その瞳に映すのは
ミエーレとの仲をレーヴに見せ付ける作戦と題した、昼食タイム。蜂蜜という甘い響きの通り、彼自身も甘味が大の好物。ヴァンシュタイン公爵家が営むスイーツショップの商品の幾つかは、ミエーレ発案の物がある。
最近は快晴が続いていたのに、今日は生憎の曇り空。これからの状況が悪くなると天候が語っているようで憂鬱な気分となる。
「シェリ」
「うん?」
「手が止まってる」
食堂内のテーブル席。4人席を利用し、向かい合って座るシェリとミエーレ。
シェリは焼きたて苺ジャムパン10個。昨日のミルティーを真似てみた。
ミエーレはパンケーキ10枚重ね。トッピングは蜂蜜と生クリーム。
2人共に飲み物はカフェモカ。どちらも生クリームたっぷり。甘味好きという部分において、2人の意見はとても合う。ミエーレの作る試作品を食べられるのも身内以外だとシェリだけ。
「今日は天気が悪いと思っただけよ」
「暫く、お日様は顔を出さないよ。明日くらいからは雨が降る」
「まあ……はあ、憂鬱な気持ちからは逃げられそうにないわね」
「はは。だったら、殿下達の空気を分けてもらえば?」
あっち、とミエーレがナイフで示した先には、隣合って昼食を摂るレーヴとアデリッサがいた。距離が近過ぎる。
レーヴがアデリッサに引っ付き、頬を赤らめ満更でもない様子のアデリッサ。
何なのだあれは。
「昨日のシェリの態度が余程堪えたらしいね」
「どういうこと?」
「言っただろう。元々あるシェリへの好意をアデリッサに向けられただけって。シェリに昨日みたいに冷たくされると、相手に嫌われたと錯覚するんだ」
レ―ヴの本心はシェリにあった。だが、矢印を強制的にアデリッサに変えられたせいで、シェリに突き放されると気持ちが揺らぐ。
好意を抱かれていて嬉しいのに、他の女――それも、今まで散々な嫌がらせをしてきた相手との恋仲を何度も見せ付けられると心の痛みは増すばかり。
「……落ち着くまで、あの2人は見たくないわ」
「だったら――」
途中で言葉を切ったミエーレを瞳に映した。
「おれを見てれば? 見慣れた顔を見てた方がシェリも気を遣わなくていいだろう」
「逆に、隈が濃くなっていって心配だわ」
「寝れないんだよなあ……そうだ。シェリ、この後授業サボろうよ」
彼特有のサボり癖。ミエーレは真面目であり、不真面目である。魔法に関しては3日眠らず研究するくせに、他に対しては興味を示さない。学年の成績はトップクラスだからヴァンシュタイン公爵も深く注意をしない。
魅力的なお誘いに感じるかはその人次第。シェリのちょっと前の不安定な心だったら乗ったが今は安定して魅力的には映らなかった。
「断るわ。放課後は?」
「おれの気分」
「あのね……」
猫か、と突っ込みたくなる。
会話は終わり。2人は再び食事を進めた。
時折他愛もないやり取りを交え、平穏に昼食は終わった。
……かと思いきや、幸せをシェリに見せ付けたいアデリッサの自慢からは逃げられなかった。
トレーを持ったアデリッサがシェリとミエーレのいる席まで態々来た。
「あらあ、ご機嫌ようシェリ様、ミエーレ様」
悦に浸った人間の顔はなんと醜いことか。元が整った可憐な美貌の持ち主でも、内面が汚れていれば表面にも出る。暇ね、とカフェモカを飲みながらシェリが呆れて言う。
何を自慢しても、悔しがるどころか馬鹿にしかされないアデリッサは当然怒りで顔を赤く染める。レ―ヴの心を手に入れても、内面が変わりさえしなければ何れ捨てられる。
そのことをアデリッサは理解しているのか。
「っ、ほんと、気に食わない女っ。そんなんだから、レ―ヴ様に捨てられるのよ!」
