52.太湖の都市の宿敵(前編-3)
太湖の都市の演習場には、様々な軍事機材が山積みになっていた。そこには見るからに分厚い盾や巨大な剣といった古めかしい武具もあり、レンとハナは目を輝かせながらそれらを興味津々に見物していた。
「すごいなぁ、この分厚い盾。いかにも戦士が持ってる感じがするね」
レンが、積まれている馬車の車輪を見て感心したように言った。
「この剣も、ドデカいですわ。さすが王国の兵士、こういうのもブンブン振り回すんでしょうね」
ハナも、建設資材の鉄柱を触りながら感心したように言う。
レンとハナがいちいち感心しながら資材を見物していると、近くを巡回していた兵が声をかけてきた。
「あれ、子供がいるぞ。ほら、お兄ちゃんとお嬢ちゃん、ここは遊び場じゃないぞ、早くお帰り。……というか、警備が厳重な軍の施設に、どうやって入ってきたんだろう?」
「遊んでるんじゃないですわ。ラーラにここらへんを調査しろと言われて、調べてるところですわ」
ハナが、さらりと嘘をついた。いや、レンとハナの頭の中では、そういうことになっていたのかもしれない。
「魔術師団長ラーラ様の知り合いかい!? 貴族のご子息なのかな? いや、そういう格好には見えないけど……。もしかして、見習いの魔術師かな?」
「ねぇねぇ兵士さん、これなあに?」
レンが指差した先には、通常の倍ほどの大きさの弓があった。
「ああ、すごく大きいでしょ。これはね、強弩って言うんだ。普通の弓よりも、遠くへ矢を飛ばせるんだ。ひとりの力では引けないから、三人がかりで弦を引くんだよ」
へぇーと、二人は感心した声を出した。
「弓? 弓ってなんだろう?」
「何を飛ばすんでしょうね、カボチャとかかしら?」
「えぇ……君たち、弓を知らないのかい?」
なんか不思議な子供たちだなぁと、兵士は思った。
◇◇◇
営舎の将軍室。室内は余計な調度品もなく極めて簡素だった。ところどころに書類が積まれ、部屋の隅にはこれもまた質素なベッドも置かれている。その部屋で、トーマン将軍はタチアナの計画書を読み始めた。
表紙には、『”特別認識個体ネームド”魔王 討伐のための人類動員最終計画』と仰々しい名前が書かれている。
計画書は、前段と後段に分かれていた。前段に戦力の動員計画、後段に魔王討伐の戦闘方針が書かれているようだ。トーマンは、まず前段に目を通した。この計画を成立させるためのいくつかの前提条件のあとに、動員計画が記載されていた。
動員計画は、王都の南の戦線である”最前線”に、兵士と軍需物資を集めることを目的としていた。動員計画自体は、陸運と水運を巧みに組み合わせた、いかにもタチアナらしい、緻密で正確な計画だった。
「――徹底的に、戦力を集める気だな」
動員する範囲は王都近辺のみではなく、太湖の都市の駐屯軍はもちろん、王国の大半の集落が対象とされていた。兵士や物資を、文字通り根こそぎ”最前線”へ集める方針だ。
当然、各地域の戦力や物資は枯渇する。魔物に襲われる集落や、餓死する人々も出てくるだろう。人類は今、人命や国力をすり減らしながらなんとか魔王勢力との均衡を保っているが、それを壊す前提の動員だった。
タチアナは、賭けに出ようとしている。トーマンは計画書から、タチアナの覚悟を感じていた。10年前の魔王勢力との決戦でも、ここまで苛烈な動員はしなかった。魔王の討伐に失敗した後の人類のことなど、どうでもよいと言っているような計画だ。
しかし、全力で戦力をかき集めても、動員兵力は2万人足らずだ。10年前の決戦では、ここまで苛烈な動員をせずとも、5万人は集まった。それほどに、10年間で人類の力は低下していた。
5万人でも討伐できなかった魔王を、2万人でいったいどうしようというのか。トーマンは、資料をめくり、後段の魔王討伐の戦闘方針を読み進めた。
何枚か読み進めたとき、資料をめくるトーマンの手が止まった。いや、目を見開いたまま、前進が硬直していた。
トーマンは、しばらくその姿勢のままじっとしていた。トーマンの持つ紙が震えている。いや、トーマン自身が震えているのだ。それは、怒りや、失望や、哀れみからくる震えだった。
「……タチアナ、お前も狂っちまったのか」
トーマンは、ポツリと声を絞り出した。
計画書に記載されていたのは、まるで絵本の英雄譚のような、荒唐無稽な討伐計画だった。
――まず、全兵力を投入して、魔王の周囲にいる魔物を引きはがす。
孤立した魔王へ、勇者レン、聖女ハナ、戦士カリア、魔術師ラーラ、4人精鋭部隊で決戦を挑む。
レンが魔王に攻撃を仕掛け、ラーラが”魔弾”でレンを援護する。ハナが体力や負傷、魔力の回復を行い、カリアがハナを護衛する。
ハナが戦闘不能にならない限り、この精鋭部隊は半永久的に攻撃を続けられる。10年前の決戦で、魔王に物理攻撃が多少なりとも効くことがわかっている。レンの攻撃は、魔王に負傷を与え続け、最終的に魔王の討伐が可能である。
……そんなことが、書かれていた。他にも、細かい戦闘方針などが書かれていたが、もうトーマンの目に言葉は入ってこなかった。
トーマンは、書類を机に叩きつけた。
「なんだ、なんなんだ、これは! あの小僧が、魔王に負傷を与える? あの小娘が、全てを癒す治癒魔法が使える? あの女戦士が、魔王の攻撃から小娘を守り切る? 4人で魔王を倒す? ――馬鹿にするな!」
10年前の決戦には、トーマンも参加していた。魔王の強大さ、恐ろしさは誰よりも理解している。あいつらに、魔王に勝てるわけがない。そんなおかしな計画のために、国を滅ぼすほどの戦力動員をしようとしているのだ。もう、タチアナにまともな認知能力があるとは思えなかった。彼らが勇者や聖女だという情報も、タチアナの思い込みや勘違いだろう。
長きにわたる魔王勢力との戦いで、誰もが疲弊し、心を病んできている。国王や元帥すらも、限界に近づいてきているのをトーマンは感じていた。しかし、タチアナは別だった。どんなに困難な状況でも、考えうる最善手を冷静に打ち続けられるのがタチアナだった。
トーマンは、タチアナと自分さえ正気であれば、人類はもうしばらく戦い続けられると思っていた。しかし、その片翼はもう壊れていた。いや、あの勇者だとか聖女とかいうポンコツどもが壊してしまったのか。
トーマンは、惨憺たる気分に襲われていた。長年の戦闘で蓄積した深い疲労が、体の芯からにじみ出てくる。
外の空気を吸いたくなり、トーマンは部屋を出た。
――夕暮れの空は薄暗く、うすら寒い風が吹いていた。惨憺たる気分は、さらに深まっていく。