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幼等部編

 

「せんせい!!」


 私を呼ぶのはカレンだった。他の者よりも五感に優れ、私のクラスでも指折りの潜在魔力を秘めた子だ。性格としてはやや勝ち気だが、秩序と平穏を愛する一面も持ち合わせている。新進気鋭の実業家の令嬢で、いかにも甘やかされ育った……否、両親のはき違えた愛情を……否、えー……その両親の愛情をたっぷりと受けて育った健康優良児である。性別は女。世の中を舐め腐ったような愛らしい顔立ちをしている。もっとも年齢はまだ5歳なのだから、それも当然というものだろう。


「なんだ?」


 私は読書の手を止めて、本来であれば他の者たちと同様に『おひるねのじかん』を夢の中で楽しんでいるはずのカレンに顔を向けた。なにか異常が発生したのだろう。私は予測を立てながらもカレンの次の言葉に耳を傾けた。


「きょうしつがくさいです」


 すぐさまピンときた。私は支配下である教室での問題を解決するため、カレンを小脇に抱えて教職員室を抜け出した。


「ユリエル先生!!」


 廊下で私を呼び止める女の声がした。その女は息を切らし、私を探し回っていたであろうことがわかった。


「なんだ?」


 普段はこんな不遜な態度は取らない。園児たちに接するときと全く同じ調子と言葉が私の口をついて出てしまった。相手は先輩のライザ教諭だった。彼女は去年まで私の教育係を務めていた人物でもある。


「飼育小屋で……」

「あぁ、後で行きましょう。安全のために、飼育小屋全体に保護魔法をかけて誰も近づかせないようにしていただけますか?」


 やはりこうなったか。先月、恒例行事のピクニックに引率したときに怪我をして動けなくなっていたシベリアジャイアントホロウカモノハシを保護した。それが暴れまわっているのだ。幼体から成体になりかけている難しい時期での保護だった。


 そもそも野生のシベリアジャイアントホロウカモノハシは、つがいで行動する。単身で、しかも水辺もしっかり確保していないあんな粗末な小屋では精神状態も安定しないことは目に見えていた。だから野生動物の飼育は甘くないと園長や諸先輩方や園児の保護者たちにも進言したというのに。見た目が可愛いという理由だけで飼い始めおって。


 結局、飼育に反対したのは私ひとりだけだった。あの時はあらためて孤独を感じた。その状況にちょっと不貞腐れて、飼育小屋作りに関して一切手を貸さなかった。それが間違いだったか。害のなさそうな愛くるしい体躯とつぶらな瞳に癒されるというのはわかるがまったく、どいつもこいつも……。


「あの……」

「いいですか、防御魔法じゃなくて保護魔法ですよ? やつらは見た目よりも手強い。それ以外は手を出さないでください。それと、くれぐれもテリトリーには入らないで。もし視力を奪われ……」

「できません!!」


 ライザは華奢な体から想像もつかないほどの大きな声をあげた。小脇に抱えたカレンがびくりと体をこわばらせたのがわかった。


「……『できません』じゃねぇんだよ。やれ」


 カレンには聞こえないようにライザの耳元で声を低くして命令した。今思えば、とても先輩に対して使う言葉と態度ではなかった。しかしながら、我々は親御さんたちから大切な子供たちを預かっているの身なのだ。『できません』などという言葉は許されない。


 シベリアジャイアントホロウカモノハシは人間の捕食こそしないものの、そのパワーはタスマニアブラックジャミルドラゴンに匹敵する。一歩対応を間違えればこの校舎ばかりでなく、園児たちにも被害が及ぶ可能性だってある。


「で、でもそんな難しい魔法……園長先生だったらできるでしょうけど」

「ヴァルメラ園長がいない?」


 ライザは黙って頷いた。くそったれ。中規模の保護魔法なんて基本中の基本……まぁこの場合は少しばかり複雑かもしれないが……。思案しながら私はいつだったか、懐にしまい込んだままのあるものを思い出した。


「ライザ教諭、あなたはその~……純潔ですか?」


 これは断じてセクハラではない。一縷の望みをかけた質問だった。


「えっ!?」


 間の抜けた声をあげたライザは徐々に顔を赤らめた。私は少しイライラした。


「が、学生時代に……男性に、そ、その……告白されたことぐらいはありますけど……でも、今はフリーです!!」


 なに言ってんだこいつは。違う違う違う。そうじゃない。私が聞きたいのはそういうことじゃない。


「いいから聞かれたことに答えて!! 性行為をしたことはありますか!? それともありませんか!?」


 ちなみにこの時は、小脇に抱えた大事な子供たちの一人である5歳児のことについては忘れていた。


 やがてライザはうなだれながら首を横に振った。ビンゴだ。幼稚園とはいえ、さすがは名門魔法学校の教諭を務める魔女だ。身持ちが堅い。まったく素晴らしい。私は顔を緩ませながらローブの内ポケットからあるものを取りだした。


「魔力増幅石。私の父の試作品です。欠点は処女の魔力だけを増幅させること」


 私が取り出したのはゴルフボールほどの大きさの真球に近い透明な石だった。その効果を簡潔に説明しながらライザに手渡した。


「中規模クラスの保護魔法は私のを何度か見た事がありますね? 理論については学生時代に履修済みのはずだ。とにかくこれを。持っているだけで効果があるはずです。やってみてください」


 増幅石を握ったままライザはまだ不安げな顔を私に見せていた。


「少しの間でいい。私が行くまでどうかお願いします」


 期待を込めて彼女の肩を軽くたたいた。幼稚園の教諭陣は若い。その中でもライザ教諭は私を抜けば一番に若い。だが世界でもトップクラスのこの名門学校に採用されたほどの人物ならば、魔法技術も十分に持ち合わせているはずだ。あとは経験だけだ。やれないってことはない……たぶん。


「はいっ!!」


 ライザは微笑みながらも力強く答えてくれた。その瞳は綺麗に輝いていた。私も微笑み返したがすぐに表情を引き締めた。


「急ぐぞ!!」


 カレンを小脇に抱えたまま私は再び駆け出した。原因となった子はおそらく泣いているに違いない。こうしている間にも、その小さな心は罪悪感と絶望感で張り裂けそうになっているであろう。急いで助けなければならん。


