外伝 水王オルズベック 第5話
カーレイド王国では建国祭の時期となり、私は王都メーテナを訪れていた。
前日はパーティーがあり、そこで初めて”タケル”という若者を見た。
信じられなかった。彼を見た瞬間、私の中に溢れ出しそうなほどの憎悪が生まれた。
それがタケルに伝わってしまったのか、その時彼は周りを警戒していたように見えた。
反省しなくてはならない。一つでも誤れば計画は失敗してしまうのだから。
・・・
今日の昼、予定通り、私はタケルに接触した。集めた情報からタケルが通りそうな道に狙いをつけ、見張りからの合図の元、タケルの前に先回りすることができた。
全てうまくいっていた。これで後は機会を見てタケルをこの屋敷におびき寄せるだけだった。
「・・・旦那様、少しよろしいでしょうか?」
私のそばにいた従者の男が声を掛けてきた。見た目は老けているが、年齢は私よりもずっと若く、彼が子どものころから面倒を見てきた。
従者には“計画”の全てを話していた。そうでなければ、計画に巻き込まれ、彼自身が犠牲になってしまうからだ。
計画が始まったら、彼にはすぐに逃げるよう伝えていた。
「・・・うん、どうした?」
「”計画”のことで一つ相談がございます。」
従者は顔色を変えることなく言った。
「聞かせてくれ。」
「先ほどタケルと呼ばれる人物と旦那様が食事をされた際、そのタケルが今夜緊急で警備の任務に就くことになったという話を聞いたと、旦那様は仰っておりました。」
「それがどうしたというんだ?」
私は従者に話の続きを促した。
「・・・私と私の配下の者で、警備中のタケルを襲撃いたします。それが成功すれば、旦那様が計画を実行せずとも目的を果たすことが可能です。」
「・・・なっ!そんなこと許可できるわけがない!」
私は従者の提案に驚きながらも、それを拒否した。
「これは私の問題だ。それに第一、タケルという者はこの国ではかなりの強者だと聞いている。いくらお前たちでも危険すぎる。」
従者は”半魚人族”と呼ばれる。水中での活動を得意とする種族だった。
それだけではない。従者が率いる部隊は半魚人族の中でも、最も戦闘能力に優れた”戦魚族”と呼ばれる種族で構成されており、かつての水王軍の忘れ形見のような存在だった。
しかし、水王軍解散以来、ここ何百年と実戦などしたことがない。彼ら戦魚族も訓練だけはしてきているが、実戦は未経験だった。
「勝機はあります。タケルがいくら強者であろうと、あの年齢では対人の戦闘経験はないでしょう。きっと”人を殺す”ことを意識した瞬間に迷いが生まれるはずです。その隙を狙います。それに・・・」
「これは旦那様だけの問題ではありません。旦那様には元気なままキオに帰ってもらう、それは奥様やお嬢様、そして私や旦那様の元で働く人間全ての願いなのです。」
「お願いします。どうか私たちをお役立てください。必ず吉報を持って帰りますから。」
従者は話し終えると頭を深く下げた。
私は従者の思いに圧倒され、今になって迷いが生まれだした。
このまま従者の作戦通りにいけば、私も死ぬことなく、また家族に会うことだってできる。それに戦魚族の部隊は十人以上、数の理だってあるはずだ。
「・・・分かった。だが、無理はしないでほしい。もし危ないと思ったら作戦は中止して帰ってくればいいから。」
私は従者の目を見て優しく言った。
誰にも死んでほしくなんてなかった。作戦がうまくいくことよりも全員の無事を願った。
「ありがとうございます。では早速準備に取り掛かりますので失礼します。」
普段感情を出さない従者がこころなしか嬉しそうな顔をして、私に一礼し退室していった。
(”人を殺すことを意識した瞬間に迷いが生まれるはず”か。)
先ほどの従者の言葉を私は頭の中で反芻させた。
「・・・お前たちだって今まで人を殺したことなんてないじゃないか。」
・・・
