42.商人の都市の算段(後編-3)
レンとハナとカリアは、空き家に放火した後、”特別認識個体”貪欲な豚の肉を調理してもらおうと市場の屋台へ向かっていた。
「あれ、なんか人がいないね」
レンが、周囲を見渡して言う。魔物襲来の報告を受けて、人々は家へ避難していた。
「困りましたわね。お肉を料理してくれる人がいませんわ」
ハナが、少し悲しそうに言う。そこへ、巡回中の自警団員が声をかけてきた。
「君たち、早く避難しなさい! 豚の魔物の群れが近くの城門まで迫っている! ここにいると命が危ないぞ!」
自警団の情報を聞いて、カリアが一度頷き、手を組んで言う。
「なるほど、感謝する。近くの城門に魔物が迫ってきていて、ここは閑散としているのだな」
「ああ、そうだ。すぐ屋内へ避難してくれ。家がないなら、あそこの教会なら受けて入れ貰えると思うから――」
カリアが、レンとハナの方を向いて言う。
「あっちの門の方に魔物――いや、レン殿が言う小動物が来ていて、屋台が閉まっているらしい。レン殿、ハナ殿、小動物を倒すか?」
「そうだね。小動物をやっつければ屋台に人も戻ってくるかな」
レンが、まるで近所を散歩するかのように軽い口調で言った。自警団員が怪訝な顔をして言う。
「おいおい、最近噂になっている勇者と聖女じゃあるまいし、馬鹿なこと言うな。早く避難を――」
「お腹が減りましたわ! さっさと小動物を片付けましょう!」
ハナが言い、門の方に駆け出していった。レンとカリアも駆け出す。突風が吹き、自警団員が思わず目を瞑るほどの、凄まじい速さだった。
「な、なんだあいつらは……。いや、少年と少女と戦士の3人組――?」
自警団員が思い返したのは、最近人々が口にしている、よくわからない噂だった。”特別認識個体”を何体も討伐し、魔王討伐の依頼すら独占した、超常の存在。それは、少年と少女と戦士の3人で行動していると言われている。
「もしかして、本物の――」
3人の土煙で、門の状況はよく見えない。自警団員は、しばらくの間、駆け去っていく3人を見つめていた。
◇◇◇
壊れた門の付近は、凄惨な状況となっていた。貪欲な豚をはじめとする豚の魔物が数体都市に侵入し、それを自警団が密集形態で食い止めている。前衛の自警団は魔物に踏み潰され、食い散らかされ、人の肉壁で魔物の侵入を防いでいる状態だった。
「とにかく人を集めろ。すべての自警団と、民兵をこの戦線に集中させるんだ――!」
タチアナは強張った表情で指示を出し続けた。勝つための算段はもうない。都市を少しでも延命させるための策を選ぶしかなかった。
――延命? 何のため?
極限状態の中、タチアナはふと思った。今の状況のように、人々の命を大量に消費して、人類を延命させることをこの国は続けてきた。そして、それにタチアナも加担してきた。何のためだろうか。絶望に首を絞められ続けながら、気が狂いそうになるのを耐え続けながら、何を待っているのだろうか。
きっと、奇跡を待っているのだ。ありもしない希望を夢見ながら、いつか何かが変わる日を信じて。……その日が来ないことを、薄々感じながらも。
もう、タチアナには何の算段もなかった。ただ、状況に対して最善を尽くしていくだけだ。ありもしない、奇跡が起こるのを信じて。
「……タチアナ商会長、私も城壁を降りて戦います」
覚悟を決めた表情でラーラが言い、タチアナが答える。
「――すまない、頼む」
希少な戦略資源である魔術師が肉弾戦を行うのは、本当に最後の手段だった。ラーラもまた、この商人の都市が壊滅すれば人類が滅ぶのは理解していた。
「……身体強化」
ラーラは杖に祈りを込め、自身に身体強化魔法をかけた。先ほど”魔弾”を2発撃ったため、ほぼすべての魔力を使い果たしている。ただ、自身が死ぬまでの時間くらいは、身体強化を保てるだろう。
ラーラは、城壁を飛び降り、豚の魔物の群れの中に降り立った。即座に魔物が、ラーラを食い殺そうと牙を向ける。ラーラは、右手に短剣を構えた。
右。涎を垂らしながら口を開けラーラを食おうとする魔物の顔。首筋を深く斬りつける。黒い血を盛大に吹きながら魔物が転がる。左。ラーラを押しつぶそうと突進してくる魔物。避けながら顔を薙ぎ、両目を潰す。ラーラは踊るように、攻撃を躱しながら魔物を斬りつけていく。
耳を裂くような吠え声。ラーラの体が一瞬硬直する。貪欲な豚が突進してきた。前足を斬りつける。しかし貪欲な豚は止まらず、ラーラの体を突き飛ばした。転がったラーラに、魔物が殺到する。ラーラは、手当たり次第に短剣を振り回し、何とか魔物の群れから抜け出す。だが、左腕に違和感を覚え目をやると、肘から先が食い千切られていた。
歯を食いしばりながら、ラーラは片手で短剣を構える。魔物が同時に襲ってくる。正面の魔物の首に短剣を突き刺す。しかし、右腹を別の魔物に食い千切られた。ラーラの体から、力が抜けていき、倒れる。薄れゆく意識の中、足先からボリボリと自身が食われていくのをラーラは感じた。
……ああ、ここまでか。
思考が散漫になっていく中、ラーラは思った。王国最強の魔術師ともてはやされても、こんなものだ。自分は、務めを果たせただろうか。そういえば、男も知らずに死んでいくことになった。仲間は、王国は、人類はこれからどうなるのか――。
突風。
瞬間、何か形容し難い、凄まじいものが、ラーラの頭上を横切った。目を見開いたラーラの眼前に、豚の魔物の血が降り注いでくる。薄れゆく視界の中で、上部がきれいに両断された魔物たちと、逆光の中で穏やかに立つ少年の姿が見えた。
「あら、ひどい怪我だね。でも大丈夫、すぐにハナが治してくれるよ」
男が、優しげにラーラに語りかける。
――ああ、こういう存在だったのか。
彼が勇者か、とラーラは思った。