友人
鈍色の街中、僕は運転席に座って車を走らせている。横には彼が座っていて、窓の外を眺めている。僕は自分の息が上がっているのに気付く。車はデパートの立体駐車場に向かって緩やかに進む。ゆっくりとハンドルを回し、駐車場のスロープをぐるぐると上っていく。大きく3周回ると半分が屋上スペースでもう半分はさらに上の階まで駐車場があるフロアに出た。
「あそこに止めようか」
空いてるスペースを彼が指さす。車を動かすが、胸に焦りを感じた。
「ねえ!ブレーキってさ、どれだっけ?」
止め方がわからない。しかし、彼の方を見ると、勝手に車は止まった。彼は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、何事もなかったかのようにドアを開けて車から降りる。それに続いて僕も車を降りる。キーは見当たらない、エンジンのスイッチも見当たらない。ドアを閉め、店内入り口の表示が掲げられた方へ歩いていく。
「どこに止めたか忘れそうだね。」
「忘れても、また別の車に乗ればいいよ。」
彼はそう言って歩く。後ろを振り返るとサイレンが聞こえた。
「なんで運転できたんだろう?免許もってないのに」
僕はつぶやいた。
「運転なんて誰でもできるよ。」
彼はつぶやいた。僕はそうかと小さくつぶやき、彼の後について歩いた。店舗入り口から中に入ると、洋服売り場が目の前にあり、奥にはおもちゃ売り場があった。
『本日はご来店まことにありがとうございます。紳士服売り場担当の”斎藤さん”、事務室までお越しください』
女性の声のアナウンスが聞こえる。
「ねえ、真実。知ってるか?この”斎藤さん”ってアナウンスさ、不審者とかが出たときに流れる店員同士の隠語なんだって。」
「なんで知ってるの。」
「だってほら、僕らが斎藤さんだよ。車盗んだだろ、不審者じゃん。」
「車は借りただけで、もう使わないよ。置いてきたし。」
サイレンの音がさっきより大きく聞こえる。どこであの車に乗ったかは覚えていない。いつの間にか走っていた。ただその前に何か建物を壊した気がする。
「もうばれたかな」
彼はおもちゃ売り場を物色しながら、空言のようにそう言った。
「これいい感じじゃない?戦えそう」
彼はモデルガンのようなおもちゃを箱から取り出して僕に渡してきた。しゃがみこんでカラフルな球をおもちゃの銃に込める。
「服もさ、心許ないね。肌が出てると不安じゃん。」
そう言ってマネキンが着ているジャケットを剥いで羽織った。姿勢を低くして階段まで走る。銃持ってる方が怪しくないかと思ったが、彼の後についていく。
『斎藤さん、2階にいます。応援よろしくお願いします。』
アナウンスが流れると、階段の下から3,4人の大人がやってきた。エレベーターからも何人かこちらに向かってくる。見つからないように低い姿勢のまま窓の方に僕たちは駆け込んだ。フロアにやってきた大人たちの僕らを探す声が聞こえる。
「ここからさ、飛び降りようと思えば飛び降りられるよね。」
「え?飛び降りるの?」
彼は窓を開けた。すると何人かがこちらに気づいて走ってくる。
「やばい、捕まる!」
「大丈夫だって、先に行って」
背中を押された。遊園地の落下するアトラクションを思い出したところで視界が暗くなった。
ビリリリッ。スマホの画面をとっさに開きアラームを止めた。目ヤニのついた目をこすって無理やり開ける、メモ帳アプリに”車”、”デパート”、”銃”、”追われる”と、キーワードを書き出す。しばらく、布団の中で先ほどの光景を必死に再現するが、これ以上は思い出せない。カーテンを開けて陽の光に目を細めた。体をゆっくりと起こし、部屋を出て階段を下りる。洗面所に入って顔を洗い、歯を磨く。もう、さっきのことはほとんど思い出せない。車に乗った気がする。
「ブレーキってどこにあんだろ。」
独り言をつぶやいて、リビングに行く。キッチンには姉がいた。
「おはよ。パン焼く?何個?」
バターロールパンの袋をぶらぶらと振って姉の未来がいった。
「3個」
「こげないように自分で見といてよ」
姉は自分の分のパンをトースターから取り出し、バターロール3個をトースターに並べていた。僕は、回らない頭でいつものようにカップにティーパックを入れてポットのロックボタンを押しお湯を注ぐ。リビングのドアが半分開いた。
「おはよう。パパ、もう出るから、2人とも戸締りよろしくな」
スーツ姿の父がそういってドアを閉めた。いつもは父親、姉、僕の順番で家を出ていた。今は7時30分。
ティーパックをごみ箱に捨てて、牛乳を少し注ぐ。最近は砂糖を入れるのをやめた。
「あっ」
慌ててトースターを止める。
「こげ臭い」
「全然、食べれるよ、ほら」
少し黒くなってしまったパンを皿に取り出し、テーブルに座った。
「ほんと、いつも焦がすよね」
「だから食べれるって、今日はそんな焦げてない」
姉は時計を気にしながらパンを食べる。僕はぼっーとテレビのニュースを見ながらパンを口に押し込んだ。
「男っていいよね!メイクしなくていいし」
食べ終わった姉がそういった。
「メイクしなきゃいいじゃん」
「メイクすんのはマナーよ、女子のマナー!」
「中学生は誰もしてないよ」
「子供はしなくていいの」
出窓の前にある白いカウンターテーブルが姉の特等席だ。無造作に散らかってるメイク道具たち。こんなに散らかってるの、他人に見せられないよなと思いながらいつも見ていた。
「今日は学校行くの?」
7時50分。高校の制服に着替えた姉が、リビングに戻ってきてそう言った。
「学校に電話してあげようか?」
姉はいつもより優しい声でそう言った。僕はうなずいてリビングを出た。部屋に戻り、ベッドに寝転がるとそのまま目を閉じた。彼とちゃんと話せたら、今の僕になんて言うだろうか。一人布団の中にうずくまり、心に穴が開いているのを感じた。