「ふん。殿下に魔法をかけてまで見てもらおうとまでは思わないわ」
ひゅっと息を呑んだ音がした。顔面蒼白となるアデリッサから、優雅にカフェモカを味わうミエーレへ意味ありげに瞳を滑らせた。
アデリッサがヴァンシュタイン公爵家の天才の実力を知らない筈がない。
碧眼に走る複雑な術式。凡る相手の情報を読み取るヴァンシュタイン公爵家の秘宝。それがアデリッサへ向けられている。
ミエーレの目に映らない情報はない。即ち、自身がレ―ヴにかけた魔法が見破られている。過ちを犯していると自覚はあったらしく、顔の色は蝋燭と同じに、地震が起きてないのに体が小刻みに震えている。
「あ……なっ……」
言葉にならない声を絞り出され、冷えた紫水晶の瞳で睨んだ。
次の行動を予測していたら、近くを給仕が通っていく。トレイに乗せたスープを運んでいるようだ。
アデリッサが咄嗟にスープの器を奪った。シェリは自分が掛けられると顔を腕で防いだが――
「きゃあああああああああぁっ!!」
有り得ないことにアデリッサが出来立てのスープを自分にかけた。頭から全身に浴びたアデリッサは赤色――トマトスープに染まっていく。
場所は食堂内。
当然、悲鳴は全体に響いた。
「アデリッサ!!」
アデリッサの悲鳴を聞き付けたレ―ヴが大慌てでやって来る。トマトスープまみれになって蹲るアデリッサの肩を抱くと……凄まじい嫌悪と敵意を含んだ青い宝石眼でシェリを見据えた。
分かっている。
レ―ヴが好きなのは自分。
好意の矢印をアデリッサへ転換させられただけ。
分かっている。
……分かっていても、怒りと憎しみに染まった青の瞳に映されるだけで、全身を天空から地上へ叩きつけられた激しい痛みを伴う。
「シェリ、これはどういうことだっ」
ずっと好きだった。
どんなに冷たくされても、声を掛けられなくても、何時かはと期待していた。
……所詮シェリもただの人間。ただの女の子。いくら、シェリへの好意があったからこそ絶大な効果を発揮したと言えど、違う相手を真に慈しむ光景を何度も突き付けられてしまえば……
「シェリ」
落ちていく。レ―ヴへの気持ちが底へと落ちていく様をヴァンシュタインの秘宝は映している。場の雰囲気にそぐわない極めて平穏な美声がシェリをどん底から引き揚げた。
カップを高く持ち上げたミエーレは一気にカフェモカを飲み干した。生クリームの残骸が底に残った。上唇についた生クリームを舌で舐め取る仕草は、蛇が獲物を捉え舌舐めずりをする残酷性は一切無く、年相応に見えない妖艶さがあるだけだった。
今のシェリはどのような表情をしているのか。きっと酷い顔をしている。あからさまな敵意をレーヴに投げ付けられ、彼は悪くないと心に言い聞かせても人とは容易にできてない。
ガラガラと今までのレーヴへの好意が崩れ落ちていく。
彼は“転換の魔法”による被害者。
シェリにあった好意を強制的にアデリッサへと向けられただけ。
わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。
呪文みたいに何度唱えても、わからない。
迷子になった幼児を見る優しさが含まれた碧眼が離さない。カップを置いたミエーレが熱々のスープを被って蹲るアデリッサと彼女の両肩に手を置いて容態を確認するレーヴの前に立った。
「殿下。今はナイジェル嬢を医務室へ連れて行くのが最優先だ。火傷をしている場合がある」
「しかしっ」
「それに、だ。殿下は今冷静な判断を下せない。だったら、ナイジェル嬢を治療した後で合流しよう。勿論、シェリも居させる。それでいい?」
「っ……分かった」
