第42話
サーシャが話し終えた後、大人の亜人族たちは一斉に動き始めた。
唐突な話にも拘わらず、混乱もなく事にあたる亜人族を見て、誰もがサーシャを信頼し、疑う気持ちなどいっさい持っていないのだと、俺は思った。
引っ越しの方法は単純で、神殿のトンネルを通って、東側の獣人の森に行くというものだ。
必要な荷物だけを持ち、大人の亜人族一人に対し、複数の子どもたちが一緒に行動するグループを作って、準備ができ次第、順次出発していくという計画だった。
……
「しかし、本当に大丈夫なのか?」
俺はサーシャの部屋で、サーシャの荷物整理を手伝いながら、疑問に思ったことをサーシャに尋ねた。
リックとドロシーは別の場所で他の亜人族たちの手伝いをしているため、この部屋には俺とサーシャしか居なかった。
「うーん……大丈夫って何が?」
どの本を持っていくか悩んでいるのか、サーシャは両手に持った二つの本を見て唸りながら言った。
「トンネルって結構な距離があるんだろ?大人ならともかく、子どもたちがそんな距離を無事に歩けるのかなって思ってさ。」
トンネルは大陸中央にあるゴーレム山脈を越えるものだ。トンネル内は比較的真っすぐな平坦な道が作られているとしても、大人の足でも数日の距離になると考えられた。
とてもではないが、途中で動けなくなってしまう子どもがいてもおかしくないと俺は心配していた。
「ああ、そういうこと。それは大丈夫!トンネルは森までの一本道じゃなくて、途中にいくつか出口があるの。」
「その出口はゴーレム山脈の中でも開けた土地に繋がっているんだけど、そこには簡易的な休憩所を作ってあってね、そこで休憩しながらトンネルを進んでいけるんだ。」
サーシャは俺の方に振り向きながら笑顔で言った。
(なるほど……確かに、当初このトンネルは亜人族が聖地に巡礼に来るためのものだったらしいし、そういった休憩所もないと使うに使えないってわけか。)
俺はサーシャの説明を聞きながら納得したように頷いた。
……
荷物の整理はすぐに終わった。
サーシャはあまり私物を持っていなかった。しかし本だけは多くあり、どれも歴史を感じさせ、価値のありそうなものばかりだったが、その中から二冊を選んでいた。
「よし、必要なものはこれだけだし、そろそろ行こうか。」
サーシャは少しモノが溢れた小さな木箱を持ち上げると俺に言った。
「俺が持つよ。」
俺がサーシャに手を差し伸べると、サーシャは「ありがと」と言って、その箱を渡そうとした。
その時、箱から杖のようなものが床に落ちた。
その杖は宝石などが装飾された豪華なもので、正直サーシャの持ち物としては意外に感じられた。
「……あ、これは別に持っていかなくてもいいかな。」
「なんだこれ?やたら高価そうな杖だけど?」
バツが悪そうなサーシャに対し、俺は杖を拾い上げながら尋ねた。
「……私がかつてここを占領した時、アウストリア派教会の神父たちがここから逃げ出していったんだけど、それはその時の彼らの忘れ物。……これ、魔法具なんだ。」
「へえ、どうりで装飾も派手なわけだ。どんな効果があるんだ?」
俺は適当に杖を振りながらサーシャにもう一度尋ねた。
「……死者を、亡くなった人を一時的に凍らせる魔法具なの。」
俺は杖を振るのを止め、サーシャを見た。サーシャは気まずそうな顔をしていた。
「なんでそんな魔法具がここに?」
「……多分だけどね、アウストリア派の偉い人が亡くなったとするでしょ?そうすると、その死を悼んで世界中から多くの人が集まると思うの。」
「でも世界中から聖地を訪れるとなるとすぐにはここに来れない人もいる。そういう人のために、アウストリア派では何日もかけて葬儀を行うっていう慣習があるんだけど……」
「亡くなった人はそのままにしておけば、いずれ腐ってしまう。だけど、そんな姿を葬儀に来た人に見せるのは、故人があまりにも可哀想じゃない?だからこの魔法具が発明されたと思うんだ。」
サーシャの話を聞きながら、先ほどまでふざけて杖を振っていた自分が恥ずかしくなった。教会の持ち物というだけで、大した用途もない魔法具だと偏見を持っていたみたいだ。
しかし、同時に俺はあることに気が付いた。
「……その効果を知っているってことは、サーシャはこれを使ったことがあるのか?」
「……うん。たまにね、西側に住んでいる亜人族で、死期が近づいている人の中には「森に帰りたい」って願う人がいるんだ。そんな人が亡くなった後、この魔法具を使って体を凍らせて、トンネルを使って森まで運んだりしてたんだよ。」