「せんせい?」


 小脇が……間違えた。カレンが呑気に話しかけてきた。


「なんだ?」

「ライザせんせいはせんせいのことがすきだとおもう」


 突然の話題に私はむせかけた。何歳だろうが魔女ってやつは、本当にこの手の話が好きなんだな。男と女が喋っただけで。くだらない。


「……なんでそう思うんだ?」


 大人な私は耳を傾ける。どんなくだらない事だろうが、たとえわかりきった答えだだろうが子供たちにとってはそれが大事なことなのだ。


「なんでもー」


 カレンは笑っていた。私はそれを鼻で笑い飛ばした。まったくの愚問である。呪いとはいえ顔も醜く肥え太った私に好意を抱く乙女などこの地上には存在しないであろう。今時メガネもイケてないしな。一応最低限のマナーとして髭とか髪の毛には気を遣ってるはいるが、限界はある。


「せんせい?」

「なんだ?」


 もはや形式美である。説明不要のいつものやりとりということだ。


「『せーこーい』ってなに?」

「交尾だよ」


 子供たちには時にはビシッと答えてやる。それが私の方針だ。とりわけ性教育においてはストレートに、わかりやすく。


「こうびってなに?」

「今度、お父さんとお母さんに聞いてみなさい。できれば皆でご飯食べてる時なんかに。シチュエーションとしては外食の時なんかが最高だな。できるだけ大きな声で。小さい声だと聞こえないかもしれないからね? その時、もしご両親に何か聞かれても、絶対に私の名前を出してはいけないよ?」


 このちょっとした悪戯心が私のすべてなのかもしれない。また一つ、幸せの団らんを凍り付かせてしまうことになる……。


「わかったー」


 優秀だ。少し長めの説明でもしっかり理解してくれる。カレン、お前は最高の教え子だよ。



 ほどなくして私は、担当クラスであるバジリスク組の教室に到着した。薄暗い室内に今は30のベッドがずらりと並んでいる。確かに報告通り、室内はかぐわしい香りに包まれていた。


 淡い金色に発光した東洋の龍を模した私の小さな使い魔が、見通しの甘さをあざ笑うかのように悠長に宙を泳ぎ回っていた。


 私は睡眠促進呪文を部屋全体にかけた。28名の児童が思い思いに寝息を立てている中、私の予想通り一人の児童だけが枕に顔をうずめ、肩を震わせて声を殺しながら泣いていた。私はその子にそっと近づいた。


「せん……せい……?」


 泣いているのはフレデリックだった。他の子より少しだけ気の弱い子だが、優しい子で動物好きの男の子だ。フレデリックは涙と鼻水をこれでもかといわんばかりにシーツと枕にべっとりと付けていた。後で洗わねばなるまい。いや、念のためベット全体をクリーニングしよう。


「フレデリック、どうした?」


 声をかけたが答えはわかりきっていた。だが私は静かに笑いかけながら、フレデリックの次の言葉に耳を傾ける。まずはこの子を安心させねばならない。


「うんち……したかも……」


 私は無言でフレデリックの頭を撫でてやった。小さきものよ。怖かっただろう。私が来たからにはもう大丈夫だ。


「カレン。このことはみんなには内緒だ。わかったな?」


 私の小脇から地上へと降り立ったカレンに提案するが、彼女は返事をしなかった。おそらく軽くショックを受けているのだろう。


「先生とカレンとフレデリック、三人だけの秘密だ。守れるな?」


 私はカレンにもう一度提案した。


「……うーん」


 曖昧な返事だった。きっと……ダメだろうな。カレンはいつか、何かの拍子に喋ってしまうだろう。それは仕方のないことなのだ。幼児の集団生活というのはそういうものなのだ。


 この件に関しては園児に対して忘却魔法をかけるという手段をとる教諭も少なからずいるであろう。しかし私はその手段はとらない。臭いものに蓋は大人の世界で十分すぎるほど味わえるからだ。それに、良くも悪くもこの経験がカレンとフレデリックというそれぞれの人間を形成する、大切な1ページとなることを私は信じている。三人だけの秘密の暴露の時が来たら、私はカレンを叱り飛ばすだろう。カレンはギャン泣きすることだろう。同時に彼女は約束を守ることの大切さを学ぶのだ。そしてフレデリックに対してはトラウマにならないように手厚くフォローをするだろう。それも徒労に終わり、私の支配の及ばないところで、なんとなくの上下関係がこの二人の間に芽生えるかもしない。そうじゃないかもしれない。それがいつしか二人の絆となるかもしれない。そうじゃないかもしれない。


 私は消臭呪文をかけつつカレンを自分のベッドに戻るように言い聞かせ、今度はフレデリックを小脇に抱え、彼の寝具のクリーニングちょちょいと魔法で済ませ、そのまま中庭へと出た。




 ここからが私の腕の見せ所だ。まず、エリート主婦も真っ青の色落ちしない完璧なお洗濯魔法。お次は名門幼稚園に通うようなお坊ちゃんが着る、高級なお召し物でも生地が傷まない衣類乾燥の魔法をお見舞いしてやる。そしてフレデリックのお尻は赤ちゃんのお尻を拭いても大丈夫な、天使の羽根とも呼ばれる奇跡の魔導具で優しく拭ってやる。途中で私の指とメガネに汚れが付いてしまったアクシデントもあった。しかしそんなことは大したことではない。なにせ私は大魔導士。こんな事は日常茶飯事である。


「泣くな。フレデリック」


 作れた自然の広がる中庭で、ちんちん丸出しのフレデリックはまだぐずっていた。パンツはもう乾いたろうか。ズボンはもう少しだけ仕上げに時間がかかりそうだ。


「ごめん……なさい……」

「はっはっ。気にするな。それよりも、到着が遅くなってすまなかったな?」


 万が一のことを考えてあの小さな龍の使い魔には、園児たちに何かあったらすぐ知らせるように仕込んである。お漏らしお知らせ能力を仕込み忘れたのは、完全に私の不覚である。私はその事についても謝ったが、フレデリックの表情はまだ暗かった。


「そんなに気にするなって。大人たちもみんな、フレデリックぐらいの時はうんち漏らしてたんだよ?」


 時には事実を誇張いや、ここまでいくと捏造だろうか。とにかく私はフレデリックに元気をとりもどしてもらいたかった。教え子に暗い顔はしてほしくないのだ。


「……せんせいも?」

「もちろん。先生も。一万回は漏らしたかな」


 ここでフレデリックに笑顔が戻った。


「先生だって、フレデリックのパパだって、それはもうみんな……垂れ流しだったんだから」


 ここで私は調子に乗り、極大の歴史捏造をかました。フレデリックのパパには申し訳ないが、息子さんの笑顔の為の犠牲になってもらった。フレデリックのパパはイギリスの魔法警備局員という、非魔法界でいうところの警察官のような堅い仕事だ。


