僕の日常
暴力注意
暗く暗く、真っ暗な部屋。窓もなく照明すらもない。光はこの部屋の唯一の出入り口である、扉の隙間から漏れ出る微かな光だけ。しかしその光だけでは部屋を照らすことなど到底できるわけもなく、深い闇が部屋全体を覆っている。
今はその扉は大きく開けられ、大量の光が部屋全体を明るく照らしている……だろう。だけど僕にはその光は一切見えない。いや、正確には少しの間だけ光は見えた。でも大きな影が光を遮っている。
その影は部屋のすみに座り込んでいる僕を見つけると笑みを浮かべた。とても嬉しそうに、探し物を見つけた子供のように。
影は何の遠慮もなく部屋に足を踏み入れると、一直線に僕の方へ歩いてくる。そして目前に立ったかと思うと、その表情を憤怒へと変えて――
「あのクソ上司がッ」
僕のお腹を思い切り蹴り上げた。
「……ッ!?」
体が少し浮かび上がり、背中を壁に激しく打ち付ける。床に仰向きに転がり、初めて影が男性だったことを知った。
男は寝転がる僕に馬乗りになり、口汚く誰かを罵りながら殴ってくる。でも今日は比較的ましな方だ。だって殴ってしか来ないから。ひどいときは髪を引っ張られて、壁に顔を何度も打ち付けられたことだってある。
それに痛みだって大分昔に感じなくなった。だから大丈夫、何の問題もない。
「成果成果って……こんなので何の成果を上げろってんだッ」
あ、今回も最悪の部類かも。
男の目は出血するのではと思うほど血走り、瞳孔も開き切っていた。相当ストレスをため込んでいたのだろう。完全に理性を手放していた。
髪を無造作に握りしめると無理やり持ち上げた。
――ゴスッ
視界が一瞬だけ暗転して、その次の瞬間には火花のようなものが飛び回っていた。鼻の奥からツンッとした鉄の匂いがして、鼻から液体が流れ落ちる感触がする。
男は何度も僕の頭を床に打ち付けた。そのたびに視界に火花が散り、打ち付けられた箇所が熱くなっていく。さらにはだんだんと頭がクラクラして、気分が悪くなってきた。そろそろヤバいかなと思う領域に入っても、僕にはこの男を止める手段は何一つない。それに下手に抵抗をするよりも、ただ従順に暴力を受け入れていた方が早く飽きてくれる。だからそれまで待てばいい。
「クゥーン」
ベッドの下の方から怯えた犬の鳴き声が聞こえる。きっとあの子のものだ。下手に出てこられても怪我をするだけなので、安心させなくては……。
だがそんな意思とは裏腹にだんだんと視界が暗転し、意識が曖昧になっていく。自覚したときにはもう手遅れで、意識は深い闇の中に溶けていった。
――――――――……………………
――――…………
――……
あれからどのくらいの時間が経ったのかは分からないが、床に打ち捨てられた状態で僕は目を覚ました。周囲を見回したが、もう職員の姿はなかった。恐らくすっきりしたのか、他の職員に止められたのだろう。会話を盗み聞いた感じ、どうも僕を殺すことはNGになっているみたいだ。
意識を失った後も続いていたようで、体の至る所が燃えるように熱かった。恐らく全身が傷だらけであろうが、それは放置で問題ない。切り傷や小さな怪我であれば5分もせずに、骨折みたいな大きな怪我でも数日で治ってしまう。
この異様な回復速度は恐らく10年前のことが原因だ。あの日僕は四肢を失って死にかけていたけど、アカネお姉ちゃんの魔法のおかげで生きながらえることができた。しかも魔法の効力はかなり強かったらしく、失ってしまった手足や内臓すらも再生していた。
そのときの魔法の残滓が未だに残っている。これのおかげでどんなに暴力を受けて怪我をしても、次の日には大抵は治っている。だからまともな治療をしてくれないここでも死ぬことはなかった。
まあ、この体質のせいで暴力が過激になっている気がしないでもないけど。
こんな風に考え事をしていると、視界の端で何かが動いたような気がした。十中八九あの子だろう。そういえば大丈夫だったかな。アイツらはあの子にも暴力を振るう時があった。
「おいで、アッシュ……ビャッ!?」
読んだとたん飛び掛かられ、その勢いに負けて押し倒された。そして顔をよだれでベトベトになるまで……いや、ベトベトになっても嘗め続ける。
「ストップ……ストップ!!」
あの子……アッシュは叱られ、渋々といった感じに僕の上から降りてくれた。まったく……。元気なのはいいけど僕で発散しようとしないでほしい。でもよかった、怪我もしてないみたいだし、僕だけですんだようだ。
アッシュはその名の通り灰色の毛並みを持った犬だ。詳しい犬種は分からないけど、体はかなり大きくて凛々しい顔つきをしている。
そんな見た目に反してかなり臆病な性格をしている。さっきも職員の剣幕に怯えてベッドの下の隙間に身を隠していたほどだ。
ただ、アッシュは僕が飼っているわけではない。この施設にいた犬がいつの間にか僕の部屋に居着いてしまった感じだ。まあ、何が目的かは分かっているのだけど。
離れていったアッシュのほうに視線をやると、僕のご飯が置いてある机の下にチョコンとお座りしている。
未だに少し引きつったような感じがする体を無理やり動かして、ご飯の乗ったトレイを手に取る。おにぎりと味噌汁、小鉢といったメニューだ。でもこれらを僕が口にすることはない。
おにぎりをふたつに割って具を確認すれば、出てくるのは黒々とした昆虫の死骸。味噌汁の臭いを嗅いでみれば、何ともいえない酸っぱい臭い。まともな食事なんて出てきたことはない。
「アッシュ、あげる」
だからアッシュに処理してもらう。アッシュなら本当にヤバいものは本能的に察知して、絶対に口にしない。ギリギリ食べられるものだけを食べてくれる。
一応言っておきます。犬にとって人間の食べ物は塩分が多すぎるので、絶対に与えてはダメです。飼い犬の寿命を大幅に縮めることになります。
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