深夜になり従者たちは帰ってきた。
誰もが傷ついた姿をしていて、中には酷いけがや火傷をしている者もいた。
「・・・旦那様、大変申し訳ございませんでした。」
従者は地面に頭を強く押し付けながら言った。
「・・・みんな、すぐに傷の手当をしてくれ。」
私が一言伝えると、従者は他の者を連れ、いなくなった。
「四人も死んでしまった。」
一人になった私は呆然としながらつぶやいた。
まさか、あの若者がここまでするとは思わなかった。
いやそうではない。覚悟を決めてこの国に来たはずなのに、私が安易な道を選ぼうとしてしまったことが間違いだった。
その選択が無関係な部下たちを殺したのだ。
「・・・全部私のせいだ。」
後悔に圧し潰されながら、私はその場に崩れるようにしてうずくまった。
・・・
「今回のパーティーも会談も全てうまくいった。オルズベック、礼を言うよ。」
翌朝、私が宿泊している屋敷にライナスが帰国の挨拶にやってきた。
ライナスはトランテ王国で急ぎの仕事があるらしく、セレナ姫とともに、先に帰国するとのことだった。
「別に私は大したことなんてしていないよ。ライナス、君が頑張ったから成果となったのさ。」
私は素直な思いをライナスに伝えた。
カーレイド王国に来てからというもの、ライナスはカーレイド王への挨拶、ヴィクター殿下との会談、貴族との人脈づくりなど、体がいくつあっても足りないような仕事を一人でこなしていた。
「ふん、背中がむずかゆくなることを言う。・・・まあ、君が本来の君でいてくれたことも大きかったのは確かだ。」
本来の私・・・計画で頭の中がいっぱいであり、正直他のことに集中なんてできなかったが、それでもライナスとの仕事だけは、求められていた役割を全うしたつもりだ。
これで少しでもライナスへの恩が返せていればと思った。
「では、私はこれで失礼するよ。君も早く帰ってくると良い。」
ライナスはそう言うと背中を向けて歩き出した。
「ちょっと待ってくれ。」
私はライナスを引き留めた。
「まだ何かあるのか?」
「これを・・・」
振り向いたライナスに私は手に持っていたものを渡した。
「・・・手紙か?誰宛のものだ?」
「君だよ、ライナス。」
私の言葉を聞いたライナスは怪訝そうな顔をした。
「言いたいことがあるならこの場で言えば良いじゃないか。それか今ここで手紙を読んでしまおうか?」
「ああ、待ってくれ!」
封筒を開封しようとするライナスを私は慌てて止めながら言った。
「・・・帰国してから読んでほしいんだ。」
「・・・なぜ?」
「読めば分かるから。」
理由は言えなかった。ただ手紙には、港湾都市キオである水王自治区と水王商会の全てをライナスに任せる旨のことを書いておいた。
私からライナスに宛てた”遺言書”だった。
「・・・よく分からないが、君がそう言うのならその通りにしよう。」
「ありがとう。」
ため息をつきながらも了承してくれたライナスに対し、私は礼を言った。
「そう言えば、カーレイド王から高そうな酒を頂いたんだ。」
「・・・」
私は何も答えず、ライナスの言葉の続きを待った。
「君も最近になってようやく酒の味を覚えてきたみたいだし、せっかくだ、一緒にその酒を飲もうじゃないか。」
「前にも言ったが、オルズベック、君には”貸し”が多いんだ。嫌とは言わせないからな。」
「だから約束しろ。帰ったら一緒に私と酒を飲むということを。」
ライナスは真剣な表情で、私の目を見て言った。
私はすぐに返事をすることができなかった。
心の中に詰まっていた思いが溢れ出しそうになった。
「ああ、約束するよ。」
それを私は何とか抑え込みながら、笑顔をライナスに向け答えた。
「・・・ふん。」
ライナスはそれ以上何も話すことなく、私の前から立ち去った。
「・・・」
どうやら私は、ライナスの言う”貸し”を返すことができないみたいだ。




