嫌いよ
今日は迷惑カップルがいなくてホッとしたシェリ。恐らく発案者はアデリッサ。レーヴが人に嫌がらせをする相手を嫌っているのは把握済みだ。教室に足を踏み入れ、机に鞄を置いた。今日は大人しく教室にいようと、家から持って来た本を取り出した。小さい頃から何度も読んで、細かな台詞まで暗記して読む必要もないが時間潰しには必要だった。
今更新たな発見があるわけでもないのにページを開いた。人はまだ少なく、読書をするには丁度いい。
暫くすると人も増えてきた。シェリは黙々とページを進めていく。
だが、集中して読んでいないので嫌でも聞こえてくる。
“見た? 今日もアデリッサ様と王子殿下が腕を組んでいたわ”
“ずっと婚約していたのに遂に捨てられたのね……可哀想なシェリ様”
“だってシェリ様怖いんですもの。それに、お友達も少ないですしね”
陰口とは堂々と言われる物だったろうか。本人達はヒソヒソ声で話しているつもりだろうがダダ漏れである。又は、態とシェリに聞こえるように。
後者が正解だ。
下らないと、シェリは小さく欠伸をした。そこに「おはようシェリ」とミエーレがやって来た。金貨を溶かしたような金糸、深慮を思わせる碧眼。物語に出てくる王子様な容姿をしているのに、目の濃い隈のせいで迫力が増して近寄り難い美青年。シェリの昔馴染み。のんびりとした口調の割に愉しそうな声に違和感を抱いた。
「何か面白い物でも見つけた?」
「なんで?」
「声がニヤついてる」
「あったあった。とっても面白いものがさ。シェリにも聞かせてやるよ。ついておいで」
「ええ。行くわ。読書の邪魔をされてどうしようか困っていたの」
シェリはチラリと陰口を叩いてた集団を見やった。見るだけで他者を震え上がらせる紫水晶の瞳の視界に入れられ、顔が瞬く間に青ざめていく。
「低脳は低脳ね。陰口を叩くなら、もっと面白いことを言いなさい。そうしたら、わたしも悔しくて涙の1つだって零してあげるのに」
上に立つのは自分だと知らしめる為に敢えて傲慢に振る舞い、決して弱みは見せない。
彼女達を馬鹿にするように笑って見せ、行きましょうとミエーレと共に教室を出た。
少しすると溜め息を吐いた。
「ハハッ、シェリがやると迫力が増すな」
「うるさいわよ。好きでやっているわけじゃないもの」
「殿下がアデリッサを選んだのは、シェリにはない可愛い魅力のせいかな」
「……ほんと、いい趣味をしているわ」
長年の片想い相手であり婚約者であるレーヴの事実は、シェリにとってはまだまだ痛みが起こらないものじゃない。アデリッサと比較されるだけで胸の痛みは走る。浮気とも取れるレーヴの行動。昨日学院から帰宅すると父は言っていた。婚約は無事解消した、と。
新たな婚約者のことは気にするなと父は気遣ってくれるがシェリは甘えるのは止めようと決めた。
「なあシェリ。殿下とアデリッサだけど」
「ミエーレ。もういいわ」
ミエーレからレーヴとアデリッサの仲の良さを聞かせられるのは嫌だった。胸の痛みとは別に。
「殿下はアデリッサを選んでいた。これが現実よ。わたしと殿下の婚約は正式に解消されたとお父様が仰っていたわ。……もう、諦めるわ。殿下のことは」
「……ほんとに? 理由があっても?」
「わたしには関係のないことよ。殿下とアデリッサ、2人仲良くしていればいいわ」
無様に取り乱して縋るより、潔く諦め身を引いた方が自分は傷つかない。レーヴとアデリッサを祝福するなど死んでもごめんだが関わるよりはマシ。
――何か言いたげなミエーレだったが「そう。じゃあ言わないでおくよ」と肩を竦め、途中ミルティーとヴェルデとも合流した。
シェリを心配するミルティーと苦笑するシェリを眺めながら「無理かも」と呟くとヴェルデが問いかけてきた。
「何がですか?」
「殿下とシェリのやり直し。アデリッサは面倒なことをしてくれたよ」
「やはり殿下の変異には原因が」
「物事には必ず原因がある」
レーヴがアデリッサの魔法によってああなっていると知るのは国王と王太子、オーンジュ公爵とヴァンシュタイン公爵、そしてナイジェル公爵。隣の友人にも協力してもらおうとミエーレは話した。アデリッサ自身、使った魔法の認識が“魅了の魔法”と言うのはヴェルデにだけ話した。まだ父達には話してない。
ヴェルデは言葉を失うと思いきや、意外にも口が利けた。多分な憐れみが籠った声で紡いだ。
「アデリッサが事実を知った時、とても哀れですね。彼女は何1つオーンジュ嬢に敵わないということですから」
「シェリへの熱愛の矢印を変えただけだからね。アデリッサの従者ってのがやったみたい」
「アデリッサの従者……。ミエーレ。その件は任せて下さい。アデリッサのその従者に近付く良案があります」
「どんな」
「多分ですが……取り巻きから奪った従者に魔法に優れていた者がいた筈です」
あ……と漏らしたのは誰か。
前方から仲睦まじい姿で歩いて来るのは話題の2人。レーヴとアデリッサ。腕を組んで微笑み合う2人は理想の恋人同士。シェリは強く手を握り締めた。気まずげにミルティーに呼ばれるが逆に堂々としようと背筋を伸ばした。
「疚しいことはわたしはしていないもの。……逃げる必要はないわ」
「オーンジュ様……」
昨日で正式に婚約解消された。今のシェリとレーヴは他人。
レーヴの青の宝石眼がシェリ達を捉えた。シェリを見るなり嫌そうに顔を歪めるのは毎回のことだが、そこに明らかな嫌悪が加わるのは今までなかった。
わたしがあなたに何をした、と詰りたい衝動を抑えシェリは勝ち誇った顔をするアデリッサを無視し、一令嬢としてレーヴに朝の挨拶を述べた。
「おはようございます、第2王子殿下」
「殿下、おはようございます」
ミルティーもシェリに倣う。後ろのヴェルデとミエーレは様子を窺うことにした。
完全にいない者扱いをされ、悔しげに唇を噛み締めるアデリッサの隣。……レーヴの様子が変だ。傷ついた表情をするのは何故?
