70.帰還
「ラプトル! ラプトル!」各地の画面の向こう、ヒーローを称賛する声が止むことは無かった。
それはまるで、陰る大地に差す陽光のようだった。
ザ・クレイを含めた十一人をものの数十秒で制圧した彈。
上は報道陣が、下や隣のビルなどには警察が包囲していたなかで、亜莉紗はビルの内部と警察の配置を分析・把握。誰にも気付かれずに会場の階へ到着。そのまま犯人グループを縛り上げるまでに至った。
「何故です!? 私達は同じ穴の狢の筈です! “裁ききれない法に辟易し、自らの私刑にて悪を滅する”! 違いますか!?」
必死に己が主張を訴えるザ・クレイ。報道を見た彈は、彼の名前・大方の動機・現場の状況は頭に入れていた。
「そうか。……なら、“共喰いってことで”」
賛同するどころか、同情の欠片すら見せない彈。
「私が跡を継ぐ! 見た目だって、戦い方だって、思想だって貴方を真似たんだ!! ラプトル!」
その後も、狂信者の声がラプトルに届くことは無かった。
駆けつけた警察に身柄を引き渡し、そのまま去ろうとする。
周りの警察はそれを止めようとはしない。もはや国の認識は、社会を席巻しているヒーロー。警察の中にも、ラプトルの存在を待ち侘びていた人間も少なくない。
そんな中、悠々と歩いていた彈の前を、一人の男が阻む。辺りがざわついた。
「……あなたは?」
その存在感は、逞しい体格や大きい背丈だけに因るものではなかった。
「特殊犯災対処精鋭部隊ジンゴメン、技術顧問であり現場指揮官。時任右衛だ」
「時任技術顧問」
反応から見るに、相当に位の高い人間だと窺える。
(この人……強い)
時任は刺すような瞳で彈を見る。
「……お前に絆されている人間が多いようだ」
その視線をゆっくりと周囲の人間へと向けていく。
「別に取って食おうというわけじゃあない。ただ、こちらにも立場がある。メディアも居る前でこうも堂々とされては、沽券に関わる」
僅かに足元が詰め寄るのを確認する彈。
「傷害罪、住居侵入罪、公務執行妨害、etc.……挙げればキリが無い。言いたいことは分かるな?」
「以前は、解放してもらえたと記憶してますが」
「俺は、胎田とは違うっ!」
下からの蹴り上げ。顎を狙った足先は、彈の鼻先を掠めた。
一瞬の攻防。最適ルートを脳内に構築し、時任を横切る。
「捕まえろ!!」
並の警察が幾ら束になろうと、彈の敵ではなかった。パルクールでその場を脱する彈。
ラプトル久々の活動は、順調な滑り出しと言えた。
「アイギャレットが明後日着くってさ」
「いよいよか。じゃあ明日、ヤッちまうか!?」
とあるビリヤード場で、五人の男女が一堂に会している。
「ああ。多忙なあの人がわざわざ日本で時間を無駄にする必要もないだろう。俺達が“仕事”を終わらせておけば、ボーナスだってかなり貰えるんじゃないか?」
そう言うのは、黒いベレー帽を後ろに被り、スーツの下にゼブラ柄のシャツを着たリーダーらしき男。長い袖で手を覆っている。
「そりゃあ景気良い話だなァ! 歯応えのある奴相手にすんのは久々だぜ! 強ェと良いなァ……」
頭部の右側を刈り上げ、口の端にピアスを開けた大柄な男が、ビリヤード台の上に足を乗せながら笑っている。
「ちょっとあたしの番なんだけど! 足どかしてよねっ」
キューを持ちながら怒っているのは、髪をコーンロウに編んだ、シャツにタイトスカートの女性。
「対象ってそこそこ居たよね。分散して狙うってことで良いの?」
間を取り持つように割って入ったのは、肩までの長いウルフカットの髪と首につけたチョーカーが特徴的な、女性と見間違える程に端正な顔立ちの青年。
「そうなる。明日までにテキトーに決めるぞ。アイギャレットがこっちに来る程の事態だ。全員かなりの猛者だろう。油断するなよ」
ベレー帽の男は、そう言って皆に念を押した。
「楽しみだ」「はーい」「分かった」
端にもたれ掛かって缶コーヒーを飲んでいる男にも声をかけた。
「お前もだぞ。“ソルジャー”」
「……」
スーツ姿に黒い手袋。オールバックに眉の無い小柄な男は、視線を合わせ、黙ったまま頷いた。
同時刻。
「あんなのがラプトル様の仲間なわけないじゃん」
「やっぱそうですよね」
光子は誠の部屋に来ていた。誠の通う活伸高校は現在、夏休みに入っていたからだ。テレビでラプトルの一連の報道を見ていた。
二人は交際を始めていた。
共に死線を乗り越え、高まっていた絆が、互いの存在の大切さを再認識させた。
「ともかく、ラプトル様が無事で良かった……。どれだけ警察の人に止められても、心配な思いはどうしようもないもんね」
「はい……」
胸に重くのしかかった感情。目の前で友人を亡くした彈の姿が頭から離れない日々が続いた。そんな中で、常良燦護の言っていた“普通の生活”など送れるわけがなかった。
「誠くんもようやく日常に戻れるって感じかな? 良かったねっ」
