第54話
「……」
横たわるサーシャを、俺はぼんやりと眺めていた。
神殿は気味が悪いほど静かだった。一つの音もなく、この世界に一人になってしまったかのような気さえした。
(……サーシャをこのままにしておけない。)
不思議なことに、俺の頭は怖いくらい冷静で落ち着いていた。
“サーシャ”をどうすべきか、それについて思考を巡らせていると、先ほど荷物整理をしていた時のサーシャの言葉を思い出した。
”西側に住んでいる亜人族で、死期が近づいている人の中には「森に帰りたい」って願う人がいるんだ”
それを思い出すと同時に、俺は懐から装飾の豪華な杖を取り出した。
「……」
使い方は何となくわかっていた。大抵の魔法具は魔力を込めれば発動するため、この杖も例に漏れないはずだった。
魔力を込めると、杖の先に青白い光が集まった。
そのまま杖をサーシャに向けると、光がサーシャの全身を包み込み、十秒ほどで消えた。
「……」
俺は静かにサーシャの体に触れた。見た目は何も変わっていないにもかかわらず、サーシャの体は恐ろしく冷たかった。
同時に俺は理解した。本当にサーシャは死んでしまったのだということを。
「……」
俺はそのままサーシャの体を抱き上げた。サーシャをトンネルまで運ばなければならなかった。
今はそれが俺のやるべきことだと考えていたかった。そうでなければ、何かに心が押し潰されてしまいそうだったからだ。
(……そういえば。)
俺はふと気が付いた。強敵を倒した時に起こる成長痛のような痛みが今回はまったくなかった。
俺の体か、もしくは“知らない誰か”によってなのかはわからないが、今の俺にとってサーシャは強敵ではないと判断されたのだろうか。
(……何だよ、それ。)
サーシャの最期の願いも、俺のしたことも、全てが無意味であると言われたような、そんな感覚が全身に突き刺さった。
……
「うわあ、何があったんだ!?……タケルさん!無事ですか!?生きてますか!?」
俺がサーシャを連れてトンネルに向かって歩き始めた時、神殿の入り口から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「いったいこの岩はなんなんだ?……あ、タケルさん見つけた!いるならいるって返事くらい……え?」
リックが目の前に現れた。リックは不満そうに何かを言おうとしたが、俺が抱えるサーシャを見て、言葉を失っていた。
「……タケルさん?……土王どうしたの?」
リックと一緒にドロシーもいた。ドロシーは驚きの表情を浮かべていた。そんなドロシーを見て、俺は「ドロシーの表情が変わるのは珍しいな」なんてことを考えた。
「……」
二人に何も答えられなかった。それが煩わしかったのか、説明できなかったのか、自分のしたことを認めたくなかったからなのか。
俺は二人を無視するように歩き始めた。
……
トンネルのある部屋へ俺はゆっくりと進んでいった。リックとドロシーは、もう何も尋ねてくることもなく、黙って俺の後をついてきていた。
部屋までの道程はなぜだか長く感じられた。しかし、そのことが不思議と嫌ではなかった。
(ずっとこの道が続けばいいのに……)
そんな意味のないことを俺は心で願いながら、薄暗い通路を歩き続けた。
……
トンネルのある部屋の前に到着した。だが、この先について何も考えていなかったことに気が付いた。
(……既に神殿の亜人族たちは森に向けて出発している。誰がサーシャを運ぶんだ?)
どうすべきか何も浮かばなかったが、それであれば俺が運んでいけばいいと、すぐに思い直した。
(……きっとそれが一番だ。そうすればサーシャと離れなくて済む。)
俺は名案を閃いたと思うと同時に、自分の中に楽しい気持ちが生まれたような気がした。
そしてそのまま、トンネルのある部屋の扉を開けた。
「……」
部屋に入るとトンネルが開いたままの状態だった。
しかし、部屋には俺の想定していなかった人物がいた。
「……タケル殿!無事でしたか!」
そこにはワニ姿の門番がいた。
「トンネルを歩いていたら神殿の方から凄い音が聞こえてきて、仲間に子どもたちを託し、私だけ戻ってきたのです。いったい何が……ん?……サーシャ様!」
俺の腕の中にいるサーシャに気が付いた門番は、すぐに俺の元に駆け寄ってきた。
「ああ……そんな……」
門番はサーシャの顔を眺めながら、絶望としかいえない声を上げた。
「サーシャ様、なぜ……タケル殿!貴様!」
「サーシャを頼む。森に連れて帰ってほしいんだ。」
事態を理解したのか、門番は怒りを吐き出すように叫んだが、俺はそれを遮った。
「時間がない……まもなく、カーレイド軍が神殿に入ってくるはずだ。その前にサーシャを連れてトンネルを進んでくれ。」
俺がそう話すと、門番は苦しみと悲しみが合わさったような表情を浮かべながらも、それ以上何も言うことなく、俺からサーシャを受け取った。
そしてそのまま俺に背を向け、トンネルに入っていった。
「トンネルはこのまま閉じる!あんたたちもトンネルを抜けたら、土竜族に言って、トンネルを破壊してくれ!」
すでに姿も見えなくなった門番に対し、俺は大声で言った。返事はなかったが、俺の言ったことはちゃんと伝わったはずだ。
俺はすぐに、以前サーシャがやっていた方法でトンネルを塞いだ。
トンネルのあった場所に壁が戻り、そこは元から何もなかったかのような姿になった。
(……トンネルのある部屋の場所はヴィクターに話してしまったけど、開け方まで話していない。これでしばらくは時間を稼げるだろう。)
俺はそう考えながら、トンネルを進む亜人族たちの無事を心の中で願った。
……
「えっと……これで全部終わったんですかね?」
閉じられた壁をしばらく見つめ続けていると、リックが小さな声で尋ねてきた。
(……これで終わり……か。)
”全てが終わった”……今の状況をこれほどうまく説明できる言葉はないと思った。
俺はこの神殿の人たち、ロズリーヌ、そしてサーシャ……彼らの日常をただ守りたかっただけだ。
しかし、その全てが失われてしまった。これを”終わった”と言わず、何と言えるのだろうか。
(だけど……まだ終わっていない!)
戦いの最中、サーシャに起こった異変。その正体について、俺は今になって気が付いた。
(いや……本当はもっと前から、サーシャが吐血した時にはもう……)
俺は自分が想像したことを否定したくて、ずっとそのことを考えないようにしていた。
しかし、サーシャを殺したのは間違いなく”それ”だった。
“真実”をはっきりさせなければならない。その結果、この先ずっと後悔することになっても……
「……タケルさん!?どこ行くんですか!?」
突然部屋を飛び出した俺に対し、リックは驚いたような声を出した。
俺は神殿の入り口に向かった。
そこで待っているであろう、”彼”に会いにいくために。