シェリは疑心を持つものの、これ以上レーヴに関わって傷つくのは止めたい。冷静を貫こう。
「っ……ああ」
「それでは、わたし達はこれで。行きましょう、ミルティー様」
「は、はいっ!」
「待ちなさいっ!」
面倒なのが絡んできた。アデリッサが瞳に涙をたっぷりと溜めた瞳でシェリを睨みつける。
「殿下! シェリ様がわたくしを無視します! 酷いですっ!」
「……あ……ああ……シェリ、君は」
「――呼ばないでいただけますか?」
嫌われて名前を呼ばれる程哀れで皮肉なことはない。ああでも、1度だけ呆然とした様子だったが名前を呼ばれた。あれもあれで悲しい思い出である。
「第2王子殿下。いくらあなたでも、婚約者でもない令嬢を名前で呼ばないでいただけますか?」
「……え?」と驚いたのはアデリッサ。
「……っ」
レーヴの様子がさっきから変だ。第2王子と呼ぶだけで傷ついた顔をし、拒絶すれば更に途方に暮れた顔をする。
ただ、レーヴ自身も自分の感情に追いついていないらしく戸惑っている。
シェリはチラリとミエーレを見る。碧眼に複雑な術式が刻まれ、吹き出しそうなのを堪えて此方のやり取りを観察している。理由があるとミエーレは言っていた。だが、聞かなかったのはシェリ。
もう1度、話を聞いていいだろうか……。心の声はミエーレに届き、笑いそうになりながらもコクコクと頷かれた。隣にいるヴェルデは交互に視線を動かしつつ、表情は呆れていた。
「アデリッサ」
「っ、な、なによ」
「あなたを無視するから、何? わたしがあなたを無視するのは悪いのかしら?」
「っわ、わたくしは殿下の恋人よ!?」
「だから何? 正式に第2王子妃になったわけでも(そうなるでしょうけど)婚約者になったわけでもないあなたを第2王子殿下と同じ扱いをしろと言うの?」
「なっ、なっ」
「大体、あなたもわたしもお互いを嫌い合っているのだから関わるだけ無駄な労力というものよ。
第2王子殿下。今度こそ失礼しますわ」
「……」
顔を真っ赤に染め怒りで身を震わせるアデリッサと違い、レーヴは放心していた。本当にどうなっているのだ、彼は。
まさか、シェリへの嫌がらせの為にアデリッサと態と仲睦まじくしているのではと勘繰るも。ミエーレからの話を聞く方が先決。
シェリはレーヴにだけ頭を下げて横を通った。ミルティーも慌てて後を追った。
残ったミエーレ達も先を行くが。
ミエーレはレーヴの横に来ると……
「どうしたの? 殿下。大好きなナイジェル嬢が君の大嫌いなシェリに傷付けられて泣いているよ?」
「あ……ああ……そう……だな……」
聞こえてはいても、心が追いついてない。
殿下ぁ、とたおやかな声で泣き始めたアデリッサに抱き付かれ、背中を撫で始めた。
2人から離れ、シェリとミルティーを歩いて追う。ミエーレは呆れた瞳で自分を見るヴェルデに「最高っ」と遂に吹き出した。
「こうなってくるとアデリッサは兎も角、殿下が哀れになってきました……」
「“転換の魔法”に他の性質が付加されてるね。ただまあ、元々あったシェリへの好意がアデリッサに向けられたんだ。当然、好意を向けていたシェリにあれだけ拒絶されれば、殿下の心情に大きな影響を与えてしまう」
「魔法をかけられる前なら、多分ですが殿下は外に出て来なくなるでしょうね……」
「はは。シェリと殿下のやり直しは……やっぱり無理かも」
だって……
「おれがシェリを欲しいから」
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