87.不死鳥
「じゃあ〜ポテトも追加で!」
一通りの注文を言い終えた光子。今日は誠、彈と一緒にファミレスで食事へ来ていた。彈にとっては連日の外食となる。
以前、ここへ来る途中、敵の刺客に誘導され叶わなかったことがあった。今度こそは、と彈が提案したのだ。
「今回はゆっくりご飯にありつけたね」
すでに食事は始まり、談笑の最中であった。
「美味しい食べ物に、彼氏に、ラプトル様。私って幸せ者なんですかね〜」
誰が見たって惚けている。表情筋をこれでもかと緩ませる光子。目の前に並んだ大量のメニューがそれを裏付けていた。
「それにしてもよく食べるね。良い食いっぷりだ。ここが安いのに美味しいってのはわかるけど」
彈はたんぱく質重視のグリルチキンステーキ、誠はサラダにミネストローネといったヘルシーな組み合わせだ。
「活伸高校の創立記念日に合わせて頂いてありがとうございます。光子さんも」
「いやいや」
誠の日程に二人が合わせることになり、今日の食事が実現した。
「わざわざ休暇取ったんだからねっ? とことん楽しむよ!」
彈が誠と光子の二人に会うのは随分と久しぶりのことだった。聡を亡くした日から、かなりの歳月が経っている。香港ではもちろん、帰国してからも色々なことがあった。ARMORYの襲撃は、彈だけでなく誠までもが襲われた。その後の病院ではアイギャレットの追撃。彈の心労は計り知れなかった。インプレグネブル・ゴッズの件が全て片づき、ようやくこうして気軽に会える決心がついたのだ。
「でも……元気そうで良かった」
両手に握っていたナイフとフォークを置き、光子が優しい目を向ける。
迷惑をかけた。こんな若者を戦いの場に駆り出してしまったこと、そして醜態を晒してしまったことを恥じる彈。
「……ありがとう。もう心配ない。元気百倍だよ」
「ふふっ」
嘗て、襲われているところを助けた少女が、あどけない表情で微笑う。彈の人生を支えてくれた内の、立派な一人だ。
「誠くんこそ、心配したよ。その……お母さんも」
誠はもう完治しているようだった。二週間程前、面識のある母親と重ねて辛い報告を聞いたものだ。
「大丈夫ですっ。母さんはあんな性格ですし、ラプトルが悪い組織を潰してくれたって教えたらケロっとしてましたよ」
「なら良いんだけど……」
互いの遠慮が若干の沈黙を形づくる。それを払ったのは光子のスマートフォンだった。通知に本体が揺れている。
「ん? ……あむっ」
そっちのけでハンバーグを頬張る光子。
「いいの?」
「せっかくのお食事中にわざわざケータイなんか見ませんよ」
ご馳走の邪魔など野暮。そう言うかのように伸ばす手を止めない。
何やら周りがざわついている。店内は混雑しているわけではない。だが、ただならぬ事態が起きたことは空気を通じて伝わってきていた。
「なんだろ」
何か大きなニュースでもあったのだろうか。興味を引かれた光子は思わず伏せていたスマートフォンを裏返す。友人からのメッセージが見えた。
『超人初めてみた! マジモンのヒーローってやつかな??』
その内容に思わず訝しんだ。超人なら目の前に居る。ヒーローなら目の前に居る。
それぞれが、二人だけでないことは知っている。しかし素性を公にはしないのが普通だ。それもこれだけの騒ぎになるなんて。光子はインターネットで話題のトピックを検索する。すると信じられない内容が目に入った。
「ラプトル様っ! これ、すごくないですか!?」
すぐさま画面を彈に見せる光子。誠もそれを覗く。
「『スーパーヒーロー爆誕、本物の超人が姿を現す』? えーなになに、暴走した無人の電車を片手で止めて子供を救出……」
読み上げる中で言葉尻が下がっていく彈。人間が電車を止める。実に荒唐無稽な見出しだった。彈がこれまでに会ったことのある超人はどれも特異な能力を持っていた。それも一言では説明しきれない、一癖も二癖もある力だ。
単なる怪力や肉体の頑強さに振り切った結果の異常な事象か。それにしても、今まで情報の欠片すら無かった。記事を見る限り、悪人でないのなら何も憂慮することはないのだが。
「超人ってやっぱり誠くん以外にも居るんですね……。でも、それなら学校に来たムキムキの化け物もどうにかしてくれれば良かったのに」
「うん、そうだね……」
