48.伝道師ヘオイヤの旅路(後編-1)
商人の都市の中心にある、タチアナ商会が保有する大きな屋敷。国の物流を担う商会の会長であるタチアナは、執務室でテキパキと業務を行っていた。
タチアナは、ラーラに魔王討伐のための計画書を託した。その算段の是非は、太湖の都市のトーマン将軍の判断に任せることにした。トーマン将軍の反応はまだ来ていないが、実施する際に備えて、計画の詳細を詰めているところだった。
また、近隣の集落が黒き魔術師の被害にあっており、そちらへの対策を講ずる必要もある。仕事は山ほどにあった。
ノックの音がして、商会の自警団の隊員が入室してきた。
「タチアナ商会長、ご報告です。多数の難民が城門の前に集合しており、騒動が起こりそうで――」
「よくあることだ。我々にできることは何もない。追い返すしかないだろう」
隊員を一瞥もせず、タチアナは言い放った。
王国の法律で、難民への支援は強く規制されていた。魔物の襲来で、難民は定常的に発生する。農地や生産手段を失った彼らの生活を支援することは、国力の減少につながると考えられていた。限られた資源の消費を抑えるためにその法律は制定され、立案にはタチアナも関与していた。
そしてその法律は、難民になった者に死ねと言っているのと同義だった。タチアナは、何度も自身で試算を行い、難民を救うよりも見捨てた方が最終的な国力が維持されるという分析結果を出した。元帥がこの法律の制定を押し進め、最終的に国王が了承した。10年前、”最前線”での攻勢が失敗し、人類の国力が大きく下がり、この法律が制定された。
「いえ、それが……千人、二千人といった数の難民が集まっています。黒き魔術師に襲撃された集落の難民が集まっているようです。このままでは、暴動になりかねません」
「数が、多いな……。なるべく、自警団に難民の排除をさせたくない。自責の念にかられてしまうからな。難民集団の、指導者はいるか?」
「はい、国王軍の元将校で、教会の司祭だという男が、難民の代表だと主張しています。商会長と面談したいと話しています」
「わかった、私が話そう。いくばくかの物資を渡して、撤収させるしかないな。念のため、自警団にも待機を命じろ」
「承知しました。――最後に、気になることが」
「なんだ?」
「司祭は、"勇者と聖女教"の伝道師であると名乗っています。勇者と聖女に、女神の神託を届ける旅をしていると――」
「……レンと、ハナを知っている者か」
貪欲な豚を退治した勇者と聖女。いま商人の都市に住む人々の間では、その話で持ち切りだった。その司祭も、レンとハナに会ったことがあるのだろうか。
「とにかく、騒動になる前に会うしかなかろう。馬車の準備を」
レンとハナと出会い、何かが変わり始めているような予感をタチアナは感じていた。これが、人類の生存を促すものなのか、滅亡を促進するものなのか、タチアナにはわからなかった。
ーーー
商人の都市を囲う大きな城壁。その上で、ヘオイヤは難民の代表者としてタチアナと対面した。城壁の外には、2千人強の難民がいて、会談の結果を待っていた。
ヘオイヤの傍らには、冒険者ギルドのギルド長もいる。ギルド長は、ヘオイヤから勝手に”勇者と聖女教”の重役に任命され、タチアナとの会談にも引っ張り出されていた。
ギルド長は、タチアナを初めて見た。タチアナ商会長の話は何度も聞いたことがある。噂で聞いたままの、むき出しの刃物がそのまま存在しているような、冷徹で鋭利な雰囲気をまとった女性だった。
「王国の法律により、難民に支援はできない。ただ、私の私有財産から多少の食料は渡せる。それを受領し、立ち去ってほしい。拒否するのであれば、法律に則り、自警団を動員して難民を排除する」
タチアナは、妥協できるラインを端的に伝えた。この国の有力者が、武力行為も示唆しながら妥協点を明確に示しているのだ。交渉の余地はない、とギルド長は思った。
ギルド長は、ヘオイヤの顔を見た。周辺の難民をかき集めて、タチアナと会い、何をしようと言うのか。少なくとも、タチアナは難民を追い返そうとしているのは分かった。そもそも難民支援を禁ずる法律がすでに制定されていて、タチアナは体勢側の人間だ。あの、難民ではなく信者であると言う詭弁で、どうにかできるものなのか。
「……商会長、少々誤解があるようです」
――ヘオイアが、少し顔を伏せながら、言った。