元には戻らない
「あら? ミエーレ?」
「ん……?」
放課後の学院内。
今日は1日中図書室にミルティーといたシェリ。放課後になるとこれ以上付き合わせる訳にはいかないと、心配して探しに来てくれたヴェルデに礼を言うのと同時にミルティーを託した。ほんのお詫びと手助けをしたくて。ミルティーはミルティーで、シェリが帰るまで最後まで残ると譲らなかったものの、ヴェルデが諭してくれたので長くはいなかった。
1人になると食堂に寄ってカフェモカを注文し、カップを持って裏庭へと足を運んだ。元々人通りの少ない此処は、放課後になっても人はいない。1人でいたい時は最適。
カフェモカを堪能しつつ、何も考えず風景を眺めていると不意に足音が。誰かと思い振り向くとシェリにとっては馴染み深い顔が会った。
黄金を溶かしたような髪、海を思わせる碧眼。容姿だけなら絵本に出てくる王子様なのだが……年中寝不足なせいで目元には濃い隈があり、整い過ぎている美貌と隈のせいで迫力が増して近寄り難い容姿をしている。
「やあシェリ。君が裏庭にいるなんて意外だな」
「わたしだって、偶には違う場所に来たくなるわ」
「あ、そうなんだ。てっきり、王子殿下が堂々と浮気しているものだから傷ついて隠れているのかと思った」
「……」
嫌な男だ。
シェリが1人、普段なら絶対にいない場所にいるのは明らかな理由があるわけで。
彼女を深く知らない人でも、原因は多かれ少なかれ第2王子にあると察する。
はあ……と溜め息を吐いたシェリは仕方ないと割り切る。彼はこういう人間だ。
ミエーレ・ヴァンシュタイン。
ラビラント伯爵家が王家の忠臣なら、ヴァンシュタイン公爵家は王家の番犬。
法で裁けない悪人を独自の判断で処罰し、処刑する一族。但しそれはあくまで裏の顔。
表向きは一族皆甘党が多く、数多くのスイーツを開発している。王都にはヴァンシュタイン家が運営するカフェやスイーツショップが数多くあり、シェリお気に入りのスイーツもその1つ。
ミエーレはヴァンシュタイン家の3男。長男が既に跡取りとして決定しており、次男は隣国の公爵令嬢と婚約。ミエーレは魔法の才能は群を抜いており、魔力量も学年トップと言ってもいい。
顔は非常に良いのに隈のせいで台無しである。
ヴァンシュタイン公爵と父フィエルテの仲の良さから、幼い頃から交流のある2人。学院に入学してからも顔を合わせたら会話をする。
「はあ、で? シェリ。シェリはいいの? 殿下があのままで」
「……いいも何も。知っているでしょう? わたしが今までどれだけ殿下に嫌われていたか」
何度か同じお茶会に参加していたのだからミエーレだって知っている。何度話し掛けても嫌そうな顔を隠そうともせず、必死に気を引こうと行動するシェリを冷たく見るあの青い宝石眼を。
「今まで存在を認識しているのかも怪しかったアデリッサとあんなに仲が良いなら……ずっと婚約を解消しなかったのが不明だわ」
「疑問に思わないのか?」
「今まで水面下で絆を深めていたのを表に出してきただけでしょう」
「シェリは殿下とやり直す気はないの?」
「やり直すも何も……」
婚約解消を決意した日から今日まで。何度も予想外な事実が判明し、昨日のトドメを食らった。
やり直す……シェリが望んでも叶わない願いだ。
「やり直す……ね。わたしと殿下は何をやり直せばいいのかしら」
「いいのだけどね、おれは」
「それに、わたしと殿下の婚約は今日中に解消されるわ。今朝お父様にお願いしたの」
「そうなんだ。じゃあ、おれ立候補しようかな」
「は?」
令嬢らしからぬ間抜けな声を出してしまった。
恥じる暇も与えられず、瞬きを繰り返すシェリに不敵な色を隠さない碧眼を向けられる。
「シェリの婚約者候補に」
「ミエーレが? 今まで婚約なんて興味もなかったくせに」
「碌に知らないのと一緒にいるのは無理な気質でね」
「殆どが知らない者同士よ」