彈は暫し頭を巡らせていた。ふと、光子は誠が静かにしているのに気がついた。
「……」
画面を凝視している。
「どうしたの? 誠くん」
「……ラプトル。素手で銃弾を止める人間って、二人も居ますかね」
誠の顔は至って真剣だった。
「……多くは無いんじゃないかな」
「鮮烈なデビューになりましたね」
胎田の賞賛と相反する表情を浮かべるのは、昨日大衆にその姿を知らしめた男、綺坂情一郎だ。
がっしりとした体格に開襟シャツが映えている。三歳ほどの男児を救った話題のヒーロー。その面持ちは陰鬱なものだった。
「あなたはラプトルのような縁の下の力持ちではなく、表立って国民の希望の光とならなければなりません。……決して消えることのない」
まるで英才教育に執心な親のように強く言い聞かせる。
「明日からは“フェニックス”と名乗ってください。その頭の羽は高級車のボンネットマスコットのようなものです」
この空間で一際目立っているのは、人間大のショーケースに飾られた綺坂のヒーロースーツだ。真珠色の光沢を帯びた装甲が厳かに佇んでいる。
同系色のケープは見る者の心を奪う。頭部の口元を露出させたマスクの額部分には、鳥の足のように分かれる三本の羽毛を模した装飾があしらわれている。一度目にすれば脳裏に焼き付くことだろう。
「はあ……」
「どうしたんですか? やけに大きい溜め息を吐いて」
こちらの気など知らぬような物言いに眉を顰める情一郎。
「当たり前だろう。俺はこんなこと、したくない」
胎田はその眼差しに嘲笑で応える。
「人助けが嫌だとでも?」
「“そのことじゃあないっ”!」
語気を強める。握る拳に力が入ろうと、情一郎に出来ることは何もない。
「……何度も言った筈です。核を持たない日本が、他国への脅威として持ちうる最強の軍事兵器を作る必要がある。それが君だ」
胎田の瞳には狂気とも取れる異様な信念が宿っていた。彼自身の国への忠心や尽力というのは凄まじく、まさに世界の席巻を目指している人間の豪胆さを備えている。
「軍事兵器って……そんなものが必要なのか? 俺は平穏に暮らしたいだけなんだ」
頭を抱える情一郎。胎田は指を順に立てて話し出す。
「抑止力と国民のヒーロー。二つの側面を担ってもらう」
ヒーロー。近年、日本のトレンドと化しているキーワードだ。二人の私刑人がそう呼ばれ、一方ではゴシップのネタ、一方では英雄視されている。
思わず、口に出た。
「ラプトルがいるじゃあないか!」
肯定も否定もする気はなかった。ただ、代替品を提示したかっただけかもしれない。
だが胎田は返す刃を緩めはしない。
「あれはヴィジランテです。ヒーローとヴィジランテは似て非なるもの。履き違えちゃあいけない」
「ヴィジランテってのはヒーローの対義語なのか? ヴィジランテならまだしも、ヒーローに細かい定義は無いように思うが」
「ええ。対義とまで反対ではないのかも」
ただの人間と超人。一見あまりに力の差が大きいように見えるが、場を支配しているのは胎田だ。
「崇め、讃え、祭り上げられれば、それはもう英雄なんじゃないのか?」
「……いいですか? ラプトルは畢竟、ただの人間。彼では役不足だ。ラプトルに出来ることは君にも出来る。けれど、ラプトルに出来ないことが君には出来る! 列車の脱線事故を防いだり、飛行機の墜落を阻止したり。それに、彼が非合法な無頼漢なのに対して、君は国民にとって公式な希望にならなければならないんですよ」
一歩も引く様子はない。もはや情一郎に反論の余地はなかった。
胎田はゆっくりとショーケースに歩み寄り、そのガラスを撫でる。
「ジンテーゼの一種だよ。右も左も、国の未来や諸外国の脅威に怯えるから為る。安寧を脅かすことは生物的に最も忌避すべき点だからね。だがそれも圧倒的な“力”の前では無力。国の象徴たる抑止力が存在すれば、向こう数十年は泰平が約束されるだろう。“現代だ、喧伝は光より速い”。世界有数の価値を持つ日本国が、世界に対しその稀有な“格”を誇示出来る」
目的の言語化に淀むことが無い。それはつまり自身の中での優先順位の高さ、揺らぐことのない確たる思想を意味する。
「日本が世界を牛耳る。これ以上ない筋書きだ。誇っていい……君の価値は天皇以上だ」
