ミルティーの宣言
――婚約解消の話は今日行われる。
昨日のレーヴの豹変。
朝目が覚めて、実は悪夢だったという安心するオチだったら良かったのに。
現実はどこまでも残酷だった。
レーヴやアデリッサとも教室が違うシェリは、自分の在籍する教室に見せ付けるように仲睦まじくしている2人を見て心が痛んだ。昨日は沢山泣いた。泣いて、父に本気で婚約解消を頼んでも……長年の片思いは消えない。唯一違うのは、ミルティーと結ばれるようにと祝福を抱いた気持ちはなく、全て疑問に埋め尽くされていた。
ずっと存在自体を認識しているか疑わしかったアデリッサと恋仲よろしくの姿を披露するレーヴに不審な点は無い。
けれど、それは言い換えれば彼が正気であるという悲しい事実でもある。
幸い2人の目にシェリは映らなかったようで、気付かれない内にと教室に入らず、静かに図書室へ逃げた。
続きが気になっていた本が返却されているかの確認をする余裕が無い。
窓側の席にシェリが座るとタイミング良く声がかかった。
「あ、あの、オーンジュ様っ」
緊張した声でやって来たのはミルティーだった。ぼんやりとした眼で視線をやると、顔を苦しげに歪め同席を求められた。拒否する気持ちもないので受け入れた。隣に座ったミルティーは控え目に話を切り出した。
「昨日の殿下ですが……」
彼女から出される話題は絶対に昨日のレーヴの件だとは覚悟していた。心に刻まれた痛みがまた動き出すも、シェリは平静を装う。
「私……私! 絶対可笑しいと思います!」
「……そうね。殿下は今までアデリッサの事なんて眼中になかったのに」
ずっとミルティーが好きなのだと思っていた。
だから、嫌われている自分より、思いを寄せる女性と結ばれた方がレーヴも幸せになれると信じ、父に婚約解消の話を持ち出した。
それがどうだ。
ミルティーに思いを寄せていたヴェルデの恋心を踏み躙った挙句、実はレーヴはミルティーではなくアデリッサと水面下で仲を深めていた。今になって関係を表に出した経緯は知らない、知りたくもない。ミルティーにも悪いことをしてしまった。とんだ勘違いに巻き込んでしまったのだから。ヴェルデには更なる罪悪感を抱いた。
「ミルティーさんやヴェルデ様には、悪いことをしてしまったわ……」
「私とヴェルデ様……? オーンジュ様には何も」
ここでもう、事実を全て暴露して……それから、それから、勘違いばかりの馬鹿女だと嘲笑ってほしい。
シェリは全て話した。
最初にレーヴとミルティーの婚約が浮上した理由を、何故そうしたのかという理由を。正直に話した。
語り終えるとミルティーはショックを受けた、傷付いた表情になっていた。勝手な思い込みで無関係な二人を巻き込んでしまった自分が嫌になる。
ミルティーが口を開いた。
誰に対しても思いやりを忘れない彼女からどんな罵倒が飛んでくるかと覚悟した。
「オーンジュ様……私……ずっとオーンジュ様に感謝していました」
「……え」
開口1番発せられたのは予想外な台詞だった。
「ラビラント家の人達は皆良い人です。貴族の生活に馴染めない私の為に色んなことを教えてくださいました。でも学院は違います。まだまだ淑女として未熟な私を嗤う人は沢山いました」
平民生活が長かったのだから、生まれた時から貴族令嬢としてあれと育てられた他とは違って当然。悔しげに手を握り締め、失敗し嘲笑されても手を差し伸べて助けてくれる人はいなかったと語られた。
シェリ以外。
「オーンジュ様に注意をされても、私は嫌な気持ちがなかったんです」
「自分で言うのも何だけど、結構言い方がきつかった記憶があるわ」
「はい。でも、言葉の中に確かな気遣いがありました。それに他の方のような人を見下す嫌な気持ちがオーンジュ様には全く感じられませんでした」
「……」
「1度注意されたことをまた別の日にやらかしてもオーンジュ様は呆れもせず指摘してくださいましたよね。自分では気を付けていても、やっぱり他の人の目から見た私はまだまだだと思い知りました」
慣れない内は何度も失敗してしまうもの。2度も繰り返すなと家庭教師からお叱りを受けたシェリにしたら、反抗心も持たず真っ直ぐに励み続けるミルティーの強さが羨ましい。
