シェリとミルティー
(あら……?)
授業が始まる少し前に裏庭を出たシェリは教室近くまで来て目を見張った。太陽の光を浴びて、一層キラキラと輝く青みがかった銀色。壁に凭れてレーヴは誰かを待っていた。
(馬鹿ね……誰か、なんて分かり切ってるのに)
ミルティー以外誰がいる。
今教室にミルティーがいないから、ああやって外で待っているのだ。教室に戻らないといけないがレーヴと会わずに戻るのは無理だ。ああやって恋する人を待っている時に嫌いな相手が来たら、折角の高揚した気分は台無しとなる。王子としての教育で滅多に表情を崩さないレーヴの心をずっと穏やかにしていたい。
シェリはここは悪手だが、保健室に行こうと方向転換をした。
保健医に頭痛が治らないと弱っている振りをして、1時限目は休ませてもらおう。無遅刻無欠席でレーヴに関する事以外は大人しい上、オーンジュ公爵家の娘なら深く追及されずに済む。
最後にもう1度レーヴの姿を目にしたくて、バレないようにこっそり盗み見た。冷たい印象を受ける青みがかった銀糸も、王族にしか受け継がれない特殊な青い宝石眼も、ひたすら王族としての務めを果たそうと時間を削って努力し続けていた姿も――全てを引っ括めてレーヴ・クロイスという人に恋をしていた。
レーヴが王子じゃなくてもシェリは恋をした。
そして――失恋していた。
「……行きましょう」
これ以上いてレーヴに気付かれてはいけない。
そっと踵を返したシェリは、途中で廊下を右に曲がって階段を下りた。1階にある保健室に入室し、嘘の症状を告げてベッドを貸してもらった。
貴族が通う学院だけあって保健室のベッドの質は良く。ふかふかで温かい。洗剤も花の香りがしてリラックス出来る。
暫し横になって目を瞑っていると……
「すう……すう……」
シェリは眠ってしまった。
人間、眠くなくても心地好いベッドに横になると睡魔が押し寄せ眠ってしまう。規則正しい寝息を立てるシェリ。
――起床したのは数時間後。午前最後の授業が終わる間際に目覚めたシェリは驚いた。彼女が起きた気配を感じた保健医が顔を出した。
「オーンジュさんよく眠れた?」
「は、はい……すみません」
実際、体は何処も悪くないのに病人のベッドを占領してしまって……。
「いいのよ。きっと、知らない内に疲れが溜まっていたのね。オーンジュさんのような真面目な方は、自分が気付かない間にストレスを抱えるものなの」
「ストレス……」
「もうすぐ鐘も鳴るから、お昼になったら食堂でリラックス効果のあるハーブティーを飲むといいわ。そうね、カモミールやハイビスカス辺りがいいかしら。ハイビスカスは美容にも良いわよ!」
「ありがとう御座います、先生」
オススメのハーブティーを更に聞いた後、保健室を出たシェリは食堂へと向かった。何人か、同じクラスの子から視線を受けるもシェリより上の身分の子はいないので誰も声を掛けず。公爵家より上といえば、大公家か王家だけ。クロレンス王立学院の最高位は言わずもがなレーヴだ。次に公爵家の令息や令嬢。大公家出身者は去年卒業したので今年はいない。
保健医の言った通り、シェリは自身が知らない間にも多分のストレスを抱えてしまっていたらしい。今は気分がとてもスッキリとしていた。
食堂に着くと人の多さに一驚した。
お昼に訪れる事が無かったので無理もない。平民は先に空いている席を確保してからメニューを注文するが、貴族は注文してから席を探す。学院では皆平等だ。中には身分を笠に着て傲慢な態度を取る者もいるが、大抵は他の者から白けた目を向けられるのがオチだ。
シェリも料理を注文するべく列に並んだ。前にいた人がシェリに列を譲ろうとしてくれたが丁重に断った。
ビクビクと「す、すみません……」と謝られるのは気分が悪い。だが、母譲りの見た目は自分が思う以上に人の目を集めてしまう。幼いシェリを遺して亡くなった母を心の底から敬愛している。短い時間だったが母は溢れんばかりの愛情を注いでくれた。母の為にも、そして1人娘の自分を大事にしてくれる父の為にも、これ以上醜い部分は見せたくない。
漸くシェリの順番が回って来た。前は放課後にホットドッグを頼んで以来となる。流石に人の目が多くある今ホットドッグは頼み難い。定番のAランチを選び、品の載ったトレーを持った。
皆グループを作って思い思いの時間を過ごしていた。何処か、空いている席はないかと食堂をキョロキョロと見渡す。
出来れば1人で食べても気にされない場所がいいが生憎とシェリの要望が叶う席がない。テラスも一杯。仕方なく適当に空いている席にしようと足を浮かした時だ。
「あ、あのっ」
トレーを落とさなかったシェリは誰かに誉めてもらいたくなった。
きっと勇気を振り絞って声を掛けたのだろう。横を見ると、緊張した面持ちで自分を見る金色の瞳があった。
「よ、よろし、ければ、私と同席しませんか? オ……オーンジュ嬢!」
明日、レーヴとの婚約が正式に発表されるミルティー・ラビラントは途中何度か言葉を噛みつつシェリを誘った。
「あ……」
急激に顔を赤く染め上げたミルティー。オーンジュ様、と言いたかったのにオーンジュ嬢と間違えて呼んでしまった事に対する恥ずかしさからきている。
