1人が好きな仲間
レーヴの謎の行動を目撃して翌日。元々クラスは違う上、シェリのクラスとレーヴのクラスの場所が離れているので会うのはまずない。けれど教室にいて、いざあの焦燥感に駆られたレーヴと会ってもシェリはどうしたらいいか分からない。なので、授業開始時刻になるまでは人気の少ない裏庭にいることにした。
何も悪さをしていないのに隠れる真似をする。前の自分だったら癇癪を起こしただろう。そういう短気な性格が嫌われていた。思い出せば思い出すだけへこみ、惨めになる。
今日ミルティーの机に目を向けた時、小鳥の刺繍が入ったペン入れが置いてあったので登校はしているらしい。授業になれば彼女も戻るだろうから気にするだけ無駄である。
ただじっとしているのも時間が無駄に流れるだけなので、シェリは家から本を持参していた。
タイトルは『素敵な王子様と可愛いお姫様』である。作者はタイトルを考えるのが面倒だったのか、センスがなかっただけなのか。ありがち過ぎるタイトルだ。けれど、この本はシェリのお気に入りの本だった。幼い頃から何度も読んでいる。今更読まなくても内容は全部覚えている。敢えて持って来たのは、本に登場する素敵な王子様がレーヴだったらいいなという長きに渡って抱き続けた願望を捨て去る為。可愛いお姫様をミルティーと思い読んだら、素敵な王子様が自分を見ないのは所詮自分は王子様の幸せを邪魔するしかない悪役だからだ。
スカートのポケットからハンカチを取り出し、下に敷くとそこに座った。はしたないが誰もいないので大目に見てほしい。本のページを開いたシェリに声が掛かった。
大袈裟な程跳ねた肩。勢い良く振り向くと知っている男子生徒が申し訳無さそうな顔で立っていた。
「あ……ごめんね、オーンジュ嬢。びっくりさせて」
「いえ……」
男子生徒はヴェルデ・ラグーン。ラグーン侯爵家の次男でレーヴの友人だ。ヴェルデの名の通りの緑色の瞳は水晶玉のように美しく、風に揺れて靡く黒髪は濡れ鴉のような艶やかさがある。
普段はレーヴと行動を共にしている彼がこんな人気のない裏庭にいるのはどうしてなのか。すると、顔に出ていたのかヴェルデは苦笑を浮かべた。
「人のいない場所を探していたんです、ぼくも」
「そうだったのですか……わたしは別の場所へ行きますわ」
「いえ。先にいたのはオーンジュ嬢ですので気になさらず」
「そうですか。ヴェルデ様が宜しければ、此処にいますか? どうせ、わたしは本を読んでいますので」
「では、お言葉に甘えて」
裏庭はシェリの所有場じゃない。誰が来ても、いても良い場所だ。ヴェルデが一定の距離を取ってシェリの隣に座った。レーヴと親しいからと言ってシェリ自身が彼と親しい訳じゃない。レーヴ以外の男性にシェリは全く興味なかった。だがこれからは、新たな婿養子を探すに辺りそうも言ってられない。
昨日帰宅すると丁度父フィエルテと玄関先で会った。そこで婿養子について話を切り出すと今はまだ考えなくていいと言われてしまった。
長年の片想いを父は勿論知っている。故に、レーヴの為に身を引いたシェリを想い失恋の傷を癒す時間をくれたのだ。
亡き母ディアナに似たシェリを深く愛し、大切にしてくれている父をこれ以上悲しませない為にもシェリは自分の出来ることは全力を尽くすと誓った。
「オーンジュ嬢はどうして此処に?」
元気のない声でヴェルデが声を掛けてきた。黙ったままなのは、今の彼には多分出来ないのだろう。
「静かに本を読む場所を求めただけです」
本の内容は全て頭に入っているシェリは、本に集中している振りをしても良かったがヴェルデの元気の無さが気になって相手になった。
「そうですか……」
「ラグーン様が1人になりたかったのは何故ですか」
「お恥ずかしい話、失恋してしまいまして……」
聞いて後悔した。1人になりたい理由は大抵傷付く出来事が発生するから。安易に聞いてしまったことを謝るとヴェルデは気にしないでと首を振った。
「寧ろ、誰かに聞いてもらった方が気持ちが軽くなります」
「そう、ですか。告白して振られたとかですか?」
「いえ、うだうだしている内に相手に婚約者が出来てしまって」
貴族の結婚は政略が基本。両想いで結ばれたカップルは中々いない。本から視線をずらし、気弱に微笑むヴェルデを視界に入れた。
「それは……なんと言いますか」
「まあ、貴族なので政略結婚は避けられません。彼女が彼と婚約を結ばれてしまって最初は非常に驚きました。国を思えば当然の婚約なのですが……」
余程ヴェルデの想い人と婚約者は、重要な地位にいる家の者らしい。だが、婚約が結ばれたとなると必ず噂の1つや2つ流れる筈なのだがシェリの耳には届いていない。
「……彼女の婚約者には、元々婚約者がいたのに」
「……」
……シェリの背中に冷たい汗が流れ落ちた。どうも、嫌な予感がしてきた。
「仕方のないことだとは、頭では理解していても……どうしても受け入れたくない自分がいるのです」
「そう、ですか」
「……あなたが1人になりたいのは、ぼくと同じ理由からでしょう? オーンジュ嬢」
聞きたくない聞きたくない聞きたくない……!