「パパは……おこるとおもう」


 フレデリックの顔にまたしても陰りが戻ってしまった。不覚。まぁ、そらそうだ。うんち漏らしとは程遠い厳格な顔つきだったもの。あの顔はうんち漏らしたら怒る顔だと先生も思うよ。


「……大人になるとさ、みんな忘れちゃうんだよ。子供のときのこと」


 励ますつもりがちょっとセンチな事をいってしまった。なにやってんだ、私。


「ぼく、わすれないとおもうよ」

「わっはっはっ。そうかそうか」


 子供の時はそう思ったりする。知っているさ。私にも5歳を生きたときがあるのだから。


「せんせいがたすけにきてくれたこと。ぼく、ぜったいにわすれないよ」

「……そう、か」


 私は緩みかけた涙腺を気合で締め付けた。大魔導士は泣かないのだ。こういう優しい子供の言葉は私には効きすぎる。


「ふはっ!?」


 私は間の抜けた声を出した。シベリアジャイアントホロウカモノハシの件を思い出したのだ。ズボンはもうすっかり乾いたことだし、急がねばならない。


「フレデリック、教室に帰ろう。あ、その前にちゃんと履いてパンツと……ズボンも。ほう……一人で履けるのか。えらいじゃないか。急がなくていいよ。ほら、ズボンが逆だぞ……だから、逆だってば……違う違う、そうじゃない……よし、よーしよし。よくできました。えらいえらい。さぁさぁ、帰ってお昼寝の続きだ」


 鮮やかに教室へと戻った私はフレデリックを音速で寝かしつけた。そして微妙に寝付けないでぐずっていたカレンをも神速で寝かしつけ、急いで飼育小屋へと向かった。もちろん使い魔にはお漏らしお知らせ能力を学習させておいた。






 私がたどり着くと、飼育小屋は消え去っていた。いや、正確にいうと大破していた。問題であったシベリアジャイアントホロウカモノハシは、小屋があった場所から少し離れた場所で丸くなっていた。おそらく仮死状態であることが予測された。彼らはタフだ。この件に関してはあとで蘇生処置を施せばまったく問題はないだろう。それよりも現場には新たな問題が出来上がってしまっていた。


「クソオヤジめ……」


 父親への呪詛が飛び出した。大魔導士である私は一瞬で状況を理解した。処女ライザの増幅しすぎた魔力が暴走し、異なる次元、いわゆる異世界へのゲートを作り上げてしまっていたことを。


「ゆ、ユリエル……先生……」


 次元を裂き、まわりの空間をゆがめながら黒光りするゲートの前で、破滅の処女ライザは地面に倒れていた。意識を失い、声など出せない状態だ。私に声をかけたのは、なぜか彼女の傍らにいるブラム教諭だった。フィジカルに恵まれた屈強な男性教諭だ。ライザを介抱していたのだろう、彼は彼女の手を握りしめていた。


「くそーぅ!! 保護魔法だったら私がぁ!! 私がかけたのにぃ!!」


 ブラム教諭は野太い筋肉質な声で高らかに後悔の念を叫んでいた。私は二人の元に駆け寄り、ライザの症状をみた。短時間で魔力の大量放出をしたことによる意識消失だ。この手の症状は思春期の女子に多くみられるが、この場合は私が彼女に渡したあの石が原因であろうことは明らかだった。私は応急処置としてすぐさま自分の魔力を彼女に分け与えることにした。


「ブラム教諭、手をはなしてもらえますか? 応急処置をします」


 第三者が患者に触れていると邪魔になる。人力による魔力注入は効果は高いが繊細な魔力操作が要求され、取扱いに難がある。私はライザに外傷が無いかも同時に確認した。


「な、何をする気……ですか?」

「私の魔力を少しだけ彼女に注入します。意識は問題なく戻るはずです」


 いいながら確認を続ける。後頭部に小さかったがコブが出来ていた。倒れたときに頭を打ったのかもしれない。脳震盪も起こしているかもしれない。となると、できるだけ頭を動かさずに……。


「チュー!!?にゅう!!??」


 やかましい雑音が耳障りだったが、どうやら他に外傷は無いようだった。続けて彼女の魔力の質を探るため、彼女のこめかみ辺りに手を当てる。額に当てる人もいるだろうが、私にはこっちの方がやりやすかった。しかしノイズが走ってうまく探れなかった。こんなことは初めてだった。


「貴様!! やはりライザ先生をそういう目で見ていたな!?」


 うるせぇなさっきからこの筋肉マンは。よく見ると筋肉マンはライザから手をはなさないままでいた。この野郎、ふざけてんのか? ノイズはテメェのせいか!! 緊急事態だぞ、バカ野郎!!


「ブラム教諭、手をはなしてください」


 私は悪態をつくのをこらえた。大魔導士はむやみやたらと乱暴な言葉は使わないのだ。


「貴様、そんなこといってライザ先生にイヤらしいことをするつもりだろう!? そうはいかない!! そんな事は私がさせない!!」

「あぁ、そういう……」


 なるほど、ね。はき違えた男気が邪魔をするとは。しかし事は一刻を争う。速やかにゲートも閉じなくてはならない。どうしたものか……。


「私はね、前からおかしいと思っていたんだ!! ライザ先生のような可憐な方がお前のような男と親しくしていることに!! 一体、彼女に何をした!? 白状しろ!! 呪いか!? 惚れ薬か!? それとも大魔導士という地位を利用してのことか!?」


 なぜそうなる……いや、くだらない事にこれ以上時間はかけられない。


「いいですか? 私は誓って彼女には何もしてないし、今現在進行形で彼女に対してなんら特別な感情も持ち合わせておりません」


 私はまっとうな作戦に出た。人質をとった犯人に対して真摯に向き合って説得するという、なんのひねりもない作戦だ。遠回りのように思えるが、この場合おそらくこれが一番の近道になるはずだ。他ならぬブラム教諭がそういう男なのだから。


 今は多少厄介だが、これでいてそれなりに知性も高く、何よりも真面目な男なのだ。時にこういう風に思い込みが暴走してしまうのは玉に傷だが。そしてこれは個人的なことだが、私は魔力だけでなく肉体も鍛えている魔法使いに対しては尊敬するに値する存在だと思っている。


「彼女を救いたいんだ。我々が預かっている子供たちを思う親御さんがいるように、彼女にも彼女を愛する両親や大切な人たちがいるだろう。そういう人たちを悲しませたくないだろう?」


 これは……ちょっとやりすぎたか……? いや、手が緩んでいる。効いてる効いてる。どうする? このまま説得を続けるか……?