シェリも他に空いている席はないので先程の間違えには触れず、お言葉に甘えさせてもらった。
ミルティーが座っていたのは、カウンターから離れた隅の席だった。窓側で外の光景が見られるなら、多少遠くても座りたくなる席だ。ミルティーの前に座ったシェリは、向かいに置かれている食事に眉を寄せた。
「全く、手が付けられていないようだけれど?」
折角の美味しい料理も冷めてしまえば、味も幾らか落ちる。シェリよりも早く食堂に着ていたのなら、もう食べていても可笑しくない。
緊張した面持ちで座ったミルティーは、口を開いては閉じるを何度か繰り返した後漸くナイフとフォークを持った。
長らく平民として暮らしていた少女にしては、合格点をあげてもいい動作。
が、同じく貴族として長く生活してきたシェリが見過ごせない事があった。
「もっと背筋を伸ばして座りなさい。背中が曲がった格好で食事を食べるなんて不細工、他の方は許してもわたしの目が届く内は許さなくてよ」
「あ、は、はいっ、すみません!」
「それと、すぐに謝らない。貴族がそう簡単に謝罪の言葉を言うものじゃないわ」
「はいっ」
肉を切る動作は伯爵家で培っものだろうが、姿勢というのは、その人の癖のようなものなので常に意識をしておかないとすぐに元に戻ってしまう。
言ってから内心嫌気が差した。
ミルティーに、じゃない。
自分に、だ。
我儘令嬢は他人に対しても冷たく傲慢だった。最たるがミルティーだ。【聖女】の生まれ変わりと判明し、平民から伯爵家の養女となった彼女は他の令嬢達よりかなり遅く淑女教育を受けている。一朝一夕で身に付くマナーはない。皆、幼い頃からコツコツと積み上げて今の自分を形成している。
努力しても時間の差は大きい。
入学当初、令嬢らしくないミルティーを見掛ける度にキツい言葉で注意をしてきた。
やれ走るな、簡単に感情を見せるな、大きな声を出すな、嫌味を言われたら微笑んだまま毒を多分に含んで倍にして返せ、等挙げていくとキリがない。
端から見たら公爵令嬢に目を付けられた哀れな元平民の少女。彼女に同情的な生徒は多くいる。シェリが何も言われない――陰では言っているだろうが――のはオーンジュ公爵家の娘だから、第2王子の婚約者だから。
シェリに言われた通り曲がっていた背中を真っ直ぐにして食事を始めたミルティー。自身も食べつつミルティーを盗み見た。
まだまだ指摘部分の多い動きだが真面目で努力家なミルティーのこと、後1年もすれば見違える淑女になれるだろう。
(わたしがしたのは間違いじゃなかった。これで正解だったのよ……)
心に盛大な痛みが襲ったとしても、なんの関係もないヴェルデに失恋の傷を負わせてしまっても……レーヴとミルティーは結ばれなければならない男女だ。
【聖女】の生まれ変わりであり、可憐で庇護欲をそそられながらも意思の強い金色の瞳を持つミルティーには、同性であるシェリでさえ魅力だと思える不思議な力があった。
我儘かつ、他者を下に見る傾向にあったシェリという婚約者のせいで長年苦痛の思いを強いられてきたレーヴを癒し、救ってくれるのはミルティーしかいない。
昼食の時間はあっという間に終わった。この後は、また裏庭に行く予定。トレーを持って席から立ち上がったシェリはミルティーにお礼を述べた。
「ミルティー様。誘ってくれて助かったわ。ありがとう」
「あ、はいっ!」
空いている席が見つからない自分を不憫に思って誘ってくれたのだろう。2人の間に会話はなかったが嫌な空気はなかった。寧ろ、緊張し過ぎて顔が変になっていたミルティーに指摘するか悩んだ程だ。
トレーを返却口に置いたシェリは、受付まで行ってカフェモカを注文した。フタをした紙コップを持って食堂を出て行った。
――1人、残されたミルティーはというと……
「はあ……駄目でした……」
水を飲んで深い溜め息を吐いた。
「うう……最初を失敗したせいで……」
席を探していたシェリを見つけ、普段彼女に叱られてばかりいるからちょっとでも上達している場面を見てほしかったのに。
結果は失敗してしまった。
食事中も、唐突に決まったレーヴとの婚約について聞きたい事があったのに長年彼と婚約していたシェリに聞いていいのだろうか、という葛藤が生まれ何も話せず。寧ろ、考え事が多くなって姿勢の悪さを指摘されてしまった。
「はあ~……」
何故シェリとレーヴの婚約が解消され、新たに自分と婚約が結ばれてしまったのか。【聖女】の生まれ変わりは代々王家の保護下に置くとは、養父ラビラント伯爵は言っていた。ラビラント伯爵家は建国当時からある古い家の1つで、王家に最も忠誠心が高いと有名。ラビラント伯爵家になら任せられると国王も安心してミルティーを伯爵家の養女にした。
王子と絶対に結婚しなければならないという慣例はない。
しかし王命は絶対。従わない道は、ない。
発表があるパーティーは明日。
王子の妻という大役、自分には荷が重すぎる。逃げる事も出来ない未来にミルティーは、また深く溜め息を吐いたのだった。
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