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53.太湖の都市の宿敵(前編-4)

 外の空気を吸いたくなり、トーマンは部屋を出た。


 ――夕暮れの薄黒い空に、うすら寒い風が吹いていた。惨憺たる気分は、さらに深まっていく。


 演習場では、いつもの調練が続けられていた。隊列を組み整然と駆け回る騎馬隊。強弩の発射訓練を行う兵たち。トーマンは、それらを横目でぼんやりと眺めながら、行く当てもなく歩いていた。何かを考えねばと思ったが、何も考えがまとまらない。それほど、タチアナの発狂は衝撃だった。


「――ワンワン。私はワンちゃんですわ。ご飯が欲しいですわ」


 声の方を見ると、レンとハナがしゃがんで何かをしていた。ハナは薄汚れた犬の人形を持ちながらしゃべっていて、人形ごっこをしているようだ。トーマンは、足を止めなんとなくそれを眺めた。


「よしよし、ワンちゃん。おやつをあげよう」


 レンが、犬の人形に泥団子を渡す。


「モグモグ、美味しいですわ。ワンワン、良い子にしてたので、撫でて欲しいですわ」


「よしよし、ワンちゃん。撫でてあげよう」


 干乾びた手が、犬の人形を撫でた。レンは、人間のものと思われる干乾びた前腕部を取り出して人形を撫でていた。なぜ人の腕が、と思う前に、トーマンにはその手に付いている指輪に見覚えがあった。


「――小僧、それは、黒き魔術師(ラフロイナ)の腕!?」


「うん、たぶんそうだけど、大声出してどうしたの?」


「勇者が腕を斬り飛ばしたという報告はあったが、腕はお菓子の村の守備兵が回収して、王都へ輸送されているはずだ。俺自身も、腕が黒き魔術師(ラフロイナ)のものであることを確認した。――なぜお前がそれを持っている?」


「簡単ですわ! レンが腕を斬ったあと、ハナが治して元通りにしてあげたんですわ!」


「そうだね、そのあともう一回、腕を斬り飛ばしたんだっけ。あれれ、これって最初に斬った方だっけ? 後の方だっけ?」


「覚えてませんわ!」


 トーマンは、二人の言っていることが、理解できるようでさっぱり理解できなかった。


「二度腕を斬り飛ばした……? いや、黒き魔術師(ラフロイナ)を治癒しただと……? いやいや、両断した腕を元通りにした……?」


 その時、近くで兵士の悲鳴が聞こえた。


 トーマンが目を向けると、訓練場で兵士とカリアが木刀を持って向かい合っていた。兵士は、ひどく怯えながらわめいている。


「も、もうやめてくれ! こんなの訓練じゃない! 俺たちが悪かったから――」


「何を言う、百人抜きを提案したのはお前たちではないか。お前が最後の一人だ。――いざ、参る」


 悲鳴を上げながら、兵士がカリアに木刀を振るう。カリアは、一歩踏み込み、下段から木刀を強烈に振り上げた。兵士の木刀が、数本の指とともに宙を舞った。返す刀で、カリアは木刀を兵士の肩口に打ち込んだ。骨が砕け、木刀が兵士の体にめり込んだ。兵士は倒れ、泡を吹きながら痙攣しだした。


「命は奪わんように手加減をしているのに、臆病な連中だな。とはいえ、いい運動にはなった」


 カリアの周囲には、同様の重傷者が何十人も転がっていた。トーマンは思わず怒鳴り声を上げる。


「お、お前、何してやがるんだ!」


「ん? 手合わせを命じたのはトーマン将軍だろう。礼を言う、久しぶりに人と立ち合えて面白かった。レン殿とハナ殿もくつろいでいるし、二人をガキ呼ばわりしたのは水に流そう」


 カリアが相手をしたのは、精鋭と言われる太湖の町の駐屯軍から、トーマンがさらに選抜をした最精鋭の近衛兵たちだった。その屈強な兵士たちを、カリア一人で打ち倒したというのか。というか精鋭兵に大量の重傷者が出ていて、黒き魔術師(ラフロイナ)との防衛戦はどうなってしまうのか。


