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54.太湖の都市の宿敵(中編-1)

 太湖の都市から少し離れた、森林の沼地。黒き魔術師(ラフロイナ)は、集落を焼きながら太湖の都市近くの拠点に戻る途中で、遠回りになるこの地を訪れていた。


 木々に囲まれ、湿った沼地のあちらこちらに、亀の魔物がいた。亀の魔物は、身じろぎせずにじっとしている。すると、濁った沼の水面が盛り上がり、巨大な亀が姿を現した。


 亀の魔物を統べる、”特別認識個体(ネームド)不壊の大亀(ふえのおおがめ)である。甲羅から出ている首だけで、黒き魔術師(ラフロイナ)の半身ほどの大きさはあろうか。凶暴性はそこまで高くなく、人を積極的に襲うことはない種族だった。


 ”特別認識個体(ネームド)”でも言葉を話せる個体はほとんどいないが、野生生物よりは知能がある。そして、”魔王の意思”によって”特別認識個体(ネームド)”になった個体同士なら、ある程度の意思疎通はできた。


 ”魔王の意思”とは、魔物の中でも強力な個体を”特別認識個体(ネームド)”に進化させる、魔王の能力である。”特別認識個体(ネームド)”となった魔物は、近くの魔物を使役することができるようになる。精神に影響を与える術理の魔法だろう、と黒き魔術師(ラフロイナ)は思っていた。


 黒き魔術師(ラフロイナ)は、不壊の大亀(ふえのおおがめ)にイメージを送り込んだ。言葉は通じないが、頭の中で情景を思い浮かべると、伝わるのだ。――魔物を殺戮し続けている、凶悪な人間の姿。特に、新しく出現した勇者や聖女という個体。そして、こんな濁った沼地とは大違いの、中央大河の清廉な環境と、豊富な水産物。勇者と聖女を倒せば、それらが全て手に入るぞ、と。


 不壊の大亀(ふえのおおがめ)は、コクリと頷く仕草をして、巨体を揺らしながらゆっくりと動き出した。それに、周囲の亀の魔物が続いていく。


 ニヤリと、黒き魔術師(ラフロイナ)は笑った。勇者の持つ、”全てを両断する剣”。自らの右腕と引き換えに、それが分解の魔法だと看破した。右腕の代償を、人類に払わせる時がきた。


 ――亀の魔物は、分解の魔法が効かない。何十年も前に、”図書館”の古い文献でそうが書かれていた書物を発見し、黒き魔術師(ラフロイナ)自身で試して確かめた。


 不壊の大亀(ふえのおおがめ)は、大勢の眷属を従えながら、太湖の都市へ向かい始めた。



 ◇◇◇



 黒き魔術師(ラフロイナ)襲撃に備えた全軍での大規模調練。演習場にある高台で、トーマンはそれ検分していた。トーマンの4千人の兵士は整然と鋭く動き、精鋭としての練度を保っていることを証明していた。


 今回の調練の主眼は、黒き魔術師(ラフロイナ)戦において最も重要な存在であるハナを、刻一刻と変化する戦況の中でどう守り抜くかである。黒き魔術師(ラフロイナ)の代役として、カリアに最精鋭の近衛騎馬隊を率いさせ、敵役に命じていた。ちなみに、レンとハナはすぐ調練に飽きて遊びだすので、ラーラが護衛対象であるハナの役をしていた。


 敵役である、百騎からなる近衛兵騎馬隊。トーマンが手塩にかけて育てた騎馬隊だった。その先頭に立つカリアが、グングン突出していって、ほとんど単騎の形で軍に切り込んだ。何人もの兵士が次々とカリアに打ち倒され、ハナ(ラーラ)までの道が開いていく。とんでもない圧力だった。ここまで苛烈な攻撃をしながら、不思議とカリアは死者を出さなかった。本人曰く、手加減しているらしい。


 カリアの斬り開いた道を、近衛騎馬隊が押し広げていく。初日にカリアと立ち合い重傷を負わされた近衛騎馬隊だったが、今はカリアを戦士として尊敬している。カリアとラーラまでの距離が詰まっていく。


 そこから、カリアの行く先に、何重もの防衛線が組まれた。多数を相手にして、カリアの進撃がにぶる。対黒き魔術師(ラフロイナ)用に運用している強弩も、射出準備を終えた。数倍の兵士に囲まれ、カリアと近衛騎馬隊の動きが封じられ、調練用の槍に突かれて近衛騎馬隊が何騎も落とされる。カリアの殺気が高まるのを、トーマンは感じた。カリアが、木刀を天高く振りかぶる。


「――そこまで! 両軍、戦闘解除!」


 トーマンは訓練を打ち切った。あのままだと、カリアが死者を出しかねない。ただ、軍の動きは、トーマンの理想に近づいて来ている。


「あれれ、カリアを倒せそうだったのに、なんでやめちゃったの?」


 横で遊んでいたレンが、トーマンに声をかける。この勇者は規格外で、何を考えているのか一切理解できない。


「カリアがベソかくところ見たかったのに、残念ですわ……」


 聖女であるハナもまた同様だった。しかし、彼らのその圧倒的な力は今の人類にとって間違いなく必要な希望であり、彼らの性根も曲がってはいないと、トーマンは判断していた。


「カリアに、兵士を殺させるわけにはいかねぇからな。ハナ、負傷兵を治療してくれ。駄賃はそうだな……軍用のクッキーでどうだ」


「クッキー! 食べたいですわ!」


 負傷兵たちのもとへ、ハナがとてつもない勢いで駆け出していった。


「クッキー……。美味しそうだなぁ」


 レンがじーっと、物欲しそうな目で指をくわえながらトーマンを見上げている。トーマンは、机に置いてあった支給品の飴を、がさりと握ってレンに差し出した。


「小僧、いやレン、お前の好きな食べ物は?」


「うーん、いろいろあるけど、やっぱり寮長のおばちゃんが作るシチューかなぁ」


 飴をボリボリと食べながら、レンが答える。


「そうか、わかった。黒き魔術師(ラフロイナ)を倒したら、シチューでもなんでも好きなものを食わせてやる。だから、実戦ではちゃんと戦ってくれ」


 レンが、キョトンと首をかしげた。


「トーマンさんは、なんでそんなに黒き魔術師(ラフロイナ)を倒したいの?」


 ――トーマンは答えず、黙って遠くに見える森を見つめた。黒き魔術師(ラフロイナ)の拠点と言われている場所だ。そこを見るのは、癖になっている。

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