12.女戦士カリアの覚悟(中編)
女神の神託にあった大洞窟をスルーし、レンとハナは深山を歩き続けていた。二人は、歩くことに飽きてきていた。もう食料もない。
「レン、どうしましょう? 退屈ですわ」
「女神の神託を見てみようか、行先の手がかりが書かれているかもしれない」
「そうですわね、きっと何かヒントがあるはずですわ」
ハナが、神託と名付けられたラクガキを探してカバンをあさる。ラクガキは、ハナが辺境の町に忘れていったので、もちろん見つからない。
「……ない! 神託がないですわ!!」
ハナは涙目になりながら、カバンをひっくり返し、服まで脱いで、あちこちを探した。しかし、神託は見つからなかった。
「失くしちゃったんなら仕方ない。思い出して紙に書こうか」
「それですわ! 書き直せば大丈夫ですわ!」
レンは、カバンからチリ紙を取り出し、記憶を頼りに神託を書き直した。
女神の神託は、ハナが地面に書いたラクガキとなり、それが紙片に雑に写され、さらにレンがチリ紙へテキトーに模写し、原型が留めていない代物になった。
「……うん、書き写せた。これでバッチリだ!」
「さすがレン! あ、あそこの大きい木が、神託のここの形に似てますわ!」
「よし、行こう!」
レンとハナは、元気よく駆けだしていった。
◇◇◇
深山の台地。女戦士カリアと"特別認識個体"紅の竜は、お互い重傷を負いながら向かい合っていた。決着の時が近づいてくる。カリアは、噛まれた腹部と千切れた左腕からの血が止まらず、足元に血だまりが広がっていた。
紅の竜が、かすかに体を屈めた。来る。正面からの突進。出血で力が入らず、一瞬反応が遅れる。迎撃はできない。カリアは、全力で右に飛んだ。衝撃。ぶつかり、飛ばされ、視界が回る。
なんとか致命傷は避けたが、疲労と出血と怪我で、カリアはすぐには立ち上がれなかった。このままだと、紅の竜の追い打ちが来る。立て、立て、立ち上がれ――! カリアは自身を鼓舞したが、肉体は遅々として動かない。
立ち上がれないカリアは、敗北を覚悟した。しかし、紅の竜は動かず、森の中には静寂が響いていた。
……追い打ちが来ない。絶好の機会だったはずだ。見ると、紅の竜は、カリアが立ち上がるのを待っているかのように佇んでいる。早く立ち上がれ、そして決着をつけよう、と言わんばかりに。ここに至り、カリアは紅の竜のことを少し理解できた気がした。
そもそも、"特別認識個体"である紅の竜は、周囲の魔物を使役できる。魔物を呼び寄せ、群れの力でカリアを叩き潰すこともできたはずだ。
しかし、片目を失ったいまでも、紅の竜は魔物を呼ぶ気配がない。これまでの戦いでも、卑怯なところがまるでなかった。正々堂々と、己の力のみで決着を付けようとしている。ああ、この魔物も戦士の心を持っているのだ。そう思うと、カリアの中に親近感が沸いてきた。
「……すまない、もうすぐ立ち上がれる。少しだけ、待っててくれ」
カリアが、全身に力を込めて、ゆっくりと立ち上がろうとする。早く構えろ、と言わんばかりに、紅の竜が鼻を鳴らした。
カリアは、立ち上がった。一瞬、目の前が暗くなったが、徐々に視界が戻ってきた。震える右手で、剣を構える。慣れ親しんだ長剣が、巨大な鉄塊のような重さに感じる。
父の仇を、討とうとしていた。そのためだけに生きていた。しかし、違ったのかもしれない。この誇り高き魔物と、父は正々堂々戦って敗れたのだと考えると、復讐心も薄れていった。
行けるか?と尋ねるように、紅の竜が短く鳴いた。こくり、とカリアは頷いた。紅の竜の体に、力が漲っていく。カリアの持つ長剣も、震えが止まった。
「……貴様のような強者を、最期の相手として戦えること、幸運に思う」
本心だった。紅の竜は、答えるように、少し喉を鳴らした。
復讐心はない。悲壮感もない。お互いをもっと理解したいから、殺し合うのだ。それは友情にも似ていた。
決着はどうであれ、カリアは間もなく出血で死ぬだろう。しかし、それは些細な問題だった。今この時、この瞬間、勝利だけを追求する。それが純粋な戦士だ。
静寂の中、二人の間に、気が満ちていく。
木々の葉の音。
虫の声。
川のせせらぎ。
二人が同時に動く。紅の竜は突進しながら口を広げ噛みつこうとする。カリアは避けず、長剣を紅の竜の眉間に突き出す。お互いが超高速で繰り出す、刹那の攻撃だった。カリアは生存を考えていない。相打ちを前提としていた。
カリアの長剣が、紅の竜の牙よりも先に敵の眉間に到達しようとしていた。刺せる。カリアはこれまでの努力の蓄積を全て駆使した刺突を繰り出した。あらゆるものを貫くような一撃。
紅の竜は、その攻撃を予測していた。予測していたが、反応、速さ、強さ全てが紅の竜の予測を上回っていた。――これだから、人間の強者との戦闘は楽しいのだ。紅の竜は、カリアを讃え、感謝した。刹那の中、頭を力の限り、しかし僅かにずらす。
カリアの渾身の刺突は、紅の竜に紙一重でかわされ、頭蓋を貫けず、眉間を大きく切り裂くにとどまった。紅の竜の牙が、カリアに食い込もうとしている。
――精一杯、戦った。カリアはそう思った。父上、見てくれましたか。この最強の敵と、あなたを殺した敵と、私は正々堂々戦いました。勝てはしませんでしたが、後悔はありません。この魔物も、最期の相手にふさわしい、誇り高き存在でした。
あとは、見事に死に散り、戦士としての本懐を果たすだけ――
その瞬間。
風のような、いや風よりも早いなにか凄まじいものが、カリアの目の前を横切った。その衝撃が、カリアの体を吹き飛ばした。
なんだこれは。暗い視界。体が地面にぶつかる感触がする。カリアは、その存在の方向に顔を向けた。視界が、徐々に光を取り戻していく。
「いやー、ちょっと焦ったけど、なんとか間に合ったかな?」
こちらの顔を覗き込む、少年の姿が見えた。
――その傍らには、紅の竜の首が転がっていた。
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