 次から次へと展開されるよくわからない状況にトーマンの理解が追いつかない中、ハナがひょいと顔を出した。


「あら、カリア! こんなに人をケガさせちゃいけませんわ」


「すまない、ハナ殿。手加減はしたのだが……」


 ハナに叱られ、カリアがしょんぼりした。


「仕方ありませんね、夜ご飯のデザートをくれるのなら、治してあげますわ。――治癒(パーフェクトヒール)


 ハナの杖から緑の光が発せられる。光は膜のようになり、ハナを中心に、20人ほどは入れそうな半円の光のドームが展開された。負傷者が転がっている訓練場を、ハナが歩き回る。ハナの光に包まれると、負傷者の傷がみるみるうちに癒されていく。回復した兵士たちは、奇跡を目の当たりにしたように、呆然とハナを見つめていた。


「みんな治ったようですわね。カリア、夜ご飯のデザートとパンの約束を忘れないでくださいね」


 ハナの要求がしれっと増えていた。


「……なんなんだ、こいつらは」


 トーマンは、困惑というよりも、呆れかえっていた。タチアナの発狂から、レンの持つ黒き魔術師(ラフロイナ)の腕、カリアのずば抜けた戦闘能力、そしてハナのデタラメな治癒能力に至るまで、すべてがトーマンの理解を超えていた。


 ――いや、状況を理解する方法が、ひとつだけある。軍人は楽観的な観測を持ってはならない。だから、トーマンはそれを認めることを避けていた。しかし、これだけ事象が重なれば、認めざるを得なかった。


 全軍人が、全人類が、待ち焦がれていたその事実を。


「――お前ら、本当に、勇者と聖女だったのか」


 それで、全ての状況が理解できた。タチアナは狂っていない。彼らには”特別認識個体(ネームド)”を討伐する能力がある。魔王を討伐する可能性すら秘めている。――紛れもない、最後にして最強の、人類の希望なのだ。


「おい、トーマン将軍。レン殿とハナ殿はただの農民だぞ。勘違いする奴が多いから、気を付けろ」


 カリアが口を挟んだ。


「勇者でも農民でも、なんでもいい。お前らに、頼みがある」


 夕暮れの演習場。ハナの治癒を目の当たりにした兵士たちは、まだ呆然としている。風が吹き、少し冷えてきた。トーマンは、遠く微かに見える、黒き魔術師(ラフロイナ)の拠点である森を見つめながら、言葉を続ける。


「近く、黒き魔術師(ラフロイナ)の大規模襲撃がある。魔王討伐のために、ここで黒き魔術師(ラフロイナ)を討伐する必要がある」


 タチアナの計画書には、計画実行の前提条件として、黒き魔術師(ラフロイナ)の討伐があった。


「相当な激戦になるだろうが、ここで奴を討伐したい。――頼む、力を貸してくれ」


「うん、いいよ」


 間髪入れずに、レンが安請け合いした。特に深い考えはない。頼まれたから、引き受けただけだ。


 そして、訓練場の兵士たちが、ささやき始める。


「……おい、いまの治癒魔法、まさか噂の勇者と聖女じゃ――」


「確かに、あの強さもそれなら納得できる」


「勇者様と聖女様が、俺たちと一緒に戦ってくれるのか!」


 ざわめきは、すぐに歓声となった。レンとハナへ祈りを捧げる兵士もいる。宗教団体を自称する謎の難民集団が、勇者と聖女の奇跡をあることないこと吹聴しまくっており、その噂は兵士にも浸透していた。


 さっきまで(主にカリアのせいで)死の影に怯えていた兵士たちの顔にも、今や希望の色が浮かんでいる。


 歓声を受け、レンは少しはにかんだ。カリアは、強敵との戦いは望むところだと言わんばかりに腕を組んでいる。ハナは、頼みを引き受ければきっとご褒美をもらえるだろうとニヤニヤしている。


 ――いまこの瞬間、三人はまさに、人類の希望だった。

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