第13話
俺は全力で聖地バリナの神殿の入り口まで戻ってきた。
辺りは一層暗くなり、神殿には何者も寄せ付けない雰囲気が漂っていたが、俺は構わず門に向かって歩き出した。
「……うん?止まれ!貴様何者……タケル殿か?」
門の前にはワニの見た目をした門番が変わらずいて、俺に気づき声を掛けてきた。
「……すみません、こんな遅くに。サーシャにもう一度会わせてもらえませんか?」
「タケル殿、申し訳ないが、もう今の時間ではサーシャ様も……分かった、少し待っててくれ。」
門番は一度首を横に振りかけたが、俺の顔を見て思い直したのか、一つため息をついてから神殿の中へと入っていった。
……
「タケル!?」
しばらくすると、暖かそうなカーディガンを着たサーシャがランプを持って門番と一緒に出てきた。
「ごめん、サーシャ。どうしても聞かなくちゃいけないことがあって。」
俺はまっすぐサーシャの目を見て言った。
「……分かった、話を聞くよ。さあ外は寒いから入って。」
サーシャは何かを察したのか、門番に門を開けさせ、俺を神殿に招き入れた。
……
再びサーシャの部屋を訪れた。俺たちは無言のまま向かい合うようにソファに座った。
数分もしないうちにロズリーヌが温かいお茶を持ってきてくれた。しかし、昼間とは異なり、冗談も軽口も叩くことなく、静かに部屋を後にした。
「それでどうしたの、こんな時間に?」
二人の間に沈黙が続く中、サーシャは優しい笑顔を浮かべて言った。
「……何で教えてくれなかったんだよ?」
俺は俯いたまま、小さな声でサーシャに言った。
「……そっか。タケルは知っちゃったんだね、私のこと。」
サーシャはつぶやくようにそう言うと、両手でマグカップを持ち、軽く口をつけた。
「そう、私は”土王アレクサンドラ”、この聖地バリナの支配者だよ。」
マグカップを机に置いたサーシャの顔はどこか悲しそうに見えた。
「……」
俺は何も答えることができなかった。本当はもっと聞きたいことが山のようにあったはずだが、いざとなると何を聞きたかったのか分からなくなってしまった。
「誰かから聞いたんだよね、私のこと。どんなふうに聞いたの?」
何も言わない俺に対し、サーシャは尋ねた。
「軍を率いてここを占拠したって聞いた。後はカーレイド王国やトランテ王国とも戦争をしていたって。」
俺はユリウスたちから聞いたことをそのまま話した。
「……全部本当だよ。昔、私は森にいた仲間と一緒にこの地を攻め込んだの……守りたいものがあったから。」
サーシャは遠くを見るような目をしながら話し始めた。
……
「本当に昔、もういつだったか覚えていないけど、その頃はアウストリア派とか原典派なんて考えはなかったんだ。」
「人族だろうと、亜人族だろうとみんなでシデクス教を信仰していたの。それは時々、種族間で喧嘩をすることもあったけど、最後には仲直りして、みんなで一緒に神様に祈っていたんだよ。」
「この聖地バリナ……神殿もね、昔は今みたいに誰かが住む場所ではなかったの。近くに住む人が定期的に掃除していて、年に一回ぐらい、いろんな地域に住む人たちが集まる場所、そこで顔を会わせて近況を楽しく話したりする、ただそれだけの場所だった。」
サーシャは当時の事を思い出したのか幸せそうな笑みを浮かべた。
「だけどね、ある時、アウストリア……そう彼によって、ある考え方が生み出されたの。”人族のみが神の寵愛を受けられる”、そんな考えがあっという間に人族の間に広まっていった。」
「私はそんなのあり得ないと思った。それに人族もすぐにそんなのおかしいって気づいてくれるって信じていたんだ。だけどね、現実はそうはならなかった……」
「いつの間にか、人族にとってシデクス教はアウストリア派の考えそのものになってしまったの。その時にはもう何もかも手遅れで……」
サーシャは話をしながら次第に俯いてしまった。しかし、それでも俺は、話すサーシャを止めようとはしなかった。
「人族と亜人族の関係は日に日に悪化していってね、それはシデクス教の信者内だけの話に留まらなかった。人族の国に住む亜人族への差別、迫害、時には口にするのも恐ろしい出来事が当たり前のように起こるようになったんだ。」
「聖地バリナもアウストリア派教会の神父たちによって乗っ取られてしまって、私たち亜人族は聖地に行くこともできなくなった……世界から私たちの居場所がなくなっていったの。」
サーシャはそこまで話すと顔を上げ、俺をじっと見つめた。その目は何かを決意したもののように見え、俺はその目から視線を外すことができなくなった。
「だから私は、”土王”としてみんなの居場所を守るために立ち上がった。当時はまだ森に戦いが得意な種族も多かったから、仲間を集めて、聖地バリナに侵攻することを決めたの。」
「戦いはあっけないものだった。私たちが神殿に現れると同時に神父たちは慌ててすぐに逃げてくれたから。一滴の血を流すことなく、聖地を取り戻せた。」
サーシャは話をしながら立ち上がり、俺に背を向けてしまった。
「そこからは長期戦。人族の国々が攻め込んで来られないように街道を破壊したり、嘘の情報を流して人族の軍を混乱させたり、直接的な衝突を避けるためならできることは何でもやった。」
「それでも、いつかは人族と戦わないといけないって覚悟はしてたんだ。だけどイルが……ううん、東から先代の魔王様が攻めてきたものだから、人族は私たちそっちのけで、魔王様と戦い始めちゃって……結局、私たちが人族と直接戦うことはなかった。」
「百年前に魔王様と人族の戦争も終わって、一応世界は平和になった。だけど、私たちと人族の戦いはまだ終わってないんだと思う。だから私はここを守るため、仲間を守るため、今もこうして聖地バリナにいるんだよ。」
サーシャはこちらに振り向くことなく話を終えた。
「……」
俺はサーシャの話を聞きながら静かに考えていた。事実としてはユリウスたちの言っていることと違いはないが、サーシャはあくまで亜人族の居場所を守るために戦い、血を流すことなくそれを成し遂げた。ユリウスたちの話とはそこが大きく異なっていた。
俺も立ち上がり、サーシャの背中に視線を移した。
「なあ、サーシャ?」
「うん、なに?」
「サーシャにとって、やっぱり人族は滅ぼしてやりたいほどの敵なのか?」
言葉にしたくないことだったが、俺はあえてそれを尋ねた。
「……!そんなわけない!私は……昔みたいに、またみんなで仲良くしたいって今でも強く思ってる!」
背中を向けていたサーシャは俺に振り返り、悲しみと苦しみに満ちた顔で、はっきりと答えた。その顔を見た俺は、その言葉に嘘がないと信じられた。
「……分かった。俺はサーシャのことを信じるよ。でも、もう一つ大切なことを質問させてほしい。」
この質問だけは避けるわけにはいかなかった。俺は一呼吸置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「サーシャも“俺を殺したい”って思っているのか?」