「そうだね。でもシェリはおれを知ってる。おれもシェリを知ってる。これでいいだろう」
「良くないわよ」
「そう言うなって。でも公爵も、下手に探すよりかは昔から付き合いのあるおれにしておけば心配はないだろう」
「どうかしらね……」
決めるのはシェリではなく、公爵である父。
シェリに気遣って無理に婿養子を探さなくていいと言ってくれた父のこと、完全に婚約解消となった今回でも同じことを言うだろう。学力も魔力も運動神経も家柄も容姿も(隈を除けば)完璧なミエーレなら父も納得しそうではある。
いつの間にか隣に座ったミエーレに違う話題を振られ、勝手に変えるなと言いたいが昔からの友人と話すのはやっぱり楽しくて。
「ふふ」
「急に笑ってどうしたの」
「いいえ、ミエーレとこうしてゆっくり一緒にいるのも久しぶりだと思っただけよ」
レーヴとアデリッサの仲を見せつけられ、傷ついた心はちょっとだけ癒えた気がした。
「……」
――カフェモカのカップの縁に口をつけるシェリを盗み見るミエーレ。
(殿下とやり直す気はないの? か。もう手遅れだろうな)
“転換の魔法”を使われた時点で元に戻る可能性はほぼ不可能となった。
ただ、とミエーレは疑問を抱いていた。
(アデリッサが“転換の魔法”なんて高等魔法が使えるとは……調べる必要があるね)
“転換の魔法”とは、高等技術を必要とする魔法で使用するには繊細な魔力操作能力がなければ発動不可能。アデリッサはレーヴのシェリを愛する好意を自分へ、レーヴのアデリッサを嫌う嫌悪をシェリへ転換した。
魅了と異なるのは、元々存在する感情の行き先を転換しただけなので魔法を掛けられたレーヴが違和感を覚えることがないことと個人にしか対象と出来ないこと。
レーヴの目には、シェリはアデリッサ、アデリッサはシェリに見えている。
元に戻す方法が実はないのだ。
術者であるアデリッサを殺すか、魔力を封じれば万事解決にならない。そうしても、愛する者を失ったレーヴは嘆き悲しむだけ。
(元々あったシェリへの好意をアデリッサに変換されただけだからね……)
隣を歩くシェリに事実を話すべきかと思案する。
王家の番犬と謳われるヴァンシュタイン家の3男。ナイジェル公爵は娘に甘々な以外、王家に忠実な男。彼の行った政策で数年前襲った飢饉を逃れられた。黒い噂も聞かない。オーンジュ公爵との仲の悪さは性格の合わなさから来ているだけ。アデリッサが行ったことは重罰に匹敵するが第2王子としてのレーヴには問題が起きていない。婚約者がいながら浮気同然の行動をしているのであれだが……うん、とミエーレは判断した。
(王家にとって今回のこれは実害がないので、問題なし)
寧ろ、哀れな女だと抱く。
ヴェルデと同じく、ミエーレも幼少期からレーヴと交流があった。家同士の繋がりから1番シェリと多く会っていたミエーレは頼れられていた、レーヴに。
初めての顔合わせで失敗して以来、何度正直に気持ちを言おうとしても緊張と恥ずかしさが勝って進展どころか後退する一方。何度か助言をしたり、シェリの好みそうな場所や物を教えてやるが……結果はお察し。
ただ、シェリを好きな気持ちだけは本物だったんだ。
“転換の魔法”を掛けられた対象者を元に戻す方法はない。元からある好意を他人へ矢印を変えられただけだから。
シェリに向けられていた熱い愛を方向を変えることで自分に向けさせたアデリッサ。そうまでしないとレーヴの心を手に入れられないと覚悟した、彼女なりの最後の行動なのだろうが……哀れ以外の何者でもない。
レーヴのシェリに対する変貌した接し方。あれが元々自分に向けられていたものと知り、悔しくは悲しくはならなかったのか。
席を立ったレーヴに隠れて見せたあの歪んだ笑み……手に入れれば他のものはどうでもいいことか。
「はあ……」
「あら、大きな溜め息ね」
「まあね。シェリはもう帰る?」
「ええ。今日は迎えを断ったから、歩いて帰るけれど」