ミエーレの言い分にまだ噛み付きたいであろうレーヴだが、このまま放っておくとアデリッサの火傷が進行する。医務室へ行き、適切な治療を施すのが最優先。レーヴは制服の上着を脱ぐとアデリッサに掛けた。背中と膝裏に手を回すと抱き上げた。
去り際、シェリを一際強い憎しみの瞳で睨みつけた後……小走りで去って行った。
周囲の目はアデリッサを抱き抱えたレーヴが消えてもシェリに注がれる。
「ミエーレ……」
悲しみも、悔しさも、怒りも、何もない、ただ発しただけの声でミエーレを呼んだ。
「さっきのお誘い……やっぱり……受けても良いかしら?」
「……いいよ。行こう。パンは?」
「残すわ……」
「ふーん」
給仕を呼んでテーブルの片付けを頼むとぼんやりとしたシェリを立たせ、手を引いて食堂を出た。この後、どのような囁きがされるかは。
容易に思いつく。
ミエーレに連れられたのは図書室。昼休憩終了までまだ少し時間があるので人のいる数は多い。入り口から最も遠い本棚に行き、誰も居ないのを確認してシェリを床に座らせた。汚いと言われようが布越しなのだからさして問題はない。
本棚を背凭れにして天井を仰いだ。
魔法の力によって光る照明。本が読みやすいようにとオレンジがかった光。
その内、午後の授業開始の鐘が鳴る。扉の開け閉めの音が激しく、途端消滅。
人の気配が消えた。シェリとミエーレ以外、誰もいない。
シェリは先程受けたレーヴの憎しみに染まった青の宝石眼を思い出す。何度も何度も何度も、何度も“転換の魔法”のせいだと言い聞かせても人の心は脆弱で指で突いたら呆気なく壊れる。ドミノ倒しと一緒だ。
「“転換の魔法”に解除方法はない。ミエーレはそう言ったわね……」
「事実だ」
「そうね……もう……殿下は、あのままでも良いのではと思うの」
「“魅了の魔法”と違って禁忌魔法には指定されていないから、正式に罰するのは難しい。けど、掛けた相手が王子ということ。この点は突ける。おれも殿下はアデリッサと仲良く乳繰り合っていたら良いけど、王国側としては罰もなしに野放しは無理」
そこで、とミエーレは欠伸を間に入れて続けた。
「ヴェルデが件の従者の元の主に今日接触する。彼の結果次第だが……従者には軽い罰、アデリッサにはキツーい罰を与えられる。ナイジェル公爵家にも相応の処分は下るだろう」
「公爵本人は知っているのよね」
オーンジュ公爵と犬猿の仲と評されるナイジェル公爵。娘には激甘でも貴族としては優秀で周囲の信頼も篤い。嫌っていても、時にはオーンジュ公爵と協力して国を守ってきた。公私混同は決してしない。シェリも、嫌っている男の娘とは言え、彼は感情を娘相手にまで向けない。1人の公爵令嬢として接してくる。
愛娘のやらかしを聞いた時のナイジェル公爵が不憫でならない。
「アデリッサにナイジェル公爵の性格がちょっとでも受け継がれていたら……」
「そりゃあ難しいかもな。実はこれ、父上が言っていたのだけど。アデリッサは……」
新しい高機能玩具を親に買ってもらい、友達に見せつける愉快な色を隠さないでアデリッサの秘密を暴露してくれたミエーレに引きつつも、そう……とだけ返した。
不意にミエーレの碧眼がシェリを捉えて離さない。首を傾げれば「ちょっとは落ち着いた?」と問われた。
あ……と声を出したシェリはふわりと微笑んだ。
「……ええ。ちょっとだけ」
「そっか」
「本当の本当に、殿下は諦めるわ。でも、アデリッサにはきっちりと落とし前をつけたい」
「はは。その調子調子。じゃあ、ヴェルデの報告を待とうか」
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