サーシャは遠くを見ながら寂しそうに言った。サーシャの生きてきた期間を考えると、それを行った人の数は一人や二人ではないのだと想像がついた。
「……そうだ!タケル、これあげる!」
唐突にサーシャは笑顔を作って俺に言った。
「え、この杖か?いいのかよ、大切なものなんじゃないのか?」
俺はサーシャの突然の提案に困惑しながら尋ねた。
「いいよ、もう森に帰ったら必要のないものだし。どうせここに置いてたって、アウストリア派教会に取り戻されちゃうだけだから。」
「……いや、気持ちは嬉しいけど、この杖、使い道なんてあるかな?」
俺は杖をジッと見ながら言った。
「それを売って旅のお金にすればいいんじゃない?失われたアウストリア派教会の遺物だから、結構な値になると思うよ!」
サーシャは珍しく悪い笑みを浮かべて言った。だが、それは本心ではなく、俺に何かを貰ってほしいだけなのではないかと思えた。
「……分かったよ。売るかどうかはともかく、貰っておくから。」
俺は杖を見ながら、少しだけ力を込めてそれを握りしめた。
これから先、サーシャとは簡単に会えなくなる。きっと俺はこの杖を見てサーシャを思い出すのだろう。
俺は心に寂しさを感じながら、杖を懐にしまった。
……
「だけど本当に良かったのか?」
俺はサーシャと一緒に神殿の中を歩きながら、ずっと気になっていたことを口にした。
「ん?なにが?」
「ここ、聖地バリナってサーシャたちにとって大切な場所だったんだろ?なのに、あっさりここから離れるって決めたからさ……本当に良かったのかなって思って。」
忙しなく俺のそばを通り過ぎる大人の亜人族たちを眺めながらサーシャに尋ねた。
「……あっさり決めたってわけじゃないんだけどな。それなりに悩んだんだよ。……でも私にとって大切なのはここじゃないって気づいたの。」
隣を歩くサーシャの顔を見ると、その目は真っすぐと前を見ていた。
「ロズリーヌが死にそうになって、改めて気づかされた。私はここを大切にしたいわけじゃない。ここにいるみんなが大切なの。みんなが無事に生きていけるのであれば、別に住む場所が聖地でも森でも構わない。」
「そう思えたから、ここを出ていくって決断ができたんだ。別にこの神殿はそこまで守りたいって場所じゃないしね。神様に祈るのはどこでもできるわけだし。」
サーシャは俺の方を向いて眩しいくらいの笑顔で話し終えた。
「……そうか。サーシャがそう言うなら、俺からは何も言うことはないよ。」
俺はサーシャの言葉に納得はしたが、少し寂しさを感じたような気がした。
この神殿で暮らすサーシャ、ロズリーヌ、それに他の亜人族の大人と子どもたち、彼らがここで幸せそうにしている姿が、俺は好きだったのだと気が付いた。
そして、それをもう見ることができないという事実を俺は受け入れ始めていた。
「タケル殿!」
突然前方から誰かがやってきたかと思うと、俺の名前を叫んでいた。
現れたのはワニの見た目をした門番であった。
「どうかしたんですか?」
「カーレイド王国のヴィクター殿下が神殿前にいらっしゃっていまして、至急タケル殿にお会いしたいとのことで、いかがしますか?」
俺に対し、門番はひどく慌てた様子で答えた。
(……ついに来たか。もうちょっとで全員がここを脱出するというのに。)
俺は髪をくしゃくしゃとしながら考え始めた。
(おそらくヴィクターはロズリーヌを差しだすように俺に言ってくるに違いない。だけど、それを断り、さらに今の神殿内の状況が知られでもすれば、すぐさま神殿に軍を突入させるはずだ。どうしたら……)
「行ってきなよ。」
隣にいたサーシャが俺に言った。
「その木箱は私が持っていくからさ。タケルはヴィクター殿下に会ってきて。」
サーシャは微笑みながら両手を差し出してさらに言った。
「……でも。」
俺は言葉を詰まらせた。俺がヴィクターに会いに行くという意味をサーシャは理解しているのだろうか分からなかった。
(……だけど。)
サーシャの笑顔には何一つの陰りも感じられなかった。
”俺を信じている”、そういった思いがサーシャから伝わってくるような気がした。
「分かった!行ってくる!」
俺はサーシャに木箱を渡し、走りだした。
(ヴィクターを説得できるかは俺次第だ!ならやるしかない!)
俺は心で決意を固めながら、神殿の入り口に向かった。