「医務室にはあなたが運んでください。そうすれば、あなたはその人のヒーローだ。それでいいだろう!?」


 先に私がキレた。大魔導士といえど、元より気が長い方ではない。それに、彼女に触れている部分が少しだけ冷たくなった気がしたのだ。とにかく時間がなかった。どのぐらいの魔力が放出されたかもわからない。量によっては生命に危険が及ぶ可能性もある。それに今、ゲートから邪悪な魔物たちが飛び出してきたら……。


「……わかった。だが、俺は見ているぞ?」


 ブラム教諭はやっとのことで手をはなしてくれた。間違いなく今が、私がこの学園に来てから一番の窮地だ。


「そうしてくれ」


 手さえはなしてくれれば逆立ちしようが裸で踊ろうが何をしてくれててもいい。改めて私はライザの魔力の質を探ることにした。






 体……が重い……何も……みえない……わたしは……失敗した。






 ユリエル先生は見た目はちょっと個性的だったけれど、優秀だった。彼は怖いくらいすぐに子供たちの心をつかんだ。子供たちに媚びを売って気に入られるとかそういうことでもなく、なんといっていいかわからないけれど、子供の目線そのものを捉えているというか。


 音楽や絵画、声色を自在に変えての人形劇、その他もろもろの、子供たちを楽しまるための才能が彼にはすべて備わっていた。もしかしたら、彼は天才保育士なのかもしれない。

 彼のような人にわたしは会ったことがなかった。新人だった彼の指導を任されていたけれど、はっきりいって彼に教えることなんて何もなかった。逆にわたしの方が彼にいろいろな事を教わっていたくらいだった。


 子供たちがいつでも思い切り遊べるピカピカ清潔お手軽お掃除魔法、手洗いうがいの徹底のための幼児向け歌付き呪文、色落ちしない完璧なお洗濯魔法、どんな素材でも傷まないけれどちょっとだけ時間のかかる衣類乾燥魔法、シベリアジャイアントホロウカモノハシの生態、パンダとかいうとてもかわいいらしい非魔法生物の形の焦げ目をつけた、見て楽しい食べて美味しいパンケーキの焼き方……。


 彼から繰り出される魔法や技術のひとつひとつが目からウロコのものばかりだった。去年のお遊戯会なんかはすごかった。当時の彼は私のクラスの副担任扱いだった。彼はクラスの劇の道具類や音響、演出から演技指導、その他すべてを完璧にこなし、子役劇団も顔負けの完璧な舞台をほとんど一人で作り上げてしまった。彼のおかげで主役以外の子供たちも、ちゃんと一人一人がキラキラ輝いて見えた。完全にユリエル劇場と化した劇を、私も観るのに夢中になってしまったほどだった。劇が終わると、我が子の晴れ舞台を見に来た保護者たちは総立ちで拍手をしていた。あんな光景は初めて見た。そのあとの保護者達からの彼への称賛の声といったらすごかった。担当外のクラスの子たちの保護者からの不公平だ、という苦情の数はもっとすごかった。徒党を組んで怒鳴り込んできたんですもの。あれは怖かった。


 おかげで彼は今年のお遊戯会は全クラスを担当するという滅茶苦茶な要望に応える羽目になった。それでも彼は余裕しゃくしゃくといった様子だった。今年は一体何を見せてくれるのだろう、と無責任な期待をしてしまう自分に少し嫌悪感を感じた。どんな理不尽なものでも、『できない』という言葉を彼は絶対に使わない。そして実際にそれをこなしてしまう。気付けばわたしは、子供たち同様すっかり彼のファンになっていた。


 彼は子供たちの前以外では決して笑わなかった。教職員相手には一線引いた大人の態度を崩さなかった。不測の事態の時はワイルドな一面を見せることもあったけれど、それがまた彼の魅力を引き出しているような気もした。彼の存在は教職員の中ではっきりと浮いていた。その姿はなぜか私が高校生だったころの、淡い初恋の、思い出の人の面影と重なって見えた。たしか、あの時も……。彼は笑ってくれた。答えなきゃ。彼の期待に。やるしかない。わたしがやるしかない。わたしが。ワタシガ……。





 体は……重いままだった。遠い所で……なにか……心地のいい音が聴こえたような気がした。





「見た目よか、ずいぶん重てぇ女だなぁ?」


 男の人の声がした。それはユリエル先生のような、初恋のあの人のような、どっちともいえない声だった。


「だが、そういう女は嫌いじゃない。むしろ好き。背もデカい方がいいな、俺としては」


 声の主は優しく笑ったような気がした。



「すまなかった。到着が少しばかり遅れたようだ」


 本当ですよ。わたし、怖かったんですからね。


「私が来たからには、もう大丈夫だ」


 体がじわりと暖かくなり、軽くなった気がした……。





 それはおそろしく清らかで純度の高い魔力だった。注入する私の魔力から邪気を取り除くのに少しばかり苦労したほどだった。だけど心配ご無用、なんといっても私は大魔導士。治療魔法は成功した。


