第53話
「サーシャ!……サーシャ!」
倒れ込むサーシャを抱き抱えながら俺は必死に呼びかけた。
サーシャは咳きこみながら大量の血を吐いていた。
顔色も生気が急に失われたかのように白くなっていき、明らかな異常がサーシャに起こっていた。
「……そうだ!”ライトヒール”!」
俺は残った魔力を全て両手に込め、サーシャに向かって回復魔法を放った。
(……どうしてだよ!?)
しかし、回復魔法を当て続けても、サーシャの状態は回復するどころか、悪化の一途をたどるだけだった。
「……大丈夫……もう大丈夫だから、タケル。」
魔法を使い続ける俺の手を突然サーシャが掴んだ。
「大丈夫って、全然まだ回復してないだろ!待ってろ、今、回復させてやるから!」
サーシャの手を振り切り、再度魔法を使おうとしたが、今度は優しく、サーシャは俺の手を握った。
「……違うの。これは魔法じゃ治らない。……きっとこれは”天罰”、そう天罰なの。神様が怒って私に天罰を与えたんだ。」
「天罰って何だよ!神様か何か知らないけど、サーシャにそんなことするわけないだろ!」
サーシャの言っていることの全てが理解できなかった。
「……大切な人を私は殺そうとした……これだけで十分に天罰を受ける理由になるんじゃないかな?」
サーシャは目を閉じたまま、小さく微笑んだ。
……
サーシャの容態は時間が経つごとに酷くなっていた。咳をすれば大量の吐血をし、体温も下がり、呼吸も弱くなっていった。
「嫌だ……嫌だ、嫌だ!」
俺はサーシャの両手を握りしめながら強く首を振った。
この先訪れる結末が俺には見えてしまっていた。
「ごめんね、タケル……最期まで……悲しい気持ちにさせちゃった。……だけどね……もう一つ……タケルに辛いこと……お願いしなきゃならないの。」
もう目を開けることも笑うこともできないサーシャは、微かに表情を動かしながら言った。
「お願いって……?」
何でも叶えてやりたかった。だからどうかいつもみたいに元気になってほしい。
そんな思いを込めながら、俺はサーシャを強く見つめた。
「……私を殺して。」
……
「……何を言っているんだ?」
その言葉がどういう意味であるのか、俺は茫然としたままサーシャに尋ねた。
今日のサーシャには驚かされることばかりだった。それなのに、ここにきてまだ俺を驚かせようとしているのだと思った。
「……タケル、話してたよね?……強いモンスター……倒すと、力になるって……私にとどめを刺せば……そう……なるかな……って、思ったの。」
サーシャの言葉はほとんど聞こえないぐらい小さかった。それでもその言葉を理解した俺は怒りなのか、悲しみなのか、正体のわからない感情に自分の全てが包まれていく気がした。
「……二度とそんなこと言うな。俺はこのままサーシャが死ぬのは嫌なんだ。」
「私はもう助からない……だからお願い、最期の私のお願い……聞いて。」
徐々に弱っていくサーシャを見ていれば、それがサーシャの言う通りであることぐらい俺にもわかっていた。
(サーシャには助かってほしい。だけど、それは俺の勝手な思いなだけなんだ……)
現実を受け入れるしかなかった。
……
先ほどまでの激しい戦闘で大地の揺れるような音が鳴り響いていたのが嘘みたいに、俺たちのいるこの空間は、ひどく静かだった。
静寂は続いた。ずっと続いてほしかった。この静寂を壊してしまったら、もう元に戻れない。
「……」
それでも俺は剣を抜いた。残された時間はもう多くなかった。
「……ありがとう。」
サーシャは消え入りそうな弱々しい声で言った。
「なんで今になってこんなこと……サーシャは俺と魔王の戦いに手を貸さないって言ってたじゃないか。」
この期に及んでも、俺はまだ抵抗するようにサーシャに尋ねた。
「……それは……”土王アレクサンドラ”としてね……”サーシャ”としては……あなたの力に……なりたいの。」
サーシャはもう虫の息で、俺に答えるのもやっとのように見えた。
本当にこの選択は正しいのだろうかと、心の中で何度も自分に問いただした。だが結局、何が正しいかなんてわからなかった。
(俺に今できるのは、サーシャの最期の願いを叶えることだけ。)
「……ごめん、サーシャ。……ありがとう。」
俺はサーシャに剣を構えた。
「……だよ。タケル。」
もはや、サーシャは言葉を声に出すこともできなくなっていた。
「……」
心を無にし、俺は剣を握る手に力を込めた。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ)
突然、心から獣の叫びのような声が響き始めた。
これが俺の本心なのか。それとも罪悪感が生んだ偽りの気持ちなのか。
「うわああああああああああああああああああ!!」
心の声をかき消すように俺は叫びながら、サーシャの心臓に剣を突き刺した。




