30.魔術師ラフロイナの戯れ(後編-1)
お菓子の村での黒き魔術師との対決から、数時間後。
「な……なんだ? 俺は死んだはずじゃ……?」
瓦礫の中から、お菓子の村へ偵察に来た国王軍の隊長が姿を現した。彼は黒き魔術師に焼かれ致命傷を負ったが、瓦礫の中で微かに生きていた。そして、ハナの治癒によって息を吹き返した。彼は、この村唯一の生き残りだった。
「そうだ、黒き魔術師はどこへ……?」
隊長は村を見渡した。村は破壊しつくされ、焼け焦げた瓦礫が散乱している。その中に、人影があった。
瓦礫の中で、二人の子供が横になってスヤスヤ寝ている。その横で、戦士の格好をした女がちょこんと体育座りをしていた。
「お、おーい! あんたらも生き残りか!?」
隊長が大声を出すと、女戦士が立ち上がりズカズカ近づいてきた。若干の殺気を感じ、隊長は少し怯んだ。
「レン殿とハナ殿が疲れて寝ているんだ。起こさないで欲しい」
女戦士は、長剣の柄に手をかけていた。
「わ、わかった。俺は国王軍所属のものだ。黒き魔術師に部隊がやられたんだが、奴はどこに……?」
隊長は、消え入りそうな小声でカリアに問いかけた。
「私はカリア、農民の足元にも及ばない戦士だ。黒き魔術師は、あそこで寝ているレン殿が撃退した」
「ラ、黒き魔術師を撃退!?」
隊長が驚いて大声を出し、カリアが殺気を出し剣を抜こうとしたので、隊長は必死に謝る仕草をした。
「す、すまん、もう大声は出さない。しかし、黒き魔術師を撃退とは、本当か……?」
「ああ、あそこに転がっているのが斬り飛ばした奴の腕だ」
カリアが、レンが斬り落とした、地面に転がっている黒き魔術師の腕を指差す。隊長が腕を拾う。この古めかしい服装の袖口、そして浅黒い肌は、まさに黒き魔術師のものに思えた。
「ほ、本当に黒き魔術師を撃退したのか……! 信じられん、大変な激戦だったろう」
「ああ、そうだな。かつてない、取り返しのない被害が出た……」
「……そうか。俺も部隊の仲間を全員失って――」
「ハナ殿の肋骨に、たぶんヒビが入っている。大変な被害を出してしまった」
「――え? 黒き魔術師を撃退して、骨のヒビだけ?」
カリアは、世界が滅んだような深刻な表情をしていた。
「ああ、私は恩人に怪我を負わせてしまった。治療法もわからず困っている」
「わ、わかった。俺は前は救護兵だったんだ。少しはマシにできるかもしれない。あそこで寝ている女の子だな?」
隊長は、ハナを起こさないようにそろりと近づくと、ハナの上着を脱がせ、痣になっている部分を触った。スヤスヤ寝ているハナの顔が痛みで歪む箇所があり、確かに骨が損傷しているようだ。
「うん、この箇所だな」
隊長は、自分の服の袖をナイフで切りとり、革の防具も分解して即席の固定具を作った。それをハナの胸に巻き、患部を固定した。
「よし、これで当面は大丈夫だろう。一か月も安静にしてれば痛みも引くはずだ――えっ?」
隊長が振り返ると、カリアが膝をつき頭を深く下げていた。
「丁寧な治療、感謝する。何か報いたい。私にできることがあればなんでも言ってくれ」
「いや、そんな大したことはしてないが……。じゃあ、黒き魔術師の腕をもらってもいいか?」
「なんだ、そんなことでいいのか。いくらでも持って行ってくれ」
「ああ、あの黒き魔術師が人類に腕を落とされ撃退されたとなったら、みんな大騒ぎするぜ。できれば、あんたらも一緒に来て欲しいんだが」
「すまないが、我々は魔王を倒しに行くんだ。寄り道している暇はなくてな」
カリアのその言葉に、隊長は驚いたというよりも、何か、心の奥底が動かされた気がした。
「……魔王を、倒しに」
魔王討伐。それは人類の夢として、皆が望んでいることだった。しかし、人類が追い詰められている状況が続く中、魔王討伐を言葉にする人間は少なくなっていた。黒き魔術師を撃退したこの戦士は、それを当たり前のように、まるで近所の店に夕飯の食材を買いに行くかのように、口にしていた。
そして、その振る舞いは、おとぎ話で聞いた、救国の英雄のようにも思えた。
「まさか、あんたらは、勇者と聖女――」
「ただの農民だ」
カリアはキッパリ言った。
「レン殿とハナ殿は、単なる農民だ。変な勘違いはやめてもらいたい」
「そ、そうか。わかった」
カリアの剣幕に、隊長は圧倒された。
「俺は、この襲撃と、黒き魔術師が撃退されたことを、すぐに軍に報告する必要がある。太湖の都市の防衛軍所属だ。もし都合がついたら寄りに来てくれ」
「ああ、行けたら行く」
そして、隊長は軍へ報告しに去っていった。カリアは、レンとハナのところへ戻り、体育座りをした。
廃墟となったお菓子の村に、薄ら寒い風が吹いている。村に残された黒煙が、風に吹かれて散って行った。