45.商人の都市の算段(後編-6)
商人の都市の、商会長タチアナの屋敷。この大きな屋敷の廊下を、魔術師団長ラーラは歩いていた。戦いの疲れのためか、いっこうに起きてこないレンたちを起こしに行くためだ。
窓から朝日が差し込み、外の喧騒がかすかに聞こえてくる。豚の魔物や、貪欲な豚の解体作業は、夜を徹して行われていたようだ。魔物の肉は、貴重な食料だ。腐らせないように、総出で肉の処理を進めている最中だろう。
ラーラの懐には、タチアナから受け取った冊子が入っている。タチアナの様子を見るに、人類にとってかなり重要な計画が記されたものだろうと思えた。勇者と聖女を王都へ連れて行く道中で、この冊子を太湖の都市のトーマン将軍に渡す必要がある。
商人の都市と王都は、中央大河でつながっており、川を下れば数日で王都に着く。太湖の都市はその途中にあり、もともと水や食料の補給のために寄る予定だった。
タチアナの屋敷の、とある部屋の前で、ラーラは立ち止まった。タチアナの屋敷には多くの客室があり、レン・ハナ・カリアにはそれぞれ一室ずつ、いちばん上等な部屋があてがわれていた。
目の前にあるのは、レンが泊まっている部屋だった。
ラーラは、何かときめきのようなものを感じていた。果てしないほど強く、無邪気で、慈愛に満ちた勇者。それがラーラのレンに対する印象だった。差し伸べられた手を握り返した時のぬくもりは、今もラーラの掌に残っている。
「勇者レン、起きていますか? そろそろ出発の時刻です」
ドアをノックしても、何の反応もない。鍵はかかっていないようだ。ラーラは、そろりとドアを開けて中をのぞいた。
「……え、これは――。何が起こったの!?」
本来であれば、豪華な客室だったはずの部屋が、無残な状況になっていた。まず目を引くのが、おびただしい血痕だ。そして、机や棚などの調度品が全てひっくり返されたり壊されたりして、まるで大勢の野盗が、手荒く根こそぎあさり尽くしたような様相となっている。
ラーラは、素早く杖を取り出し、小声で魔法の詠唱を始め、戦闘に備えた。そして、身をかがめながら部屋に侵入していく。何が起こったのかはわからないが、一刻も早く勇者と聖女の安否を確認する必要がある。
部屋の奥。半壊したベッドの上に、3人と思われる人間が横たわっていた。
「レン、ハナ、カリア! 無事ですか!?」
3人から、返事はなかった。いや、よく見ると3人はスヤスヤ寝ているようだ。半裸で血に塗れたカリアを敷布団のようにしながら、カリアの上に乗っかってレンとハナが寝ていた。
「レン、起きてください! レン!」
「うーん、むにゃむにゃ。あ、ラーラだ。朝ご飯ができたのかな?」
「まだ眠いですが、ご飯ができたなら起きなければいけませんね」
「む、朝か……。久しぶりのベッドで、寝すぎてしまったな」
3人が、目をこすりながら起きてきた。
「いや、朝ごはんというか……。何があったのですが? この血痕や荒れ様は、魔物の襲来ですか?」
「ううん、遊んだだけだよ。久しぶりに野宿じゃなかったから、はしゃいじゃって」
レンが、ケロリと答える。
「そうそう、楽しかったですわね。勇者ごっこをした時に、カリアの腕が千切れちゃって大変でしたわ」
「うん、カリアに勇者役はまだ早かったね。本物の勇者と会ったときに、役に立てるようにもっと鍛錬しないと」
「全力で戦ったんだが、やはり農民であるレン殿には全く敵わないな」
3人は、ガレキの中から服を乱暴に取り出して支度を始める。ハナが杖をブンブン振り回して窓が割れた。レンがズボンに足を通そうとした勢いでベッドが折れた。異様な光景だが、3人がそれを気にする様子はない。
ラーラは、呆然としてその光景を眺めていた。彼らの行為もそうだし、『本物の勇者』や『農民であるレン』など、彼らの言っていることも理解できなかった。
「こいつら、とんでもなく厄介な連中なのかもしれない……」
ラーラは思わず呟き、勇者への敬意がさっぱりなくなっていることにも気付いた。この3人を、王都まで連れて行く必要がある。部屋に一泊しただけでこの有様なのだ。道中で起こるであろう騒動を想像して、ラーラの頬に冷や汗が走った。