「ユリエルせんせい……」


 ライザは意識を取り戻し、目を開くと私の姿を認識したようだった。


「まだ動くな。頭を打っている。医務室で安静にして」


 だがまだ安心はできない。これより少しだけ緊張感の高まる作業が待っている。


「ブラム教諭、彼女を頼む」


 ブラム教諭は私にいわれるまでもないといった様子で素早くライザの補助をした。


「ユリエル先生は、どうなさるのですか?」


 ライザは私へとたずねた。自分のことよりも人の心配か。清らかなわけだ。


「私はこれを閉じにいく」


 そう。異世界へのゲートを閉じる作業がまだ待っている。私の見立てではこのゲートはおそらく魔界と呼ばれる世界につがっているはずだ。


「ダメ!! 危険です!! 園長先生の帰りを待って……」

「それに、それは保安部隊の仕事だろう!? いち教師がそんなこと……」

「やかましい!! 私を誰だと思っている!? こんなゲートの一つや二つ、すぐに制圧できる!!」


 私は焦っていた。少し乱暴な物言いで二人を怯ませた。言い争っている時間すら惜しいのだ。


「それに、園長の帰りを待っていては穴が拡がり事態が悪化するばかりだ」


 嘘も方便。つまり、これは嘘だった。魔界へのゲートが自然に拡がるとなんていうことはほとんどない。


「ホントのこと言うと、ゲート封鎖なんていうのは、あなたたちにもできることなんだ。私はただコツを知っているだけさ」


 捨て台詞を吐きながら私は二人の同僚を地上に残し、飲み屋の暖簾をくぐるように気軽にゲートに入った。ちなみにこの捨て台詞も嘘だった。保安部隊の中でもゲートを単身で封鎖できるものは数えるくらいだろう。いや、もしかしたらいないかもしれない。そんな時は特防課と言って、何でもできるエリート集団にゲートの封鎖が任せられることもある。


 人間というのは高潔だ。この仕事は醜く、汚れ切った私が最適なのだ……。


 地上と魔界とをつなぐ次元の狭間で、私はなんとなくの場所を見繕っておいた。そこがゲートを閉じる作業をする場所になる。なんとなくの場所という表現と認識になるのは致し方がない。方向感覚が麻痺した空間で位置を認識したり、自由に動くのは思った以上に難しい。これがゲートを閉じるのが難しいとされる理由の一つでもある。魔力の大きさや技術が関係ない事でもある。訓練次第でなんとかなるとは思うが、この点に関しては個人差が顕著にあらわれるだろう。私は作業をするなんとなくの位置を決めてからゲートの出口である魔界へと進んだ。瘴気と悪意に満ちた魔界の魑魅魍魎どもの気配に刺激された私の脳は、過去に自分が参加した魔界での戦争を思い出していた。


 予感は的中した。この辺りの魔物は賢い。地上に一匹も出てこなかったことが私にそれを判断させた。魔界の赤黒い荒野をびっしりと埋めつくさんばかりの魔物の軍勢が目に入った。よく統率がとれている。おそらくどこかにリーダーか王のようなものがいるのだろう。私の姿を確認して魔物の群れが前進してくるのがわかった。残念ながら、話し合いは無しということらしい。やつらには圧倒的な力の差を見せつけてやる必要があった。


「来い魔物どもめ。地獄を見せてやる」


 群れに向かって駆けながら、私は本性を解放した。私の呪いの元凶でもある、私に封じ込められた醜悪な邪神の力を自らの身体と魂に融合させ、変身した。この技術は戦友からヒントをもらった。もっともその戦友はもっと清い力と魂を使っていたが……。


 戦いが始まった。私が変身するまで下卑た笑いを浮かべていた魔物たちは明らかに混乱し、統率は乱れに乱れていた。無理もない。神話生物だと思っていたものがいきなり目の前に現れて自分たちに牙をむくなんてことは、今の今まで魔物たちも考えたことなど無かっただろう。この時点で勝負はついていた。


 私は魔物どもの肉体を好き勝手に引きちぎりながら、かつての戦友に思いを馳せた。その戦友の日本人は私の目の前で粉々にされた。私は残った彼女の左の親指の先の骨と、彼女が肌身離さず身につけていた数珠に使われていた水晶の粒を集められるだけ集めて遺族に渡した。その壮絶な最期は遺族には言えなかった。戦争は凄惨だった。わずかな水と食料を味方同士で奪い合い、殺し合うものまでがいた。そこでの争いに勝った者は最前線に立った。いや、立たされた。そして、その場所もまた地獄だった。敵も味方も生き残った者は少なかった。我々が勝利を収めると軍は戦争自体を隠蔽した。何も手に入らない虚しい戦いだった。失ったものが多すぎる愚かな争いだった。そしてそれは誰も知らない『秘匿戦争』となった……。


 邪神の力は強大だった。超音波による感覚器の破壊、地獄耳による危険の察知、必要とあれば空を飛び、熱光線で集団を焼き払う。圧倒的な暴力の化身。かつて自分が受けた禍々しい力を、今は目の前の魔物どもにぶつける。魔物どもは私に傷ひとつ負わせることはできず、逆に私は一匹残らずやつらをものいわぬ肉塊へと変えてやった。私はさらに、遠くの方で様子をうかがっている、ここにいたものよりも凶悪な一匹の魔物の首を魔力の風で刎ねた。しばらくすると、辺りからすっかり魔物の気配は消え失せたのがわかった。これでしばらくの間ゲートに近づく魔物がいなくなることだろう。


「皮肉なものだな……」


 自身を罵りながら変身を解いた私は、次元の狭間に戻り、魔物どもに邪魔をされないように結界を張った。


 これは保護魔法とはまた違う少し特殊なものだ。破邪の結界とでもいうべきか、古代魔法に属するものである。この結界魔法を扱える魔法使いは極めて少ない。覚えていても実用性がないからだ。それに、やたらと魔力の消費も大きい。その消費魔力は……程度にもよるが、基本の攻撃魔法ならば同時発動で数千発くらいだろうか。要するに、いい所なんてひとつもない魔法だ。それでもこの魔法で結界を張らないと安全に作業に入れないのである。作業中この次元の狭間に自分以外の何者かがいると、とんでもなく面倒なことになるのだ。魔界側での魔物の殲滅にはそういった理由があった。それでもやる、というのであれば十数人規模でやるのが効率がいいだろう。集団使用ができる数少ない魔法でもあるし。私はチームで動くのは昔から苦手だ。


 頭の中で色々と雑念を抱きながら結界を張り終えた私は、今度はこのまま魔界側のゲートを封じる作業に入った。次元の狭間の中で作り上げた結界を魔界側へと伸ばし、そのあとはゆっくりじっくり、丁寧に空間を閉じてゆく。感覚としてはプリン作りでスが入らないようにゆっくりと卵液を器に流し込む作業によく似ているのではないだろうか。ちなみにスは漢字で鬆と書きます。一生書かないね。なにこの漢字。やな感じ。……さあ!! これで、魔界からこの結界までは、いかなるものも立ち入れなくなった。続けてここから地上へのゲートまで移動しながら同じ作業をする。これはより繊細にやらないと失敗します。失敗したら私の体は消滅するか、あるいはどこだかもわからない次元の彼方を漂う羽目になる。私は時間をかけて慎重にゲート封鎖の作業に集中した。





