好意の方向は再び2
“傾国の毒婦”とは、数百年前クロレンス王国を騒がせた1人の女性を指していた。
ある伯爵が平民の侍女に手を出し、産ませた子。類稀なる美貌と人の心を掌握する術に長け、それらを駆使し、将来国の重要職に就く高位貴族の男性達に次々と取り入った。中には王子も数名いた。男性達が夢中になっていくにつれ、当然同性からの嫌がらせや嫉妬が相次いだ。女性は持ち前の美貌で男性達に助けを求め、嫌がらせをした女性達は続々と断罪されていった。中には婚約者を断罪した者もいた。王子の婚約者もこの中に含まれる。
事態を重く見た国の上層部が女性を捕らえた。調査した結果、女性は当時は公にまだ知られていなかった“魅了の魔法”の使用者だった。捕らえた捕虜を魅了し、尋問する程度にしか使われた事がなかった“魅了の魔法”。それで異性を虜にし、贅沢三昧な生活を送った挙句用無しになれば捨てるを繰り返していた女性を助ける者は誰もいなかった。
女性は即牢屋に送られ、死刑となった。処刑方法が惨く、彼女に婚約者を取られた女性達による投石が行われた。美しかった面影がなくなり、原型を留めていない姿を死ぬまで街中に晒され続けた女性は最後苦しみながら息絶えたという。
アデリッサと“傾国の毒婦”の共通点は髪の毛の色。女性の生家である伯爵家は、責任を取る形で爵位を国に返上し存在しない。けれど、騒ぎになる前に正妻との間にいた正統な血筋の娘がナイジェル公爵家に嫁いでいた。
ピンク色の髪は伯爵家の血を引く証だった。
髪の色は関係ない。
だが、歴史に残る悪女と同じものを持つというだけで印象は悪くなる。
ナイジェル公爵は娘が周囲の悪意に晒されないよう大事に育てていたのだろうが……
「……結果はこうなった。報われないわね、公爵も」
「っ……さい、うるさいうるさい! “傾国の毒婦”とわたくしは無関係よ! わたくしは多数を侍らせるような淫乱じゃない! わたくしが心から慕うのはレーヴ様だけ! レーヴ様だけがいたらいいのよ!」
対象を多数じゃなく、レーヴ個人に絞ったアデリッサは髪の色が同じだけで“傾国の毒婦”とは違う。
言葉で違うと取り繕ってもやっていることが同じだ。
魔力の上昇が止まった。魔法の才能に関してはイマイチなアデリッサが何を仕掛けてくるか警戒心を強くした。手に握られている銀の鍵は“魅了の魔法”発動道具。あれに触れるか、触れられてしまえばシェリも終わり。呼吸を荒く繰り返し、鬼気迫る形相にしてはアデリッサは何もしてこない。恐る恐る様子を窺うも動く気配がない。
怒りで感情が昂り、魔力がアデリッサの感情に合わせて急上昇してしまったのか。それに反し、慣れない魔力の上昇に体がついていけず動けなくなっている。
シェリは左手で空間を払った。魔力を練り込まれた小さな風は瞬く間に大きく、激しくなり、アデリッサの手から鍵を奪い取った。宙に舞った鍵が陽光を受けて輝く。風を操り自分側に鍵を引き寄せた。
「させないわ!!」
刹那、前方から強い魔力を感じ取った。魔法がイマイチなアデリッサでも攻撃魔法は扱える。火力も大きさも速度も、相手に向けてはならないレベルの火球がシェリ目掛けて放たれた。
離れれば鍵が取れない。
離れれば火球を避けられる。
自分の身を守るか、レーヴの為に残るか――
シェリが取った選択肢はたった1つ。
風を強くして鍵を手中に収めた。更に前方へ強い風の防壁を展開。火球と衝突すれば、防壁に守られるシェリも反動を受けるだろう。
「っ!」
目前に迫った火球がより大きく、威力が増した。
今更防壁の強度を上げようにも時間が全然足りない。
大怪我をする覚悟で残った。
襲いくる衝撃に備えて目を瞑った。
「――――シェリ!!!」
目を閉じても眩しかった。
遠くなる意識の向こう、知っている香りに包まれたシェリは誰かに強く抱き締められ……体が浮いたのを感じ取った。
●○●○●○
「…………げなよ……、コアラ…………よ」
「……さい……で、……は……」
鼻につく独特な香りは薬品だろうか。座っているような感覚であるが誰かに抱き締められてとても暖かい。意識がどんどん浮上すると誰かと誰かが会話をしていた。コアラという名前だけ明確に聞き取れた。南の大陸に生息する動物だったと完全覚醒しない意識の中感想を抱く。誰が抱き締めているのか知らないが、背中を撫でる手があまりにも優しくて、起きかけた意識は再び落ちていきそうになる。今よりもずっと幼い頃、母を求めて泣いた自分を父が抱き上げて慰めてくれた時と似ている。父の手は何時だって自分を優しく包みこんでくれる。きっと抱き締めてくれている人は父なのだろう。抱きつくと体が跳ねた。どうしてだろうと思うもシェリに起きる気力がない。
気のせいか、知っている父の体より細い気がする。
撫でる手付きは、偶にぽんぽんとあやすように軽く叩かれる。これもこれで非常に落ち着く。ずっとこうしていたい気持ちが生まれ続ける。
体を動かされ、寝かされた。座っている場所がベッドだと知ったのは背に触れた感触から。布を擦る音が鳴ると首元まで柔らかな布に覆われた。
「で? ……の?」
「ああ。ケリは…………る」
誰かと誰かの声が遠くなっていく。
(ミエーレ……と……殿下……?)
