになるまでの数十秒の間、黒き魔術師(ラフロイナ)は”魔弾”を警戒せずに戦えるようになる。


 突如、空を覆うほどの黒煙が黒き魔術師(ラフロイナ)から放たれた。黒煙を放出した勢いを利用し、黒き魔術師(ラフロイナ)が後衛の軍に迫っていく。――ハナを襲う気だ。トーマンの背筋に、冷たい汗が走る。


 黒き魔術師(ラフロイナ)。後衛の軍の直前で浮上し、離れていく。なぜ、とトーマンが思った瞬間に、後衛の軍にレンが飛び込んできた。黒き魔術師(ラフロイナ)は、レンを警戒し避けたのだろう。


 トーマンは、小さく息を吐いた。ひとまず、ハナが討たれることはなかった。しかし、前衛の軍は黒き魔術師(ラフロイナ)の黒炎でかなりの打撃を受けていた。燃えさかる戦場に、兵士たちの悲鳴がこだましていた。


 トーマンは、黒き魔術師(ラフロイナ)を追って近衛騎馬隊を走らせた。今は、これしかできない。読み合いを続け、機を掴み、どこかで決着をつけるしかないのだ。しかし、徐々に後手に回っているような危うさを、トーマンは感じていた。



 ーーー



「――治癒(パーフェクトヒール)


 ハナが放つ緑の光が、戦場を照らす。黒焦げのカリアを含めた、何人かの兵士が復活した。しかし、大半の兵士が既に死亡しており、少数しか救うことができなかった。カリアは復活するや否や、雄叫びをあげて魔物の群れに突進していく。


「な、なんなんですの。治癒できない人がたくさんいますわ……」


 魔王勢力に追い詰められた人類にとって、死は日常のものである。ただハナは、自身の治癒で救えない人間がここまで多く出る状況を経験したことがなかった。戦場のあちらこちらで、重度の火傷に苦しむ兵の悲鳴が聞こえる。治癒しに向かおうとも、魔物の群れのせいで、間に合わない。


「聖女様! 聖女様! 頼む、早く、早く治してくれ!!」


 ハナの治癒を求める、怒号のような悲鳴が聞こえる。レンがそこまでの道を斬り開こうとするが、次々と魔物が襲い掛かり遅々として進まない。ハナの視界が、涙で滲んでいく。


「なんですの、なんですの……。こんなの聞いてませんですわ……」


「ハナ、落ち着いて。あなたの治癒で救われている人もいるのですから」


 ハナの隣に立つラーラが言う。ハナは、悲しくなってきた。


「ぐすっ……。ハナは、みんなを治癒できるんですわ。治癒すると、みんなが喜ぶんですわ。でも、ここでは、みんな怒ってるんですわ……」


 ハナは、ワンワンと泣き出した。


「ハ、ハナ。落ち着いてください。次の治癒を――」


 ドン、と音がして、ラーラの言葉は遮られた。何か、大きな足音のようなものが聞こえる。その音の方向を、皆が見た。黒き魔術師(ラフロイナ)が撒き散らした黒煙。そこから、何かが飛び出してきた。


 ”特別認識個体(ネームド)不壊の大亀(ふえのおおがめ)。人の背丈の2倍の体高があるその大亀を先頭に、亀の魔物群れが黒煙の中からやってきた。真っすぐに、一直線に、ハナのいる後衛軍へ迫ってくる。


 ハナは、頭が真っ白になった。立ち尽くすハナの脳裏に、何か、遠い昔のことが浮かんできた。

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