 ゲートを閉じ終えた私は、簡易的であるが飼育小屋を直し、かわいそうなシベリアジャイアントホロウカモノハシに蘇生処置を施した。無事蘇生は果たしたが、シベリアジャイアントホロウカモノハシは怯えて縮こまっていた。シベリアジャイアントホロウカモノハシは、体は大きいが臆病な一面もある。今回の件についてはまったく気の毒だというより他になかった。しかしお互いにとって、このままではよろしくないのは確かだ。飼育環境について園長に相談するほかあるまい。かといって、今すぐにはマズい。もうちょっと時間をおいて、ほとぼりが冷めたら……。


「ユリエル先生!!」


 もはや私には力なく笑うことしかできなかった。そう、彼女が来たからにはもう駄目だ。観念して振り返ると、そこには小さな体を震わせ、怒りすぎて顔を青白くさせたヴァルメラ園長がいた。


「なにを笑っているのですか!? 今すぐ私の部屋へおいでなさい!! 洗いざらいすべてを話してもらいます!! あなたにはその責任があります!!」


 終わっちゃった。たぶんクビです。こうして大魔導士は無職となるのか。





 園長室の革張りの一人掛けソファは、ほとんど私のために存在するようなものだった。私はそれに今日も腰かけさせていただいていた。正面には【園長】と彫られた金色のプレートがわかりやすい場所に設置された立派なデスクがあった。デスクの先にはグレーヘアーが麗しいヴァルメラ園長その人が、立派な御人が、ヴァルメラ女史が、私の言い訳という名の事故の顛末の報告を黙って聞いていた。


「……それが、すべてですか?」

「はい」


 今回の騒動のすべてを話しを終えると、園長の怒りはすっかりどこかへいっていたようだった。しかし何度座らされても落ち着かない椅子だ。なんというか、軍事裁判前に受けた取り調べという名の拷問を思い出す。勝利し、生き残ったのに処罰されたのは魔法史上で私ぐらいじゃないだろうか。たしか最初の判決は、終身刑だったかな。思い出したら気持ち悪くなってきた……。


「それで、封鎖に失敗したらどうするおつもりだったんですか?」


 ありない質問が今日も繰り出された。答えは一つしかない。


「可能性としてはゼロに近……」

「万が一ということがあります!! お答えなさい!! 失敗したら、どうするつもりだったんですか!?」


 園長に怒気が戻った。今日も園長を怒らせてしまった。


「しかし、時間が惜しかったんです。あちら側だけでも塞いでしまえば、最悪の事態だけは免れると思いまして……」


 そう、ともかく子供たちを守るのが今の私の仕事だ。それは何よりも優先させるべきことなのだ。


「そうですか。あなたは私に……あなたと同じ苦しみや悲しみを背負えと言うのですか?」


 この言葉にはハッとさせられた。とたんに、私はヴァルメラ園長の顔を見れなくなった。彼女は私の過去を知る数少ない人物の一人だった。


「……申し訳ありませんでした」


 暗い記憶に支配されそうになるのを堪えながら私は声を絞り出した。


「あなたの行動について、見通しが甘いことがあるのがまま見受けられます」


 そのまま園長の言葉を黙って聞く。


「大魔導士でもあるあなたは飛び抜けて優秀です。多少見通しが甘く、たとえ問題が起こったとしても、その問題すらすぐさま解決できる能力があるのは私も重々承知しています」


 褒められているのかお叱りを受けているのか、よくわからない。もっとも、いつものことだが。


「あなたのいうとおり、失敗の可能性は限りなくゼロに近いでしょう」


 そう、失敗などしない。私は大魔導士。やると決めたら確実に成功させるということしかありえないのだ。そういう生き方をずっとしてきたのだから。


「しかしそれは近いだけであって、ゼロではないのです。あなたは人生において幾多の無茶を乗り越えてきました。知っていますよ? 学園長からすべてを伺っていますからね?」


 そうだ。私には無茶を乗り越えてきた経験がある。ヴァルメラ園長がそのことを知らないはずがない。


「当たり前のように何度も無茶をする。そんなことを繰り返していれば、いつかは必ず最悪のことが起こります」


 園長の怒りは統率するものとして当然の怒りだった。


「その結果、残されたものはどうなりますか? そのことをよく考えてから、物事にあたってください」


 まったく返す言葉がなかった。だがしかし、もしもこの先同じようなことが起きたら私はやはり同じようなことをするだろう。その時はもっと慎重に速やかに。園長の耳に入る暇も与えない。……説教される度に毎回同じことを考えている気もするが。


「はい」


 虚偽の肯定。もうこれで何度目だろうか。


「……どうもあなたは、優秀な仲間がまわりにいるということを忘れてしまうようですね?」

「へ?」


 話の流れがおかしくなってきたな、と思った時にはもう遅かった。


「罰則として、今夜の教員の立食パーティーの参加を命じます」

「あ゛ぁ……」


 すでに私には反論の猶予は残されていなかった。呻き声で返答するほかなかったのだ。


「それと、壊れた飼育小屋の件ですが……」


 ヴァルメラが今度は私の好ましい話題へと流してくださった。


「いいですか? 必ず、一人以上の同僚の力を借りて新しいものを作ってください。あなた主導でかまいません。あなたらしく、完璧で安全なものを頼みます」


 予想外だった。てっきり一人で修理にあたれと言われると思っていた。しかし無駄に上司には逆らわない。なぜならば、私は大魔導士だから。


「実はその件で提案がありまして……」


 不幸中の幸いというものだ。わざわざこの件を他の日にまわす理由もない。


「何ですか?」

「シベリアジャアントホロウカモノハシは本来つがいで行動するものでして、今後の精神的な安定を考えますと、もう一頭捕獲して一緒に飼育してやるのが最善だと考えます」

「……許可しましょう」

「それとそのー、飼育小屋内に広い水辺を確保する必要があるのですが、今の土地だとそれは無理があるので、半永続的な空間拡張魔法の許可もしていただきたいです」

「……よろしいですよ?」


 しまった。提案してから気付いたことがあった。なるほど、これが私の見通しの甘さか……。


「それともう一つ、よろしいでしょうか……」

「なんですか?」

「飼育対象が二頭に増えるで、そのー……飼料代などの管理維持費の方が……」


 今保護しているのはオスで、シベリアジャアントホロウカモノハシはメスの方が大きいし、その分オスよりもたくさん食べる。最悪今の三倍ぐらいかかるんじゃないだろうか。果たしてそんなお金の余裕はあるのだろうか。そっちの知識について私はさっぱりだった。