ミルティーを何度も注意したのはレーヴに好かれている彼女に嫉妬していたから。見るに耐えない振る舞いは貴族として生きていくには不要で、彼女を養女として迎え入れたラビラント伯爵家にとっても同じ。他の令嬢達は小馬鹿にするだけでまともな指摘をする者は皆無だった。上に立つ者になるならば、正しい振る舞いを見本として見せるのは当然で、出来ていないのなら指導するのも必要。ただ嗤うだけで何もしようとしない無能は要らない。
【聖女】の証である黄金色の瞳には純粋さしかない。見ているだけで心が清められる。ミルティーはシェリの手を包むように両手で握った。
「私は伯爵令嬢としても【聖女】としてもまだまだ未熟です。いきなりどちらも一人前になる器用さは私にはありません。だけど、その、オーンジュ様には待っていてほしいのです」
「待つとは……?」
「その……殿下のことです。昨日の殿下は明らかに可笑しかったです。私が原因を必ず突き止めます。ですから、待っていてほしいのです!」
【聖女】の力は傷ついた人を癒やし、幸福と繁栄を齎す。他者の心を干渉する力を持っていても驚かない。ただ、まだミルティーは【聖女】として未熟で魔法の扱いにも不慣れだと聞く。
彼女から伝わる純粋な好意。誰の目から見ても昨日のレーヴは異常だった。有難い申し出をシェリは緩く首を振って断った。手を離してもらい、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「ミルティーさんもご存知のようにわたしはずっと殿下に嫌われていたわ。殿下の態度の変化に原因があるにせよ、あの態度は今まで我慢していた感情が表に出てきたとしか思えないの」
「で、でも」
「それにね、今日で殿下とわたしの婚約は正式に解消されるわ。今朝お父様に頼んだの。もう無理だと。本当は、先日のパーティーで解消の発表がされる筈だったのを殿下が拒んだからってなくなって。昨日はヴェルデ様の力もあって殿下と話そうと決めたのに……」
「オーンジュ様……」
水面下で仲を深められ裏切られたという気持ちは不思議と抱かなかった。長年彼を苦しめ続けた自分に相応しい罰だと受け止めるしか、シェリには残されていない。言いたげなミルティーの視線から逃れるように下を向いた。
沈黙が苦しい。
お互い掛ける言葉が見つからなかった。
徐に顔を上げて、未だ居続けるミルティーに作り笑いを向けた。
「もう授業が始まってしまうわ。行きなさい」
「オーンジュ様は……?」
「……今日はもう、ずっと図書室にいようかなって」
運悪くあの2人と遭遇するのは嫌だし、人の出入りが少ない図書室なら静かに過ごせそうだから。
「じゃあ、私もいますっ!」
「真面目なあなたが授業をサボったら駄目でしょう」
「オーンジュ様もです。オーンジュ様を1人には出来ませんっ」
「そう……」
1人でいたい気持ちと
誰でもいいから側にいて欲しい気持ちがあった。
素っ気なく言ったのにも関わらずミルティーはふんわりと笑った。
予鈴開始の鐘が届く。
シェリは窓を眺め、ミルティーは棚から数冊の本を持って来て読書を始めた。ページを捲る掠れた音だけが2人の空間を支配する。
レーヴとアデリッサが態々シェリの在籍する教室でイチャついていたのは、間違いなくシェリに見せつける為。悔しがり、悲しむシェリを見たかったのだろう。来ないなら来ないで逃げた負け犬と笑われるだけ。
ずっとレーヴだけを見続けていた、追い掛けていた、嫌われ好きになってもらえなくても。
1時限目の授業が終わった。
2人は同じまま。
2時限目が開始された。
2人は同じまま。
昼休憩になるまで、途中お手洗いに行く以外2人は居続けた。
昼になると生きているだけでお腹は減る。
授業に参加せず、昼食だけ摂るのも厭らしいが空腹を耐える根性がない。丁度ミルティーも持ってきた本を全て読み終えたらしく、表紙を閉じていた。
「お腹が減りました〜」
「そうね。食堂で食事をするのもあれだから、パンと飲み物を買って裏庭で食べましょう」