光子が誠に微笑む。
「深鈴先輩……」
「だ〜か〜ら〜、光子っ! 何度言ったら慣れるの?」
「あっ、すっすいません。光子さん」
しょぼくれる誠。
「けど、俺はこうやって光子さんと一緒に居られるだけで幸せですよ」
本心だった。誠にこれ以上の幸せは無かった。
「まあ、家デートばっかりってのは悪いと思ってますけど……」
誠はあまり積極的に外でのデートを提案することは無かった。
“拡張者”としての顔。それが悪い方に働く懸念が拭えないからだ。ましてや、ラプトルが居なくなり、犯罪が増加した期間は、より危険と言えた。
「……大丈夫だよ。こうしてラプトル様が戻った以上、すぐに平和になるって」
いつも光子に励まされている。まただ。
誠は三度自分の思考を反省する。
「っと……そろそろ時間かな。じゃ、また次の休みまでサイナラっ!」
束の間の至福の時間も、終わりを迎えた。
翌日。
久方ぶりに以前働いていたアルバイト先の工事現場に顔を出し、長期間の無断欠勤を謝罪した彈。
当然そのまま解雇。謝礼品を渡し、その場を後にした。
その間際、一番仲を良くしていた先輩の武田に引き止められた。
「震条。お前、なんか吹っ切れたか? 良い顔してる。社会人として、やっちゃいけねえ事はしたが、なんか困ったらいつでも顔見せろよ?」
彈は、深く頭を下げ、最大限の感謝と敬意を表した。
カフェ店内。
「手を貸してくれたみたいで。ありがとうございます」
彈は斉藤と会っていた。
「おう。まあ大したことはしちゃいねえがな」
久しぶりの対面。
最後に言葉を交わしたのはマキビシとの交戦時。斉藤が友である凌木市架の犯罪・死を知り、彈が親友の刻守聡を自らの手にかけた日。
「……脚。もう大分歩けるようになったんですね」
「ん? ああ、これか」
斉藤は解体マンこと下々森北斗の手によって膝から下を無くし、両義足となった。今ではリハビリも終え、通常の生活を難無く送れる程になっていた。
「慣れてみりゃあ、案外気になんねえもんだ」
「そう、ですか」
彈の表情は暗い。今だ罪悪感に苛まれている様子にやきもきする斉藤。
「お互い色々あったんだ。そう申し訳なさそうな顔ばっかすんじゃねえ。俺はお前が元気そうで、立ち直ってそうで安心したぜ」
あれから色々なことがあった。
(また斉藤さんに迷惑をかけるようなことが無いようにしないとな……)
「話せば長くなるんですが、おかげさまで」
「おいおい、俺だって手を貸したんだ。停電やらなんやらでな。はしょらせねえぞ? 事細かく共有しろ」
「え」
刑事らしい物言いで彈を捕まえる斉藤。ばつの悪い表情の中、彈は逃げれないと悟り諦める。
想像より長く、カフェに滞在することとなった。
すっかり日も暮れてしまった。
体を万全にし、動けるようになった。そうしてから、すぐにでも会いたい人が居た。
一通りの用事を済ませ、大切な人の元へ向かう。その足取りは、とても軽かった。
「———見つけたっ」
正面、道の真ん中に立つ男が居た。
男はスーツ姿で、ベレー帽を被っている。暗い夜道で、街灯が二人を照らす。
「?」
「あんたが震条彈。……ラプトルだな?」
「!」
男は後ろに隠した右手から、徐にクナイのような形状の機械的なナイフを取り出す。持ち手後部に付いた輪の部分に指を入れ、くるくると回している。ゆっくりと近づいてくる男。
「その身柄、拘束させて貰うぜ? 抵抗するなら……生死は問わねえっ!」
反対の左手から小さな球のようなものを出し、彈目掛けて思い切り放り投げる。彈の頭上へと位置取ったタイミングで、右のクナイを球目掛けて投げると、大きな破裂音と共に、その場を爆炎が包んだ。
「っはあ! まさかこれで終わりじゃないよなァ!?」
煙が晴れていく。目を凝らし対象の状態を確認する。
「……?」
刹那。煙を抜け、男の左へと現れる。
「!! っラプトル……!」
そのまま体を回し、下方からの後ろ蹴りで男を突き飛ばす。
「……ぐうっっ!」
たまらず男は民家の塀へと叩きつけられる。ヒーロー、ラプトルの両眼が男を睨みつける。
「下のタイツだけでも着ていてよかった。けどリュックが台無しだ」
男は咳き込みながら、ジャケットの内側へと手を伸ばす。そして、両手に先程と同じナイフを携える。ナイフの刃先には明滅する電流が走っていた。
「早着替えとは面白い芸当だ……。サーカスのスターだったらこうして命を狙われずに済んだってのになァ!!」
男は片方のナイフを彈の足元に投げる。バク転で躱し、後方へ跳ぶ彈。ジャケットを広げ、何本ものナイフのスペアを見せる男。
「確かに楽しめそうだ。俺は電磁刃。あんたを殺す男の名だ、覚えておいて損は無いぜ」
彈は拳の骨を鳴らし、首をぐるりと回す。
「退け。会わなきゃならない人がいるんだ」
その脅威は、奇しくも同時刻にて“三人”の元にも及んでいた。