「それについては事務長と私の知り合いにかけあってみましょう。予算は限られていますからね」


 意外とすんなり要求が通ったことには驚いた。この人はやはりただ者ではない。


「あなたは子供たちや動物のことになると、随分と舌が回りますね?」

「え?」


 園長は人が変わったように、にこりと笑った。と思うとすぐさま真顔に戻す。


「その心遣いをもう少し仲間たちにもみせることをお勧めします。いいですね?立食パーティーは今夜ですよ?服装については正装でなくて、楽なものでかまいません」

「あ゛ぁ……」


 私の呻き声を聞くと園長は、またしてもにこりと笑うのであった。





 本日の就業を終え、私は幼稚園教諭専用の宿舎へと帰った。宿舎といってもここは超名門学校。それはそれは立派な古城で、中は豪華絢爛な装飾がこれでもかといわんばかりに各所にちりばめられている。


 古城の中は立派なホール、吹き抜けの階段、雲のように柔らかい絨毯。私はこの手のアレにはもううんざりする。したがって立食パーティーなど一度も参加したことはない。きらびやかな世界から逃げるように、一目散に自室へと駆け込んだ私は、魔力増幅石の開発はやめた方がいいという旨の手紙を父にしたため、ヤタガラスを模した使い魔にその手紙の配達を任せた。


 あんな危険な魔導具は人類にはまだ早い。もしこれがまかり間違って商品化でもされれば、その力を悪用せし不埒な輩が世界最強の処女軍団を作り上げるやもしれない。それはとてもおそろしい事だ。少しばかり高揚感を覚える気もするが。


 窓から使い魔の姿が見えなくなるまで見送ったら、椅子にどっかりと深く腰掛けて天を仰ぐ。園長から言い渡された罰則に対して絶望する間もなく、椅子に腰かけたタイミングとほとんど同時に私の胸元に小さな獣が飛び乗ってきた。ここに入居する直前に保護した三毛猫だ。魔法使いらしからぬ引っ越し作業のさなか、母猫に育児放棄されている現場を目撃してしまったので放っておけず、ほとんどなし崩し的に同居を始めたのは記憶に新しい。


 私は犬派なのに……。本当は柴犬や秋田犬のような日本原産の犬種を飼いたかったのだが、人生とはうまくいかないものである。この三毛猫もすっかりその気になって飼い猫ヅラが板についてきた。しかしなぜ猫という生き物は肛門を私の鼻に擦りつけようとするのだ。臭いぞ。いや、臭いって。やめろバカ猫。


「しつれいしまぁ~す!!」


 私の返事も待たずに、ノックと共に部屋に入ってきたのは給仕係のメアリーだった。小柄で甘ったるい鼻声が特徴な若い魔女だ。この学校はなんと、教員一人ひとりに給仕係がつく。ここまで至れり尽くせりだともう呆れる。でもこの三毛猫なんかはこのシステムに助けられている。この猫と私は寝食を共にするだけで、実際に猫の世話をしてくれているのは他ならないメアリーなのだ。


「お帰りなさいませぇ~!! ユリエル先生ぇ~」

「やぁ。ただいま、メアリー」


 三毛猫だけではなく私も彼女には助けられている。主に精神面で。押しつけがましい笑顔の彼女がいなければ、私は今ごろ、孤独でどうにかなっていたかもしれない。


「お紅茶に合う甘いお菓子を持ってきましたぁ!! 一緒に食べましょう!! まぁ、ミーちゃんったら。ダメよ、先生はお疲れなんですから」

「あぁ、ありがとう」


 給仕係って一緒にお茶飲むんだっけ。彼女と初めて心を交わした時、そう思ったものだ。その時、このまま主導権を彼女に渡したらこの先マズいぞと私は思い、彼女にその質問をぶつけた。返ってきたのは『これが私のやり方ですから』だった。そして時は経ち、今、主導権は彼女にある。実はこのメアリー、1対1の戦いにおいて私に黒星をつけた数少ない人間の一人なのだ。年頃の娘が独り身の男の元に、という構図は少々マズい気もするが、学校内のことには園長も学園長も常に目を光らせている。その点で間違いが起こることはないだろう……ない、よなぁ……。


 彼女は手早く棚から茶葉とカップをふたつ取り出し、あっという間にティータイムの準備を整えた。メアリーに無言で促されるままに、私は窓辺のテーブル席へと移動した。


 私が座ると三毛猫も膝元へ飛び乗り、私の股間まわりをグルグルと小さく回りながら落ち着く場所を探し出し、やがて丸くなる。それを見たメアリーはクスリと笑い、向かいの椅子に腰かけ私と対面する。


 いつも通りの夕方のティータイムの始まりだ。窓から見える湖畔とその奥に広がる雄大なる森は、私とメアリーの故郷を思い出させた。偶然にも彼女と私は同郷だった。


「今日は立食パーティーだそうですねぇ?」

「あ~……」


 私は生返事をした。


「お夕食は何時ごろにお持ちしましょうか?」


 メアリーはいつものように私にたずねた。彼女は知っているのだ。私が立食パーティーなどにはまったく興味がない事を。だけど今日は少しばかり事情が違った。


「いやぁ、今日は夕食は……いいかな」


 嗚呼、めんどくさい。もう色々と、めんどくさい。


「えぇっ!?」


 ほら、メアリーが驚いた。当然だ。こんなこと初めてだもの。これから彼女に、いつもと違う予定を伝えなければならない。まったく、気乗りしない話だ。


「今日は、その素敵なパーリィに、出席する、よ」


 こんなに気乗りのしないのはパーティーじゃない。パーリィだ。


「えぇぇっっ!!??」


 メアリーは二度驚いた。しかし彼女はそれ以上はなにも言わず、その場を持ち直した。普段は何かとうるさい彼女だが、不思議と私が詮索されたくない時はとうるさく突っ込んでこない。私にとってそれは大変にありがたいことだった。