声の主を漸く把握したものの、まだまだ眠りを必要とするシェリは起きられなかった。
――シェリがきちんと目覚めたのは、それからどれくらい眠った後になるのか。
目を開けると生まれてからずっと見続けている天井と見慣れた金色の瞳と重なった。途端に花を咲いたような笑みを浮かべたミルティーは「良かったオーンジュ様!」と涙目で喜びを露わにした。
何度か瞬きを繰り返したシェリは体を起こそうとした瞬間、頭に走った痛みに顔を歪めた。
「あ、無理に起きてはいけません! 私が治療しましたが怪我をしていたので」
「怪我を……?」
シェリは意識を失う前の事を思い出す。
魔力を上昇させたアデリッサの放った火球を風の魔法で防ぎながらも、感情を爆発させ暴走状態の火球から逃げられず様々な覚悟をした。
最後、誰かに名前を呼ばれたのだけはぼんやりとだけ覚えていた。
起こしかけた上体をミルティーに寝かされた。
「あれから、アデリッサはどうなったの?」
「オーンジュ様が数日間眠っている間に、ナイジェル様は幽閉になりました」
「数日? わたし、数日も眠っていたの?」
道理で頭が痛いし、体も怠いはず……。
シェリはあの後の事を聞いた。
――あの時、暴走状態の火球からシェリを守ったのはレーヴだった。
今後の事を深刻な様子でヴェルデに相談していたところへ、シェリに逃げるよう叫ばれたミルティーが助けを求めにやって来た。事情を聞いた2人はすぐにミルティーと共に現場へ直行。丁度、シェリへ火球が迫っている絶対絶命の最中に到着。背後から呼び止める声に耳を貸さず、無我夢中にシェリを助けたレーヴは揃って吹き飛ばされた。咄嗟にシェリも含め、全身に防壁を張ったが急繕で編み出した魔法などたかが知れている。
吹き飛ばされたレーヴは全身大怪我を負い、庇ったシェリも頭から血を流し意識を失っていた。
周囲の被害も甚大だ。校舎の正面玄関の半分が吹き飛び、所々火が燃えていた。
『あ……ああっ……レーヴ様あぁ……っ』
レーヴは頭や頬から血を流しながら、顔面蒼白になってふらふらと近付いて来るアデリッサに鋭い声を放った。
『近付くな! ヴェルデ! アデリッサを捕らえろ!』
“魅了の魔法”を使って心を手に入れたレーヴからのハッキリとした拒絶に呆然とするアデリッサは、足元から芽生えた植物によって拘束され、地面に転がされた。公爵令嬢として育てられた彼女は侮辱の行為に声を荒げるも、この場に似つかわしくない声色に口を閉ざした。
『よく喚くねー。王族に対する“魅了の魔法”使用と更に殺害未遂……君、覚悟しておきなよ』
ゆったりとした足取りで現れたのはミエーレ。深慮を彷彿とさせる碧眼には、ヴァンシュタイン家の秘宝とも呼ばれる魔法の術式が刻まれている。ミエーレが左手を下から掬うように上へ。所々燃える炎が引き寄せられていく。小さな炎が全て集まるとアデリッサの放った火球並みに大きくなった。左手を握ると火球は消滅した。
ミエーレはレーヴとシェリの元へ。
『ごめんね殿下。アデリッサを決定的に断罪するには、言い逃れの出来ない確実な証拠が欲しかったんだ』
『だと思ったっ、お前が危険の迫るシェリを放っておく筈がないからな』
『殿下が飛び込んで来たのが1番の誤算かな』
そこへヴェルデとミルティーもやっと到着した。
『ミルティー。先にシェリを治療してくれ!』
『いいえ! 殿下とオーンジュ様、2人を同時に治療します! 毎日教会に通って【聖女】の魔法を練習しているんです! その成果をお見せします!』
胸を張って治癒魔法をかけ始めたミルティーに2人を任せ、拘束したアデリッサがうるさいので口に束になった蔦を突っ込み黙らせた。
『ナイジェル公爵閣下が気の毒ですね……』
ヴェルデの哀れんだ声をミエーレは大きな欠伸をして不要だと言う。
『ふあ……。何かしらの罰はあるだろうけど、全責任はアデリッサ1人に押し付ける。ナイジェル公爵家は、魔法研究に多額の支援をしてくれる大事な支援者だ。ヴァンシュタイン家や王家からしても手放せない。何より、閣下の手腕で治めている領地の問題もある。罪悪感を抱くなら、より一層国の為に尽くすよう陛下と父上が説得するみたいだよ』
『残酷ですね』
『ふわあ……いいんじゃないの、なるようになったらいい』
再度欠伸をしたミエーレは呆れの眼を寄越す友人をスルーし、制服のポケットから取り出した魔石で父ヴァンシュタイン公爵に連絡を入れたのだった。
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