5.人はそれを、勇者と呼ぶ(中編-2)
レンとハナは、辺境の村へ続く道を歩いていた。
「う~ん、お腹が空いてきたなぁ」
「ペコペコですわ!」
昼食を食べずに村を飛び出してきたので、レンとハナは空腹を感じていた。馬車のおじちゃんにもらった飴も、すぐに全部食べてしまっていた。
「何か食べれそうなもの落ちてないかなぁ。クマちゃんとかワンちゃんみたいな、小動物でもいいんだけど」
レンが、お気に入りのボロボロな剣をブンブンさせながら言う。この剣は、数年前に裏山で拾ったものだった。はるか昔に作られた安物の剣で、とんでもないナマクラである。そこらへんのクワやスコップの方が攻撃力は高いだろう。
「レン気をつけなさい。小動物じゃなくて、魔物が出てくるかもしれませんわ」
ハナが、お気に入りのガラクタみたいな杖をぎゅっと握りながら言う。これは、レンがハナの誕生日にプレゼントしたものだ。それっぽい木の棒に、川原で拾ったキレイな石をはめて、植物のツタを巻き付けたものだ。要するに、単なる木の棒だった。
「あ、町があるよ、ハナ!」
道のはるか先に、辺境の町があるのをレンが見つけた。
「あそこでご飯を食べましょう!」
レンとハナは、町を目指して駆けだしていった。
◇◇◇
魔物の群れが、辺境の町を滅ぼさんとやってきた。
始まった、と司祭ヘオイヤは思った。物見やぐらからでも、魔物の群れが視認できるほど、敵は接近してきた。自身の感覚が、暗く、深く研ぎ澄まされていく。
熊の魔物と犬の魔物の混成部隊が、西から50匹、町へ向かってきている。瀬踏みだろう、とヘオイヤは思った。
辺境の町の周囲は、木の柵で囲まれていた。もともと、魔物除けに町の周囲に張り巡らされていた柵を、ここ数日でさらに補強した。柵が一部でも破壊され、魔物が町へ侵入してきたら、町は壊滅である。
「各所へ伝令。遊撃隊と、予備の守備部隊をすべて西へ投入。西の魔物部隊の、町への突入を絶対に食い止めてください!」
「わかった、ヘオイヤ司祭!」
伝令が、慌ただしく駆け去っていく。
戦場を俯瞰して指示を出せる人材は、ヘオイヤのみだった。ヘオイヤは、物見やぐらから、全ての状況を把握し、指示を出さねばならない。
もう、恐怖はなかった。やれることを、やるだけだ。
魔物が、町へ押し寄せてくる。柵を挟んで、民兵と魔物の戦いが始まった。
近づいてくる魔物に、民兵が柵越しからありったけの矢や石やぶつける。柵を押しつぶそうとしてくる熊の魔物を、何度も何度も槍で刺突する。柵を飛び越えようとする犬の魔物を、剣で切りつける。
50匹の魔物は、怒涛のように押し寄せてきた。民兵は、柵の間から槍を出し、弓を撃ち、押し止めようとする。柵を挟んだ肉弾戦だった。
ヘオイヤは、物見やぐらからすべての戦況を監視していた。今のところ民兵は、訓練通りの動きが出来ている。犠牲も出ているが、恐慌状態に陥る予兆はない。敵の第一波は、なんとかしのげそうだ。
この戦いは、ヘオイヤにとって数年ぶりの実戦だった。――だから、勘が鈍っていたのかもしれない。
突如、怒号と悲鳴がした。ヘオイヤが目を向けると、数匹の熊と犬の魔物が、すぐ先の柵を突破しようとしていた。敵の別動隊が、手薄なところを狙ってきた。
「北方面、3-1地点! 魔物が柵を突破! 最優先で、防衛線の再構築!」