「よし、支度が終わったね。さぁラーラ、朝ごはんを食べに行こう!」
レンが、無邪気にニコリと笑いながら言う。その無邪気さすら、不気味なもののようにラーラは感じられた。
レンが、ドアを開け、朝日が差し込む廊下へ足を踏み出す。その背後には、彼らが生み出した血と瓦礫が広がっていた。
ーーー
屋敷の食堂で、タチアナも交えながら皆で遅めの朝食をとった。レンとハナは、あちらこちらを散らかしながら、もりもりとご飯を食べた。
ひとしきり食べ終えた後、ラーラが本題を切り出した。
「レン、ハナ。私は、勇者と聖女を王都へ連れて行く王命を受けています」
「へー、そうなのですね。なんか大変そうですわ」
ハナが、他人事のように言う。ラーラは、違和感を押し殺して言葉を続けた。
「なので、2人は一緒に王都に来ていただきたい。できれば、カリアも」
「え? なんで僕らが行かなきゃいけないの?」
「それは……当たり前でしょう、”特別認識個体”すら両断する、レンの力。あらゆる傷を癒す、ハナの魔法。どう考えても、あなた方は勇者と聖女――」
ドン、と大きな音が食堂に響いた。カリアがテーブルを叩いたのだ。大きなヒビがテーブルに走った。
「レン殿とハナ殿は、ただの農民だ。私の恩人を、勇者だの聖女だのと言って、からかうのはやめてもらいたい」
カリアが殺気を放ち、食堂は静まり返った。レンとハナは、気にせずに朝食の残りを食べ続けている。
「――まぁまぁ、落ち着いて欲しい。ラーラも、悪気があって言ったわけではない。3人は、どんな目的で旅をしているのだ?」
タチアナが、3人に問いかけた。
「ええっと……僕ら、孤児寮から逃げ出したんだっけ?」
「違いますわ、レン。なんか、女神だとか神託だとかいろいろあった気が……」
「ああ、ハナ、確かにそんなこともあったね。勇者と聖女を探してるんだっけ?」
「いや、レン殿。魔王を討伐して報酬をもらうのではないのか?」
3人の旅の目的は、二転三転しこんがらがっており、もはや3人はノリで旅をしている状態だった。タチアナは、少し考えてから言った。
「ふむ……勇者や聖女を探すにしろ、魔王を倒すにしろ、王都に行った方が好都合ではないか? それに王都には、この屋敷よりもずっと豪奢な建物や、美味しい食べ物もたくさんあるぞ」
「いいね! 王都に行こう!」
レンが即座に答えた。
「それでは、王都までの旅の手配をしよう。陸路は時間がかかるから、中央大河を船で下って行くのが良い。案内に、ラーラを付けよう」
「早く王都に行きたいですわ! 出発しましょう!」
手のひらを返したように、ハナがせかし始める。
「よし、話はまとまったな。……ラーラ、頼んだぞ」
「――はい、タチアナ殿」
タチアナは、3人を丸め込んだ。徹底的な合理主義者であるタチアナは、勇者と聖女がそれを自覚しているかなど、どうでもよいのだろう。勇者と聖女と戦士の力を効果的に運用して、どう魔王を討伐するか。それしか考えていないはずだ。
タチアナはそれで問題ないだろうが、これから王都まで3人と付き合うことを考えると、ラーラはめまいがしそうな気分に襲われた。しかし、人類のためだ。王命は果たさなければならない。ラーラは、人知れず自身に気合を入れた。
「船に乗るの、楽しみだなぁ。よーし出発しよう!」
レンとハナは、朝食で残ったパンなどの余り物を、当たり前のようにカバンにぎゅうぎゅうに詰め始めた。カリアは会話に飽きたのか、食堂の中で素振りをしている。
3人の奇行を眺めながら、果たして本当に王都にたどり着けるのだろうかと、改めてラーラは思った。
魔王を討伐するよりも、こいつらに問題を起こさせずに王都へ連れて行く方が、難易度が高いのではないだろうか――。
◇◇◇
――結論を言えば、4人は最終的に、最強の魔王へ命を賭けた決戦を挑む。……自分を農民だと、そして農民にも及ばない戦士だと思い込んだまま。
ラーラの加入によって、後に伝説となる勇者と聖女のパーティが完成した。4人は、たった4人で、人類の未来を賭けて、魔王と戦うことになる。
そして、決戦に至るまでの道中、ラーラは自身の予想通り、レンとハナとカリアにさんざんに振り回され続けることになるのだが、それはまた別の話――。
商人の都市編、完結です。