情一郎は馬の耳にいくら念仏を唱えても無駄だと理解した。己の強大な力をあくまで道具としてしか認識していない。そんな男にいいように使われるだけの自分に無性に腹が立った。抱える問題はこれから山積みになるだろう。
「館端君」
胎田は隅に立っていた館端に問いかけた。
「スーツのメンテナンスは三日に一回だったかな」
「はい、間違いありません」
「流石規志摩重工だ。ああそれと、例の準備は?」
「滞りなく」
二人のやり取りを聞いていた情一郎は顳顬に手を当てた。
「……頭が痛い」
世界を好きに出来る力。そう形容された掌を見つめる。不運は平等ではない。強い苛立ちが全身を襲った。
午後三時。
彈は二人と分かれ、帰路に就いていた。頭は話題の超人でいっぱいだ。
(仮に、あの人が誠くんを助けたことのある人と同じなら……すごい人が現れた。俺なんかよりずっと、犯罪の根絶に繋がるんじゃないのか)
アイギャレットを打倒したからといって油断は出来ない。そう気を引き締めていたところに予期せぬ吉報が来た。それも特大のだ。“平和”などという夢物語が身近にさえ感じる。
そしてもう一つ。常良燦護との食事前、すれ違った女性を想った。元気にしているのだろうか、と。
歩いていると、なにやら人集りが出来ているのが目に入る。気づけば超高層のオフィスビルの真下に来ていた。様々な企業があるが、そのどれもがある一つの大企業の子会社である。
数多の報道陣に囲まれているのは三人の男性。うち一人は見覚えがあった。捕らわれた時に自分を解放した男だ。
そう視線を奪われていた矢先。上空から聞こえてくる、布が風を切る音。それが近づいてくる。
そして、轟音と共に人集りの真横に降り立った。地面が砕け、ひび割れている。その際発生した風が頬に触れ、髪を靡かせた。人の所業ではない。
それもその筈、衆目に現れたのは渦中のヒーローその人だった。彈も報道陣も釘付けになっていた。
「どこから現れた!?」
記者の一人が声を上げて上を見る。皆の脳裏には同じ考えがよぎった。この高層ビルの屋上から飛び降りてきたのだと。
ネットで出回っていた画像通り、薄くピンクがかった真珠色のコスチュームに身を包んでいる。
「……紹介しましょう。件の、“ヒーロー”です」
館端が右手を横に出し、そう告げた。すると、そのヒーローはにやりと口角を上げ、胸に親指を突き立てた。
「ゲリラ会見とも言える場に失礼する! 何かあれば俺に聞いてくれっ」
ヒーローが現れるや否や、先程までは横目で見て通り過ぎるだけだった通行人が次々と足を止める。ヒーローの元に大量の人が押し寄せた。彈は群衆に潰されるような気がした。
「お名前はっ!?」「あなたは超人なんですかっ!?」「子供を助けたのは偶然!?」「警察と関係があるとみていいんですか!?」「その格好は?」「自警団ではない?」「今後については!?」
怒涛の勢いで投げられる質問の雨。カメラのフラッシュにシャッター音が目と耳を覆う。
「おお!? 待った待った! 一度に言うんじゃないっ。体は金太郎でも耳は聖徳太子じゃないぞっ」
野次馬の一般人も、皆がスマートフォンのカメラを向けている。老若男女が関心を引かれているのだ。
「今後、ってのが聞こえたな。これからは……俺が東京を! 延いてはこの国を守ってみせる!」
ノリノリといった様子のヒーローは、その逞しい体格を一段と大きく見せるように胸を張っている。
「俺の名を知りたいか? 俺はフェ……」
ヒーローがその名を口にしようとした瞬間、青い声が空間にいる全員の耳に行き届いた。
「チキン!」
「……え?」
その場の視線は一人の男児に注がれる。
「こらっ、やめなさいっ」
「頭がニワトリさんみたいだから!」
母親が必死に声を殺し、息子の暴挙を止めようとしていた。その無垢な瞳は、大人の顔を緩ませた。どっと笑いに包まれる路上。
「臆病者って、そりゃないだろ坊主っ」「そうだーっ。ヒーローに失礼だぞっ」「可愛いファンだこと」
嘲笑まじりの意見が飛び交う中、ヒーローは熟考していた。
「……いや、鶏ほど皆に親しみのあるものもあるまい。誰もが見たことのある、口にしたことのある生き物だ」
そういってヒーローは男児に向かって目線を合わすように屈み、片目の瞬きで応えてみせた。
「———採用だ、少年」
男児はその大きな瞳を目一杯輝かせた。