ヘオイヤはそう叫びながら、槍を持って物見やぐらを滑り降り、魔物に突破されようとしている柵へ向かった。他の民兵も動き出したが、間に合わない。一手遅れた。
熊の魔物が、柵の最後の支柱をへし折ろうとしていた。周辺の守備兵は、突如現れた魔物との交戦で壊滅していた。すぐに柵が突破されるだろう。突破はすなわち全滅である。
ヘオイヤは、北の柵にたどり着くと、一呼吸だけ息を整え、柵を越えて、殺到しようとしている魔物の前に降り立った。ヘオイヤひとりに、魔物の群れが押し寄せてくる。
(ここが私の死地だ。神とやらがいるのなら、どうにかしてみろ)
ヘオイヤは、自身の死を覚悟し、それでも抗おうとした。兵士時代は、豪傑というよりも堅実な将校として評価されていた。ただ、子供のころは、おとぎ話によくある、圧倒的な力を持った英雄に憧れていた。襲い来る魔物を前に、ヘオイヤはなんとなくそう思った。
正面。犬の魔物の爪。横にかわしながら、片手で犬の魔物の喉を槍で貫く。すぐ迫ってくる、熊の魔物。槍を手早く引き抜き、熊が振り下ろしてきた右手を槍で滑らせ受け流す。熊の爪に巻き込まれ、槍を持っていた右手の指が数本飛んだ。反転し、熊の眉間に槍を突き刺す。すぐ抜き、足元まで迫っている犬に斬撃。右足に衝撃。別の犬に足を噛まれている。右ひじでその犬の頭を叩きながら、左手の槍で魔物を牽制する。正面から、熊の突進。槍を立て、熊が来る直前で横に転がる。熊が倒れこんできて、ズズンと音がした。自重により、うつ伏せに倒れた熊に槍が突き刺さっている。転がる過程で、犬の牙は足を外れた。ヘオイヤは本能的に立ち上がった。疲労と出血で、視界が揺らいでいく。武器はもうない。しかし、時間は稼いだ。
その時、後ろから声があがった。
「みんな! ヘオイヤ司祭を援護! お前ら死んでも司祭を救出しろ!」
歓声。矢。槍。民兵の救援部隊が北の柵に到着した。柵の間から、ありったけの矢や石が魔物へ打ち込まれていく。数人の民兵が柵を越えて、ヘオイヤを救出した。魔物の別動隊は、数匹の死骸を残し、逃走していった。破られかけた柵は、あっという間に修復された。
柵の中へ救出されたヘオイヤは、噛まれた右足を簡単に止血すると、杖を使って歩きながら、矢継ぎ早に指示を出していく。別動隊を退治できたことで、民兵の士気は高い。
「投石と弓を絶やさず、槍兵は2列で交互に攻撃。手薄な個所の監視を強化。草むらを這って近づいてきます、草の動きも見逃さないでください」
民兵は、多くの犠牲を出しながら死力を尽くして戦った。彼らも、自分が負ければ家族や友人が生き残れないことを知っている。20分ほど柵を挟んで押し合い、魔物の死骸が20匹を越えようとしたとき、魔物の群れは一斉に森へ退散していった。
駆け去った魔物が残していった土煙を、民兵たちが呆然と眺めていた。
「か、勝ったのか……?」
「や、やったー! 魔物の群れを退治したぞ! 辺境の民兵の俺たちがだ!」
民兵たちが歓声をあげる。それが町中に伝播していく。家に籠っていた家族たちが出てきて、民兵と抱き合う。
しかし、ヘオイヤは一抹の不安を感じていた。いるはずの”特別認識個体”がまだ表れていない。奴は、何を仕掛けてくるのか。
――ズシン、と大地を揺るがす音がした。それはとても不吉な音で、ヘオイヤの胸の底に押し止めていた、黒々しいものに波紋が広がった。
森の奥から、多数の魔物を従えて、”特別認識個体”と思われる巨大な魔物がこちらへ接近しようとしていた。