外伝 土王アレクサンドラ 第14話
アウストリアの人類寵愛説が発表されてから三十年の月日が流れた。
その間に、情勢を変化させるような様々な出来事があった。
その中でも特に大きかったのは、アウストリアの説によって、多くの西側の亜人族が移住してきたことだ。
移民たちは私を頼り、この孤児院にやってきたのだが、さすがに人数が多く受け入れられなかったため、私と森の仲間が協力し、近くに彼らが住むための小さな集落を作った。
その後、徐々に移民の数は増えていき、かつて孤児院の周りは何もない野原だったのが、今では彼らによる開拓が進み、一つの街へと発展していた。
街ができてしまうほど、移民の数は桁違いに多かった。しかし、意外なことに、彼らが東側に逃れてくる際、教会軍など人族の攻撃はなかったらしい。
(出て行くなら、どうぞご自由にってことなのかな?)
アウストリアが何を考えて亜人族を見逃したのかわからなかったが、大きな犠牲もなく亜人族の移住が完了したことに、私は胸を撫で下ろすことができた。
一方で、教会軍が東側に攻め込んできたこともあった。
教会軍は大陸西側や中央部だけでなく、魔王領を含む東側をも支配しようと目論んでいたようだ。そのため、旧関所を通り、度々、兵士たちが押し寄せてくることがあった。
しかし、彼らの前に私は立ちふさがった。魔法で作った大岩を彼らの近くに落とし、戦意を喪失させるためだ。
その効果はあったらしく、私が何度か魔法を放つと、教会軍は勝手に潰走して西側に逃げていった。この方法のおかげで、私は人族側に犠牲を出すことなく、戦いに勝ち続けることができた。
(でも、私が人族と戦うことで、アウストリアの説に信憑性を持たせちゃっているんだよね……)
その説では、私は魔王イルに操られていることになっているらしい。そのため、教会軍と戦う私は、人族からしたら魔王の操り人形のように見えるのかもしれない。
そんな私を救おうとしてか、説が発表されてすぐの頃は、士気の高い人族が何度も攻めてきたのだが、時が経てば、そのような熱も失われるらしく、最近では教会軍の東側への進軍はなくなっていた。
あと一つ、変化したものがあった。
シデクス教の呼び名が、アウストリアの説を取ったシデクス教が”アウストリア派シデクス教”、元のシデクス教が”原典派シデクス教”と呼ばれるようになったことだ。
私たちが原典派で、アウストリアの方がアウストリア派。まるで私たちが”本物”で、アウストリアの説が”まがい物”とでも言いたいような表現だった。
アウストリアも当初はそう考えたのか、”アウストリア派”という表現を禁じていたそうだ。しかし、人の口に戸は立てられないらしく、結局その表現は定着し、人々は違和感なく、アウストリア派と原典派を使い分けていた。
(きっと、みんなの心にはまだ本来のシデクス教が生きているんだよね)
偶然なのかもしれないが、私はこのような呼び方が広まった根底にある人々の心を信じたいと思った。
……
「サーシャ様、大丈夫ですか?」
孤児院でぼんやりと子どもたちを眺める私に対し、ロズリーヌが心配そうに声を掛けてきた。
「……ああ、ごめんね。最近ちょっと疲れてて、ぼうっとしてたみたい」
私は笑顔を作りながらロズリーヌに答えた。
「それならいいですけど……サーシャ様、最近夜もほとんど寝ないで地域の見回りとかしているでしょ?無理しちゃだめですよ!」
ロズリーヌは少し頬を膨らませ、拗ねたような表情で言った。
ロズリーヌの性格は、以前のような人見知りから物事をはっきり言う活発なものへと変化していた。
それだけではない。人族で言うところの十五歳ぐらいだろうか、見た目も可憐な少女へと成長していた。
「うん、気をつけるよ……そうだ!私に何か用があって声を掛けたんじゃないの?」
「ああ、そうでした!お客様がいらしておりまして、サーシャ様にお会いしたいとのことです!」
私の言葉にロズリーヌは慌てながら答え、孤児院の入り口を見た。
そこにはシスター姿の女性が立っていた。
……
「ええと、どちら様?」
私はシスターに近づいていき尋ねた。
シスターは年老いた女性で人族に見えた。この辺りではもう珍しい人間だった。
「突然の訪問でご迷惑をおかけします、サーシャ様。実は私、教皇代理……いえ、アウストリア様をお世話する仕事をしておりまして。今日はそのアウストリア様のことでお願いがあり、ここに参りました」
シスターは頭を下げながら私に自己紹介した。
「お世話の仕事?……もしかしてアウストリア、どこか悪いの?」
私は驚きながらもシスターに尋ねた。
「ええ、もう七十を過ぎて随分経ちます。数年前に足を悪くしてからというものの、寝て過ごすことが多くなり、最近では滅多にベッドから起き上がれなくなりました」
シスターは悲しそうな表情で私に答えた。
(……そっか。アウストリアは人族だもんね)
長命なエルフ族にとって、数十年など長い時ではないが、人族にとっては一生の時間だった。
そのことをすっかり忘れていた私は、アウストリアにもついに”その時が来た”ということに気付き、驚きというよりは、何か別の複雑な感情が芽生えたような気持ちになった。
「サーシャ様とアウストリア様のことは重々承知しているつもりです。しかし、どうか最期に少しだけでもアウストリア様に会って頂けませんか?」
シスターは両手を組み、懇願するように私に言った。
「どうして私が……?」
「アウストリア様は絶対に口にはしませんが、サーシャ様に会いたがっております。……ずっと近くにいた私にはわかるのです。お願いします、サーシャ様。ぜひアウストリア様にその顔を見せて上げてください」
シスターは話し終えると再度私に頭を下げた。
(……どうしよう)
私はアウストリアのしたことを許そうと思ったことはなく、これからもその気持ちを変えるつもりはなかった。
しかし、シスターの顔を見ていると、アウストリアはこの女性にとって、かけがえのない大切な存在なのだと、すぐに察しがついた。
アウストリアに対して、いまだに怒りや悲しみの気持ちが大きかったが、シスターのような女性がそばにいたことを知り、ホッとしてしまう気持ちも自分の中にはあったのだと、気が付けたような気がした。
「はあ……わかった。会いに行くよ」
その気持ちに気付くと同時に、私はため息をつきながらシスターに答えていた。
「……!」
私の言葉にシスターは驚きの表情を作るとともに、涙が出てきたのかハンカチで目元を覆った。
(……このシスターのためにと思えば、しょうがないのかな)
まだ複雑な感情は心の中に潜んでいたが、私はアウストリアに会いに行くことを決めた。