「なんだったら、おれの家の馬車で帰る? ちょっと城に行かなきゃいけないから遅くなるけど」
「何か用事でも?」
「父上に放課後来るように言われているんだ」
「そう。でもありがとう。わたし、今日は歩いて帰りたい気分なの」
「あっそ」
シェリと別れたミエーレは寄り道せずまっすぐ校門へと向かった。
待たせていた馬車に乗り込んだ。
「出発して」
行き先は王城。
レーヴ、アデリッサの関係の正体を父ヴァンシュタイン公爵と国王に報告する為に行く。
話し相手がいない馬車内は当然というか、静かだった。試しに瞑っても寝れる気がしなかった。
王城に到着すると城勤めの騎士が待っていた。父と国王から話は既に通っているらしく、2人が待つ部屋へと案内された。
室内には父ジン・ヴァンシュタイン公爵とクロレンス国王が立ったまま待っていた。
ミエーレは2人に挨拶を述べ、案内をしてくれた騎士が出て行くと早速口火を切った。
「結果論で言いますと、レーヴ殿下の昨日からの行動はアデリッサによる“転換の魔法”による影響でした」
「何っ!?」
滅多に声を荒げない父が思わずといった風に声を漏らした。無理もない。高等技術を必要とする“転換の魔法”を扱える可能性があるとしたら、此処にいるミエーレくらいなもの。目立った成績も能力も聞かないアデリッサにそんな力があったとは誰も思わない。
「事実であるか?」と国王。
「はい。オーンジュ公女への好意を自分に向けさせ、自分に向けられていた嫌悪をオーンジュ公女へと向けたのでしょう」
「なんと言うことだ……」
頭を抱えた国王は実は最近までレーヴがシェリを好きだったとは知らなかった。
昔から知っていると言えば、ミエーレか王太子だけである。
婚約が結ばれた当初からずっと口も利かず、笑顔も優しさも向けなかった。
嫌っていると思いきや、それが最初を失敗したせいでどんな態度を取ればいいか分からなくなった末に初恋を拗らせたヘタレとは予想だにしなかった。
王太子がやけにレーヴに協力的だったのも【聖女】との婚約を結ぼうとした時も待ったをかけたのも――納得であった。
ならば、と敢えて2人の婚約解消を保留にし、恥を捨て直接会い話し合えと背中を押したのが昨日の朝。
城に戻る頃には良い話があると期待して待っていたら……まさかの事態に頭を抱えた。
「レーヴ……というより、王家の血を引く者はなんというか……執着にも似た一途さを持つ。先日のパーティーの際、顔を赤くしてシェリ嬢への気持ちを白状したレーヴが違う女性と懇意になる訳がないと分かっていたが……これは見過ごせん」
“転換の魔法”は、他者の好意の矢印を別の者へ変える魔法だが王国では禁術指定とはなっていない。魅了と違い、無差別に相手を誑し込む恐ろしい力はないからだ。
しかし王子にかけるのは重罪である。犯人は公爵令嬢。ミエーレの鑑定によって判明したといえど、もう1つ確固たる証拠が欲しい。
「ナイジェル公爵には内密に報せましょう。娘に甘いと言えど、公私混同する愚か者では御座いません」
「うむ……しかし、呉々も悟られぬように。ナイジェル公爵にもそう伝えよ」
「はい」
残る問題は1つ。
ミエーレは国王に問うた。
「殿下と公女の婚約は如何されるのですか?」
「……今朝、オーンジュ公爵が来て正式に解消となった。ただ」
「ただ?」
「レーヴの気持ちをオーンジュ公爵も知っている。事実が明かされ、救いの余地があるなら再婚約も視野に入れてほしいと頼んだ」
「……」
王国の頂点に立つと言えど、目の前で心痛な気持ちを相貌に浮かべる様は普通の父親と変わらない。
元に戻す方法はない。
魅了と違い、元から存在する感情の矢印の方向性を変えられただけだから。
少し意地悪をしてみるかと、酷薄な笑みを浮かべたミエーレは怠さの中に色気が多分に含まれる碧眼を輝かせた。
読んでいただきありがとうございます。