「はい!」
ずっと同じ体勢でいたせいですっかりと体が固くなっていた。思い切り伸びをして肩、腕、手首の骨が鳴った。行きましょう、とミルティーを促し図書室を去った。
昼休憩はどこも人が多い。食堂はその最たる場所。購買に行く前シェリは食堂内を見渡した。
見つけた。
「オーンジュ様? あ……」
ミルティーも気になってシェリの視線の先を辿った。気まずげに金色の瞳を向けられても昨日程の痛みは起きなかった。
2人席に座って、談笑し合うレーヴとアデリッサがいた。
「……すごいわねミルティーさん」
「へ」
「あなたの【聖女】としての力はすごいわ」
「わ、私何もしていませんが……?」
側にいただけで何もしていない。
側にいただけでミルティーはしっかりとシェリを助けていた。【聖女】云々は関係ない、彼女が黙って側にいてくれた、いてくれるだけで救われている。
そうね、と可笑しく笑うとミルティーも釣られるように笑う。
嫉妬さえ起こさなければ、もっと早くに彼女とこうして穏やかな時間を過ごせていた。そう思うとレーヴの裏切りは少しは自分自身を見つめ直す切っ掛けを与えてくれた。
眺め続けていると気付かれる恐れがあり、購買に並んで今日のオススメの看板を見やる。
焼きたてイチゴジャムパン、チーズスティックパンがデカデカと書かれている。
一緒に看板を見ていたミルティーが「あ!」と嬉しげに声を上げた。
「イチゴジャムパンがありますね! 焼きたてだとジャムが熱すぎて気をつけないといけないですがとっても美味しいんです!」
「そう。なら、それにしようかしら」
「私も!」
順調に列が進み、3番目まで迫った辺りでシェリは紫水晶の瞳に険しさと冷たさを多量に含ませ、ある方向を向いた。4人で食事をしている令嬢グループがいた。彼女達は突然シェリからそのような瞳を向けられ震え上がった。
「あら、ごめんあそばせ。不味そうな蜜を味わっていらっしゃるからつい気になってしまって」
列が進むにつれて、婚約破棄間近なオーンジュ公爵令嬢が平民といると陰口を叩く声は大きくなっていた。向こうも聞こえるように言っていたのだろうが。平等を謳っていると言えど貴族社会は階級が物を言う。公爵令嬢であるシェリに意見を言えるのは、同じ公爵家か王家だけ。グループに公爵家の者はいない。よく見るとアデリッサの取り巻き達だった。成る程、と嘆息すると同時に馬鹿らしいと鼻で笑った。
「あなた達の顔と名前はよく存じています。飼い主と同じで下品な振る舞いが好きとは……ふふ……お似合いですこと」
飼い主とはアデリッサ。
ナイジェル公爵家の末っ子で娘が彼女だけという理由からシェリとは違った意味で溺愛され育てられた。見た目の愛らしさとは反対の性格の悪さはシェリも引くくらい。彼女達もアデリッサの性格の悪さをよく知っている、故にシェリに同列に立たされ顔を赤くしている。
順番が回ってきた。おろおろとするミルティーを連れイチゴジャムパン3個とクリームたっぷりのカフェモカを注文した。ミルティーはイチゴジャムパン5個とミルクティーを注文。
パンとカップを受け取ると食堂を後にした。
「……」
シェリとミルティーが出て行くのを見届けた後、黙々と食事をしていた青年は蕩けそうな眼をアデリッサに注ぐレーヴに近付いた。
「殿下。陛下から至急城に戻るようにと報せが入りました」
「父上が? 分かった。済まないアデリッサ」
「いえ、とんでもございませんわ」
食事を半分残った状態で席を立ったレーヴから少し遅れて青年も歩き出した。
1人残されたアデリッサがひっそりと口元を歪ませた。
チラリと、青年の碧眼がレーヴを捉える。
(ああ……そういうこと)
青年――ミエーレの碧眼に素早く魔法陣が走る。魔法をかけた瞳から流れる情報が脳に到達し、昨日からの謎の正体を教えてくれた。
目にかかった金髪を煩わしげに後ろにやった。年中寝不足のせいで目元に濃い隈があり、恐ろしく整った美貌に加え隈のせいで迫力が増すからと前髪を伸ばした結果である。
(“転換の魔法”か……)
読んでいただきありがとうございます!