その先を聞きたくないと心が叫ぶ。
「――ミルティーが昨日、レーヴ殿下の婚約者に決定されたとぼくに言いに来たのです」
嫌な予感程確実に当たる。シェリはヴェルデの顔を直視出来ず、逸らしてしまった。
「……ラグーン様の想い人は、ミルティー様だったのですね」
「はい。彼女がラビラント伯爵家に保護され、養女となった時から。ただのぼくの一目惚れですがね。オーンジュ嬢はレーヴ殿下との婚約解消をどう受け止めたのですか?」
決して自分がレーヴの為に両想いのミルティーと婚約を結んでほしいと言えない。
本を膝に置いたシェリは視線を合わさず、ぽつりぽつりと紡いだ。
「私はずっとレーヴ様に嫌われていました。レーヴ様を好きな気持ちは誰にも負けません。……でも【聖女】であるミルティー様を王家が保護する正当な理由がレーヴ様なのです。幸い、レーヴ様は婚約者が嫌いなので陛下もわたし達の婚約を解消しても問題はないと判断したのでしょう」
「あなたはそれで良いのですか? 受け入れるだけで」
「王命ならば、従うしかありません。嫌われていてもレーヴ様の婚約者でいられたのです。……それだけでわたしは幸せでしたわ」
今でも心は悲鳴を上げている。嫌だと。優しい瞳を向けて、声を掛けて、側にいて、と。
最初から間違えてしまっていたシェリでは、どれだけ努力しても叶わない夢なのだ。
悲し気に整った顔を歪ませたヴェルデが「強いですね」と言う。逆だ、とても弱い。弱いから、心は痛みを抱えたまま。
「……殿下の異常な意地っ張りが原因で起きてしまいましたが、もう仕方ありませんよね」
「?」
距離があるのでヴェルデの呟きを拾えず、訝しく思っているとヴェルデは此方に向いた。
「【聖女】を保護するのは王家の役目です。ぼくもオーンジュ嬢のように2人を祝福しないといけませんよね……」
「……ええ」
「オーンジュ嬢。失恋した者同士ですが、こうやって時々話し相手になってくれませんか?」
「わたし等で良ければ」
「ありがとう」
最初に来た時よりは幾分か元気を取り戻したヴェルデは、そろそろ授業が始まる時間だと去って行った。シェリも戻らないといけない。
「レーヴ様のことばかり考えていたせいで、他の人のことを考えていなかったわ……」
ずっと平民として暮らしていたミルティーは天真爛漫で淑女としてはしたない部分はあるが誰に対してもハッキリと意見を言う。物怖じしない彼女に好意を抱く男子は意外に多いと記憶している。
シェリは首を振った。
「いいえ、レーヴ様の為。レーヴ様の為と思わなきゃ」
ヴェルデには申し訳ない気持ちもある。しかし、レーヴが相思相愛の相手と一緒になるにはこれしか手段が無かったのだ。
シェリは立ち上がると下に敷いていたハンカチを綺麗に畳み、ポケットに仕舞って自身の教室へ歩き出した。
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