「なら、パーティーが終わった後に軽いお夜食をお届けしますね?」

「いや、いいって」

「先生はご存じありませんでしょう? 初めてのパーティーなんてのはとても食事どころではなくてですねぇ、終わった後に残るのは空腹感のみなんですよ?」


 私の事をちょっと舐めてるのがメアリーのいい所だと思う。


「なんで『初めて』とか、決めつけるのかな? 私にだって明るくは無かったけれど、青春時代というものが一応はあったんだぞ?」

「あははははー!! ごめんなさーい!!」


 これである。この何でもないやり取りは私にとっては重要なものになっていた。人間は一人では生きていけない。園長先生もそのあたりを注意したかったのだろう。そのあとは、今日も大体の話題について私がメアリーに押し負ける様相でお茶会は幕を閉じた。


 そしていよいよ、私は憂鬱なパーリィの参加することとなった。


 いざホール。イッツホール。目的もない私は、とりあえずパーリィが開催されているホール内を練り歩くことにした。


「これは珍しい!! ユリエル先生じゃないですか!!」


 私は四、五人のグループにあっという間にとっ捕まった。この感じは街をブラついていると謎の外国人に服を買わされそうになるあの時と似ている。この例え、わかる人にだけわかればいい。


「こんばんわ……」


 無難に挨拶を交わす。兎にも角にもこの謎の会合に参加すればいいのだ。中身のない話をして、あとは適当な頃合いで園長に私の姿を確認させるだけだ。


「そういえばユリエル先生って、難しい魔法を難なく使いこなしますよね?」

「この前、同時に何種類もの魔法を使っている所を見ましたよ? 今度、やり方を教えてくださいよ」

「えーそれはすごい!! 私も気になります!!」

「異様に魔術に長けていますけど、ユリエル先生はここに来る以前は何をされていたんですか?」


 矢継ぎ早に質問が飛ぶ。皆程よく酒も回って普段見ない私のツラを目にして気もそぞろ、といったところであろうか。何、というのは職業のことだろう。よーし、ここは一発質問に答えることにしよう。


「公務員を少々……」

「またー!! そうやって曖昧に答えるー!!」

「そういうの、良くないですよー!?」

「へぇ……一体どこの国の局で?」


 この連中は根掘り葉掘り聞くつもりか? それが何になるというのだ、まったく。しかしこの場は我慢だ。何せ私は大魔導士なのだから。


「国際魔法警備局に……」

「ええぇぇ!!?? いや、それにしても……なるほどー、その腕前なわけだ」

「そ、そんなエリートがなんでぇ!??」

「昔の話はやめましょう。我々は今を生きている」


 いつだったか、どこかで誰かがいっていたような言葉を私は拝借した。この言葉は、たしか学園長がいっていたかな。学園長は一度は世界に見捨てられた私を救い出さんと、今ごろも奔走している偉大な男だ。


「あはは、それもそうですな!! 明日は休みだ!! 今日は大いに楽しくやりましょう!!」


 私は会釈をしてその場をあとにした。大いに楽しく、か。そういうわけにはいかない。今の自分は酒にも薬にも逃げられないのだ。


 その後もあちこちで小グループに取っ捕まり、過去やら生まれやらを聞かれる。パーティーの参加時間と比例して、私はすっかり気が滅入ってしまった。心に残った、なんともいえない虚無感を吹き飛ばすべく、私の足は自然とバルコニーへと向かった。





 夜風は心地よく、月夜の光が私の中の闇を優しく照らし出した。少し離れた明るいホールでは、同僚たちの楽しそうな声があがっていた。あれが私たちの守った平和というものなのだ。私は……。


「先生ぇ~!!」


 私を呼ぶのは押しつけがましい落ち着く笑顔のメアリーだった。


「やぁ、メアリー。一体どうしたんだい?」


 私は何かの異常事態かと思案した。彼女と部屋以外で話すのは珍しいことだった。


「前に先生が教えてくれた『ヤキトリ』というものを焼いてみましたー!!」


 彼女はたった一串の焼き鳥を手にしていた。それだけのためにわざわざ私の元へやってきたのだ。


「おひとつあがってください。最初はこの料理を知っている先生に食べていただきたかったんです。いかがですか、パーティの方は?」

「……君の言うとおりだった。すまない。今は何も、食べられそうになくて」


 私はなんという醜悪な顔を彼女に向けてしまったんだろうか。メアリーはこれまで見せた事もない、悲しい顔を私に見せた。


「先生……」


 メアリーが私のローブの端を掴んで泣いていた。なぜ彼女が泣くのか、その時の私は理解できなかった。


「ゆっくりで……ゆっくりで、いいですから……。少しずつ……それでも、ダメなときは私がいますよ? だから……」

「ユリエル先生!!」


 突然の第三者の声に反応したメアリーはローブを掴んでいた手を放し、一礼すると顔を地に向けたままその場を後にした。


「……ずいぶん、仲がよろしいんですね?」

「あ、あぁ、彼女とは同郷で……怪我は大丈夫でしたか?」


 第三者の声の正体、それはライザだった。


「はい。私に施された治療魔法に保健医の先生が感動していました」

「それはよかった。パーティーには参加しないのですか?」


 私は慌てて仮面を貼り付けた。


「……また、戻ってしまうのですか?」

「……どういう意味ですか?」

「見ましたよ? 子供たちのために命を懸けるあなたの魔力」

「それは……なにかの見間違いでしょう」


 下手な言い訳だった。どうやら貼り付けた仮面は透明だったらしい。


「いえ。見間違いなんかじゃありません。私は本当のあなたが見たいです」


 今までのライザだったら私の引いた線に気付き、ここで首を引っ込めていたはずだ。が、どうやら復活してパワーアップしてしまったようだ。私はまじまじとライザの目を見てから、大きくため息をついた。


「この度、飼育小屋の改築を園長先生に頼まれまして」


 1対1の戦いにおいて、私に黒星をつけた人間がまた1人増えた。私はこれより敗北宣言をする。


「はい?」

「それにあたって、園長先生は条件を1つだけ付けました」

「はぁ……」

「その条件というのは、必ず1人以上の同僚の力を借りて小屋を完成させる、というものでして。つきましてはライザ先生、私の助手という形になりますけども……」


 私はいつもより、ほんの少しだけ顔の筋肉を緩ませた。


「ご協力の方をお願いできますか?」

「はいっ!!」


 このあと、私たちの名は完成した飼育小屋という名の巨大水族館のプレートに刻まれ、幼稚園史に残ることにもなる。でもそれは、また別のお話。

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